第225話 天狗様への願い人

「クシュン」

「お大事に、お佐紀様」

「病気知らずのお佐紀様が珍しい事で」

「御府内で誰かがお佐紀様の噂をしているのですよ、きっと」

「馬鹿だね、そんなはずは無いだろう、だって、そうならお佐紀様は四六時中くしゃみで寝てられないよ」

「夜は寝られるだろう」

「夜番が御府内にはわんさか居るからな、噂は夜中も止まないよ」

「いや、噂話は当たっているかも知れない・・・誰ぞ知り合いのな、さしずめ、小駒さんとお高さんと見た」

養老の里に江戸から大挙して押し寄せた翌日の夕餉の後の茶の時刻の事だった。


レンガ作りもその木枠作りも波に乗り出しレンガの送り出しも順調だった。

「しまった」

「何とお前様」

龍一郎の叫びの後にお佐紀の叫びが続いた。

「三郎太、天狗の衣装を持って付いて参れ」

その声と共に龍一郎、佐紀、三郎太の三人が消えた。

その後に続いて江戸組が次々に消え、養老の里の者たちだけが何が何やら解らずに取り残されていた。

三郎太が小屋に一旦消えて天狗の装束、一本下駄、面を持って戻って来たと同時に三人は消えた。

その後に現れた江戸の者たちは後を追う事は無く警戒の為に四方に散って行った。

龍一郎ら三人は山の頂上手前で足を止め三郎太が天狗へと変身するのを待った。

三郎太の用意が整うと龍一郎が何かを頂上に投げた。

頂上に煙が立ち込め始め三郎太が頂上へ飛び上がった。

頂上の煙が消え始めると三郎太の大声が響いた。

「我が住む山に何用が有って参る、我の罰をも恐れぬ所業、何を持って償う所存ぞ~」

「お許し下せい、天狗様の神域を侵すつもりは毛頭御座いませんだ~、儂らは天狗様にお願いが有って参りました、お許し下せい」

「我への願いは里の村長を通す事になっておる、災難が降り掛かる前に直ちに山を降りよ」

「へへ~ぃ」

初老の男と青年と娘の三人は天狗に眼を向けぬ様に頭を垂れて山を小屋とは反対の斜面の草深い道無き道を降りて行った。

三郎太の横に龍一郎と佐紀が現れ山を降りる三人を見下ろしていた。

「安心致しました、龍一郎様にも予想出来ぬ事も御座いました」

「儂は本物の天狗では無いわ」

「邪心の無い者の気配を探る事は難しいものですね、旦那様」

「獣の気配も解ると言うのに不思議なものじゃ、まだまだ修行が足りぬな」

「この様な事は此れで最後では御座いますまい、龍一郎様」

「あの者たちは上総、下総の漁師であろう、魚の匂いがしたでな、天狗様の噂が広がったものじゃのぉ~」

「悪さをする者が堪えませぬなぁ~」

「養老の里の神域としての立場を守る為にも願いを叶えずばなりませぬな、お前様」

「実践鍛錬と思えば良い機会じゃ・・・富三郎殿が居らぬのは困った」

「おやまぁ、お前様が困るなど珍しい・・・」

「儂とて女房殿には頭の上がらぬ只の亭主に過ぎぬわ」

「それでは日乃本一の強者(つわもの)はお佐紀様ですか・・・」

「儂は其方に嫌われぬ様に日々精進しておるぞ、佐紀」

「私も龍一郎様の期待を裏切らない様に精進しております」

「それは我ら配下の者も同じ思いで精進に心掛けております」

「配下では無い、友じゃ、三郎太殿」

「はい、しかし、龍一郎様が此処まで近づくまで気付かぬとは珍しいですな」

「殺気は勿論、邪気も猜疑心も好奇心も無くほぼ無心・・・まずは頂上に辿り着く事だけを考えていたのであろう、私の結界の類を今一度考えねばならぬな」

「私も旦那様が気付くまで気が付きませんでした、二人でいる刻には結界の類を分担しましょうか、お前様」

「そうじゃな、さて、村長(むらおさ)からの繫ぎを持つとしようぞ」

頂上から三人の姿が掻き消えた。


初老の男、青年、娘の三人は転げ落ちる様に山を降りて行った。

山の裾野に着いて漸く三人は後ろを振り返り追手が居ない事を確かめると原っぱに寝そべり大の字になって寝そべった。

その三人を見張る者たちがいる事に気付く事は無かった。

三人は小屋の広場から散った龍一郎の仲間たちの誠一郎と舞の処に降りて来ていた。

三人は疲れた足を引きずりながらとぼとぼと歩き出し表札を見つけた。

裏から表に回って見ると書かれていた。

「これより、天狗様のえ住みになる聖域なり、何人も立ち入る事叶わず。

これを侵す者は災難を覚悟せよ。

天狗様に願いある者は養老村の村長に願うが宜しい。

                              養老村一同」

「これを見ておればなぁ、無駄足だったな、網元」

「いやいや、源次、無駄足ではなか、居るか居らぬか解らん天狗様が居ると解ったのだ、甲斐があったと言うものじゃでな」

「んだな、網元、源次どんも良か方に取りんしゃい」

「お里、おまんは気楽で良いなぁ」

「しかし、ここん書いてある養老の村は何処にあるとじゃろか」

「網元、こん道しか無かろうもん、行ってみべい」

「行くか、しかし、一番若いとは言え、お里の足は早かねぇ~」

三人は来た刻には通らなかった道を下って行った。

「源次兄さんよ、あんまし、儂の尻を見るでねぇ」

「お里、儂は尻など見とらん」

「網元は前を歩いとる、見とるのは源次兄さんしかおらん」

「見とらん」

「尻がむずむずする・・・猿でも居るのかなぁ」

見張る誠一郎と舞が眼を見合わせた。

このお里と言う娘は誠一郎と舞の気配を察知しているのだろうか。

三人の眼に畑と田んぼが見え村も見えた。

天狗山の方から来た三人を見つけた村人たちが野良仕事の手を休めて集まって来た。

「おめいたち、まさか山さ行ったんでなかろうな」

「天狗山さ、行っただか」

「・・・行った」

「よう無事だったなぁ~、いがった(良かった)、いがった」

「天狗様が居らんで良かったのぉ」

「それが居った」

「何~、居ったって、見ただか」

「見た、そりゃ~デカかった、怪物じゃぞ、儂しゃあげな大男は見た事がねぇ~」

「ようも無事じゃったのぉ~」

「見たもんはみんな奉行所に捕まったかあの世に行っとる、まぁおまはんらが悪人で無い言う事かのぉ~」

「で、どうした」

「天狗様は願いは村長に言えと言われた」

「直に天狗様にか」

「あぁ~」

「そりぁ~凄いな、村のもんで天狗様の声は聞いても会うた者はおらん」

「まんず、名主さん処にいくべ、今月は誰だったかのぉ~」

「何じゃ、何じゃ、こん村には何人も村長がおるだか」

「五人、うんにゃ、今は四人じゃ、四人居ってのぉ月変わりじゃ」

「変わった村じゃのぉ~」

村長の一人の家へ向かいながらの話である。

「夜なべして歩いて来たのじゃろう、腹も空いておるじゃろう、飯を食え」

「おまんらの飯を食うても良いのかぁ~雑穀かぁ~」

「んにゃ、白飯じゃ」

「何じゃと、農家で白飯~」

「儂らの領主様は出来たお方でな、幕府の年貢米だけでな、領主様は受けとらねぇ~だ」

「何だと~、偉い領主様だが何をしているだ、仙人でもあるまいに霞を食うても腹は膨れんぞ」

「儂らの領主様は橘様と言われる・・・どうじゃ凄いじゃろ」

「橘・・・橘の何が凄い」

「橘様と聞いて思いつかんか、おまんらは何処から来たんだ」

「銚子じゃ、儂らは漁師じゃ、儂は網元、こいつらは漁師じゃ」

「手の豆は鍬、鋤ではないか、櫂の豆だか、そん娘も漁師ねぇ」

「わたいも漁師じゃ」

「おなごとは珍しいのじゃなかろか」

「銚子でん、こいつ一人じゃ」

「顔はめんこい(可愛い)が口が悪い娘じゃわい」

「お~い、長~、銚子からの客じゃぞ~、三人の長を呼んでくれろ」

「ほう、銚子からとは何とも遠い処から何用じゃ」

奥から老人が出てきて応じた。

「まぁ、上がりんしゃい、孫助、村長を呼んで来よ」

囲炉裏が切られた居間に通された。

「銚子ちゅうと漁師さんかね、まぁ座らんね、さぁ、さぁ、お~い、茶をくれ~~」

「うんだ、儂らし漁師じゃ、儂はもう歳じゃで網元に専念しとるがこん二人は漁師じゃ」

「何、この娘ん子も漁をしよるか」

「あたいも船に乗っとる、何処さ行っても娘が娘がと言いくさってからに・・・」

「あんた、めんこい顔しとるが口が悪いなぁ~、もうちっと優しゅうなれんかの」

「優しい口で飯は食えん」

「網元さんよぉ~、苦労するのぉ~」

部屋の天井の隅の暗闇でほほ笑む誠一郎と舞の顔が有った。


奉公人がお茶と草餅を持って部屋に入り皆に配った。

「こん村は裕福じゃ、網元よ」

「あたいの分は持って帰っても良いか」

「この娘っ子には兄弟がおるか」

「妹が一人じゃ」

「名は何と言う二人は」

「この子は糸、妹が鈴じゃ」

「ほう、釣り糸の糸に釣れた合図の鈴か、上手い」

「上手いものか、直ぐに切れる糸は駄目だ、鈴は魚が逃げる、碌な名じゃねぇ~だ」

「ほんなら何に変える、ん~ん」

「う~ん・・・早苗、育」

「そりゃ~百姓の名だべ、苗が育つじゃからな、お糸ちゃん・・・良い名でないか」

「そうかな~」

「どうした、どうした」

どやどやと他の村長がやって来た。

「お~い、茶を三つ追加じゃ~、まだ何も聞いとらん、お前たちが来るまで娘の相手で疲れたわい」

「娘って何処だ」

当の娘が三人を睨みつけた。

「おぉ、本に娘じゃ、薄汚れているが磨きゃ~別嬪さんだな」

「おぉ、倅の嫁に、うんにゃ儂の嫁にならんか」

「今の嫁はどないするんじゃ」

「吉原でも売るか」

「買わん、買わん、逆に銭を出せ言われるのが落ちじゃど」

「まぁ、まぁ、与太話は良い加減にして網元さんよ、天狗様に何用だ、何を願うつもりじゃ」

その刻、高い天井の暗い暗い隅に三郎太と平太とお雪が加わった。

「双角、慈恩は屋根上に居ります」

三郎太が誠一郎と舞に告げた。

「お~い、村長、今日は客人が多い日じゃぞ」

「何処からじゃ、天狗様に用だか」

「どうも、そったら感じだ、儂らは平穏じゃが世の中そうでもなさそうじゃ」

囲炉裏の人が集まる居間に農民とも漁師とも猟師とも違う二人が入ってきた。

「お~い、茶を二つ追加じゃ、草餅もなぁ~」

「草餅がのうなったで饅頭じゃど」

台所から草餅ま変わりに饅頭を出すとの返事が返ってきた。

「まぁ、まぁ、お二人も座りんしゃい、こん三人も天狗様への願いに来とる、まぁ、何かの縁じゃ一緒に聞くべぇ、しかし、世の中、祖減に乱れとるかのぉ~、儂らは天狗様のお陰かのぉ~平和そのものじゃ」

「良いなぁ~、儂らの処にも天狗様が住んでくれんかのぉ~」

「おぉ~、儂らの処もじゃ、為して此処に住まわれておるのかのぉ~」

「そりゃ~のぉ~、こん村が橘様の御領地だからじゃろう」

「どう言う事だべ」

「昔、昔、橘様の御先祖が天狗様と約定なされたそうな」

「橘の先祖が天狗様を助けただか」

「そこまでは良う解らん、が、橘家に代々伝わっておる様じゃ」

「まさか、そん橘の人が天狗様ではなかろうなぁ」

「儂らは橘の親子に合うたが人だったがのぉ~」

「天狗様はよぉ~、七尺はあると聞いたぞ、村のみんは合うとらんが捕まった山賊が言うとった」

「山賊はどうなっただな」

「役所ん人が来て連れてったげな、頭目は打ち首、手下たちは遠島と聞いたげな」

「橘様に山賊退治を願ったのけぇ~」

「それが不思議な事に文を届ける前に退治されたんよ、不思議じゃろ、まぁ天狗様じゃからの」

「天狗様に幾らの寄進が要りますかのぉ~」

「天狗様は寄進も社も何も成らぬと言うとる、只、天狗山に近づくな・・・それだけじゃ」

「天狗様は何の寄進もいらん言うし橘の家の主様は年貢米もいらんと言うし不思議じゃ、じゃが儂らにゃ神様、仏様じゃ」

「何じゃと、お前んらは年貢を払うとらんのか」

「あぁ、幕府ん処へ渡す分だけじゃ」

「何とも不思議な村じゃ、天国か竜宮城の様な処じゃなぁ~」

何処からとも無く「くすくす」と笑い声が聞こえた。

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