第223話 船宿・駒清へ

「御免下さい・・・御免下さいな」

「は~い、どちら様で」

「はい、私は富三郎と申します、御主人の清吉様とお会いする約束で御座います、お取次ぎをお願いします」

「主とお約束の富三郎様ですね、暫くお待ち下さいな」

「はい、よろしく」

台所の奉公人の女が奥へと清吉に伝えに行った。

富三郎は視線を感じ何気ない風に周りを見渡した。

台所の料理人や配膳の者たちが皆、富三郎を何者だと言う風に見つめていた。

奉公人たちはこの富三郎と言う男は船宿の主としての清吉の知り合いか、それとも岡っ引きとしてと清吉の知り合いかと考えていた。

暫くすると、先程の女奉公人を従えて清吉が日頃の見慣れた岡っ引きの姿では無く船宿の主らしい服装と髪型で現れた。

「おや、富三郎さん、婚礼にでも行く様な余所行きのなりで珍しい」

「今宵は特別ですよ、清吉さん」

「そうですな、まぁ上がって下さいな、私も見習って着替えますでな」

「では、お言葉に甘えまして失礼いたします」

富三郎が清吉の後に付いて奥へと消えた。

「何者だい、旦那さんとえらく親しげじゃないか」

「あたしゃ何度か見かけたよ」

「何もんだい」

「橘の親子の仲間だよ」

「えぇ~、橘道場の仲間かい・・・武家じゃないぜ」

「あのお方の仲間はお武家様ばかりじゃ無かったよ」

「まぁな、家の旦那様も町屋の人だからな、しかし何処へ行くのかね、何があるのかね」

「そうだね~えらくめかし込んでたもんね~」

「てめいら何話し込んでいやがる手と足を止めるんじゃねい」

板長の怒鳴り声が台所狭しと響いた。

「へい」

「あい」

怒鳴った板長の正平も龍一郎の仲間だとは奉公人たちは知らなかった。

今の正平は近くの蕎麦屋の主であるが主であり十手の親分の手下でもあり龍一郎の仲間でもありで蕎麦屋は嫁に任せ船宿の板長を続けていた。

龍一郎の仲間になってからは正平夫婦は自分たちの店に執着は無くなっていた。

以前は自分たちの店を持ちたい、持ちたいと二人は願っていたが、いざ持ってみると張り合いとやる気が沸き楽しい毎日であったが、龍一郎の仲間である事に比べれば些細な事と二人は気が付いたのである。


「二人のお子さんは大きくなりなすったね、富三郎さん」

「はい、ありがとう御座います、そちらの平太さんと舞さんの様にあの方のお役に立つ様に育ってくれる事を願っております」

「我が子ながら平太と舞は良い息子、娘に育ちました」

「あの方と知り合うまではどうなる事かと末が心配でした、ねぇ、お前さん」

「あぁそうだったな、お駒、まさかあれ程になるとはなぁ~」

「後から知ってんだけど私らの子はまだましな方で誠一郎様は屋敷付近では悪垂れで評判だったとうな、あの方に合わなけりゃ一端の悪党だったろうね」

「何にしても皆があの方様々にゃ違いない」

「そろそろ、お出かけの刻限ですよ、お前さん」

「おぉ、そうだな、んん~、待てよ、そうだ、棟梁を此処へ呼んじゃどうだ」

「そりゃ~良いね、お前さん、何で思い付かなかったかね~、棟梁も酒が嫌いじゃないしねぇ~」

「良し、お~い、末次~、末次~」

「へい、親分、何の御用で」

「ばかやろう、じゃねぇ、無いですよ、此処では私は旦那さまと呼ぶ様に言ってあるでしょう」

「へい、じゃ無かった、はい、旦那様、何の御用で御座いましょうか」

「おぉ、良い返事ですよ、末次、お前さん大工の棟梁の健吉さんを知っているよね、家も知っているよね」

「へい・・、はい、知って・・、存じております」

「そんじゃ、此れから家に行って棟梁を此処に呼んで来てくれないか、酒を飲みながら頼みたい事があるのです、と言って下さい」

「はい、承知致しまして御座います」

末次が部屋を静かに出て障子を閉めて途端に廊下をすっ飛んで行く音が響いた。

「えらく元気な青年ですな」

「場末の小悪党でしたがね、下っ引きと言うか垂れ込み屋と言うかそんな者だったのですが可愛げのある奴でしてね、悪さが出来ぬ様に店の下働きに雇ってみたんですよ」

「それが殊の外気の効く男でしてねぇ~、細々とした事でも嫌がらずに熟すので助かっています、まぁちょっとした誤算、良い方への誤算と言う訳ですよ・・・処で富三郎さんは弟子を取らないんですか」

「今度の様な事が何時もある訳では有りませんのでね、給金も払えませんですから」

「そんな物は富三郎さんが願えば龍一郎様が何とでもなさるに違いありませんよ」

「そりゃ言えてるね、お前さん、お前さんから頼んでみちゃ~どうだい、富さんからじゃ言い難いならさ」

「そうだな、何にしろ今回は人手が足りないや、そうだろう」

「今の絵図面は良いですが、その後の現場では絶対に足りませんなぁ~、まぁ龍一郎様が配慮下さるでしょう」

「いや、いや、棟梁がお受け下されれば、何度も繫ぎが要る事で御座いましょう、そうそう細使いの小僧さんが要りましょうなぁ~」

「それは良い考えだねぇ、お前さん、屋敷は広いんだ、小僧の一人や二人は住めるでしょう、後は食い扶持の問題だけだね、どうだい、富さん」

「龍一郎様が毎月、毎月、十両下さいます、何度も多過ぎます、と申し上げましても、少なくて困る事はあろうが多くて困る事はあるまい、と申されまして・・・もう家が買える位の蓄えが御座います・・・どうした物やら、はぁ~」

「あの方は本に不思議なお方だ・・・一体全体何処から銭が、まぁ生まれ育ちを思えば当然と言えば当然なのだろうが・・・実家とは疎遠と言うしなぁ~、不思議な話だ、だが、我らに銭の心配が要らぬと言う事は大きい、大いに助かりますなぁ、なぁ~お駒」

「何度言うけど龍一郎様とお佐紀様の援助が無ければ船宿なんて無理な話でしたからね~、三月、半年後にまずは料亭で商い、その儲けて船宿でしたね・・・それも上手く行っての話でしたし一流料亭の揚羽亭の修行なんて二人が居なければ夢の又夢でしたよ、金子だけの話じゃ無いよね」

「いやいや、その金子にしてからが五十両、六十両じゃないんでぜ、富三郎さんよ、桁が違うんだよ、桁が・・・半年、一年と客が来なくても店が潰れない位の金子なんだ、魂消たねぇ~」

「そうだよね、あの後、二人で嬉し泣きが止まらなかったっけねぇ~」

「あの方の話となれば、私ら夫婦の方が先ですからねぇ~、私らは特にお景は江戸へ行きたい、江戸へ行きたいと言っていましたっけ、私も江戸か長崎に行きたかったですねぇ~、そんな刻に江戸の屋敷の守りをせぬか、との話でしてねぇ~、そりゃ~一も二も無く承諾でしたよ、夢が叶って住む処の心配も無くおまけに給金が貰える・・・夢の様な話でしたねぇ~、あの頃は二人で夢か騙しかと疑っておりましたっけねぇ~」

「そりゃ~初耳だ、富三郎さんもお景さんも余り話さ無いから、特に昔の話はしない様だから無理に聞くのもと思っていましたよ」

「お駒さん、私達は話したく無いのでは無くて最初は訛りが酷くて無口だっただけなんですよ」

「な~んだ、そうだったのかい、訛りなんて気にするこっちゃ無いのによぉ~」

「ほら、この人なんて岡っ引きだから江戸っ子のそれも下町の無頼を相手の言葉使いが酷かったんですよ、そんれがあのお方に会ってからいろんな言葉を覚えたばってん喜んどるとよ、あたしゃ~ね」

「てめえぇは何処の生まれだってんだよぉ~あぁ~・・・なんてね」

「わりぁ~何処のもんながや・・・って加賀の訛りです、久しいなぁ~、家でも江戸弁に慣れる様に二人で、子供たちも入れれば四人で加賀弁を使わない様にしていました」

「今は御府内に仲間は数少ない、これをご縁により深いお付き合いを願います」

「こちらこそ、よろしくお願い申します」

「では、そろそろ棟梁にお願いに参りましょうか」

「参りましょう、お駒さん、ありがとう御座いました、楽しい一時でした」

「こちらこそ、帰りにまた寄って下さいな」

「ありがとう御座います」

「じゃ~、行って来るぜ、お駒」

「あいよ、お前さん」

お駒はそう言って火打石で火花を清吉に飛ばした。

清吉が出かける刻の無事を祈る毎度恒例の験担ぎだった。

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