第34話 龍一郎の稽古初日
龍一郎は試合の四日後に稽古場に顔を出した。
稽古は既に始まっており外からでも掛け声が聞こえていた、だが、これで龍一郎の初回の稽古内容が決まった。
龍一郎は正面から入り刀を右手に持ち稽古場に入ると正座し上座に向かって拝礼し、右手から高所に歩いて行った、稽古をしていた平四郎が龍一郎に気付き稽古を止めた。
「止め」
全員が何事かと打ち込みを止め平四郎を見つめた。
「皆の者、壁際に下がり控えよ」
この言葉に十五名程が左右の壁際に下がり座した。
「皆に紹介しておこう、この方が本日より当館の師範を勤める橘 龍一郎殿である」
「橘 龍一郎と申す、良しなに」
「師範、御覧になっていかがかな、指導がござろうか」
「館長、早速のお尋ね忝い(カタジケナイ)、お言葉に従い一言申します、掛け声が少々小そうござる」
「掛け声がですか」
「左様、腹の底からの掛け声、丹田からの掛け声でござる、ご披露申そう」
丹田は三箇所あるとされ臍下(せいか)つまり臍(ヘソ)下二寸四分にあるのを下丹田、心の臓の下にあるのを中丹田、眉間を三寸入ったところにあるを上丹田と呼び、特に臍下丹田が重要視された。
龍一郎が言ったのもこの臍下丹田である。
「師範代、お相手願いなさい」
「はぁ」
一人の青年が袋竹刀を手に立ち上がり位置に着いた。
龍一郎も持参の袋から竹刀を出した。
龍一郎の竹刀は袋竹刀ではなく、全体を革で覆っていず剣先と柄に革が巻かれ中程にも革が巻かれただけの竹刀だった。
二人が対峙し館長の平四郎が「初め」の声を掛けた。
二人が静かに構えあった、その寸拍後、龍一郎が「とりゃ~」と掛け声を掛けた。
それは大声では無かったが身体の芯に響く声で稽古場の中の全員が竦み(スクミ)上がった。
対峙していた師範代は後へ倒れ尻餅を着いてしまった。
皆が後で知った事であるが龍一郎のこの日の掛け声は屋敷内に隈なく響き隣屋敷まで届いていた。
「人は言葉を発すれば力が抜けるものじゃ、故に達人は無言なり、されど掛け声には己を鼓舞する働きもある、掛け声を発する時は己の力に自信を持ち恐れを払い剣のみに意識を集中し腹の底から発する事じゃ」
「師範の言葉を肝に銘じ稽古を再開致せ」
この日、龍一郎は全員の稽古相手をなし、その技量を把握した。
「橘殿、忝のうござった」
「館長、殿はお止め下さい、某は師範ですからな」
稽古が終わり師範代に後を任せ二人は庭の井戸端にいた。
「二人だけの時は龍一郎さんとお呼びして宜しいですか、私の事は平四郎とお呼び下さい」
「どうぞ、平四郎殿、侍言葉も止めにしませんか」
「良かった、龍一郎さん、私も侍言葉が窮屈でいけません」
「平四郎殿、稽古場は如何ですか」
「建屋に何の不都合もないのですが、門人には前途多難の様です」
「でしょうな、して方策は・・・」
「無くも無いのですが、門人が居なくなるやもしれませぬな」
「剣者を育てるか、憩いの場とするかの選択でしょうな」
「如何にも(イカニモ)」
龍一郎の初日にして平四郎とは旧知の間柄の様になった。
<つづく>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます