第55話 清吉の十手

山修行まであと7日、その日清吉は南町奉行所に呼ばれた、清吉が鑑札を受ける同心からの呼び出しではなかった。

第一、岡っ引きは、幕府の役職図には乗っていない、その為、普段は奉行所の敷地内には入る事が出来ない。


江戸御府内を南北両奉行所の与力、同心の三百名から五百名に任せるなどどだい無理な話である。

そこで、非公認ながら同心が岡っ引きと称する者を手足に使い人数不足を補っていたのである。

その岡っ引きも下っ引きと言う配下を何人も抱え調べや情報集めに使っていた。

奉行所でも幕府でも知ってはいたが暗黙の了解と言うものであった。

但し、岡っ引きは幕府の役職図には存在しない為、役料つまり給金は幕府、奉行所からは出ていなかった。

奉行所の許可を受け鑑札を出した同心の自前である。

岡っ引きは顔が利き情報集めが上手でなければならず、その為、配下を抱えるやくざの親分が徴用される事が多かった様である。


清吉は南町奉行所の裏門を叩いた。

事情を聞かされていたらしく 直ぐに門が開き、呼び出しを受けた事を告げると、庭の奥へ連れて行かれ座らされた。

門番は障子越しに声を掛けた。

「清吉が参りました」

障子が開くと礼をして門へと戻って行った。

「清吉でございます、御呼びにより参りました」

「某は内与力の内海 参左衛門と申す」

「御用をお伺い致します」

「茶でも飲みながら話を致そう、入りなさい」

岡っ引きの清吉には奉行所の中に入ったのも初めてなら庭など、とんでも無くましてや部屋の中などもっての外だった。

尻込みする清吉に内海が再度声を掛けた。

「入りなされ、聞かれては困るからじゃよ」

そう言われては清吉も入らざるを得ない。

観念した様に清吉は内与力の役務室に入り障子を閉め正座した。

「本日呼んだは清吉、お前の鑑札の事でな、麻沼重四郎であったな」

「はい」

「これから話す事は麻沼にも言うてはならぬ、良いな」

「は、はい」

「麻沼からの鑑札は、そのままに致せ、但し此れを渡す」

参左衛門は後ろから袱紗包みを出し開いた。

出て来たのは十手だった、清吉は驚き、十手と内与力の顔を交互に何度も何度も見た、それ程に驚いたのだ。

岡っ引きは正式な役職では無い為、常時、十手を持たされていなかったからだ。

特別な時だけ貸し出され御用が済めば奉行所への返却が通例だった様で、時代劇などで岡っ引きが常時十手を持っていた様に描かれているのは、どうも違う様である。

「これを、あっし、私に常に持てと・・・」

「左様、此れは、御奉行のご命令である、

  一つ、普段、十手を見せてはならぬ、例え、それが奉行所の与力、同心であろうとも

  一つ、妻女への披露は構わぬ、が、妻女への他言無用の約定を取るべし

  一つ、他言無用の約定が取れると思う者への披露は認める

  一つ、麻沼を始め奉行所の誰への接し方も此れまで通りに致せ

  一つ、これより麻沼への忠義は見せ掛けとせよ、本忠義は内海、まぁ儂じゃ、を通し奉行とせよ

  一つ、十手は奉行の代理たる証しと心得よ

  一つ、清吉の身分、任務を知る者は裏門番、内与力・・・つまり儂の四人のみと心得よ

  一つ、この処置の目当ては奉行所の粛清にある

  一つ、この約定は奉行が変わるまで続くと心得よ

  以上、約定できるなれば、この十手差し許す、どうじゃ」

「勿論約定します、奉行所の粛清ですね」

「御奉行のお言葉である、くれぐれも奉行所内の誰も信じてはならぬ、良いな」

「はい」

「では、早速じゃが、奉行所で清吉が悪くどいと思い証しのある者は、居るか、麻沼はどうじゃ」

早速初回の報告が始まった。


山修行まであと三日と言う日に、清吉は奉行所に朝から出かけ門番に「浅沼様を」と呼んで貰った。

暫くして、浅沼がやって来て

「清吉、こんな朝っぱらから、何の用だ」

「浅沼様、申し訳ございやせん」

「挨拶は止せ、何の用だ早く言え」

「へい、十日程、江戸を留守にしますんで、そのお知らせに参りました」

「何、そんな用か、岡っ引きは、お前だけではない、何日でも行って来い、用はそれだけか」

「へい」

「ではな」

浅沼は戻りかけ言葉を継いだ。

「江戸に戻っても挨拶に来るなよ、田舎の土産など要らぬ」

「へい、失礼致しやした」


女房のお駒は「挨拶なんて、浅沼様には迷惑がられるだけですよ」と言われていた。

清吉にも解ってはいたが性分なのでしょうがなかった。

奉行所に呼ばれた夜にお駒に内与力との会話を全て克明に話した。

お駒も南町奉行所の与力、同心の横暴、傍若無人、悪どさを十分見ていたし聞いていた。

その為、南町から鑑札を貰っている清吉まで、悪く見られてもしょうがないのだが、清吉とお駒の気性を昔から知っている近隣の人々に偏見の目は無く逆に同情されてもいた。

お駒は時々冗談の様に「鑑札を北町からにかえられないかねー」などと言う事もあった。

勿論できる事ではないと解っていての言葉だった。

その悔しさを晴らせるかも知れないのだ、お駒の喜び様は尋常ではなかった、それ程に今の南町奉行所が嫌いだと言う事でもあった。

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