第67話 同心 誠一郎 その三
翌日の誠一郎は再度の同心浅井との同行を指示されたが、奉行の指示には追加が有り与力の冬木弥十郎も同道せよとの事だった。
「何故に某が同道せねばならぬ」
冬木は内与力に詰め寄った。
「御奉行の命である、同役の同心の助言だけでは無く与力からの助言もせよ、との御言葉である」
内与力はたじろぎながらも言い切った。
「承知した」
冬木は詰め寄ったわりにはあっさりと請け負った。
「浅井、早速参ろうか」
冬木はさっさと支度をし奉行所を出た。
同心浅井は昨日と違って覇気が無く全く話をせず、それは管轄する日本橋を廻る時も同じで無言だった、
「浅井、そこの米屋に入るぞ」
「冬木様、その店は某が昨日参りましたので、ご遠慮下さい」
「では、その先の旅籠にするぞ」
「冬木様、その店は某が一昨日参りましたので、ご遠慮下さい」
「うむ」と冬木は言いつつ歩いた。
「冬木様、そちらの呉服屋へ入り茶など如何ですかな」
「浅井、その店の茶は好かぬ」
「では、隣の札差は如何でしょうか」
「あの店の茶も好きでは無い」
などと二人の会話を従う誠一郎は聞いていた。
最初、同心浅井が昨日寄っても居ないはずの店に寄ったと言う理由が解らなかったが、同心浅井が勧めた二軒を与力冬木が拒否した時、誠一郎には二人のやり取りの理由が解った。
与力が拒否した二軒の店は加賀藩御用達の店で呉服商・能登屋と札差・加賀屋だった。
三人はまた暫く歩いた、与力冬木が突然、両替商の暖簾を潜り店に入った。
同心浅井は溜息交じりの顔をして店に入った。
誠一郎も入り定位置の出入口の影に佇み見守った。
冬木は既に腰掛け右手に十手を持ち右肩をトントンと叩きながら応対する人間を待っていた。
中でも一番年長の番頭と思しき男が応対に向かいながら茶の用意を命じた。
同心浅井は与力冬木の少し後に立ち誠一郎からは顔は見えないが肩が落ち拳が強く握られていた。
「これは、これは、与力の冬木様、お久し振りでございます、今、茶を持たせます、ご機嫌如何ですか」
「商売繁盛の様だの、何事もないな、平穏が良いな、世の中平穏が良い」
「はい、ありがとうございます、お蔭様で商いも滞りございません」
「うんうん、 世の中平穏が良い、何かあれば某に知らせよ、良いな」
冬木は腕組をした袖口を見せた。
「はい、私共が商いできますまも町奉行所のお陰、冬木様のお陰でございます・・・・ちょいと、私の座に行きまして直に戻ります」
「おぉ、商い中に申し訳ないのぉ」
冬木は出された茶を飲みながら答えた。
低い格子に囲まれた座に一旦行った番頭が手元が見えない様に何やら作業をし応対に戻った。
「冬木様、応対中に中座いたしまして申し訳ございませんでした」
座りながら白い半紙に包まれた物を与力冬木の袖口に滑り込ませた。
「いやいや、こちらこそ、商い中にすまぬな、余り邪魔をしてもいかぬ、失礼しよう」
立ち上がると同心浅井や誠一郎には目もくれず通りへと出て行った。
ここで誠一郎は驚きの光景を目にした。
なんと同心浅井が右手を前に出し番頭に拝む様に詫びたのである。
同心浅井と誠一郎が通りに出ると与力は貰う物が貰えれば用が無いと言いたげにさっさと通りを歩いていた。
誠一郎の読みは当たっていた。
浅井が能登屋、加賀屋を勧めたのは二軒が決して賂(マイナイ)を出さないと知っているからで、冬木も知っていて寄る事を拒んだのだ。
「浅井、この近くに揚羽亭と言う今評判の店があろう、昼餉はそこにしたい、良いな」
「冬木様、それ程近くはございません」
「少々遠くでも構わん、案内せい」
冬木は少し語気を強めに言った。
「畏まりました」
浅井は先に立ち歩き出した。
同心浅井、与力冬木、誠一郎の順に列を作り無言で歩き続けた。
何とも奇妙な集団だ、人目で町奉行所の役人と解る三人が無言で列を成して歩いているのだ。
三人を見た町の衆は捕り物に向かう様だと思った。
一刻後来た路を戻る三人が見えた。
今度の順番は冬木、浅井、誠一郎の順で奉行所への帰りだった。
料亭・揚羽亭に入った冬木は昼餉の前に酒を飲み始め食事の後も酒を飲み、散々に奉行所の与力、同心の悪口を言い、果ては奉行の悪口を言い、内与力の愚痴を言った。
「冬木様、少々声を抑えて下さりませ、他の者に聞こえます」
「何~、聞こえていかぬか、良いではないか」
「昼でもございますので、余り飲まれぬ方が宜しいかと」
「何~、これ位舐める程のものよ、まだまだ」
与力の座の横には十本を越える徳利が並び浅井も誠一郎もその酒豪ぶりに驚き呆れ、浅井は如何に終わらせるかと思案顔だった。
「失礼致します、昼店の仕舞い時刻になりました、申し訳ございませんが店を閉めさせていただきます」
女将が挨拶に来て浅井と誠一郎は安堵した。
「女将、構わぬ我ら勝手に飲んでおる故、店仕舞いしても良いぞ」
与力冬木が言い出した。
「冬木様、成りませぬ、本日はこれまでにございます、我ら町奉行所の者にございます」
「構わぬではないか、何のことがあろう」
「冬木様、我々が居ましては夜の席の為にこの部屋の掃除も出来ませぬ、酒は場を移しましょう」
「うむ、掃除のぉ、綺麗なものだがな、駄目かの~」
「はい、こちらも商いにございます、引き上げ刻と存知ます」
「解った次へ参るぞ」
立ち上がったがよろけ柱に捕まり刀を杖にし歩き出した。
誠一郎が肩を貸し玄関へと歩き出した。
冬木には支払いの気使いはまるで見られず、同心浅井が支払いを済ませ店を出て歩いていた二人を追って来た。
店の外へ出た与力は体面を憚ってか幾分しっかりとし刀も腰に落ち着け一人で歩き出した。
「儂は我屋へ帰る、御用部屋には戻らぬ、我屋に戻る」
突然言い出し、幾分よろめきながらもすたすたと歩きだした。
浅井と誠一郎はその後を追った。
「誠一郎、本日はこれまでじゃ、奉行所へ戻るしかあるまい」
「はい」
誠一郎に取ってたった四日間であったが非常に参考に勉強になり、父上は知らぬ事であろうなと思った。
翌日の誠一郎はまた他の同心と同道を命じられた。
結局一月余りの間に一人の同心、与力にニ、三日、長くて七日の同道で定町廻り七名、与力五名と同道したが、それは奉行所に勤めるほんの一部にすぎなかった。
-----------------<町奉行所の与力・同心>--------------------
江戸期を通して多少の変動はあったが一つの町奉行所には与力二十五騎、同心百名が勤めていた。
与力を騎と数えるのは、その昔、馬上武士だったからとの説がある。
与力は二百石取りで三百坪の宅地を与えられていた。
同心は30表二人扶持で百坪の宅地を与えられていた。
職務は概ね与力が吟味つまり取り調べで同心が捕り物とされていた。
因みに与力、同心は町奉行所だけの呼び名では無く様々な役所に居た。
町奉行所の与力、同心はその住いの名を取り八丁堀与力、八丁堀同心と呼ばれ区別されていた。
奉行所の最高権力者は町奉行と呼ばれ三千石前後の旗本から選ばれ、役料は三千石だった。
南北の奉行所は月代わりで任に当たっていた。
月番とは新たに事件などを受ける月と言う意味で月番で無い月はそれまでの事件の探索を行なっており決して休みと言う訳ではなかった。
時期により中奉行所が設置された事もあったが概ね南北二つの奉行所時代が長かった。
南町奉行所は現在の有楽町付近、北町奉行所は東京駅付近にあった様だ。
(参考 ウィキペディア)
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