第21話 富三郎の生い立ち

屋敷の寝間に戻り、八年余りの江戸の皆の苦労を思い感謝した。

特に驚いたのは、番頭の善兵衛が語った屋敷の改装についてだった。

龍一郎の帰府の予定を知り、住い、身分、仕事といろいろ考えたが、良い知恵が浮かばなかった事、そんな折に、橘様が加賀屋に用心棒の申し込みに来られ、その人柄、住い、身分を鑑みて橘様に養子と家督相続のお願いをした事、橘様は本人に会い納得すれば一年後に養子縁組、その後一年後に家督相続との返事で有った事、長年、手入れをされて居なかった屋敷の改装を行うことになった事、その改装が龍一郎が思ったよりも大掛かりになった事であり、加賀屋、能登屋も合わせて改装を行った事である。

そして、三家を繋ぐ仕掛けを知られないように加賀から材木や漆喰、瓦など材料を取り寄せると同時に大工、工夫、左官職など作業人も加賀から呼び秘密保持に工夫していた。

その改装工事で一番幸運な誤算が富三郎だった。

富三郎は加賀の大庄屋の三男である。

善兵衛が知り合った頃には、変わり者として近隣では名を馳せていた。

富三郎の父、つまり庄屋の主人と善兵衛の上役が碁敵で庄屋へ出向くおりには同道し富三郎を知った。

長男は幼少の頃より父の跡を継ぐべく自覚と才が有り善兵衛が初めて会ったおりにも、それが伺い知れた。

善兵衛は庄屋に何度も通ったが子供は一男一女と思っていた。

ある日、主人を待つ間、暇つぶしに山菜取りに出かけ山の中で穴掘りをして遊ぶ子供たちに出会った。

その横穴は普通と異なっており壁が土や木材ではなかった。

赤黒くかったのだ、その赤さもまちまちで大きさも不揃いで所々欠けたりもしていた。

そこに居た子供たちは六人で、一人は女の子だった、善兵衛はこんな子供たちがこの様なものを作ったのかと驚いた。

「内緒にするから仕組みを教えて欲しい」と善兵衛は子供たちに願った。

「頭に聞く」

と案内された所が炭焼き小屋で、そこで会った子供たちの大将、頭が若かりし頃の富三郎だった。

口数の少ない富三郎も仲間の話を聞き、善兵衛に説明した。

赤い石は南蛮の「レンガ」と言い土を捏ね型に入れ乾燥し焼いた物だと言った、

「何処で南蛮の物の作り方を知ったのですな」

「・・・・言わぬ」

善兵衛は、何とも不思議な感覚に捕らわれその場を離れ難くなった。

が、上役を待たせる訳にもいかず、

「決して誰にも言わぬ」

と確約し子供たちに別れを告げその場を離れた。

その後、上役の共をする度に山に入り子供たちと会った。

少しづつ子供たちの事も解った。

話てくれたのは善兵衛の人柄もあるが、毎回持って行く菓子の力も大きかった。

子供たちは炭焼きで自らの生計を経てていたのだ。

そして、その合間にあの赤い石を作っていたのだった。

そして驚いた事に子供頭が庄屋の三男坊だったのである。

大庄屋の息子が放浪者の生活をしている驚き、庄屋に三男がいた驚き、善兵衛に取って、それはそれは大きな驚きだった、その日の帰りに籠の中の上役に

「庄屋様は、お子が跡継ぎと可愛い女子の三人でお幸せでございますね」

「善兵衛」

「はい」

「庄屋にはな、四人のお子がお有りじゃよ」

「えぇ、私は三人しか、お目に掛かっておりませぬが」

「儂もな、二度か三度しか会うてはおらぬ」

「それは又何故でございましょう」

「善兵衛、それはな・・・・」

と話出した。


大庄屋には三人の息子と一人の娘がいた、三男は確かにいたのだ。

上役の話に寄ると三男は庄屋の息子らしくないとの事だった。

以前に会った時も、何処ぞの百姓の小倅と思ったそうだ。

着ている物が粗末で薄汚れ手足も泥まみれだったらしい。

確かに善兵衛が会った時も、あの大庄屋の息子とは、到底思えない姿だった。

上役曰く、只、眼差しは利発そうで動作も機敏だったそうだ。

それで上役も興味をそそられ主に確かめると、書物が大好きで南蛮の書物も何処からか手に入れ読んでおり頭は驚く程良いとの事だったらしい。

只、行いが奇妙で書物に載っていた物を作り始め、ある時は、小屋を吹き飛ばしたらしい、炸薬を作ったのだ。

その後、祭りの夜に大花火が何発も上がった日が有り、里の者は誰の仕業か解らぬ様であったが、庄屋の者たちには想像がされた。

勿論、小屋の大爆発の後、父親自身による折檻があったが、三男は泣きも喚きもせず、只無言で堪えたそうだ、その後の花火だったのだ。

三男は折檻など、気にも掛けて居なかったようだ。

何日も家に帰らず、当初は探したらしいが、何と野良仕事を百姓と一緒にし、その家に泊まっていた。

当然、その家の者たちは、その子が大庄屋の息子だなどとは思ってもいなかった。

そんな事が、二度三度と有り、無断外泊が公然となっていた、折檻が全く効かないのだ。

座敷牢に止め置くしかないが、実の所、何の悪さもしていないのだ。

更に言えば、百姓を纏める庄屋がその百姓の仕事を知る事は何にも益して勉強とも言えた。

又、三男は、鍛冶屋も初め里の百姓の金物を直していたし、研ぎも覚えたのか、里の者達の菜切り包丁や鎌の研ぎも引き受けていた。

手間賃は銭では無く野菜や米で受け里だけで無く近隣の百姓たちの便利屋になり重宝されていた。

父親や家族がこの事を知ったのは屋敷に農民を中心とした近隣の人々が庄屋屋敷に来たからだ。

その人数が大変な数で何十人もが来たのだ。

その人々が口々に息子を解放して下さい、と叫んでいた、家族は何を言っているのか解らなかった。

庄屋の奉公人たちは当初、一揆かと思った位に凄まじかった。

近隣の村役の一人が平伏し嘆願すると、皆が真似て平伏し、次々に平伏し全員が平伏し

「富三郎様をお許し下さい」

と願ったのだ、父親は息子と言うから長男、次男を横に立たせたが反応が無い理由が、やっと解った、

村役の一人が富三郎がいかに里、村に何をして役立って、手助けしてくれていたかを、説く説くと説明し開放を嘆願した。

父親も家族も驚いた、父親が奉公人たちを見ると、別に驚いた風では無かった。

奉公人頭が主人に許しを願い皆に言った。

「皆の衆、富三郎様は、監禁などされてはおりませぬ、今、山に篭っておられます、今暫くお待ち下さい、戻られましたら皆さんの言葉をお伝えいたします」

との奉公人頭の言葉に村役の一人が言った。

「本当だかね、こんなに長く姿を見ねぇ事はなかったがな、本当だかね」

「本当ですよ、実を言うと秘密なのですが・・・・・、

この様な騒ぎになっては、お知らせせねばなりますまい。

富三郎様は皆の為に、今も働いておられます、皆が街へ早く行ける様に洞窟を掘っておられます。

それが終わりましたなら戻って参ります」

「街への近道を作っておられるだかね」

「さようでございます」

「真か」

大庄屋の主人であり富三郎の父が言った。

「旦那様、坊ちゃまに口止めされておりました。

ですが、この様な事になりましたので、秘密を漏らしました、お許し下さい」

奉公人頭が主人に謝った。

「この騒ぎをわし等家族は驚いたが、奉公人たちは、余り驚いては居ぬようだが・・・」

「はい、富三郎坊ちゃんは、私共にも隔たりなく接して下さり、いろいろと手助けして下さいます。

勝手は元より刃物と言う刃物は全て坊ちゃんの手入れでございます。

井戸の直し、屋根の直し、雨戸井の直しに皆の薬まで都合して下さいました。

私供、奉公人一同の守り神にございます。

私は旦那様の、奥様の富三郎様への扱いに、失礼ながら大変失礼ながら憤りを感じておりました、坊ちゃまは素晴らしいお子にございます」

奉公人一同が頷き合い、近隣の皆も「そうだ」「うんだ」「そんだ」など賛意を口々に叫んでいた。

「・・・・・・申し訳ない、庄屋と言う役目は人を見る目も無ければならぬと思うておりました。

だが、我が息子の真の姿も見えぬとは、皆に不快な思いと心配を掛けました。

此れからは、息子の好きな様にさせます、皆の役に立てて下さい。

只今は折檻などしてはおりません。

私も今知りましたが街への近道を作っておるそうな・・・・、

息子への侘びも兼ねてこれから手伝いに参ります、皆様、失礼致します」

庄屋は村人に頭を連れ山へ向かった。

その後を少し送れて庄屋に押しかけた者達が山へ向かった、

村役の一人が「儂等の為に山におられるだ、儂も手伝いに行く」と言い出し、「おらも」「私も」「あたいも」「おいらも」と皆が庄屋の後を追ったのだった。

富三郎の母親は、地面に蹲り手で顔を覆う様にして泣き崩れていた。

「富三郎、御免よ、御免よ、御免よ」と

何度も何度も詫びていた、我が腹を痛めた息子の真の姿を見抜けなかった自分を呪っていた。


四日目の夕刻、富三郎が父親と一緒に頭を従えて戻って来た。

二人とも着物も身体も泥塗れだった、だがその歩みは力強く顔の表情は晴れ晴れとしていた。

父親の庄屋も近年稀に見る満面の笑みを浮かべながら「ただいま戻りましたよ」と皆に挨拶した。

この日から主の奉公人への態度が一変する事となった。


富三郎は後十日位掛かると読んでいた、そろそろ皆を一休みさせようと思っていた。

すると、山裾から地響きがどんどん大きくなり、突然、大勢の大人に周りを囲まれた。

大人たち皆の顔が強張っており怖かった。

子供たちが固まり輪になった。

富三郎が皆を庇う様に前に立つと人垣を掻き分け一人の男が姿を現した。

富三郎の父、大庄屋だった。

富三郎は観念し、まだ小さな身体を大きく見せる様に、どっかと胡坐をかき目を瞑った。

暫く、山の鳥も鳴かぬ森閑の刻が続き

「富三郎、子供たちだけで良うも考えたの~」

と父親の声がした、その声には怒りが無く反対に喜びの感があった。

「おっとう、いえ、おとっつぁん、皆が今一番喜ぶ事は何かな、と考え皆と相談しました」

「おっとう、と呼ばれるのも心地が良いものじゃぞ、富三郎」

「この作業にお怒りではないのですか」

「怒るものか、皆で手伝いに来たのだ、儂の指図での無うて皆が勝手に来た。

儂も勿論手伝うぞ、富三郎、お前が親方だ、周りを大人と思わず指図せい、皆もそれで良いな」

庄屋の声に

「おーぉ」と皆の声が掛かった

「ありがとうございます、ですが、食料が足りませぬ、まずは、人数分の食料の確保が一番です。

水は直ぐ側に谷川がありますのでご心配は無用です。

おとっつぁん、誰ぞに食料と薪と味噌、醤油、鍋、掘り具の確保をお願いします」

てきぱきと指示し、その姿を見た庄屋は改めて自分の見る目の無さに気付かされた。

庄屋は適任と思われるものに指揮をさせ、屋敷まで要り用な物を持って来る様に指図した。

「富三郎、完成の目処は」

「これまでは十日後と見ておりましたが、この人数なら四日で完成します。

それからが、昼夜を問わずの突貫工事になり、なんと三日で完成した。

それは、皆が見た事も無い作りで、壁が赤く硬い大きさも同じ石で作られていた。

天井も同じ石で少し円弧を描いたもので、とても頑丈そうだった、

最初にと富三郎が通り、子供たちが通り、庄屋が通り近隣の者達が通った。

その後、街まで歩いて行き余りにも大人数の歩きの為、一度の歩きで細いながらも草むらや茂みに路が出来てしまった。泥と埃塗れの大人数が現れ街は大騒ぎになったが、事情を聞き、多くの商人が商いに通うと確約し、ここに孤立した一帯が一つ消滅した。

少しばかりの銭を持っていた者たちは買い物をし皆で又山の道を通り、作業場の跡片付けをし、それぞれの里、村に帰って行った。

勿論、富三郎への感謝の言葉を皆が懇ろに掛けて行った。

そして、最後に庄屋と富三郎と奉公人頭と他の子供たちが一緒に庄屋に戻ったのだった。

庄屋が子供たちの労を労いたいと申し出て、風呂と十分な食事を申し出たのだった。

母親は今までの冷たい眼差しとまるで異なり、自愛に満ちた、又、一種誇らしげな表情で富三郎を迎えた

「富三郎、済まなかったね」

この一言で富三郎は満足だった。

こうして、富三郎の行いは、庄屋は勿論の事、近隣一帯では、何をやっても黙認される事になり、結果も皆の期待を裏切る事は一度もなかった。

その後、彼が行った大事業は灌漑用の水車と風車だった。

水車は知られていたが、風車を始めて見た者たちは、度肝を抜かれ、理解できなかった。

それは、水を川下から川上へ戻したのだから、なおさらだった。

富三郎は、当初から仲間だった身寄りの無い少年たちに知識と技術を伝授し、彼らも自立できるように育てていた。

その後には庄屋の敷地内に学問所が設立され、知識と技術の継承が図られる事になる。

それは、この時よりも後年の事ではあったが。


富三郎が学問を、それも蘭学を含めいろいろと学べたのは本人の努力もさる事ながら土地柄も良かったのだ。

代々加賀の藩主は学問好きで特に南蛮本がお気に入りで内容を問わず取り寄せ、面白くなかった物、二冊三冊と重複した本が市中に流れていたのである。


加賀屋と橘家との縁が出来橘小兵衛が病に倒れたおりに使用人を口入屋に頼んだが、中々満足な人に会え無かった。

そんなおり善兵衛が加賀に戻り富三郎を思い出し江戸行きを願って見たのである。

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