第20話 八年ぶりの再会

番頭の善兵衛が退出の際に龍一郎に願っていた。

「本日、七つに地下部屋にて、加賀屋と能登屋のお二人の旦那様に、お顔をお見せ下さい」

「承知しました」と龍一郎は短い返事を返した。

時間までは随分と刻があった。

龍一郎は、庭に出て中央に立ち渦巻きを描くように歩き見つけた石を庭の隅に投げた。

庭を野天の道場にするつもりで、邪魔な石を退けたのだ。

その後、着替えを持って井戸端へ行き水で長旅の汚れを落とし下着と着物を替えた。

まだまだ時間があったので部屋で仮眠を取った。

廊下を歩く音に熟睡状態から夢心地になり「女子だな」と感じた。

障子の向こうで

「夕飯の用意が出来ました」

「ありがとう、どちらで戴けますか」と完全覚醒し龍一郎は答えた。

障子の向こうに蝋燭の明かりが見えた。

「お持ちいたしました、開けても、良いですか」

「どうぞ」

障子が開き正座した女子が膳を中に入れ、後ろの子供からお櫃を受け取り中に入れた。

もう一人の子供から蝋燭を貰い中に入り、部屋の行灯に火を灯した。

膳とお櫃を龍一郎の前に移動させた。

改めて正座した女子は、二人の子供を横に座らせお辞儀した。

「富三郎の妻のお景と子供のお民、太助で、ございます、よろしくお願いいたします」

「龍一郎と申します、こちらこそ、よろしくお願いいたします。

私の希望で故郷を遠く離れ、ご苦労をお掛けいたし申し訳ございません」

「とんでもございません、私は江戸へ死ぬ前に一度来て見たかったのです、夢が早く叶いました」

「それは、良かった」

「お口に合えば宜しいのですが、明日にでも、お嫌いなもの、好物をお聞かせ下さい」

「ご心配ありがとう、ですが私には苦手な食べ物などありません」

「畏まりました、では、ごゆっくり、お召しあがり下さい」

二人の子を連れ廊下を戻って行った。

番頭から番頭へ、そして、富三郎、お景へと彼の食欲が伝わったのであろう。

お櫃には、たっぷりとご飯が入っており、小振りの鯛、里芋、青物、味噌汁、香の物と栄養と色合いも豊かで、龍一郎は、思わず、にんまりし、お景が盛った一膳目に箸を付け食べ始めた。

龍一郎は己が一番隙が出来るのは寝ている時ではなく食事中だなと考えながら、ひたすら食べた。

気付くと、お櫃も膳のものも全て食べ尽くしていた。

少しさめた茶を飲みながら、いよいよ八年の修行を実践する時がやってきたのだ。

龍一郎は、食事による力以外の新たな力が漲るのを感じた。


七つの鐘の音を聞きながら仕掛けを操作し階段を地下へと下りて行った。

所々に火が灯り明るく照らされていた。

龍一郎は、この地下道に興味を抱いた、とても堅固そうで綺麗だった。

左右に障子が在り右の部屋の明かりが灯っていた。

障子を開けると既に四人が来て下座に座り龍一郎の到着と供に頭を下げた。

龍一郎は迷わず上座に座した。

「長い間、ご苦労をお掛けしました」とお辞儀した。

四人の目は赤く腫れ泣きに泣き尽くした事が龍一郎にも伺え、とてもすまなく思った。

「若様、いえ、龍一郎様、お久しぶりにございます、お待ちしておりました」

加賀屋の主人総左衛門が答えた。

「龍一郎様、ご壮健のご様子執着至極に存知ます」

能登屋の主人庄右衛門 が続いた。

「早速ですが、龍一郎様の今後の事を」

加賀屋の番頭の善兵衛が続き

「しかし、まずは、龍一郎様のお考えを、お聞きせねば、なりますまい」

能登屋の番頭の弥衛門が続き、四人は、龍一郎の顔を見た。

「まず、皆に礼を言いたい、ありがとう、私の我儘で、皆には武士から商人になって貰った。

家族にも申し訳なく思います、武士の妻子を町人の妻子に変えてしまいました。

家族の方々も慣れない江戸で難渋された事でしょう、申し訳ございません」

龍一郎は深々と頭を下げた。


皆が一斉に話しだそうとするのを、総左衛門が「歳上からじゃ」で押し留めた。

「龍一郎様のお言葉、大変嬉しく存じます。

ですが、お礼をしなければならないのは、私供でございます。

ご承知の通り、私と庄右衛門は小姓組におりました。

お誘いが無ければ今頃は盆栽弄りをしておるか孫の世話をしておるか。

はたまた、余りの生きがいの無さにこの世に居らなんだかもしれませぬ。

どうかのおぉ~庄右衛門」

「其方の申す通り暇を持て余し持て余し過ぎてこの世にはおるまいて」

と庄右衛門の答えは何の後悔も無いあっさりとしたものだった。


次は加賀屋の一番番頭・弥衛門が続いた。

「以前の私は藩の勘定方組頭でした、仕事といえば勘定方が作成した。

金銭出納の確認をし印を押すだけでした。

確認といっても、そのほとんどが重役が料亭で五両、茶屋で十両と遊興費への印で、異議の言いようもありませんでした。

私の前任者は、余りの金額に驚き確認に行っただけで、就任二日目で浜奉行所に役目変えとなりました。毎日、毎日、無力感に苛まれておりました。

龍一郎様の提案をお聞きし私は救われた思いでした。

当初は、武士が商人になりおって、など、誹謗中傷が耐えませんでした。

ですがその悔しさが力となったようにも思えます。

今では、その者たちが借財に頭を下げに参ります。

当初は、気分が晴れた思いでしたが、その借財が藩名でなされ遊興に使われると思うと、藩籍にある時よりも悔しさが募ります、どうか早急なる御改革をお願いいたします」


最後は能登屋一番番頭・善兵衛である。

「私も勘定方にございました、その私が友禅、輪島塗の新作の問屋でございます、飯も麦でも蕎麦でもない白米を戴いております、若様にお礼を言われるなどとんでもございません。私供家族にとっても大恩あるお方にございます」


「ありがとう、良くぞ短期間に店を盛り立ててくれたました、礼を申します」

「龍一郎様、挨拶は、これ位にいたしましょう、策をお聞かせ下さい」

「総左衛門殿、私の策よりも、私を橘殿の屋敷に住まわせた、そなたらの策を聞きたい」

「私が、お話しても、よろしいでしょうか」と善兵衛が他の三人に問い、頷きが帰って来たので続けた。

「では、私がお話します、橘様の御養子になって戴きたいのでございます」

「橘家の養子・・・それは、面白そうですね、何か曰くがありそうですね、お聞かせ下さい」

「はい、十月程前てしたか、浪人とも思える武士が加賀屋に、参りまして、用心棒に雇ってほしいと言われました。

強請り、集りではないと、直ぐに解りました。

そこで、事情をお聞きしますと、直ぐ裏手の橘小兵衛様でございました。

この方は、由緒あるお武家で、先祖は、大身旗本であったと噂で、お聞きしておりました。

ですが、何か不始末が代々重なり、今は、百五十表二人扶持とか、百五十石取りなどと、近所で言われておりました。また、御当主様を余りお見かけしないとの噂も流れておりました。

そこへ、ご当人が用心棒にとの事、驚きました、お話は、やはり金子でございました。

給金も払えず奉公人が皆いなくなり、二日間何も食していないとの事で、食事をして戴き、用心棒をお願い致しました。

と申しますのも、その頃、江戸では時々夜盗が悪さをしておりましたので用心棒をと考えていた所でございました。

その様な縁で、橘様と入魂のお付き合いになりました。

ところが、お会いになられた様に、病に倒れられました、やはり長の貧民の性でございましょうか、直りが、捗々しくございません。

何より、ご当人の気持ちに張りがございません、心残りは、この家を自分の代で終わらせる事だ、誰か、良き養子を見つけてくれぬか、と、弱気でございました。  

偏屈ですが、実直で正義感が強く、武術に長けた方でございます。

橘様の側で龍一郎様の力を分けて戴きたいのです、張合いになって戴きたいのです。

それに、幕臣と言う身分は、龍一郎様の江戸での今後の活動には、最良かと思われます、いかがでしょう」

「解りました、お任せします」

と、まるで予想していた様に即答であった。

三人は唖然とし総左衛門が「本当に、よろしいので」と問うた。

「はい、私も浪人より幕臣の方が今後動き易いと思います」

この言葉に庄右衛門も

「安堵いたしました」

「この様な地下道も作られています、他の備えも無駄には、できないですしね」

四人は、安堵、驚愕、敬愛・・入り混じった、涙顔になってしまった。

「善兵衛殿、橘家の扶持米の事は、まだ解りませんね」

「いいえ、解りました、うちは札差ですから簡単です、橘家は、三百五十石で所領地は上総国養老です」

「山奥ですね」と言って暫く考え

「一度行って見なくてはなりませんね」と言った。

四人には意味不明だった、龍一郎は江戸近隣の修行地を考えており、その地が見つかったかも知れぬと考えたのだ。

「龍一郎様、今後の策をお聞かせ下さい」と総左衛門 が二度目の催促をした。

「皆の調べは、浅くに留めていますね」

「はい、賂を求めた者のみ控えてあり、その黒幕の追求は、致しておりません」と庄右衛門

「こちらも同様です」と総左衛門 も同意した。

「私の江戸の知識が皆に追いつくまで、今まで通りで、お願いします」

「畏まりました」と皆が賛意を口にした。

「三日に一度ここで、と言う事でよろしいですか」と総左衛門が訊ねた。

「よろしく、お願いします」

「龍一郎様には、引き続き二店の用心棒で給金を得ている事にして下さい、実際には、お体の空いている時に、お顔をお出し戴ければ、よろしいかと思います」

と善兵衛が龍一郎の用心棒としての話をした。

「解りました・・・しかし橘家は扶持米は得ていないのですか」

「私たちも疑問に思い調べました所、以前飢饉があった時に橘の先代が年貢を免除し現在もそのままの様です」と善兵衛が答えた。

「なるほど・・・」

「では、本日は、これまでと言う事で、龍一郎様、御先に、お戻り下さい」

総左衛門 が会合の締め括りの言葉を述べた。

「ありがとう」と言って龍一郎は障子を開け戻って行った。

四人も程なくして、それぞれの店へ戻って行った。

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