第233話 吉原への顔見世

翌朝、まだ暗い八つ半(2時30分)に道場を四人の男たちが出立した。

養老の里へ向かう十兵衛、鐘四郎、俊三郎、歳三の四人である。

前日の打合せでは七つ立ちの予定で有ったが歳三と俊三郎が待ち切れず十兵衛たちを訪れ早めの出立となったのである。

それから半刻後、七つには養老の里から二人の少年が江戸へと向かった。

富三郎の弟子になるべく巳之吉(みのきち)、朋吉(ともきち)が出立したのである。

目的の場所として言われたのは橘家の屋敷で加賀屋と能登屋の裏とだけ言われ探す様に言われていた。


船宿・駒清では七つ立ちのお客の為に奉公人達が朝餉の支度をしていた。

母屋の中庭では清吉、お駒に加え昨夜泊まった誠一郎と娘の舞が剣の鍛錬に汗を流していた。

主の清吉がお店の表つまりはお客様の前に顔を出す事は殆ど無く女将のお駒が昼餉か夕餉の席にお客様に挨拶をするだけであった。

それは何も駒清だけの事では無く料亭・揚羽亭でもそうであるが主が板長を務めるお店が多いからである。

船宿、料亭に限らず居酒屋、蕎麦屋でも表に出てお客の相手をするのは女将で裏方の板前が亭主なのである。

只、駒清は違った、主の清吉の本業が岡っ引きで朝から夜遅くまで江戸の至る処を飛び回っていたのである。

以前は縄張りがあり持ち場は日本橋付近に限定されていたが龍一郎の要請で南町奉行の大岡が直属の岡っ引きとして持ち場を江戸中に広げたのである。

清吉は江戸四宿、板橋、千住、品川、新宿に下っ引きの組頭を置き情報を集めていた。

組頭には金子で動くのでは無く捕り物が好きで正義心の強い者を当てていた。

大勢いる情報屋に組頭が内容に寄って銭を与え月に一度組頭が清吉の補佐の正平に知らせていた。

正平は組頭に資金として月一両の情報料を渡していた。

刻には急ぎの知らせが届く事や清吉の方から依頼が行く事も有った。

その様な訳で江戸の些細な事柄も清吉の元に集まる仕組みが徐々に出来上がっていた。


清吉の持ち場が江戸全域に忠助の内与力により告げられて暫くした刻である。

龍一郎が清吉を呼び出した、それも服装は岡っ引きでは無く船宿の主との指定であった。

清吉が待ち合わせの浅草寺前に着くと着流し姿の武家が二人立っていて一人は龍一郎様と察しが着いた。

「お待たせ致しました」

外では出来るだけ名前は呼ばない様にしていた。

「何、我らも今来た処じゃ、早速だが参ろうか」

龍一郎はそう言うとすたすたと歩き出し、もう一人の武家が隣を歩き清吉は二人の後ろを歩いた。

「忠助殿はこのあたりに詳しいですか」

「幼き頃、父に反抗している時期が御座ってな、吉原、奥山に通っていた事も御座った」

後ろにいた清吉は少し驚いた、もう一人の武家が大岡忠助と知ったからである。

「ほほぅ、忠助様もその様な刻が御座いましたか、良い経験でしたな」

「うむ、あの放蕩の暮らしが今に勤めに大いに役立っておってなぁ、不思議な物だ」

「武家では無く江戸の町民の平和を守る事が役目です、町民の心と生活を知らねば出来ませぬ」

「左様、左様」

龍一郎の足は五十間道に入り、止める事も無く歩き吉原大門の前で止まった。

忠助と清吉は驚きを隠せなかった。

龍一郎は門の中に入ると直ぐに右の建屋へ向かった。

引き戸の前の両側に立っていた二人の男が止めようとしたが塗傘の下から見えた顔を見ると驚いた様に動きを止めて通し引き戸を開けて入れた。

「仙太郎殿、久しいのぉ、奥におられるかな」

「そのお声は・・・お久しゅう御座います、はい、奥に居られます、喜びますぜ」

仙太郎と呼ばれた男は奥へと知らせにすっ飛んで行った。

奥からどたどたと音が聞こえ仙太郎を後ろに従えて初老の男が現れた。

「龍一郎様、お久振りで御座います、今日はお二人の客人をお連れですか、さぁ、さぁ、中へどうぞ」

この男が居間を離れ玄関まで迎えに来るなど仙太郎や他の配下の者も見た事が無かった。

主は龍一郎を上座に座らせ様としたが龍一郎が「其方の家じゃ」と言って火鉢の上座に座らせた。

立ち去ろうとした仙太郎を龍一郎は引き止め主も許した。

ここで龍一郎の連れの武家が深編笠を外した。

「おぉ~、お連れのお方は大岡様で御座いましたか、お初にお目に掛かります、私、吉原会所を束ねて居ります、四郎兵衛と申します、御挨拶にもお伺いせず失礼を致しておりました」

主・四郎兵衛が火鉢の横に出て深々とお辞儀をした。

「お気になさるな、本日は龍一郎殿に行く先も知らされず連れて来られたのたのじゃ、某も其方に一度会いたいものと思うておった」

「龍一郎様、良くぞ、お連れ下された、お礼を申します」

四郎兵衛は龍一郎へ拝礼した。

側で見ていた配下の仙太郎はこれ程に腰の低い頭取を見た事が無く驚いていた。

「四郎兵衛殿、本日は忠助殿の顔見世ともう一人、この者の顔見世に参った、この者、清吉と申して船宿・駒清の主でな、じゃが本業は岡っ引きじゃ、だが、只の岡っ引きでは無い十手の常備をこの大岡様から許され縄張りは江戸全域と言う只一人の岡っ引きじゃ」

「真の事で御座いましたか、仙太郎、噂は真の事であったわ、いえね、龍一郎様、私共の仕事は吉原の管理・監督で御座いますが、府中の噂、情報を集める事も大切な仕事で御座います、と申しますのは、左前になった店の主、番頭が最後に吉原で遊び逐電する事も御座いましたのでね、そんな訳で府中に情報屋を何人か雇っております、その一人がどうも縄張りを持たない役人がいるらしいとの話を持って参った事が御座いました、ですが前例が御座いませんので、火付け盗賊改めの役人かと思うておりました、本にいらしたのですな」

「鑑札は儂の南町から出ておるが正直な処、この清吉は儂の配下では無い、龍一郎殿の仲間じゃ」

四郎兵衛と仙太郎は驚いて龍一郎と清吉を交互に見つめた。

「大岡様は龍一郎様をよっぽど信頼していらっしゃいるのですなぁ~」

四郎兵衛が感慨深気に漏らした。

「龍一郎様、私もまだまだで御座います、巷の噂になる様ではいけませぬ」

「龍一郎様、本日の御用向きは何で御座いましょう」

「な~に、用向きがあっての事では御座らぬ、大岡様と清吉殿の顔見世に御座います」

「左様ですか・・・ではまずは会所についてご説明申し上げましょう」

四郎兵衛は龍一郎が清吉の情報収集の一助として会所を利用しようとしていると理解した。

「仙太郎、丁度良い機会だ、お前にも聞いて貰おう、大岡様、清吉殿、この仙太郎は私の倅で御座いましてね、私の次席を務めております。

私が六代目ですから、こいつが七代目と言う事ですな。

会所はこの吉原の管理・監督をしておりますが、事の起こりは吉原の総名主・三浦屋四郎左衛門様が遊郭内の取り締まりの番所を大門横に設け番人達の頭取に初代四郎兵衛が着いた事が始まりだそうです。

只、遊郭の表向きの取り締まりは会所の向かいにある町奉行所の出先機関である面番所となっております。」

「四郎兵衛殿、某にお気遣い召さるな、町奉行から来ておる者達は奉行所の中でも使えぬ者ばかりです、其方らに懐柔され、何の役にも立って居らぬ事は承知、逆に其方に迷惑を掛けて居らぬかが気掛かりで御座る」

「迷惑など飛んでも御座いませぬ、大いにお役に立って貰っております」

「お気遣い忝い、近頃、何も気遣い事は御座らぬかな」

「お気遣いありがとう御座います、至って平和で御座います、何事も御座いませぬ」

「頭取、あっしは龍一郎様にお会いする度に初めてお世話になった騒動を思い出します」

「そうじゃ、龍一郎殿、 四郎兵衛殿と何処で何時知り合われたか、まだ聞いて居らぬ」

「仙太郎、大岡様に其方からお話申せ」

「何日も妓楼に泊まる者を居続けと申します、何年も前ですが大身旗本の嫡男と申す者が五日の間居続けました、女将が一度清算を願うと怒り狂い女将を人質にして帳場で刀を取り返し大門へ抜け様と仲の町通りへ出た様です、そこでわっしら会所の者たちと出くわし睨み合いになったんで御座いますよ、相手は女将を殺すぞ、其処を開けろと喚き、こっちはそんな前例を作っちゃならねいってんで退く訳にも行きません。

そのな睨み合いの緊迫している中、着流しの武家が呑気な顔と仕草でふらりと両者の間に入り込みすたすたと女将を盾にした相手に近づきました、相手は当然切り付けましたが何と斬られた見えた、その次の瞬間には相手の刀が地面に落ちて相手が首筋を叩かれて意識を無くしたのですよ、もう見ていた周りの者たちは唖然とするだけで森閑としておりました、着流しの武家は相手の刀を手にすると周りを見渡しあっしに渡してくれました、いや~剣術も凄いがあっしを選んだ眼力にも驚きました、意識を無くし縄目に掛けた武家と着流しの武家を会所に連れて来て取り調べました、大身旗本の嫡男と言っていた武家は二千石の中堅旗本のそれも次男坊で御座いました、勿論、屋敷に繫ぎを着けましたが、家でも鼻摘まみ者の様で好きにしろの返事でしたが、ならば目付に知らせますと言うと金子をしぶしぶ払ってくれました、これで災難は一件落着したのですが、窮地を救ってくれた着流しの武家がまだで御座いました、頭取が直に礼を述べたいと奥へ通したのですが会所が初めてなら吉原も初めてと言う事でいろいろとお知りになりたいと言う願いを頭取が聞き入れあっしが吉原を隅から隅までご案内申しました、その仕草、態度、話振りがどうも頭取がお気に召した様でその日は頭取がその着流しの武家を返さず泊まらせました、その武家が龍一郎様で御座いました、それ依頼のお付き合いで御座います、会所の下から上ので知らぬ者は居りませぬ、会所だけでは無く遊女の中でも顔は知られております」

「仙太郎、良くまぁ其処まで詳しく覚えておるなぁ~」

「頭取、忘れるなんて飛んでも有りません、この様な方は武家か初めての事でそれ以後もお会いする事は有りませんのでね」

この仙太郎の話に大岡と清吉は改めて龍一郎の顔の広さに驚かされ唖然としていた。

「龍一郎殿、何故に吉原にと聞くのは可笑しい事かな」

「江戸へ八年振りに戻ったばかりの頃でしてな、市中をあちらこちらとぶらぶらしておりました」

「その日がたまたま吉原であったと言う事ですか」

「その様な処です、頭取、困った事があったら道場へ知らせて下されよ」

「その節はお願い申します、此れから予定が無ければ久し振りに一献いかがです」

「頭取、そうしたいのはやまやまだがもう一箇所二人の顔見世をせぬば成らぬ」

「何処へと聞いてはいけない処でございましょうな」

「その様なところでは無い、吉原弾佐衛門様の処へ二人の顔見世に参る」

「何ですと、弾佐衛門様の処へですと、それは無理な話で御座いますよ」

「龍一郎殿、四郎兵衛頭取に合う事も難しいが弾左衛門様にはより難しいですぞ」

「大丈夫です、近くにきた刻には何時でも尋ねて来いと言われて居ります」

「何ですと・・・そんな・・・龍一郎殿と言う方は、何処でどう知りおうたのですか」

龍一郎は知り合った事情を話、忠助と清吉を伴って吉原を後にした。

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