第52話 山修行の告知

龍一郎とお佐紀の祝言から半月が過ぎ、龍一郎の行動も日常に戻っていた。

龍一郎は気が向いた時に稽古場に顔を見せ、気が向いた時に清吉の蕎麦を食べに来た。

ただ、違うのは清吉の蕎麦屋には必ずお佐紀を連れ、時々は稽古場にも連れて来た。

蕎麦屋では、客はお佐紀に見惚れ蕎麦を食べるところではなくなり、稽古場では弟子たちが、何時もより猛烈に熱心に稽古し、翌日には弟子の数が倍以上になる始末だった。

それも二、三日経つと減るのであるが、何日か経ち、龍一郎がお佐紀を連れて来ると翌日には又何倍にも増え、と繰り返し、結局、策に嵌った様に当初の員数の倍に落ち着いていた。

平四郎は奥でお佐紀に礼をして言った。

「お佐紀、大明神様」

これに龍一郎が冗談で文句を付けた。

「平四郎さん、連れてきた私には礼は、ないのですか」

「龍一郎さん、貴方は既に、お佐紀様と言う褒美を得ています、これ以上の褒美はないでしょう」

平四郎にやり返された。

「確かに」

お佐紀は、そんな二人の会話を聞きながら微笑んでいた。

お佐紀は、無情の幸せを感じていた。


そんなある日、龍一郎から平四郎、お有、お久、お峰、誠一郎、清吉、お駒、平太、舞、三郎太に呼び出しが掛かった。

夕餉を馳走する故、明日の暮れ五つに屋敷に来られたしとの言伝を屋敷の者が清吉に伝え、清吉は平太を平四郎の元へ知らせに行かせた。

翌日の暮れ六つ半前には、全員が龍一郎の屋敷に揃っていた。

広間に膳が用意されており皆が膳に向かった。

暫くしてお佐紀が顔を出し皆に告げた。

「どうぞ、召し上がって下さい、龍一郎様のお話は、夕餉の後との事にございます」

お佐紀はそれだけを言って奥へ戻って行った。

龍一郎様とお佐紀様はきっと奥で二人で夕餉を食していると思い皆はお佐紀の言葉に従い、夕餉をお互いの近況を語りながら食べ始めた。


夕餉を始めて、半刻になろうとする頃、食後のお茶を飲み談笑していると、不意に開け放たれた障子の廊下に龍一郎とお佐紀が立った。

皆、驚いた、特に平四郎と三郎太が狼狽した。

気配をまるで感じる事ができなかったからである。

それも龍一郎だけならば、納得もできようが、お佐紀の気配も感じなかったのである。

二人は部屋に入り、躊躇なく上座に座り龍一郎が話だした。

「今日は、皆に私の秘密とお願いを聞いて貰いたいとお招きしました、私の秘密を知ったからには、私に命を預けて貰いたい、もし、この願いに否の者は今この場を立ち去って戴きたい」

十分な間を空け立ち去る者を待った。

「皆、私に命を預けて下さると思って宜しいな」

龍一郎が再度の確認をした。

清吉とお駒は子供たちを見た後で微笑み合い頷き合っていた。

平四郎とお有も見詰め合い微笑み合い頷き合っていた。

お久とお峰の親子も同様だった。

皆が龍一郎を見詰め、それぞれに賛意を示し、立ち去る者は居なかった。

それよりも龍一郎の秘密を早く知りたいものと思っていた。

「ありがとう」

龍一郎が皆に礼を言って頭を下げ、唐突に秘密を話だした。

「私は、橘家に養子に入りました、それ以前の名は前田です、私の本名は、加賀藩前田家長子前田龍一郎吉徳と申します」

皆は驚きを通り越し絶句も通り越し驚愕も通り越し固まってしまった。

「本来成れば、私が家督を継ぐべきでした。大名の妻と長子は江戸にて幕府の人質となり御符内を離れる事さえできません、これは今も変わりません。私は、十歳の頃より国許へ行ってみたいと考えるようになりました。父は参勤交代で戻りますが、人質は戻れません。私はその思いが強くなった頃から屋敷を抜け出し江戸を見て回る様になり、同世代の友もできました。屋敷を抜けるときの服装は、ぼろ布でした、為に友も江戸の底辺のものたちの子供でした。いろいろ学びました、武士の無法、武家の無法、商人の無法、町人の心意気と助け合い、中でもやはり武家の無法が気になりました。友には床下への忍び方、気配とは何か、気配の消し方、見方といろいろ学びました。中には、失敗し斬られた子供もおりました。最下層の子供たちは、毎日が生きるか死ぬかでした。私は教わるだけで何も教える事ができませんでした。その頃から、私は屋敷に戻ると、剣術指南役に剣術を習い始めました。当初父、母はまだ早いと反対しましたが

私は、剣術指南役に直談判し無理やり、脅し習い始めました。勿論、市中の友に教える為です。必死な思いでした。私も市中に出れば毎日が生きるか死ぬかだったからです。余りの他出の多さに両親や藩の重臣方に毎回叱られ、座敷牢に軟禁もされました。その頃には友に習い既に錠など簡単に破れる様になっておりましたので、屋敷を抜け出ました。もはや、私の気配を感じる藩士はおりませんでした。但し一人だけおりました。剣術指南役です、ある日、剣術稽古のおりに、もう少し気配の消し方の修行が必要ですな、座敷牢を抜けた日など、得意満面で気配が遠くまで届いておりましたぞ、と言われました。又、それに誰一人の藩士も気付かぬとは、武士の世も・・とも申されました。私はその時この剣術指南役の剣術は凄いのではと思い、より以上に屋敷内で一緒にいる時間を増やしました。十歳の身体では刀は無理でしたので、脇差から始め小太刀と進みました。屋敷内では、抜き討ちの修練を続けました。時々は屋敷に戻らねば、余り心配も掛けられません、只、少しずつですが、屋敷を留守にする日数を長くしていきました。そして、十二歳になった頃、加賀に行きました。走りました、走りに走りました七日掛かりました、道に迷い、夜間に違う道筋を走ったりでした。二十日の予定でしたので、四日だけの加賀見でした。でも、いろいろ見ることができました。身分の下からの方が世の中が真っ直ぐ見えます。前田家長子では、全く片鱗さえも見えない、見せて貰えないものをいろいろ見る事ができました。又、各藩からの間者、忍びの多い事には驚きました。金沢市中の夜は忍びの者たちの戦場でした。勿論、朝には綺麗になっておりました。私は四日の間に藩の重臣方の屋敷に何度も忍び込み、不正の数々を目にし、このままでは加賀藩の先は長くないと気付きました。四日で金沢を後にし江戸に戻りました。戻りは幸いにも五日で尽きました。途中船も使えましたので、江戸に戻って国許で得た調べの整理をしました。勿論、誰にも相談できませんでした。誰が敵か解らなかったからです。私の生活周期が整いました。江戸の市中に二十日近く住み、屋敷に戻り指南役に剣術、手裏剣、抜刀を習い、また市中に出て得た剣術の業を友に伝授する。そして、二月に一度加賀に行く、の繰り返しでした。そして、加賀藩前田家の今後百年の存続を掛け藩内の粛清を誓い、十六歳の元服のおり、父母、弟に事の詳細を告げ、私は嫡子を辞退し市中で探索、と傀儡を含む藩内の探索に乗り出す事にしたのです。その為には剣の技が必要と考え、準備に八年の回国修行を一番に行いました。これが私の秘密です」

皆、龍一郎の若様に生まれながら選択した苦難な道を思い言葉も無かった。

大分間があり全員を代表する様に平四郎が言った。

「それで、龍一郎様は、我々に何をお望みですか」

皆、頷いていた、皆、覚悟を決めた目をしていた。

「私は、皆に探索の手伝いをして戴きたい。但し、皆に怪我をしてほしくない。私に取って皆は掛け替えの無い友でもありますから、そこで、修行をして戴きたい。言って置きますが、かなりきついですよ。実の所、既に修行に入っている者が二人おります。まず、平太・・・師匠は勿論三郎太です。そして、お佐紀です、師匠は私です」

龍一郎のこの言葉に、当事者以外は驚いた。

「平太、耐えられておるのか」

平太が正座のまま、部屋の天井の角に飛び移った。

それは、音もなく素早く、これには、平太の家族が驚き、お駒などは

「平太が忍者になった」

声に出して驚いた。

それに見とれていた者たちは、龍一郎、お佐紀、三郎太も消えているのに暫く気が付かなかった。

「やや、三人もおらぬぞ」

平四郎の声に皆も気が付いた。

お佐紀は、隣の間から現れ、龍一郎は廊下から現れ、三郎太に至っては、畳の下から現れた。

「こんな物は、手妻です、皆も直ぐにできる様になります、お佐紀は嫁になってまだ三月ですからね」

龍一郎が言葉を続けた。

「ここに居る皆で、三十日後から山修行に行きます。清吉さんも店を留守にしても良い様に準備をして下さい。平四郎さんも稽古場を空けても良い様にして下さい。日数は行き帰りを合わせて最低十四日で、最長は三十日です。私とお佐紀は、最長の組です。各自、日程の準備が出来次第、連絡下さい。お待ちしています。再度、申して置きますが、激しい修行です。十分に覚悟して下さい、これが今後自分の身を自分で守る修行の始まりです・・・・・では、本日はこれまで」

今までに、見た事も無い強い態度で龍一郎はお佐紀を従え奥へ消えた。


残された皆に不参加の気持ちは微塵もない。

既に皆の頭の中は、山修行に備える為の自主訓練の方法の模索に行っていた。

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