第6話 龍一郎 金沢着
龍一郎は北陸街道を進み金沢城大手門への大通りが交差する地点に出た。
そこはには高札場が設置され、城下町の中心的な場所の様で橋場町(ハシバチョウ)と言う名の町だった。
龍一郎はそこから渦を描く様に周りながら城下町の外へと歩き出した。
城に近い地の利を生かし北陸街道沿いに商店が建ち並ぶ商店街として香林坊があり、同様に街道沿いの尾張町、武蔵ヶ辻などの町々を見て廻った。
龍一郎に取って辛いのは子供である事だった。
既に述べた様に街道を歩いている時は寺社の軒下、御堂に寝泊りし食べ物は民家や武家屋敷に忍び込み台所の残り物を頂戴し、其れなりの銭を置いて来たのだが、やはり気が引けた。
龍一郎は自分が子供である事が呪わしかった。
町では更にやり難い、旅籠に子供が一人で泊まる訳にも行かず、一膳飯屋で飯も簡単には食せない。
龍一郎は考え一つの手を思い着き実行した、それは諏訪で行われた。
諏訪の一軒の古着屋に龍一郎が入った
「御免、装束を一揃い所望したい」
「汚ねぃ~餓鬼が、何を偉そうな口を聞きやがる」と店の手代風の男が言った。
「これこれ、汚くても綺麗でも子供でも大人でもお客様はお客様ですよ」と番頭風の老人が注意した。
「当家では家訓にて十二歳で一人で着物を買いに来なければならぬ、汚い形(ナリ)は許せ」と龍一郎が許しを願った。
「当家の仕来たりでござる、十二歳で一人で着物を買いに行く、十三歳で脇差を買い十六歳で太刀を買う、
某、本日、十二に成り申した、故に此処に参った、揃えて貰いたい」
「畏まりました」
と言う訳で、処と時間により着物を着替え目立たぬ様に旅をしていた。
百姓の子倅では場にそぐわない場所も見て回る必要があったからだった。
加賀金沢には石引町と言い武家屋敷が軒を並べ武士の子息然とした服装が目立たなかった。
龍一郎は小川で身奇麗にし武士の子倅の身形になり町を探索した。
それでも旅籠に泊まる訳にもいかず、夜は夜半まで、武家や大商人の屋敷へ探索に忍び込み人々が寝静まってから神社仏閣の軒下で眠った。
[参考]---<加賀八家>-----------------------------------------------------
加賀藩には加賀八家と言うもの有る。
加賀八家は人持組頭の事で、加賀藩の家臣は他に人持組、平士、足軽といて、八家は加賀藩の重臣として藩政に関わっていた。
中でも本多氏は五万石を有し小藩の禄高を凌いでおり、他に長氏は三万三千石、横山氏は三万石、奥村河内守家は一万七千石、その分家である奥村内膳家は一万二千石、藩主一門として前田対馬守家は一万八千石、前田土佐守家は一万一千石と当初は七家であったが後に村井家一万六千五百石が加わり八家となった。
次の家格の人持組にしても大きな家は一万四千石から三千石を有し大名に匹敵する家、直参旗本であれば大身と言われる位の禄高を有していた。
(参考-ウィキペディア)
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龍一郎は江戸にて下調べをし加賀藩には加賀八家と言うもの有ると知っていた。
初回の加賀行で八家全てを回る事はできなかった。
五家を廻ったが、その内、四家を探る事ができた。
一家は警戒の目が厳しく探索を諦めた、が、龍一郎は反って不振を抱いた。
他に人持組を何家か探索したが、目だった結果を得る事は適わなかった。
だが龍一郎は落胆していなかった。
初回の下調べと思っていたからだった。
八家の内、四家の屋敷内を把握でき、金沢の地理、地形も把握できた、それだけでも上々と思った。
三日後、帰路に着き寄り道や見物もせず、只々歩いた、走った。
いくら放蕩息子とは言えニ十日以上帰らねば流石に心配されてしまう。
<つづく>
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