第45話 辰巳屋の頼み事
蕎麦屋がある程度軌道に乗り、清吉の本職も順調で申し分ないある日、出入りの船問屋辰巳屋の主人に呼ばれ、清吉が店を尋ねると、非常に厄介な依頼だった。
それと言うのも、お城それも大奥の事で、事の出だしは清吉も承知していた。
近所中の評判で読売になった位であるから江戸中が承知かも知れない。
事の起こりは、この店の娘が女中連れでの琴の帰りに始まる。
その姿を偶々、城下がりの大奥の御年寄が見かけ、その美貌を見初められ大奥へ入った。
その時、娘は十六歳で辰巳屋の女将さんは、一も二もなく同意した。
大奥勤めの経験は娘の嫁入りに箔が付くと考えての事であった。
当初主人は娘を目に入れても痛くない程の可愛がり様で手放す事に反対した。
だが、一年間との取り決めに泣く泣く同意した。
それが三年も前であり、未だに帰って来ない、帰して貰えない。
両親は、伝手を頼って働き掛けて見たが無駄だった。
一年が過ぎた時には、後暫くで、勤めの区切りが着きます。
今、去るのは得策ではないと、やんわり拒否された。
二年目、三年目と拒否の語彙が強くなり、今では、大奥の権力にものを言わせ役人を店に遣し、これ以上の詮索は店と家族の為にならぬと脅しまでする始末だった。
困り果てた主人が筋違いと思いながらも岡っ引きの清吉に話を持ち込んだのである。
主人は清吉にではなく彼の伝手(ツテ)を頼りにしたのだ。
「岡っ引き風情のあっしに何とかできる相手じゃございませんが、旦那の頼みじゃ考えねぇわけにもいきませんや、でも、あんまり充てには、しないで下さい」
清吉は受けるには受けたが色好い返事は避けた。
清吉の頭の中には、平四郎の顔が浮かんでおり、館長から家老そしてお殿様の順で、としか手が浮かばなかったのだ。
清吉は稽古場へ走った、朝の稽古の真っ最中で清吉も気持ちは焦っているが、できるだけ気を沈め気持ち落ち着かせ木刀の素振りを繰り返した。その内、無心になり只汗が流れ落ちるだけになった。
突然、「止め」と師範代の声が響き、皆が正面に向かい拝礼し稽古終了となった。
清吉は無心になれた自分に魂消た、何時も無心無心と思いながらできなかったからである。
と、館長の後に従う龍一郎が清吉を見咎め言った。
「清吉、気が入っておらなんだな奥へ参れ」
と言って稽古場を去って行った。皆が清吉を見、周りに集まり「今度は何やったんですか」「気が散る何があったんですか」と聞いて来たが、清吉には答え様がなかった。
心中は「御用かな」とも思っていたが言えなかった、皆は清吉が、岡っ引きとは知らないのである。
清吉が奥の障子越しに「清吉です」と声を掛けた
「入れ」龍一郎の声で有った。
「はい」
「龍一郎さんが清吉に悩みがあると言うのでな」
清吉は驚いて龍一郎を見た
「龍一郎様は八卦見もなさいますので」
三人だけの時は、それぞれ呼び方が稽古場とは違う様になって来ていた。
清吉の場合は、館長、龍一郎様、平四郎の場合は龍一郎さん、清吉で龍一郎は平四郎さん、清吉さんであった。
「そんな力などなくとも解りますよ、一心不乱さを見ればね」
「で、何事ですか」
「はい、ちょっと、厄介で筋違いなのですが」
清吉は前置きし辰巳屋の詳細を語った。
「清吉、済まぬ、顔まで浮かんだのに申し訳ないが、我殿とて上様には、此度の館長決定試合の前に一度、目通りが可能たのみだそうな、相続のおりは、今の上様ではなかったからにな」
「いいえ、主人には、充てにしないでほしい、と言ってありますので、・・いえ、平四郎さんを馬鹿にしたんじゃないですから、第一町の噂じゃ大奥は将軍様も手がだせない、て話ですしね」
「私もそう聞いています、しかし、哀れな話だな、美しいが故の不幸か~」
龍一郎も美し過ぎるのも不幸を招くか、と感じた。
「その娘、名は何と言うのですか」
それまで、黙していた龍一郎が聞いた。
「へい、お佐紀様です」
「連れて行った大奥の者の名か役目は解りますか」
「中年寄、八島局(ヤシマノツボネ)様とお聞きしました」
「中年寄、八島局様がお佐紀様をですね・・・・・」
平四郎と清吉はじっと龍一郎の考え込んむ顔を見ていた、二人は機せずして同じ事を考えていた
「龍一郎さん(様)なら何とかしてくれるかも、何をするか解らない人だからな」と。
「清吉さん、確約はできませんが、私が動いてみます、平四郎さん、暫く稽古には来れなくなります、清吉さん、敢て、辰巳屋に伝える事はありませんが、先方から問いがあった場合は、大奥からは出られても、武家に嫁に行く事になるかも知れませんよ、と言って下さい」
二人は二重に驚いた、何とかするのは勿論驚いたが、変わりに武家に嫁に出すと言うのだ、大奥に留め置くのとどちらが良いのか解らないではないか・・・。
その翌日から龍一郎の行方が解らなくなった。
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