第46話 お目見え
-----------------------<江戸城>-----------------------
この時代、千代田の城には天守は無かった。
徳川家康の改築以降、本丸の天守は慶長(1607年)・元和(1623年)・寛永(1638年)と三度築かれていますが、1657年に天守が焼失した後、本丸の富士見櫓を実質の天守とした。
御殿は本丸・二ノ丸・西ノ丸・三ノ丸御殿があり、本丸御殿は将軍居住・政務・儀礼の場としての役割を持ち、二ノ丸御殿は将軍の別邸、西ノ丸御殿は隠居した将軍や世継の御殿だった。
御殿は本丸御殿、二ノ丸御殿、西ノ丸御殿とあり、本丸御殿には表・中奥・大奥が南から北あった。
表は将軍謁見や諸役人の執務場で、中奥は将軍の生活空間だったが、政務を行う事もあった。
大奥は将軍の奥方や女中が生活する空間で、大奥は表や中奥とは銅の塀で遮られていた。
中奥・御座之間の控え部屋で一人の男が座っていた。
将軍の居住区であるこの部屋に通れる者など滅多にある事では無かった。
その控えていた者の耳に声が響いた。
「上様の御なーーり」
礼をしていると、暫くして襖が開き、幾分年寄りの声が掛かった。
「ささ、入られよ」
勧めに従い腰を屈める様にして入ると後で襖が閉じた。
平伏した者に将軍・吉宗が声を掛けた。
「久しいの~、龍一郎」
「上様、御久しぶりにございます」
次の間に控えていたのは龍一郎だった。
但し、今日は橘龍一郎ではなく、加賀藩前田家長子、前田龍一郎吉徳だった。
清吉の話を聞いた翌日の早朝、登城前の父に面会を請い、上様への謁見の機会を願った。
当日、下城した父から三日後と聞かされ、今日を迎えたのである。
「そこでは話が遠い、もそっともそっと側へ来い」
「お言葉に従いまして・・」
挨拶を続け様とする龍一郎を止めた。
「そのような挨拶どこで覚えた、お前も年を取ったのぉー、わしとお前の仲じゃ挨拶など無用、もう一言も言うな」
「はい」
龍一郎は吉宗に近付くと、吉宗も席を立ち、壇に腰を下ろし足を投げ出した。
「わしに、是非にも叶えて貰いたい願い有りと聞いたが、何じゃ、言うてみい、吉徳、いや、龍一郎」
「はい・・・・」
龍一郎は辰巳屋の一件の詳細に語った。
途中、吉宗は「ほうー」と「何ー」と合いの手を入れながら聞き終えると側近に言った。
「爺、八島局とお佐紀とやらをここへ呼べ」
爺、と呼ばれた男は吉宗の余りの怒号に慌てて廊下に走り出て、そのまま廊下をドタ゛ドタと走って行った。
爺、と呼ばれた男は、吉宗が紀州藩主時代からの家臣で、吉宗が八代将軍となり江戸城へ入ったおり、
就き従い、それまでに無かった御側御用取次と言う将軍と幕府の実質の最高権力とも言える老中の仲立
をする権力者となり、後に一万石の大名にまでなった有馬 氏倫(アリマ ウジノリ)である。
「龍一郎、あれからどうしておった」
「上様、ご承知の通り家督は弟に任せました、私が十六の時にございます、それ以後、諸国を経巡り剣の修行を致しておりました」
「何、剣の修行とな、して業前は」
「上様もお聞き寄りの事と推察致しますが、先頃さる藩の剣術指南公募にて試合いました」
「何、あれに出ておったのか、じゃが、剣術指南役はそちではないではないか、負けたか」
「上様、勝ち抜きましたが、故あって、剣術指南役ではなく、通いの師範をしております」
「であろうな、勝っても前田家長子が他藩の剣術指南役を勤める訳もないわな、で、住まいは」
「はい、今はご勘弁を」
「言えぬか、屋敷ではないと言う事か」
「はい」
「龍一郎、何を企んでおる、それも言えぬか」
「はい、これも今はご勘弁を・・・、事が進みましたおりは、是非にも、お力をお願いいたします」
「龍一郎、相変わらず虫が良いの~、話も聞かせず望みだけとはのぉ~」
「はい、・・・ならば、幼き頃の様に市中に、御忍びなさいますか」
「田舎町とは違うでな・・・・城も大きゅうて出口もわからぬ」
「城の警護は、如何様にございますか」
「老中が差配しておろうな」
「上様は、信頼しておられますので」
「うむ~、いかが致す」
「私が巡りました中に伊賀、甲賀、雑賀など忍者集落もございました、私の信頼するものを警護に就ける事もできますが」
「伊賀、甲賀は紀州領内ではないか、既に権現様の御世に伊賀、甲賀、才賀を召抱えておるはずじゃが」
「領内であり、領内でなし、人が入り込めぬ処にございます、又江戸に暮らす忍びは最早忍びにあらず」
龍一郎は天井の左前隅と対角の右後隅を見つめ吉宗に戻した。
「・・・・・・考えておこう、そちへの知らせは、如何に致すな」
「二人が信頼を寄せる者にて、上様の御側に寄れる者となりますと・・・」
「忠相・・・・、承知した、龍一郎、待たせて済まぬな、この城はの~無用に大きゅうてな、今頃、大奥は上を下への大騒ぎであろうな」
吉宗の言葉通りに大奥に繋がる廊下から大奥内まで大騒ぎになっていた。
有馬爺が配下の者に命じ、よろよろと戻って息も絶え絶えに述べた。
「今暫くのご猶予を」
「江戸は天守から眺めると活気があって見ていて飽きぬぞ、龍一郎」
「はい、承知にございます、その中に居りますと、もっと飽きませぬ」
「で・・・あろうなぁ~、で諸国修行は何処までじゃ」
「上様の領地のほとんどにございます」
「何、北から南まで全てか」
「はい」
「龍一郎、時々は城へ参れ、そちは、わしの諸国教授方じゃ、よいな」
「はい、但し、あくまでも、上様と私だけの事にして下さい、正式役目は無用に願います」
「・・・・・・承知した、爺、秘密じゃ、他の者が知ったならば、元は、有馬、おぬしと知れ、良いな」
龍一郎は幕府の者に素性知られぬ方が良いと読み強く口止めしたのである。
そこへ廊下にすすーすすーと着物が擦れる音が多々聞こえ段々に大きくなり、開け放たれた障子の前で
止まり、正座拝礼した。
豪奢な装いの一人の女将(ニョショウ)が一番前、少し後に一人、その後ろに四人いた。
「上様、お呼びにより、八島、佐紀を連れまして、罷り越しましてございます」
「八島、佐紀、入れ」
吉宗の言葉に従い前の二人が部屋に入って来た。
「八島、 佐紀とやらの役目は何じゃ」
「御小姓にございます、が、二、三日後には中臈にございます」
-------------------<大奥>----------------------
大奥は江戸城に存在した将軍家の子女や正室、奥女中(御殿女中)たちの居所であり、三代将軍徳川家光乳母・春日局によって組織的な整備がなされた。
中奥と大奥を繋ぐ唯一の廊下が、御鈴廊下であり、将軍が大奥へ出入りする際に鈴のついた紐を引いて鈴を鳴らして合図を送り、出入り口である「御錠口」の開錠をさせていたことからこの名が付いた。
大奥一の女主であり主宰者でもあったのが将軍正室で御台所とも呼ばれた。
御台所は、公家・宮家・天皇家から迎えるのが慣例となっていた。
江戸時代初期においては大抵の場合、御台所は形式上の主宰者であった。
将軍の側室は基本的に将軍付の御中臈から選ばれ、寝間を終えた中臈はお手つきと呼ばれ、懐妊して女子を出産すればお腹様(オハラサマ)と呼ばれ、男子を出産すればお部屋様(オヘヤサマ)と呼ばれ、正式な側室となった。
我が子が世子となり、やがて将軍ともなれば、将軍生母として御台所はるかに凌ぐ絶大な権威と権力を持った。
大奥に住む女性たちの大部分を占めていたのが女中で人数は最盛期で1000人とも3000人とも言われた。
大奥奉公はこの時代の女性に取っては立身出世を叶えてくれる場所とも言え将軍の子を産み、その子が時期将軍に立てられる事になれば自身の栄華は元より親族も恩恵を受けられたし、才覚で御年寄の地位まで極めれば表への働きかけも可能なほどの権勢を得られた。
但し多くは行儀見習で花嫁修業と考えていた者が多かった。
大奥に奉公したというだけで女性としての箔がついたのである。
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「何、中臈とな、八島、何故、佐紀の生家に一年と約定せしが三年もおる」
「はい」
吉宗の許しもなく顔を上げ、見知らぬ武士を見ようとしたが、思い留まった。
「はい、では解らぬ」
「元より、中臈のつもりでおりました、が、城上がりのおり、佐紀本人より御半下よりの勤めを求めまして、大奥のお役を全て務め只今御小姓にございます」
「何、下役からの希望とな、佐紀とやら、許す、表を上げい」
吉宗の言葉に従い佐紀は顔を上げた、吉宗も龍一郎も見ていた。
「おお~、稀に見る美形じゃ、八島、そなたの思い解らぬでもない、おぬし」
龍一郎の名を呼ばずに聞いた。
「どうしても、城下がりが望みか、わしは側室にしたい」
「上様、なりませぬ、民衆の範となるべきお方は約定を守らねばなりませぬ」
「どうしてもか」
「上様、何となれば、この娘・・・・私の許嫁にございます」
「何と」
将軍・吉宗が絶句した。
もう一人、心中で絶句したのが、当の本人の佐紀だった。
だが、何故か、違うと言うことができなかったし、何故か、言いたくなかった。
何故か、今、会ったばかりの、この武士の妻女になりたいと思ったからだ。
「私の許嫁と申しました」
「佐紀、間違いないか」
「失礼ながら、上様のお許し故、お答え致します、間違いございません」
「解った、 八島、そちの気持ち吉宗、ありがたく思うぞ、が、このもの本日を持って、大奥の勤め終了と致す、即刻、城下がりと致せ、よいな」
「はい、畏まりまして御座います」
「下がって支度を致せ」
吉宗の言葉に大奥から来た四人は戻って行った。
「上様、ありがたき幸せに存じます」
「龍一郎、真、妻女に致すな、間違いないな」
「はい、早急に私の妻女と致します」
「龍一郎、本日はこれまでじゃ、堅固で暮らせ」
「上様のご健勝をお祈りしております、では、失礼いたします」
龍一郎は後下がりに次の間に戻った。
吉宗の独り言が小さく聞こえた。
「あの者・・・・・何故に否と言わなんだか」
吉宗は龍一郎の嘘を知りお佐紀の嘘も解っていた、が、何故か二人は夫婦になると思い、故に許したのだった。
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