第44話 清吉の依頼
清吉の女房・お駒に取って念願の蕎麦屋の店が持て、それが初日の半額と龍一郎の噂と合いまって客が耐えない。
店は四つ半と昼に開くが連日の満員が続いていた。
大きな要因は龍一郎の剣の凄さが読売に書かれたからだ。
それと言うのも、半額に釣られ読売屋が蕎麦を食べに来ていて一部始終を見ており、書かずには要られぬ程、剣捌きに惚れ込んだ様だった。
お駒は、何としても今の人気の内に蕎麦の味でお客が通う様にしたかった。
亭主の清吉は勿論の事、龍一郎、平四郎たちも、美味しいと言ってはくれていた。
だがお駒には自信がなかった。
夜は蕎麦の注文も多かったが、店の売り上げの大半は酒であった。
酒の肴作りには、お駒は自信が持っていた。
品揃えも豊富で、日持ちがする物を選んで作るので儲けも大きかった。
清吉とお駒に取って、大きな喜ばしい誤算が有った。
それは初日に手伝い来た下っ引きの一人の包丁捌きであった。
岡っ引きは自分の下っ引きにするのに、その者の過去を聞かない。
ただ、欲しい調べや益のある知らせをくれれば良い、それが仕来りの様になっていた。
下っ引きの中には、小銭欲しさの者、大店から小店まで様々な店の長男から次男、三男など、捕物好きな者など理由も様々だった。
清吉は、この初日に手伝い来た下っ引きの過去を知らなかった。
清吉が蕎麦切りに手間取っていると「あっしにもやらして下さい」と言うので、清吉もお駒もまだ慣れぬ蕎麦切りに腕も手も痛み出しており、やらせてみた。
最初は、二人よりも遅かったが切り幅は整っていた。
そして、回数を重ねるうちに、二人よりも格段に早くなり、他の蕎麦屋の主人と変わらぬと思える程の速さになってしまい、切り幅、切り口も綺麗だった。
夫婦は味見し、格段に味が良い事に驚き、蕎麦の切り口が味を決める一つと聞いた事を思い出した。
その初日から蕎麦切り役が決まった、それは本当に大きな大きな喜ばしい誤算であった。
何日かが過ぎ店仕舞いの後に清吉が酒を振る舞い、禁を破った。
「正次、おりゃ下っ引きにゃ~昔のこた~聞かね~事にして来たが、お前の昔を聞かせちゃくれまいか」
「・・・・へい、あっしの本当の名は正平と言いやす、昔は料亭の板前でした」
あっさりと語り、勤めていた店を辞めるに至った経緯も語った。
料亭の娘に惚れられ、板前修行に集中したくて、娘に色良い返事をせず、娘が両親の主人と女将に「手込めにされた」と訴えたのだ。
正平が番所に引き立てられそうになった時、娘が狂言だと正直に話し、お縄にならずに済んだが、結局、店を辞めねばならなくなった。
正平はその後、流れの板前の様な暮らしをしていたと語った。
転落の道の一般的な博打、女、酒とは些か事情が違っていた。
確かに、ここ何日かの正平の仕事ぶりを見て、その真面目な態度に関心していた。
まぁ、それで今回の声賭けになった訳ではあるが、その事情には、岡っ引きでいろいろな事件を見て来た清吉にも若干の驚きではあった。
「俺にゃ到底解からねえが色男も大変なんだね~、ところで住まいを言う気はあるかい」
「へい、安旅籠を移り歩いております」
これまた、あっさりと答えた。
「一つ処に落ち着けねえ訳でも有るのけぇ~」
「別段有りやせん、旅籠の食い物に飽きるんで・・・・」
「食い物に飽きるか・・・はぁはぁはぁ、この店への住み込みを考えてみちゃどうかな、嫌かな」
「あっしを下っ引きから料理人に変えるつもりですかい」
「嫌かい」
「いえ、結構ですとも、但し住み込むに当り二つばっかり願いを適えちゃ貰えねぇ~でしょうか」
「何でぇ~、出来る事と出来ねえ事があらぁ~とにかく言ってみなぇ~な」
「へい、あっしの部屋なんですが是非一人部屋にして貰いていんで・・・・どうも静かでなけりゃ眠れないんで他人の鼾なんぞが有っちゃ眠れないんで・・・」
「心配するなって一人部屋にすらぁ~な、内は部屋だけはいっぱいあるからな、それで他には」
「へい、道具を揃えたいんで・・・・包丁や擂り鉢、降ろし金やなんかをね、今のじゃ作れても美味しくねいんで、いろいろ仕入れたいんですが駄目でしょうね」
「何だそんな事か、明日朝金子を渡すから好きなのを買ってきねいな」
「ありがとう御座いやす、もう何も望むものはありやせん」
翌日、正平が買い添えた道具は、即座に料亭が開ける程の品揃えであった。
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