第269話 門前の掃除

突然、門前通りが騒がしくなり、暫くすると五十人程の武士、浪人が店の前に現れた。

「おぉ~、稀に見ぬ美形じゃ、この女子が佐紀に違いあるまいて~、おい、女、その方が佐紀か」

佐紀の前に立っていた女将と主が店の中に引っ込んだ。

「はい、私が佐紀で御座いますが、何か御用ですか」

「其方が奇怪なる妖術を使い倒した二人の敵(かたき)を撃ちに参った、勝負じゃ」

「私一人に何人様でお相手下さいますのでしょうか」

「一対一に決まっておるわ、女子相手に多数では少々可哀そうだでな」

「それはそれは、お気遣いありがとう御座いまする、が、それでは面倒です、皆さん一緒でお相手致しましょう、少しは汗も出る事でしょう」

「何~、四、五十人はおるのだぞ」

「はい、承知しております、其方様が師範代で御座いますか」

「そうじゃ、儂が師範代である、裏の広場で勝負じゃ」

その刻、師範代の後にいる男が師範代に耳打ちした。

「何~・・・おなご、其方の隣におるは橘龍一郎殿か」

「はい、人の妻たる私が旦那様以外の殿方と席を同じくするはずも御座いません」

「それで、隣が橘小兵衛殿と妻女であるか」

「はい、左様で御座います、付け加えますと旦那様の隣の二人と後の四人は門弟衆で御座います」

「何と・・・橘道場の者たちが・・・大試合の勝者二名に次席が二名・・・門弟衆も六名とな」

「ご安心下さいな、お相手は私一人ですよ」

その刻、双角が立ち上がった。

その大きな体格に皆が驚いた。

「お佐紀様、お願いが御座います、その役目、私にお譲り下さい」

「いや、待て、儂に譲って下さい」

「待って下さい、我ら姉妹にお願い致します」

「いいえ、私が譲り受けます」

双角の後に慈恩、葉月と弥生の姉妹、最後にお雪が譲ってくれと佐紀に願った。

「おやおや、困りましたな、どう致しましょう、旦那様」

「佐紀、ここは、五人に任せ様では無いか、其方は二人で我慢致せ、楽しみを譲るも師匠の務めじゃ」

「はぁ~、少々退屈の虫が沸いておりましたがなぁ~、仕方が御座いません、此処は其方らに任せます」

五人が対戦者たちを無視して佐紀の前に立ち深々と頭を垂れた。

「ありがとう、御座います、お佐紀様の名を汚さぬ様に致します」

慈恩が五人を代表して礼を言った。

「貴様ら~、勝手に話をしやがって、このやろう」

「はい、お佐紀様のお手を煩わせる相手でも有りませんので、私一人でも良いのですが、楽しみは皆で分ける事に致しました」

一番歳下のお雪の言葉に師範代を含め相手方は唖然となってしまった。

「何だと、小娘一人で十分だと申すか、それを五人にするか、門弟の五人で・・・」

「はい、では裏の広場へまいりましょう」

お雪も可愛い子だったが、可愛い双子の姉の葉月が先頭に立って広場へ向かった。

五人の後にぞろぞろと四、五十人の武士と浪人が続き、その後を通りを歩いていた者たちと門前のお店の者たちが続き、またも、門前は誰も居なくなった。


五人の橘の者たちと師範代を先頭に四、五十人の門弟衆を大きく囲む様な見物人の円陣が出来ていた。

「お前ら武士だろうが~、子供の其れもよ~、女子相手に大人数で恥ずかしくね~のかよ~」

見物人の一人が大声で叫んだ。

「そうだ、そうだ」

と賛同の声が大歓声になった。

その大歓声を跳ね返す様に師範代の大音量の声が響いた。

「う~る~さ~い」

見物人が静まった。

「相手が了承しておるのだ、良いでは無いか」

お雪が前に一歩出て言った。

「私一人でも良いと申したのです、どうしますか、全員で乱戦になさいますか、私は楽しみたいので私一人に五人、十人でお願いしたいのですが、如何でしょうか」

「こ~の~、小娘が~、女子とて、餓鬼とて容赦はせぬぞ、誰ぞ、対したい者はおるか」

「よ~し」

「儂じゃ」

と二十人程が名乗り出た。

「うわ~、嬉しい」

お雪が喜んだが、双角、慈恩、双子たちが不平を言った。

「お雪ちゃん、狡い~、私達の分も残してよ~」

「だ、そうですので十人にして下さいな、此方は五人ですから十人づつでお願いします」

「お・の・れ・ら~」

「駄目でしょうか、駄目と言って下さ~い」

お雪が本気なのか、鹹かっているのか、願った。

「良かろう、大人の武士が子供の女子の願いを聞かぬ訳にもいかぬでな」

師範代が鷹揚に了承した。

「な~にを偉そうに言いやがって、結局は多勢に無勢じゃね~か」

見物人から野次が飛んだ。

師範代はこの野次を無視して十人を選び、前に送り出した。

十人の武家と浪人は相手の小娘の獲物は何かと訝しんでいると、雪が右手を後ろに回し帯の間から小太刀様の木刀を出して正眼に構えた。

十人が慌てて剣を抜いて構えた。

正直、雪はがっかりしていた・・・全員が弱過ぎるのだ、己の過信かと疑う程だった。

そこで、雪は一人一人を見詰め弱い処を探り確かめた。

やはり、一人一人の弱点が見えて己の過信では無いと確信した。

「師範代殿、この十人では物足りません」

「何を申すかやってもおるまいに~」

「お雪ちゃん、狡いぞ、先陣なのだから我慢、我慢、残り者には福があ~る~」

「ぶぅ~」

敵からだけでは無く、味方からもの反対に雪は膨れた。

「いいわ、いらっしゃい・・・来ないの~じゃ~、こちらから参ります」

雪が宣言すると、次の瞬間には十人が右手の上腕骨を折られて刀を取り落とし痛みに呻いていた。

雪はと言えば元の位置に立ち、師範代を見詰めていた。

「だから~、言ったでしょ、師範代さん」

「・・・お・の・れ~」

「はい、はい、雪ちゃん、下がって、下がって、交代、交代」

師範代が怒りに顔を赤くしたが、雪たちは我関せずと問答していた。

「は~い、次はだ~あ~れ」

「弱い順に出て来る様だから、慈恩さん、双角さんから、どうぞ」

「何とも、ありがたい申し出じゃな、慈恩殿、お先にどうぞ」

「何とも、儂が貧乏くじか」

慈恩がいやいや前に出て行った。

「さてと、師範代さんや、次の十人を出してくれぬかのぉ~」

「お・の・れ~皆で掛かれ~」

「お~お~、皆、手を出すで無いぞ~、儂の獲物じゃ~」

一斉に刀を抜いて掛かって来た者たちを慈恩は木刀で丹念に右腕上腕の骨を砕いて行った。

慈恩が気付くと回りの相手たちが次々に倒されていた、双角、双子の姉妹、雪が参戦していたのである。

回りの見物人が歓声を上げた途端に乱戦は終わっていた。

元の位置に戻った慈恩、双角、葉月、弥生、雪は師範代を見詰めていた。

唖然としている師範代に双角が語り掛けた。

「師範代さんや、どうするね、そちらは其方と見物人の振りをしている二人だけとなったがなぁ~」

師範代が慌てて、回りを見渡し逃げて見物人の振りをしている者を探した。

見物人の中に武家、浪人が何人もいて誰かが解らない様子だった。

「双角さん、師範代さんは自分の弟子も解らない様子よ」

「その様だのぉ~」

「儂の弟子に逃げる者などはおらぬ、戯言を言うでは無い」

「お~い、其処の浪人さんよ、其方は師範代よりも強いのに何故に弟子でおるのじゃな」

慈恩たち五人の目が一人の浪人に注がれた。

師範代もそちらに目をやり、何人かの帯刀している者の中から一人に絞り尋ねた。

「き・さ・ま・か~」

「良くお解りで」

「何故に逃げるか」

「某、逃げたのでは御座らぬ、負けと決まっている戦に参戦せなんだだけの事に御座る」

「それを逃げたと言うのじゃ~」

「いやいや、そうでは御座らぬ、戦術で御座るよ」

「こ~の~、ああ言えばこう言う奴め~」

「お~い、浪人さんよ~」

師範代と浪人の掛け合いに慈恩が割って入った。

「浪人さんの方が強いのに何故に師範代に成らぬのだな」

「何故って、解り切った事じゃ、街の衆に迷惑を掛ける奴どもの面倒など見る気は無いわ」

「おい、おい、迷惑を掛ける者どもはここに倒れておるでは無いか」

「おぉ~、そうじゃな~、面倒な奴らは、もうおらぬなぁ~、師範代になってみるか」

「何~、貴様ら、儂の頭越しに話をしおって~」

浪人が前に出て来て慈恩たち五人の前に立った。

「浪人さん、私達と同じに右腕上腕の骨を砕くつもり」

雪が無邪気に尋ねた。

「そうしたい処だがな、この男は卑怯、残忍、非情、執念深い奴でな、骨を折る位では駄目じゃな」

「そう言う奴か、さも有らん、この先、良い人間に変わる事もあるまい、我らは望まぬが、この世の邪魔はおらぬ方が良いか、どうじゃな、慈恩殿」

「側におった者の言葉じゃ、信じ様では無いか」

「私達も何れは通る道ですね、しっかりと目に焼き付けさせて頂きます」

一番、年下の雪がしっかりと賛同した。

「さて、元師範代殿、この世に別れを告げて下され」

浪人がそう言うと刀の鞘を払った。

「生意気な奴め、お前こそ、あの世へ送ってやるわ~」

師範代も刀を抜いて正眼に構えた。

相正眼で二人の間が少しづつ詰まって行った、だが、最後の死線を越える事は無かった。

「来ぬのか、来ぬならば、あの世へ行け」

「ぬかせ~」

師範代が浪人の誘いの言葉に乗り剣を一旦胸前に引き寄せ前に踏み出した、浪人は待っていた様に右に身体を開くと師範代の腹を撫で斬った。

斬った浪人は前にそのまま進むと後に剣を向けると振り返った。

斬られた師範代は信じられないと言う表情を浮かべて前に倒れ伏した。

元に変わった師範代の身体の回りが赤く染まって行った。

回りで痛みを堪えて見ていた弟子たちが元師範代と浪人を見詰めて次々によろよろと立ち上がり広場から門前通りを避けて逃れて行った。

「浪人さん、お前さんが先の師範代の様に迷惑を掛ける様ならば、今度は其方が元になると思え」

「御心配無く、願う、儂が強いと言ってもこの程度、橘の者たちに叶う腕前では無いのは承知」

「我らの師匠と当寺の法主様は入魂故な、悪さは直ぐに知れると思え」

慈恩と双角が浪人に念を押した。

「元師範代さんを葬って上げてね」

雪が浪人に願った。

「無論の事、此れから鍛錬所に戻り、人を集めて参る、約定致す、お任せあれ」

「では、我らは戻ろうぞ、そうじゃ、其方、名は???」

「辰巳辰之進」

双角を先頭に雪、葉月、弥生、しんがりを慈恩が務め茶屋へと向かった。

その頃には見物客も疎らになっていた。

五人が茶店に戻り元の縁台に座ると茶店の主・自らが五人に新たな茶碗でお茶を出してくれた。

「お雪も自らの手は下してはおるまいが人の最後は見た事がある様だな」

龍一郎が後も見ずに雪に言葉を掛けた。

「はい、里では自分でこの世を去る者が絶えません」

「そうか・・・」

龍一郎が雪に掛けた言葉は暗に慈恩、双角、葉月、弥生が自らの手での殺生の経験がある事を知っていると伝えていた。

「龍一郎様は私の過去をお聞きに成りませぬが気には成りませぬのでしょうか」

「せねば成らぬのか、慈恩殿、其方はお上に追われておるのか、何処かの藩に追われる身か」

「そうでは有りませぬが」

「では良いでは無いか、其方が話たくなれば話せば良い」

「それで宜しいのですか」

「構いませぬ」

「はい、覚悟が決まりましたなら、お聞き下さい」

「龍一郎様、私もお願い申します」

「私達二人もお願い致します」

「うむ、何時でも、其方らが話す気になった刻で良い、儂は其方らの今が良ければ良い、聞くは其方らの心が軽くなるからでな」

「私の心が軽くなりますか」

「なります、誰にも話せぬ事が心にあるは己の心のタガでな、心が広く大きくなるを妨げるのじゃ」

四人は考えこんでしまった。

雪は我、関せずと無邪気に団子を頬張り、茶を飲んでいた。

「広場での仔細は平太に聞いておるで、報告はいらぬ、存分に考える事じゃ、限りがある訳では無いでな」

「旦那様、そろそろ戻りましょう、思いの外、刻を要しました」

「そじゃな、さて、皆、道場にもどるぞ、団子は土産にして貰いなされ」

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