第270話 姉妹と共に佐紀の里帰り

台所で雪のお婆が団子を頬張っていた。

慈恩と双角が土産の一本づつを雪にお婆にと渡したのである。

渡された雪は婆の事を忘れていた己を恥、慈恩と双角に目を潤ませて礼を言った。

「礼など良い、早ようにな、固とうなる前にな、食べて貰うのじゃ」

「はい」

雪は婆が何時も掃除している門へと囲炉裏端から駆け出して行った。

雪が門へ行ったが婆の姿は見えず、団子を持って台所へ行くと婆が竹包みに前に団子を美味しそうに頬張っていた。

「婆ちゃん、どうしたの、その団子」

「お佐紀様からの土産じゃ、旨いのぉ~、雪、儂しゃ~、幸せじゃ、旨い、旨い」

「婆ちゃん、此処にもあるから、たんと食べてね、慈恩さんと双角さんからよ」

「うん、うん、有難いのぉ、後で礼を言わんとな」

「婆ちゃん、村の皆には悪いが儂らは幸せ者ですね」

「うん、うん、村のもんはどうしておるかのぉ~」

「宮内村は貧しい村じゃかんね~」

「うん、うん、儂らだけが、こげに幸せで良いのかのぉ~」


因みに宮内村は佐倉城下の南に位置し明治二十二年(1889年)に合併し弥富村となり昭和二十九年(1954年)に佐倉市に合併した。


「そうだね~、龍一郎様に相談すれば何とかしてくれると思うけんど、貧しい村は一杯あるけんね~、儂らの村だけってのもね~」

「そんだな~、儂らの村だけちゅうのはのぉ~、よすべ~、龍一郎様に言う事で無い」


その刻、台所へ茶を取りに来たお久が入口で二人の会話を聞いて、そっと部屋へと戻って行った。

「お前様・・・」

「そうか~、それで茶を持って来なかったか、雪も婆も偉いなぁ~、誰でも我が村を大事に思うものじゃがな」

「村で意地悪でもされて居たのでしょうかねぇ~」

「雪からは、その様な話は聞いておらぬがな」

「龍一郎殿にお知らせしますか」

「うむ、一言言うてみるが、あ奴の事じゃ、既に知っておると思うがのぉ~」

「龍一郎は増上寺から戻ってどうしたな」

「遅い昼餉を皆で食べて、慈恩殿と双角殿はそれぞれに料亭・揚羽亭と船宿・駒清に戻りました、龍一郎と佐紀は葉月、弥生を連れて実家へ孫を見せに龍之介を連れていきましたよ」

「雪が佐紀付きではなかったか」

「ええ、そうなのですが、葉月と弥生が是非にもと願いましてなぁ~」

「そうか、では戻ってから話をして見ようかのぉ~」


その頃、噂の龍一郎達は佐紀の実家の居間に居た。

父の鳩衛門と妻女の滝が上座に座っていたが、滝の膝の上には龍之介が機嫌良く座っていた。

両親と佐紀が四方山話をし、刻々、佐紀の兄の寿一郎が店から奥に顔を見せた。

龍一郎は佐紀の横に座り僅かに顔に笑みを浮かべて話を聞いていた。

一緒に行った、葉月と弥生は内庭を見物していた。

内庭は中々の広さで鳩衛門の庭弄りが好きなせいか、見応えのあるものだった。

刻々、龍之介を抱こうと鳩衛門が手を伸ばしたが龍之介は婆の滝の膝の上から動かなかった。

「龍一郎様は相変わらず無口な方ですね、それにしても、お店の前では驚きましたよぉ、綺麗なお嬢様が二人も、それも同じ顔の二人を連れて来るなんて、あの二人はどうしたの、佐紀」

「二人の顔が同じなのは双子だから当たり前です、二人はあれでも道場の弟子なのですよ、それも凄腕ですよ」

「あらま、あの子達、強いのね」

「まぁ、その辺の半端者や浪人なら十人程でも大丈夫でしょうね」

「そんなに強いのぉ~、あんなに可愛いのに、そんな風には、とても見えないわねぇ」

「半端者で思い出したのですが母上、あれから、お店には脅しや強請はありませんか」

「それがじゃ、佐紀、別の奴らが来る様になってなぁ~、佐紀、世の中、どうなっておるのかのぉ~、儂も用心棒を雇うかのぉ~」

「このお店の娘が私だと知らないのでしょうか、父上」

「それがなぁ、知っておるのじゃよ、奴らの親玉は馬喰町の香具師の元締めでなぁ、その男が援助している剣の鍛錬所の者たちが一緒に来るのじゃ、その者らが佐紀、お前の腕前を馬鹿にしてな、大試合の勝者でも女子だと言うてな、第一、あの試合は幕府の出来試合であると言うのだ、橘の者ばかりが勝者、次席がその証しと言うのだよ、これには儂も滝も何も言えぬでなぁ・・・そう言われれば確かに勝者と次席の全員が橘の者ばかりじゃからな」

「そう言う見方もあるのですねぇ~、成程ですね、橘の者が皆、本当に強いとは思わないのですね、世間にはそう見る見方もある様ですよ、旦那様」

「良いでは無いか、我らが皆と同じ普通の人と思われればな」

「それにしても、悪い奴は尽きませぬなぁ~、旦那様」

「そうじゃなぁ~、何とかせねばなぁ」

その刻、店先が騒がしくなった。

廊下に人の走る音が聞こえた。

「旦那様、若旦那様~、鐘屋の頭が来ました~」

「おや、おや、噂をすればですなぁ~」

大旦那が佐紀と龍一郎の二人がいるせいか余裕の言葉を吐いた。

「寿一郎、其方が応じなされ、何事も修行です」

「お・親父、私には無理です、さ・佐紀~、頼む~~」

「兄者、私が何時もいる訳ではありませぬ、父上が申されました、何事も修行です、何事も初めては御座います」

佐紀が兄の願いを突っぱねた。

寿一郎が恨めしそうな顔で父親と佐紀を見詰め、項垂れて障子を開けて店先へと向かった。

騒ぎを聞きつけたか、庭を散策していた葉月と弥生の姉妹が庭の廊下に腰かけた。

「お佐紀様、店先が何やら騒がしい様で御座いますが」

葉月が佐紀に尋ねたが、その顔は獲物を狙う獣の様に舌なめずりしている様だった。

「出番は貰えますよね、お佐紀様~」

雪に次いで龍之介の子守をしている葉月と弥生の姿を見つけて、龍之介が「だぁ、だぁ」と滝の膝から二人へと移りたがった。

「おや、おや、龍は双子の姉妹がお好きなようね」

「以前、こちらに連れて参りました、雪の次に、この子の守りをしておりますのせいでしょう」

「佐紀、お前はどうなのですか、疎かにしているのでは無いですか、子に取って実の母親とに接する事は大切ですよ」

「母上、私は母です、接する刻が一番多いのは当たり前です」

葉月、弥生の姉妹が下駄を脱ぎ、念の為に置いてあった雑巾で足の裏を拭き廊下に上がった。

正座した二人の姉妹が主夫婦に拝礼した。

「素晴らしい、お庭を拝見させて頂き感じ入りました」

「感謝致します」

「うん、うん、喜んで貰えて嬉しいですよ」

「何とも、礼儀正しくて美しいお武家の娘さんたちですね」

滝の膝の上の龍之介がいよいよ溜まらず身を捩り捩り滝の腕から抜け出し葉月と弥生に這って近づいて行った。

皆が見守る中、龍之介は葉月と弥生の間に入ると二人の手に触りにっこりと微笑み「だぁ、だぁ」と言った。

「あらあら、婆よりはやはり若い美人の方が良いのですか」

滝が呆れた様に言った。

「女将様、私たち二人が接する刻が長いだけで御座います」

葉月が滝に弁解した。

「おや、何時の間にか龍一郎殿が居らぬが、何処へ、何時、行かれたかの」

「父上、店先の様子を見に行ったのに決まっております」

「おぉ、そうでした、忘れて居りました、龍之介に見惚れておりましたでな」

皆の目が龍之介に集まった、その瞬間に龍一郎が元の席に戻った。

その刻、また店先が騒がしくなった。

「龍一郎殿が・・・」

と鳩衛門が言って前に目を戻した刻には龍一郎が元の席に座っているのを見て驚いた。

「何と・・・何時の間に」

「葉月殿、弥生殿、店先の騒ぎを任せても良いかな」

「大師匠、いえ、龍一郎様、お任せ下さいますか、ありがとう御座います」

「龍一郎様、どの程度かのお望みが御座いますでしょうか」

「お店を血で汚してはなりませぬ、剣を持つ者は武士としてたつきが得られぬ様に、他の者たちは世間に迷惑を掛けぬ様に足の骨をな、血はならぬぞ」

「心得まして御座います」

葉月と弥生が龍一郎と佐紀に拝礼した。

すると真ん中に座っている龍之介も習って拝礼し、皆を微笑ませた。

「はい、龍之介様、お婆様の処へ戻りましょうね」

弥生が龍之介を抱き上げて立ち上がり滝の膝の上に戻した。

直後は少し膨れていた龍之介も直ぐに滝に甘え出した。

「では」

葉月と弥生の二人が店先へと向かった。

「佐紀、二人は本に強いのですか、あんな可愛い娘が・・・」

「母上、ご心配は御座いませぬ、一人でも大丈夫なのですから」

「お前がそう言うのなら・・・見に行っても良いのかしらね、お前様も見たく無いですか」

「確かに、どの様に対するか・・・」

龍一郎が立ち上がり龍之介を滝から受け取り抱えると店先へ向かい、その後を佐紀、鳩衛門、滝と続いた。

何故か、龍一郎に抱かれた龍之介は笑顔ではあるが大人しくなっていた。

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