第267話 門前の茶屋
増上寺門前の茶店で龍一郎たちは草団子を頬張り、茶を飲んでいた。
法主の部屋の廊下から消えた龍一郎に従い佐紀が続き、小兵衛、久が続き、慈恩と双角が続いて消えた。
一度、お堂の一つの裏で止まり龍一郎と佐紀が普段着に着替え、増上寺門前に塀を乗り越え現れた。
皆が着物の乱れを直し龍一郎と佐紀を先頭に歩き出した。
「旦那様、草団子が御座います、食しとう御座います」
龍一郎が無言で茶店の縁台に向かい座り、隣に佐紀も座った。
「流石の龍一郎様もお佐紀様には逆らえませぬか???」
「その様じゃ」
「馬鹿者、其方らも妻女を娶れば解る事よ」
慈恩と双角の掛け合いに小兵衛が割り込んだ。
「館長もお久様には逆らえませぬので」
「当然じゃ」
「その様なものですか~」
「儂は妻女は遠慮しておこう」
「お前達の様な不細工で無骨者に嫁に来る者などおらぬわ、要らぬ心配じゃ」
「お前様、古(いにしえ)よりも十人十色、蓼食う虫も好き好きなどと申します」
「うぉほん、であるそうじゃ、全く無いとは言えぬ様じゃ」
四人は龍一郎の左右の縁台に腰掛けた。
お店の小娘が注文を聞きに少し迷った後、佐紀の前に立った。
誰に決定権があるかを探り佐紀に決めた様であった。
「六人です、草団子とお茶をお願い致します」
「畏まりました」
注文を受けた小娘がお店の奥へ向かおうとして立ち止まり佐紀に向き直った。
「あの~、失礼で御座いますが、お尋ね申します、橘の若奥様のお佐紀様では御座いませんか」
「はい、佐紀で御座います」
小娘の顔から花が咲いた様に笑顔が広がった。
小娘は腰を大きく曲げてお辞儀をし、良く見ると胸の前で両手を合わせていた。
「あらあら、娘さん、御止め下さいな、拝まれましても、私はまだ生きております」
小娘は腰を伸ばすと合わせたままの手も気付いて脇に直した。
「はい、貴方様は私達、娘子の目指す方です、憧れです、お会い出来て光栄です、誉です、あぁ、でも、友達に言っても信じては貰え無いでしょう、悔しいわ、悔しいです」
佐紀は懐から匂い袋を取り出すと小娘に差し出した。
「えぇ~、頂けるのですか」
「はい、どうぞ、証に差し上げます」
「あ・ありがとう御座います」
小娘はゆっくりと受け取ると胸にかき抱く様にしてまた大きくお辞儀をすると奥へと注文を伝えに行った。
奥が騒がしくなり、調理場の暖簾から幾つもの顔が覗いていた。
「慈恩殿、儂は法主様がお佐紀様を見られて驚かれたのには驚かされた、法主様は何物にも動ぜぬと思うておったでな」
「そりゃ~無理と言うものだ、お佐紀様を見ても驚かぬのは男好きな男だけ・・・いや、違うな女子も驚くからな」
「枯れた男子も驚くのじゃなぁ~」
「儂は思うのじゃが、お佐紀様は富士の高嶺と同じじゃな、誰が見ても美しいものには心を動かされるものじゃ」
「成程な、富士の高嶺か、言い得て妙じゃな」
「久、女子も美しいと特じゃと思うたが佐紀を見ておると余り特とも思えぬのぉ~」
「佐紀は特別ですよ、あれ程の美形は稀です、ましてや佐紀には気品と優雅さと何より自信が御座います」
「佐紀は特別と申すか」
「お前様は佐紀を見慣れておるのです」
「いいや、違うな、儂には、久、お前が一番じゃからだな」
「まぁ、お前様、近頃は剣術よりもお口の鍛錬の上達が目立ちますなぁ~」
「そうかのぉ~、儂は正直になっただけだと思うのだがな」
「お前様、大試合以来江戸も狭くなりました、この様な処まで顔が知られております」
「佐紀、物は考え様じゃ、顔が知られておる分、其方に絡む者も減ると言う事じゃ」
「腕覚えの無い者はそうで御座いましょうが、なまじ腕に覚えのある者の挑戦が増える事でしょう」
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