第197話 鎖鎌術家 宍戸慈恩

早朝、それは忠相が何度目かの休憩を取った刻の事であった。

「お婆~、開けるで無い~」

龍一郎の大声が響き、皆の動きが止まり回りの気配を探る様な風情を見せた。

「珍しいものよのぉ~龍一郎、其方がこれ程の接近を許すとは」

「館長、それは酷と言うものです、あの者、殺気が有りませぬ」

小兵衛の龍一郎に対する非難めいた言葉に平四郎が弁護の言葉を述べた。

「そうだよ、爺、爺、それでも初めに気付いたのは龍一郎様だよ」

舞も龍一郎の弁護に回った。

小兵衛が回りを見ると皆が小兵衛に対して不満げであった。

「確かに、まずは龍一郎が気付いたのじゃ、が珍しいと申しておるだけじゃ」

「いえ、父上の申す通り、私の未熟でした、言い訳がましゅう御座いますが、私は常々鍛錬の刻には結界を狭めて鉄砲の届く範囲にしております、無論、鍛錬に気を集める為です、それでも殺気の無い者には、この様な仕儀に至ります、父上のお言葉に従い、何か方策を熟慮致します」

忠相が縁側に立ち上がり、皆は足の汚れを洗い流す為に井戸へと向かった。

忠相が廊下を玄関に向かって歩いていると向こうから婆様がやって来た。

「おや、お客人では駄目じゃの、旦那さんは何処に居らすかね~」

「井戸で手足を洗っておる、処で、お婆、客人の儂が言うのも何じゃが、今しがた客が来なかったかな」

「きんしゃったげな、よう知っとるのぉ~」

「その客人はどうしたな」

「旦那さんと剣術を試合いたいと言うで道場に入れたがの」

「道場に入れたか」

「いかんかったかのぉ~」

二人が廊下で話合っている処に順々に皆が集まって来た。

「道場に案内したそうじゃ、館長と試合う事を望んでおるそうな」

「おぉ、それは楽しみな」

誰かがそう言った。

ぞろぞろと皆が道場へ入り壁際に座り小兵衛が見所の中央に座った。

皆が見つめた先には一人の武芸者が座っていた。

「儂が当道場の館長の橘小兵衛じゃ、其方は何処の何方かな」

武芸者は深々と礼をした後に名乗った。

「某、宍戸慈恩 (じおん)と申す、一心流鎖鎌術を修行しました者に御座います。

先の天覧試合では太刀のみとの事で御座った、故に参ずる事ならじ、本日、我が技前を試したく、かく参上いたしました、何卒、立ち合いを願いたい」

「その前に其方に申しておく、此処に居る者全てで其方を囲むつもりは無い。だが、一人を除いて其方との立ち合いを望んでおる」

「儂も娘や童の相手をするつもりは無いでご安心願いたい」

「其方、勘違いをされておる様じゃ、其方が言うた娘も童も其方との立ち合いを望んでおる」

「何と某も甘く見られたものよ」

「いやいや其方の強さは解って御座る、だがな、あの娘も童も其方以上の技前の持ち主でな」

「ふぅ~、幾ら天覧試合の勝者、次席が大勢いようが娘も童も手強い事はあるまいに」

「其方が申しておる娘じゃがな、その天覧試合の少年の部の次席じゃ」

「何と、娘が次席・・・おぉ、あの娘御か、が少年の部であろうが」

「其方に問うが、娘が使った技が其方に出来るかな、出来まいな」

「・・・」

「其方、鎖鎌以外に得意とする事は御座ろうか」

龍一郎が突然、慈恩 (じおん)に問い質した。

「其方は成人の部の勝者、橘龍一郎殿で御座るな」

「左様、して得意とする事は御座ろうか」

「このご時世、剣術、鎖鎌では食うて行けぬでな、恥ずかしながら武士にあるまじき事もして参った、もっこ担ぎ、魚を釣って売り、魚捌き、薪割り、旅館の下働き、飲み屋の下働き、用心棒、鍛錬所での試合、まぁ役人に捕まらぬ事で有れば何でもやり申した・・・得意と言われてものぉ~まぁ旅籠の下働き、薪割り、料理人かのぉ~」

「其方、私に勝ちを収めた刻はいかが致すな」

「其方様が真の日の本一か武者修行を続ける事と成りもうそう」

「其方が負けた刻はいかが致す所存かな」

「出来る事なれば其方の基で修行をさせて頂ければと存ずる、弟子が無理なれば家来でも・・・」

「其方に問いがある、上からは下が見える、が、下からは上が見えぬ、の意味が解るか」

「技量が上位の者は技量が下位の者の技量が解る、欠点も解る、だが、技量が下位の者からは技量が上位の者の技量が解らぬ、欠点も解らぬ・・・と言う事でしょうか」

「では尋ねるが其方、儂の技量が解るか」

「解ります」

「刻に人は、己惚(ウヌボ)れる、己惚れた者は鼻が高くなる、そしてその鼻の先に眼が付いておる、長い鼻が上を向いているが故に鼻の先から見た者は下に見える、技量が上位の者も下位に見える・・・では、実際に下位にいる者と己惚れて下位に見える者との違いは何か、解るかな」

龍一郎の言葉は慈恩 (じおん)だけでは無く道場にいる皆の心に響いた、特に初めて聞く忠助の心に問い掛け深く突き刺さった。

「・・・師範は某の眼が鼻の上にあると申されるか」

「己惚れて上位にいる者と本に上位にいる者との違いは何か言うてみよ」

「・・・」

「言うてみよ」

「・・・」

「解らぬのか・・・忠助殿はお解りか」

「解らぬ、龍一郎殿」

「では、お雪、解るか」

「龍一郎様が先程申されました、上位の者から下位の者の欠点が見えると、己惚れておる者には見えないのじゃなかろうか」

皆が驚いてお雪に視線が注がれた。

「慈恩 (じおん)、其方に儂の欠点が解るかな」

「・・・」

「解るかと聞いておる、答えぬか」

「・・・解りませぬ・・・某は・・・某は己惚れておるのでしょうか」

「其方、先日の天覧試合を見たであろう、この中に何人か見た者がおろう、その者の欠点、弱点、攻め処が言える者がいるか、どうじゃ」

慈恩 (じおん)が壁際に居並ぶ面々を順々に見つめた。

「試合う姿を見るおりには己ならどうする、こうすると思うて見るはずじゃ、他の者の攻め処に気付いたはずじゃ・・・だが、此処におる者の攻め処は見出せ無かったであろう、どうじゃ」

龍一郎には珍しく長舌が続いた。

「・・・やはり某は己惚れているのかのぉ~」

「弱点、急所、攻め処が見出せぬ相手に勝てると思うか」

「・・・」

「技量がある領域に達すると試合わずとも技量が解る様になる、その人物が醸し出すもので解る様になる、其方は先の大会に出た者たちには勝てぬ・・・皆はどう見るな・・・舞はどう見るな」

「はい、まずは体力、特に持久力が足りませぬ、試合う刻が長引かせれば確実に勝てましょう、次に鎖鎌への執着が強く、強過ぎるのでしょう、剣の修業が足りませぬ、左右の均衡が取れております、左右両刀の鍛錬をしていれば別の話ですが、持久力の無さは息使いで判じましたが宜しいでしょうか、龍一郎様」

「良かろう、息使いの深さ、長さ、回数で判ずる事じゃ、他にこの者を見て感じた者はおるか」

「正座した姿に落ち着きがありませぬ、微妙に尻の場所を動かしております、正座に慣れて居らぬのか、精神力が弱いのか、龍一郎様の言葉に動揺しての事か、いずれにしろ自慢の鎖鎌を防ぐ事が出来れば、この者に手は無い様に思われます」

清吉が己が感じた事を述べた。

「鎖鎌を防ぐ策はどうか」

「はい、鎖鎌は分銅を投げるか振り回して来たおりに私なら分銅を叩き落とします、鎌を回して来たおりには鎌の背を叩きます、いかがでしょう、龍一郎様」

「うむ、其方なら出来るであろう、お駒・・・お花、お高、其方らはいかが致すかな」

「策が無くもありません」

お高が力強く応えた。

「私は分銅落しを試してみます、己の眼を技量を試してみとう御座います」

お花も恐れも無くはっきりと応えた。

これらの師弟の問答を慈恩は勿論、忠助も驚愕の顔で聞いていた。

「平太、双角ら内弟子を呼んでまいれ」

「はぁ」


「慈恩殿、其方、相対したい者はおるか」

「・・・はぁ、某が名指ししても宜しいのですか」

「構わぬ、但し二名を除いてな」

「では、先程、策が無くも無いと申された女子剣士にお願い申します、女子ではいけませぬか」

「構わぬ、どうじゃな、お高殿、ご指名じゃぞ」

「ご指名ありがとう御座います」

お高は立ち上がると木刀が掛けられた壁へと向かった。

木刀が掛けられた壁に着いたお高は定寸の木刀を掴むともう一本の小太刀を手にした。

お高は左手に太刀、右手に小太刀の二刀、宮本武蔵が考案した二天一流で挑む様だった。

慈恩が立ち上がりお高を待ち受けた。

二人は通常の剣と剣と立ち合いよりも大幅に広く開けられ鎖鎌の間合いだった。

慈恩が後ろ帯から鎖鎌を取り出し分銅を右手で回し出した。

それに対してお高は常と異なり左足を前に出し左の太刀を前に出し右手の小太刀を逆手に持ち背に隠した。

慈恩が右手で回す分銅が描く円が大きくなったり小さくなったりし、大きくなった刻の円が徐々にお高に近づいて行った。

対するお高は左の手足を前に出し動く気配は無かった、が何故か後ろ垂らした髪飾りが小さく揺れていた。

とうとう慈恩の分銅がお高の左肩に向かって行った。

ところがお高が動いた気配も無いのに分銅が道場の床に弾き返された。

此れは慈恩の見た情景であり忠相、お雪の見た様子だった。

龍一郎たちはお高が左手に持った木刀を上下に激しく早く振っていて、その振り下ろしのままに分銅を弾き飛ばしたのを見ていた。

慈恩には何が起きたのか解らなかった。

慈恩の心の中には疑問が渦巻いていた。

<この女子は妖術使いか??? >

<この女子は天女か悪魔か???>

<それとも、此れが技量の差と言うものなのか???>

<俺は己惚れていたのか???>

<いや、そんなはずは無い、己惚れでは無い、あれだけの鍛錬をしてきたのだ、負けてたまるかよぉ>

慈恩は分銅を引き戻し又右手で回し始めた。

その刻、お高が背筋を伸ばし間合いを詰め始めた。

その歩みは迷いが無く律動的で気配の無いものだった。

慈恩は相手の突然前進に驚いたが好機とばかりに後方に回した分銅を円では無く直線的に胸に向けて放った。

慈恩が届くと思った瞬間に又も分銅が床に叩きつけられ、次の瞬間には相手・お高の小太刀が腹に優しく触れた。

慈恩は相手の迅速な動きに鎌を使う間も無かった。

慈恩が茫然としていると相手のお高は相手の動きに視線を向けたままに後方へと下がって行った。

「参りました・・・私は己惚れていた様です、あの女子のお高殿の技量を見誤っておりました・・・お高殿、失礼の段、お許し下され」

「古来より武人は敗れし刻、勝者の家来と成る、慈恩殿、其方、お高殿の家来となるや」

「・・・私を、私を仲間にして頂けますのか」

「其方にその気が有ればじゃが」

「ありがとう御座います、御仲間にお加え下さい、いえ、お高殿の家来にして下さい、お高様」

慈恩がお高に向かって平伏し懇願した。

「お高殿、お返事を」

龍一郎がお高に返事の催促をした。

「慈恩殿、我らに主従の契りはありませぬ、友としての契りがあるのみです」

「お高様、ありがとう御座います」

「両名とも、良き言葉である、お高殿、慈恩殿の世話を願う、頼むぞ」

「はい、畏まりまして御座います」



「あの者の仲間が、天狗が増えるか・・・余はあの者が味方で良かったと思う、のう、爺、忠相」

「某もその様に思いまする、上様」

「左様に御座います、上様」

「しかし、あの者が仲間をにするのはどのような者なのであろうか、何か特技でもあるのか」

「はぁ、私が考えまするに、技量もさる事ながら、正直さ誠実さ・・・心持ちではなかろうかと存じまする」

「心持ちのぉ~、儂も仲間に入りたいものじゃ」

「えぇ~」

爺・加納と忠相の驚きの声が響いた。

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