第57話 修行

小屋は漁師用としては大きく扉を開けると土間があり六畳の板の間とその奥に六畳の畳の間があった。皆が誰にも何も指図もされないのに働きだした。

荷物を外に下し、女衆は部屋の掃除、男衆は薪割り、水瓶への水汲み、屋根へ上っての修繕、壁板の修繕、小枝の焚き木拾い、と様々に熟した。

動いていないのは龍一郎と小兵衛だけで、二人は小屋の前の空き地の隅をなぞる様に歩いていた。

「おぬしが、我が所領地に連れてこようとはの~」

「義父上は初めてですか」

「いや一度来たことがある。若い頃にな、あの頃の儂は少々剣の腕が立つと生意気でな、悪さばかりしておった。見かねた父が所領地巡りに誘った。儂も旅が初めて故乗せられてしもうた。そして、ここに来て父に剣の腕の鼻っ柱を折られた。厳しい修行であった、が、剣の面白さ、怖さが解りそのまま諸国への剣術修行に出た」

「それで、父上に勝てましたか」

「三年経って戻り勝負したが勝てなんだ。それ以降は父の紹介してくれた稽古場に通い剣の修行をしてまいった。師範になった、先生には養子になり後を継げと頼まれたが、橘家の世継ぎは儂一人でな、そうもいかなんだ。その稽古場は師範代が継ぎ、儂が師範を勤める事となった。儂のことより、龍一郎、ここへは何度も来た様だの~」

「はい、修行の場を探しておりまして、最初はふとした思いつきで、橘家の所領地はどうかな、と思いまして参りました」

「それで気に入ったか」

「はい」

「うむ、ほんに修行には良き処の様じゃ、差し詰め、あの山への登り降りが良さそうじゃな」

「そのように考えております、義父上もなさいますか」

「無論じゃ」

「ご無理をなさいませぬ様に」

二人は広場を一周し稽古場として使える事を確認し小屋に戻った。

小屋では既に掃除も終え水瓶の水も入れ替えられ、持って来た米が米櫃に入れられ味噌が味噌瓶に入れられ野菜の一部が糠床に漬けられ終え女衆が夕餉の支度を初め、男衆は小屋の修繕、薪割り、焚き木拾いを続け、龍一郎と小兵衛の親子は暮れ行く初夏の空を見つめていた。


綺麗になった小屋の六畳、八畳に十二名が集い、六畳の板の間の囲炉裏に鍋が掛けられ、竈にも鍋と釜が掛けられていた。

大人数故に囲炉裏の鍋一つでは足りず竈も利用し飯も釜一つでは足りず二度に分けて炊いた。

支度が整い龍一郎の「戴きます」の言葉に皆での夕餉が始まった。

皆、それぞれに家族で集まり食していた。

平四郎はお有、お久はお峰、清吉は小駒、舞と平太は三郎太、誠一郎は龍一郎の側だった。

そのうち、飯の御代わり、汁の御代わりに端を発し、皆での会話が始まり、女衆の集まり、男衆の集まりに変化し、騒々しいまでの会話になっていった。

誠一郎も男衆の集まりに加わり何やら話していた。

女衆たちが手分けし皆にお茶を配り夕餉の余韻に浸っていた。

龍一郎が刻を見計らった様に話し出した。

「皆、ご苦労でした、江戸日本橋より11里(84キロメートル)、一日以上の道程を五刻(10時間)で参った、上々と言えよう(因みに、84キロを普通に歩く速度時速3キロで約28時間掛かる)、この場所についてじゃが、もし、敵に捕まった場合、知らぬ事は言えぬ故、知らせぬのが最善と言えよう、が、私には、そなたらへの隠し事は一切ない。あるのは話す時期を計る事のみ、ここは、大多喜藩と久留里藩との国境にある御家人の所領地です。昔、多喜藩と久留里藩の藩主が後ろの山、大福山と言いますが、この山の緑、紅葉を愛でにたびたび訪れたそうです。その為、その休息場が設けられ街道警護方が置かれました。その警護方はこの辺りの郷士たちでした。その後、大多喜藩、久留里藩が廃藩、改易が度重なり、この一角だけが警護方組頭の所領になりました。時を経て、この所領は江戸の御家人のものとなり今に至っております、この御家人の家系はこの地にはありません、ただ、当時の警護方組頭は橘家だったようです」

皆が驚いた顔をした、中でも一番驚いていたのは、当の本人の小兵衛だった。

「橘家が何故に江戸に出てきたものか、家督を継いだものか、今となっては解りませぬ、義父上がご存知なればお聞かせ下さい」

「残念じゃが、何も聞かされてはおらぬ、今の龍一郎の話も初耳じゃった」

「経緯は解らぬにせよ、当主が居る故、この地は他の地よりも安心して修行ができます。裏の山は大福山と言います、高さは一千尺です、山頂には日本武尊を祭った白鳥神社があります。東に進むと養老渓谷があり、なかなかの風景ですよ。渓谷の近くには、栗又の滝と言う高さ百尺、長さ一丁の緩やかな滝があり、幻の滝と言われる高さ三十尺の小沢又の滝があります。更に東には高さ八百十五尺の大山があります。明日よりこの地を修行の場とし、明け六つより始めます」

「龍一郎様、この大人数では一度の食事が大変です、竈を一つ作り足し三つにして戴きたいのですが、作れましょうか」とお駒が願った。

「誰ぞ竈を作れるものは居るかな」と龍一郎が皆に尋ねた

皆が回りを見渡し、作れるものがいないと解った。

「では、私が作りましょう、皆も見て覚えて下さい、明日、修行の後に作ります、但し、一日、二日で出来るものではありません、それまでは他の手を考えましょう」

龍一郎が皆が予想も付か無かった事言い、皆に「この人に出来ない事は無いのか」との思いを抱かせた。


その日は、夕餉の跡片付けをし、そうそうに就寝した。

皆は旅の疲れに直ぐに眠りに就いた。

女衆は奥の部屋、男衆は囲炉裏の六畳に雑魚寝していた。

男衆の人数が多い為、平太と誠一郎は女衆に組み入れられ奥の間に寝ていた。

小屋の外では龍一郎と三郎太が月を見上げた後、山に向かって走り出した。

二人は忍び装束に帯刀していた。

その走りは並の速さではなかった龍一郎が選んだ道も険しいものだった、だが三郎太はしっかり付いて来た、四半刻の後には頂に着いていた。

頂上の片隅に鳥居と社の朽ち果てた姿があった、二人はその残骸に拝礼した。

「この道筋は三郎太には優し過ぎたようですね」

「いえ、付いて行くのが、やっとにございました」

「今夜の道筋は皆にはまだ早いが、平太にだけは試してみよ、どうだな」

「畏まりました、丁度良いと思います、始めは昼間に致します」

「そなたに任せよう、下りは明日から皆が通う道筋を使う」

龍一郎は疾風と如く走り出し三郎太が続いた。


朝、七つには女衆達が起き、小屋の横にある水場で顔を洗い持参した房楊枝で歯磨きをし、朝餉の支度を始めた。

既に龍一郎とお佐紀の夫婦の姿はなかった。

男衆も起き出し、水場で顔を洗い房楊枝で歯磨きを始めた。

龍一郎とお佐紀の夫婦が出かけた気配を平四郎も三郎太も解らなかった。

二人にとっては大変な驚きで、特に忍びの三郎太にとっては格別な驚きと落胆だった。

女衆達が竈に火を熾し薪を焼(ク)べ、米を研いでいるところへ龍一郎とお佐紀が戻って来た。

龍一郎は手に籠を持ち中には竹の子と山菜が沢山入っていた。

早速、まだ取立てで新鮮だったが、一応、米のとぎ汁で竹の子の灰汁を取った。

筍は飯に炊き込み、山菜は味噌汁の具とした。

女衆が朝餉の支度の中、男衆は龍一郎の命により、小屋の前の草取りと地均しを始めた。

ここが剣術の稽古場になるのだ。

「朝餉だよ~」

半分も行かぬ内に、お駒の声が掛かり男衆は小屋の横の水場で手足を洗い小屋の中に入った、

竹の子ご飯の好い香りが漂い食欲がそそられた。

囲炉裏を真ん中に女衆が回りを囲み、その周りを男衆が囲む形で朝餉が始まった。

朝餉はあっさりと竹の子ご飯、味噌汁、香の物だけだった。

一晩ぐっすりと眠り昨日の旅の疲れも取れ食欲旺盛だった。

あっと言う間に小櫃の飯が無くなり、竈に掛けられていた二つ目の釜を待つ形になってしまった。

その朝餉の間に龍一郎が話をした。


「本日より、修行を開始致す、頭領は私が勤め、組を作る。一の組は私、義父上、お佐紀、お久殿、二の組は三郎太、お有、平太、誠一郎、舞、三の組は平四郎殿、お峰、清吉、お駒とする。組頭は、三郎太、平四郎殿が勤めよ。朝餉の後、持参の忍び装束に着替え、本日は初日故、帯刀は組頭のみとし、他の者は木刀だけを持て、裏の山を登り頂上まで参る。登りは当然辛いが怪我をするのは下りじゃ、小石に足を取られ挫かぬ様にいたせ、山には猪もおる故、気を抜くでないぞ」

二つ目の釜の飯が炊け、皆は又朝餉を再開した、が、先程よりは会話が少なかった。

龍一郎には、いよいよ修行が始まる期待感か恐怖かは解らなかった。


全員が忍び装束で小屋の前に立った。

龍一郎の命の通り組頭の平四郎と三郎太は刀を腰に差し手には木刀を持っていた。

他の者は木刀を手に持つだけだった。

小兵衛も木刀だけだったが脇差だけは帯び、お佐紀は帯刀していた。

龍一郎が先頭になり次に三の組、二の組と続き最後尾を三郎太にさせ山頂を目指した。

龍一郎は修行の始めは緩やかな道筋を選んでおり速さも控えめだった。

龍一郎が時折振り返り皆を見たが義父以外は息を弾ませる程度で付いて来ていた。

義父は病み上がり故仕方あるまい、登る意思を示した事に意義がある、と龍一郎は考えていた。

半刻を過ぎた頃、義父が音(ネ)を上げた。

「龍一郎、ここまでじゃ、先に行ってくれ、儂は、ゆるりと参る」

「義父、良くぞここまで持ちました、ゆるりと参りませ、お先に失礼致します」

皆が小兵衛の頑張りに賞賛の笑みを送り小兵衛の横を走りぬけた。

小兵衛は驚いた、幼い舞も確り付いていたからだ。

この山修行に備え皆がどのような備えをしていたのか問いただしてみよう、と思いながら頂を目指しゆるりと歩き出した。


頂上では皆が休んでいた。

小屋を出てから一刻経っており、山頂に着いた当初は皆はぐったりとし息を弾ませていたが、暫く経つと皆若いだけに好奇心が旺盛で周りを見て回ったり下界を望んだりしていた。

白鳥神社を拝み、荒れ果てた社、門や鳥居を直そうとしている者もいた。

そんな中、小兵衛が頂上に到着し、皆に大喝采され本人は大いに照れた。

ゆっくりと岩に腰掛けた小兵衛は草鞋を脱ぎ足の裏から脹脛にかけて揉み解し始めた。

小兵衛は旅慣れており、それを見た皆が真似て草鞋を脱ぎ足を揉み解し始めた。

「草鞋を履くおりには、鼻緒を良く確かめよ、降りは鼻緒に過分な力が掛かる故切れ易い、早めに履き替える事じゃ」

小兵衛が皆に助言し、皆が元気よく「はい」と答えた。

「まだ、降りはせぬ、義父上の息が落ち着いたら降りようぞ」

龍一郎は初日が故にゆるりと行うと決めていた。

舞が龍一郎に駆け寄り願った。

「神様を綺麗にしたい」

龍一郎が周りを見ると皆が頷いていた。

「良し、明日から資材も一緒に運ぼうぞ、だが、まずは図面がいる」

龍一郎は懐から懐紙を出し腰からは矢立を外し神社に近づき指で寸法を測り紙に図面を書き出した。

皆が肩越しに覗き込み龍一郎の多才さに驚かされた。

龍一郎に出来ない事はないのだろうか、と又もや三郎太は思った、いや皆が思った。


龍一郎の図面が仕上がり、小兵衛も十分な休息が取れた頃、龍一郎の声が掛かった。

「下山の時刻ぞ、義父上の言葉通り草鞋を確かめ出発の準備じゃ」

程無く支度が整い全員が揃った。

「登りは忍び装束の口当てを取ってあったが降りは当ててみよ、息継ぎが難しいが慣れよ」

龍一郎が言い自らも首に巻いていた布を口まで上げ目だけが出る様にした。

全員がこれに倣った事を確認し龍一郎は山を下り始めた。

やはり先頭を走る龍一郎の速さは控えめで、昨夜、三郎太と下った速さの半分にもならない程だった。

半刻を少し過ぎて小屋の前に着いた、怪我をした者もいなかった、初日にすれば上々の吉である。

その後、一旦小休止の後、剣術の修行である。

女衆のお有、お峰、お駒、舞はお久を師匠に小太刀の修練に入った。

平太は勿論三郎太が師匠である。

清吉、誠一郎は小兵衛を師匠とした。

お佐紀は龍一郎が師匠である。

皆、木刀での打ち合いを練習してしたが、半刻後、龍一郎の「止め」の声が掛かった。

「敵と対峙したおりは剣の技も大事であるが、何より、真剣の慣れが大事じゃ、特に如何に早く抜けるかに生死が掛かっておる、今日より、皆には、抜刀の修練もして貰う、真剣を支度いたせ」

帯刀していた組頭以外の者達が小屋へ戻り真剣を携え支度するのを待った。

「平四郎、抜刀してみよ、居合いではない故、収めは不要じゃ」

平四郎は言われた通り刀を腰に馴染ませ、やや腰を落とし素早く刃を抜いた。

早い、その後ゆっくりと鞘に収めた。

「義父上、お願いします」

小兵衛も刀を腰を一揺すりし刀を腰に馴染ませ、平四郎と同じ様に腰を少し落とし刃を抜いた。

平四郎も早かったが、小兵衛のそれは更に早く、納めも早くまるで居合いの様だった。

「見ての通り、抜刀は人それぞれで、早いに越した事はないが、相手に届かなければ意味が無い、対峙する相手との間合いも大事じゃ、では、私の抜刀をお見せしょう。居合いの様ですが、あくまでも抜刀じゃ。

居合いは抜いてしまえば終わりで、抜刀は早く抜き、その後の剣技にこそ意味があり、居合いとは異なる事を理解して貰いたい。では、あの枝でお見せしょう」

龍一郎は近くの枝に近寄った。

そして、二人のように刀を腰に落ち着ける事もなく腰も落とさず、無造作に枝を切った。

その速さは目にも留まらず、気が着いた時には龍一郎の剣は既に鞘に収まっていた。

皆は唖然として言葉も無かった。

「修練しだいでは、この領域に達する、それには毎日の抜刀の修練が必要なり、木刀の打ち合いの後に、各自、抜刀の訓練も忘れず励め。納めに速さはそれ程必要無い、納めが早ければ抜刀の修練回数が増えるだけの事、自然と早くなるものじゃ、剣技に必要なものは抜きの早さと力強さ、その後の太刀筋なり、抜刀と剣の型なり、各自、真剣を手に致せ」

「平四郎、皆に抜刀を教えよ」

平四郎が命のままに、皆にまず始めに左手で鞘を掴む・・・と、事細かに教え始めた。

皆、真剣を扱う故に真剣に聞いている。

納めまで終えた後、実際に抜く事になった。

これまでに剣を扱った事が無いのは清吉、お駒、舞の三人で、剣術を修練して来たが真剣に慣れていないのはお久、お峰、お有の三人だった。

ついでに述べれば、真剣には多少慣れてはいるが、人を切った事が無いのは誠一郎、平太だった。

龍一郎は、まず清吉、お駒、舞の三人を前に立たせ他の者たちを離れて座らせた。

「真剣の修練には、周りに十分な配慮の上行う様に致せ、三名の者、平四郎の教えの通りにやってみよ」

三人は互いの間隔を十二分に取り、剣をそろりと恐る恐る習った事を思い返す様に抜いた。

清吉は長剣、お駒、舞は小太刀であった。

「どうだな、思うたよりも重かろう」

龍一郎が三人に問うた。

「はい、重うございます」

清吉が答え、その重量感を確かめる様に揺すった、

「では、ゆっくりと左手に気を付けて収めよ」

三人は左手で鞘を掴み刀の峰の中程を鞘に当て、ゆっくりと滑らせ切っ先から鞘に収め始め、切羽まで確りと納め、気せずして三人は同時に大きな溜息を突いた。

それ程に緊張していたのであろう、無理もない、と前で見ている経験組の者たちも自分の昔を思い出して思った。

三人は何度も何度も抜き打ちをした。

「清吉、抜き打って止めるところを同じに定めよ」

「お駒、抜き打ちに女らしさは不要ぞ」

など間違った時には直ぐに龍一郎の声が掛かり正された。

「止め」

龍一郎の声が掛かり三人は「ホォー」と安堵の溜息を漏らした。

「立会いは相手が居らねばできぬが、抜刀と型は一人でも修練ができる。刻を見つけ励む事だ、必ずや良い結果が得られよう、修練は嘘を付かぬ。では、次の組を見てみよう、お久、お有、お峰」

前の組と同じ様に何度も何度も抜き打ちをさせ、悪いところを指摘した。

次の誠一郎、平太も同様にだった。

龍一郎は最後に、平四郎、三郎太、小兵衛を並ばせ同様に抜き打ちをさせた。

流石に見事なものだった、

「もう皆も解っておろうが今の順は刀に不慣れな者の順であった。初心組は先ずは真剣に・・刃物に慣れる・・馴染む事じゃ。上位組には秘伝の利前流抜刀を伝授致す、初心組も何れは学ばねばならぬ、要らぬ悪癖が付く前に頭に入れよ」

龍一郎が三人の前に立った。

「利前流抜刀が従来の抜刀と異なる点は鞘の引きと腰の振りにある」

龍一郎は抜き打って見せた。

二度、三度とゆっくり回数を重ね十、二十と回を重ね序々に早くして行った、だが剣先の止まる位置は常に一定だった。

「試して下さい」

龍一郎が三人に言い下がった。

三人はゆっくりと龍一郎の言葉をなぞる様に抜き打ちを始め序々に速さを増し最前までの速さより遥かに早くなり一定になった。

百を過ぎた頃合に「止め」と龍一郎の声が掛かった。

「いかがかな」

「龍一郎、儂もまだまだ、やれるものじゃの~」

小兵衛が感嘆と満足感を口にした。

「龍一郎様、これ程の違いとは、驚きました」

平四郎も感嘆を口にした。

三郎太は無言で龍一郎に感謝していた。

「龍一郎、利前流抜刀など聞いた事も無いが」

「義父上、秘伝と申しました。これまでは、世に知る者は三名だけでした」

「おぉー、秘伝中の秘伝じゃのぉー」

龍一郎は後を振り向き皆に言った。

「皆には、まだ早い、まずは真剣に慣れる事を本題とせよ」

再度の念を押した。

「では、昼餉にしようではないか」

皆は空を見上げ日の位置から九つを過ぎている事に気が付き、急に腹が減りだした。

「おぉ」「はい」「あいよ」

掛け声と共に小屋に刀を仕舞い昼餉の支度に掛かった。

龍一郎、小兵衛と龍一郎に呼び止められた平四郎、三郎太の四人は広場の中央で裾野を見つめながら午後からの修行の話し会いをした。

話し合いと言うより龍一郎の考えの披露だった。

「昼餉の後、皆に構えと足の運びから始め型を教えて下さい。ところで、各人の流派をお教え下さい。私は富田流から始めました、義父上は・・」

「新当流じゃ」

「開祖、塚原卜伝の流派ですか、平四郎さんは・・」

「小野派一刀流」

「開祖、小野忠明(オノ タダアキ)、神陰流を学び後に一刀流を興した伊藤一刀斉の流れですね。三郎太は、柳生新陰流ですね、それも・・・・」

「はい、陰流・・・忍びの流派です」

「おぉ~、柳生新陰流には、影の流派があるとの噂があったが真であったか」

「誠一郎の通っていた稽古場は直心影流、正式には鹿島神傳直心影流だそうです、いろいろな流派に富んでおりますな」

「龍一郎、富田流から始めたと言うたが、他にどの流派を学んだな」

「はい、勿論、中条流、一刀流、馬庭念流(マニワネンリュウ)、鹿島神道流、新当流、示現流・・・国中の稽古場を回りました、故に今の某の剣に流派は無きが如し・・・・でしょうな」



----------------------<剣の流派>-----------------------

因みに、富田流は、 越前の中条流剣豪、小太刀の名人、富田勢源を開祖とする。

富田流の富田重政(トダ シゲマサ、1554~1625)は、前田利家家臣で加賀藩の剣術指南役を勤め、利家・利長・利常三代に仕え13500石を与えられた。

中条流(チュウジョウリュウ)は中条兵庫助長秀を開祖する。

越前斯波家の臣甲斐豊前守に伝えられ大橋勘解由左衛門を経て越前新庄城主山崎右京亮昌巌に伝わり、山崎家に寄食していた冨田九郎左衛門長家に伝わった。

この冨田家から龍一郎が学んだ富田流が興された。

一刀流(イットウリュウ)は伊東一刀斎を開祖とする剣の流派で門弟小野忠明は将軍家剣術指南となっている。

柳生新陰流(ヤギュウシンカゲリュウ)は、柳生宗厳(石舟斎)を開祖とする流派で、五男宗矩は家督を継ぎ、将軍家剣術指南となり後に大名にまでなった。

馬庭念流(マニワネンリュウ)は、樋口家第17代当主・樋口定次が念流を元に創始した、剣、薙刀、槍術の流派である。

彼が今の群馬県高崎市吉井町馬庭(旧 上州多胡郡馬庭村)で稽古場を設けた為、馬庭念流とよばれる。倒す事よりも守りに重点を置く守り主体の流派である。

鹿島神道流(カシマシントウリュウ)は、「鹿島流」、「鹿島神流」、「鹿島神陰流」とも言われ、塚原卜伝が学んだ。

その塚原卜伝を開祖とする剣の流派が新当流(シントウリュウ)で卜伝流(ボクデンリュウ)とも言われた。

示現流(ジケンリュウ)は、薩摩藩士であった東郷藤兵衛重位(シゲタカ)を開祖とする流派である。

薩摩藩では藩外不出の流儀とし、稽古には梼(ユス)の木を三尺四寸六分(104.82cm)に切った丸棒を用いた。

(参考資料 ウィキペディア)

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「では、我らの流儀も知っておる訳じゃな」

小兵衛が龍一郎に問うた。

「はい」

「流派が違いますが、良ろしいのですか」

平四郎が龍一郎に確かめた。

「はい、初心者故まずは、正眼、八双などの構えとそのおりの足運びを第一と思います」

「お有殿、お峰殿、お久殿のように小太刀の経験者が居られますが」

三郎太が懸念を口にした。

「皆と一緒に初心に戻って修行して貰いましょう、修行から刻も経って居りましょう」

「解った」「承知」「畏まりました」

三人が答えそれぞれが午後の修行の思いに耽った。


昼餉の後、組に別れ龍一郎の指示通りに構えと足運びの修行が続けられた。

それは身体が覚えるまで何度も何度も行われた。

その間、龍一郎とお佐紀は真剣を使った型稽古をしていた。

皆よりも数段進んだ段階にいる事が伺われた。

「止め」

龍一郎の声が掛かった時には夕闇が迫っていた、だが、修行の終わりではなかった。

「本日の修行の最後に、今一度、真剣での抜き打ちの修行を致す、備えよ」

龍一郎の言葉に皆が小屋に真剣を取りに戻り腰に挿し整列した。

「これより、号令を掛ける、備えよ・・・・一つ」

皆が一斉に真剣を抜いた、組頭が見守っていたが注意の声は掛からなかった。

既に抜き打ちの型を我がものとしている様だった。

「納め」

皆が一斉に刃を鞘に納め、その後、龍一郎の掛け声が何度も響き暗闇になっても続けられた。

「舞、切っ先が下がっておる」

龍一郎の声が飛んだ。

暗闇でも龍一郎の目には見える様だった。

まだ、身体の幼い舞には小太刀と言えど、回が増えどんどん重く感じられて行った。

「止め、本日はこれまでと致す、夕餉としようぞ」

龍一郎の声が掛かり初日の修行が終わった。


囲炉裏端に四人が座っていた。

龍一郎、小兵衛、平四郎、三郎太だ。

清吉は壁板に寄り掛りうとうとしており、その横には彼にもたれ掛る様に舞がうとうととしていた。

慣れぬ剣術に疲れたのだろう、そこへ行くと女は強い。

お駒などは特に剣術に慣れては居らぬはずであるのに平気な顔で他の女衆と一緒に夕餉の後始末をしていた。

誠一郎と平太は剣を持って小屋を出て行った故、抜き打ちの修行と思われた。

龍一郎が懐から包みを取り出し綿の中から小さな機械を出した。

「龍一郎、何じゃな」

「義父上、懐中時計と申しまして、刻を計る物でございます」

「何、時計とな、儂は時計は身の丈もあると聞いておったぞ」

「はい、時計と申しますと大きゅうございますが、これは懐中時計と申しまして、懐にて携帯できる様にしたものです、私が長崎にて買い入れました」

「して、今、何刻にございますか」

今度は平四郎が刻を問うた。

「今、七時四十五分ですから、もう直ぐ五つになります」

ここで、龍一郎は、刻と時間の説明をした。

そんな中、女衆が後片付けを終え囲炉裏端にやって来て会話に加わり、龍一郎は皆に初めから説明し直した。

丁度、八時になった。

「今、五つです」

「便利な物ですね、でも、高いのでしょうね」

お駒が感嘆と問いを口にした。

「はい、非常に高価ですね・・・・お佐紀、皆を湯へ案内してはどうじゃな」

「それは、良いお考えと思います、私共からでよろしいのですか」

「良い、但し、各々(オノオノ)が得意の物を帯びて参れ、用心の為にな」

「はい、皆さん、近くに温泉があるのです、女衆から先に参ります。旦那様が申された様に、各々が得意の武器を持参下さい」

お佐紀が説明し、女衆が湯へ行く準備を始めた。

いつの時代でも女子は温泉が大好きなようだ。

皆が浮き浮きとし出しさっと準備を終え、お駒は舞を揺りお越し、それでも眠けが取れないと見るやおんぶして連れて行った。

「いやはや、なんとも女子とは強いものよの~」

小兵衛の感慨深かげな言葉に男衆が皆、頷いた。


「何とも言えぬ絶景じゃな」

小兵衛が言った。

女衆が戻り、男衆が湯に浸かっていた。

全員が入っても余裕の広さがあった。

当初、龍一郎が見つけた時には小さなものであったが、龍一郎とお佐紀が何度も修行に通い、この広さにしたのだ。

龍一郎は石運び、土掘りを修行の一環としていたので少しも苦にならず、かえって大きくし過ぎたかも知れないと思っていた。

「どうです、清吉さん、疲れが取れ、眠気も取れたのではありませんか」

平四郎が清吉に問うた。

「あっしは、毎日の様に御府内を歩き回っておりましたのに、これ程、疲れるとは、思いもしませんでした」

「剣術に慣れておらぬからでございましょう」

誠一郎が口添えした。

「平太は三郎太に大いに鍛えられておるようじゃのおぉ~」

小兵衛が誰にともなく言った。

「はい、拙者も驚き申した」

平四郎が珍しく侍言葉で答えた。

「あっしは平太には勿論驚きましたが誠一郎様も以前とは別人のようにお成りで」

清吉が気付いた誠一郎の変貌振りを口にした。

「三郎太、誠一郎も鍛えては、居るまいな」

「いいえ、平太だけにございます」

三郎太が小兵衛の問いに答えた。

「誠一郎殿、如何にして鍛えたな」

「私は、己の事よりも、女衆の鍛えに驚き、己の未熟を感じております」

平四郎の問いを逸らす様に誠一郎は話柄を変え小兵衛も追従した。

「それそれ、その事よ、儂も己の衰えは感じておったが、よもや女衆に遅れを取るとは思わなんだ」

それまで黙っていた龍一郎が言った。

「おりを見て皆のこの山修行への備えを聞きたいものですね」


山修行は二日、三日と続いた。

そして夜間には龍一郎、三郎太にお佐紀殿の三人が皆とは違う険しい経路での山の登り降りを行った。

三郎太は驚きを隠せなかった、お佐紀の事である。

龍一郎と三郎太の間を走り少しの遅れも見せず余裕さえ感じさせた。

三郎太には龍一郎に寄って三郎太の思い以上に鍛えられている様に見受けられた。

小屋の前に戻り、龍一郎は三郎太に「眠れ」と言うとお佐紀を連れて再び山へ向かった。

三郎太は確信した、やはり、先程の経路はお佐紀殿に取って容易なものだったのだ、これからの経路がお佐紀殿の修行なのだ、そして、三郎太には無理な経路と龍一郎が判断しているのだ。

苦やしかったが龍一郎の判断だ、間違いはない。

三郎太は諦めて眠ることにした。

それから半刻も経たずに龍一郎、お佐紀の二人が戻り静かに眠りに就いた。


四日目の昼餉の中、龍一郎は皆に言った。

「昼餉の後、竹刀にて立会い稽古を致す」

言ったのはこれだけだったが、皆には新たな興奮が沸いた。

いよいよ竹刀とは言え相手のある稽古なのだ。

龍一郎は、皆への模範として小兵衛と平四郎を指名した。

小兵衛は江戸でも名の知れた剣客だった。

絶頂期を過ぎたとは言え侮れない。

平四郎は藩指南役を勤める現役である。

二人の立会いは静の小兵衛に動の平四郎と言ったものだった。

小兵衛は動かず、縦横無人な動きからの平四郎の打ち込みに、紙一重で交わし竹刀で払いを繰り返し平四郎の隙を探していた。

二人の剣客は八日間の修行で自給力が付き四半刻が過ぎても息も乱さず打ち合っていた。

突然、龍一郎の声が掛かった。

「止め」

二人は別れ礼をし会った。

「平四郎殿、いかが」

「さすがに、江戸に橘小兵衛あり、と言われた方にございまする」

「義父上、如何に」

「うむ、平四郎は実践剣法じゃな、まだまだ強ようなろう」

「忝いお言葉にござる」

小兵衛の励ましの言葉に平四郎が礼を返した。

「皆の者、竹刀の修行は、かようなものじゃ、次に平太、誠一郎に願おう」

龍一郎が指名し竹刀試合いが続けられた。

全員の指名による試合いの後、指名されたものどうしが相手になり全員で打ち合いをしていた。

この竹刀は、龍一郎が近くの竹林から切り出した竹を乾燥し作ったものだ。

以前から乾燥してあったものを使い、三郎太、お佐紀、平四郎も加わり員数分用意された。

龍一郎が考案した竹刀は現代の竹刀に非常近い物で細く裂いた竹八本を一つに束ね打撃を軽いものとしていた。

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