第185話 探索 龍一郎の場合

「御免くださいよ」

「いらっしゃい」

お店には奉公人が五名いたが声を返したのは拭き掃除をしていた小僧さんだけだった。

お客が三人いてそれぞれに奉公人が応対していた。

奥の低い格子の中にいる人物が番頭である。

「番頭さん、番頭さん」

「お客様、私が御用を聞きます」

「お前さんじゃ駄目じゃ、番頭さんでのうてはな」

「それは困ります、私の役目です」

「だからお前さんじゃ駄目じゃ言うとるじゃろが」

「だから、そうは行かないと言ってるだろ」

「何じゃその口の利き方は客に向かって言う言葉か」

「これは失礼を、だから駄目だと言ってるじゃ無いの」

「ええい、じゃあ聞くがお前さんで痛みの消える薬の話が通るのじゃな」

この言葉に番頭が顔を上げ、その老人を見つめた。

「痛みが消える薬、そんなものはありませんよ」

「じゃから最前から言うとろうが、お前さんじゃ話にならんと、早う番頭さんを呼んでこい」

「だから・・・」

その時、番頭から声が掛かった。

「手代さんや、私が変わりましょう」

「いえ、私で大丈夫で御座います、番頭さん」

「何じゃ、この店は客より番頭さんに向かっての方が言葉使いが丁寧で無いかい」

「お客様、こちらでは、他のお客様にご迷惑です、こちらへどうぞ」

近づいた番頭が老人に声を掛けた。

「ほれ見ろ、最初からこうしていれば良かろうもんが」

「番頭さん、申し訳ありません、私が至らずに」

「なんじゃまた客よりも番頭さんを大事にしてからに」

老人はぶつぶつと文句を言いながら番頭の後に従い別間へと上がった。

そこは大事なお客、武家の身分の高い方との面談に使われる部屋だった。

番頭が先に座り向かいを指さした。

老人が差された処に座った。

「それで、貴方は何処(どこの)の何方(どなた)ですね」

「儂か儂は千住の向田良庵(むこうだりょうあん)じゃ」

「その向田さんが何で痛みの取れる薬が欲しいのですね」

「儂は医者じゃ、痛みが取れる薬の使い道は痛みを取るのに決まっとる」

「お医師ですか、それで、その薬の事は誰から聞きましたね」

「知り合いの医師じゃ」

「その知り合いとは何方(どなた)ですね」

「それは言えぬ」

「困りましたなぁ~誰の紹介かも言わずに薬をくれとは」

「ただでとは言うてはおらん、銭はちゃんと払う」

「銭を払うの当たり前です、誰から聞いたかを聞かねばお売りできませんな」


「薬はあるのじゃな、なら何故売らん・・・ま・まさか御法に触れる物か」

「法になんぞ触れる物を売る訳が無いだろうが」

番頭が手を上げ老人を掴もうとした。

「何をする、こう見えても儂は元武士じゃ、覚悟して掛かって来い」

番頭は一瞬固まると首を横に向けて叫んだ。

「先生、出番の様ですぜ」

直ぐに隣の襖が開いて浪人者が現れた。

上物では無いがそれなりに身綺麗な形(なり)で髭も月代(さかやき)も剃られていた。

「其方、なんぞ文句があるのか、斬られたいのか、さっさと立ち去れ」

「なんじゃこのお店は用心棒を飼っておるのか」

老人はそう言いながら後ろへずり下がりゆっくりと立ち上がり後ずさりした。

それを見ながら番頭と用心棒は薄ら笑いを浮かべた。

「千住あたりまで噂が広まっている様では、用心が足りねぇかなぁ~」

お店の番頭とも思えぬ口調で用心棒にとも独白とも取れる言葉を吐いた。

店先に戻った老人は履物を履くと無言で暖簾を潜り外へと出て行った。

老人はぶつぶつと言いながら家に帰るのか千住方面へと歩みを続けた。

老人は二丁程歩くと脇道に入り歩みの方向を変え歩み方も変わっていた。

老人が辿り着いた先は橘道場だった。

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