第169話 お駒の武勇

その日、お駒は船宿の昼の忙しい時間が過ぎ久しぶりに蕎麦打ちがしたくなり橘道場へ行って門下生達にご馳走しようと考え八つに道場へ向かった。

「さて、午後の稽古には何人程残っているかね」

などと独り言を言いながら門を潜った時に怒声が聞こえた。

「どうした、どうした、この程度か、今をときめく橘道場とは・・・強い強いなど矢張り噂に過ぎぬ・・のぉ~」

「おのれ・・貴様ら、ここを何処と心得おる・・・我等は南町、北町、火付盗賊改の与力・同心であるぞ」

「それがどうした、我等が何ぞ罪を犯したかな、どうじゃ唯の試合では御座らぬかな」

「おのれ・・・道場主、師範、師範代とつわものが居ぬ間を狙っての・・・・しぅ」

「ほう、その者たちなれば我等に勝てると申すか、御主らの腕前を見れば強いとも思えぬがのぉ~」

「おのれ言わせておけば・・・」

その時、奥へと続く出入り口からお駒が顔を出し声を掛けた。

「皆様、お久し振りに御座います。ご無沙汰して申し訳御座いません」

などと暢気な言葉を穏やかな声で掛けた。

門弟たちと浪人たちも皆が声のした方を向き、浪人たちの頭目と思しき男が言った。

「何だ、家人がおるではないか、が、女子(オナゴ)では・・なぁ~」

「あの女子は道場の者では無い」

「女子じゃ、どちらでも良いわ・・・怪我をせぬいちに奥へ戻っておれ・・・さて続きを致そうか」

「お待ち下さいませ、続きと申されますと試合と言う事でしょうか・・・・道場破り殿」

「道場破り・・・だと・・・抜かしたな・・・女子とて容赦はせぬぞ」

頭目の後に控える槍を持った大男が吼えた。

「おや、おや、道場破りの皆様で御座いませんので・・・・何の前触れも無く突然訪れ家人の許しも無く稽古場に押し入る・・・・これを何と呼べば宜しいので御座いますか」

「おのれ、言わせておけば・・・・」

槍の大男がなおも吼えた。

「長い槍を持った大きな侍が大きな声で怒鳴る・・・・怖い、怖い・・・なれど門弟衆の皆様・・良くお考え下さい・・・・この男は頭目では無い・・・・つまりは・・・この者たちの中で一番強い訳では無い・・・と言う事です」

「うぉ~」

吼え声と共に前に進みいよいよ熱り(イキリ)立った。

「其処まで言うからには女子とて容赦はせぬ、相手をせいー」

「お、お待ち下さい、その女子は船宿の女将にすぎぬ方じゃ無体は止せ」

門弟衆の若い一人が言って止めた。

「ならば、御主が相手を致すか」

怒鳴り返され返す言葉を失ってしまった。

「私で良ければ、お相手致しましょう・・・・でも女子に負けてこのお江戸を歩け無くなりますよ」

「な・な・何、貴様・・・儂に勝てると思うてか」

槍の大男が憤怒と熱り立った。

「お駒さん、お止め下さい、我等、先生や師範に叱られます、怪我をしても成りませぬ」

門弟衆の一人が言うのへ隣の門弟が止めに入り小声で言った。

「お駒さんも龍一郎師範の直弟子やも知れぬぞ・・・そうだとすると途轍も無く強い・・・はずだ」

「た・確かに道場開きの日にも控えておったと聞いた・・・・が船宿の女将だぞ、強いかのぉ~」

「あの大男を前にして、あの落ち着き様を見よ、唯の女将のものとも思えぬ・・・儂は強いと思う」

門弟衆の話合いを他所にお駒は平然と壁に掛けられた木刀の中から定寸の物を選び一振りして大男の前に戻って来た。

「お待たせ致しました、では始めましょうか」

「うぬ~本当に相手をするのか、怪我をするぞ、女子とて容赦はせぬぞ」

大男は恐れぬお駒に対して如何して良いのか判らぬ風情で狼狽していた。

その態度に頭目と思しき浪人が叱った。

「権差衛門、早うやってしまえ御主がやらぬのなら儂が相手をするぞ」

「待て、待て、儂が相手をする、良いか女子・・・・覚悟せい~」

「どうぞ」

お駒はそう答えると木刀を正眼に構えた。

その途端、道場破りたちと門弟衆は驚きに声を失ってしまった。

お駒の木刀構えがぴたりと決まり隙も無い様に思えたのである。

「如何なされたので御座いますか、来られぬならばこちらから参りますよ」

この言葉に我に返った大男は長槍を構えた。

「おやおや、真剣勝負ですか・・・・それでは試合との言い訳が通りませぬが宜しいので・・・・まぁそなたらはどこぞの何方かに頼まれただけでしょうから同じ事ですね、但し、竹刀、木刀であるならば怪我で済ますつもりでしたが真剣となりますと大怪我を覚悟して戴くことになりますよ」

「ぬかせ、どうせ少々小太刀などをかじっただけであろうが、儂に勝てると思うてか」

大槍を前後に扱いて序々に間合いを詰めて行った。

槍先がお駒の胸元に近付いては遠のき一扱き(シゴキ)毎に近付いた。

門弟衆は今にも槍先がお駒の胸に突き立ちそうで「あぁ」と声を上げる者もいた。

だが、当のお駒は平然と見切ってでもいるかの様に最初の立ち位置を全く動かず正眼の構えも崩さなかった。

この様子を見つめる頭目の見る目が序々に険しくなり始めた。

その時、大男の槍先がお駒の胸に突き刺さった・・・・かの様に門弟衆には見えた・・・と思った。

次の瞬間には大男はその場に突っ伏しており、槍の先端が折られていた。

お駒は元の位置で一歩も動いた様子も無く構えも正眼に構えたままだった。

門弟衆には何が起こったのかが解からなかった、又道場破りの浪人たちも頭目以外は解からなかった。お駒は突き出された槍の千段巻きを木刀で一撃し槍先を圧し折ると前に出て大男の右肩を痛打し元の位置に戻り構えも元の正眼に戻したのである。

浪人達には沈黙が走り、門弟衆の間に歓声が起こったが暫くして、お駒の余りの強さに恐怖し道場は静寂に包まれた。

「次は親分さんですか」

物静かな、それでいて凛とした声でお駒が尋ね今度は奥に向かって声を掛けた。

「お久様、私で宜しいですか、替わりますか」

その声に皆が奥への出入り口を見ると橘道場・道場主の奥方・お久が入って来た。

その姿を見て門弟衆は喜びの声を上げた。

道場開きの日に始まり、日頃より奥方の剣術の腕前を知っており、この危機に安堵したのである。

道場に入ったお久はたちどころに状況を把握し言った。

「お駒さん、お手を煩わせましたなぁ~、主の居らぬ間に様も危難を救って戴いた、感謝申します・・・・続けるも良し、私に譲って下さるも良し、お駒さんの思いのままに」

お久はそう言うと高所下の正面脇に正座した。

「では、私が続けてお相手致します」

お駒はお久への返事とも浪人たちへの言葉とも取れる言葉を口にした。

「では、頭目殿お相手仕る(ツカマツル)・・・お願いがあるのですが、もし私が勝利しましたら誰に頼まれたかをお聞かせ願えませぬか」

「儂に勝つと言うか、第一我らの稼業では雇い主の名は決して明かさぬが掟じゃ」

「ありがとう御座います、やはり何方かに雇われた訳ですね」

「くそ~、引っ掛けおって・・・忌々しい女め~、女子とて容赦はせぬ存分に痛め付けてくれるわ」

お駒が入って来た時に門弟に突き付けていた木刀をそのまま構えた。

「おや~頭目殿は木刀で宜しいのですか・・・・何でしたら真剣にお換えになっても宜しいですよ、お待ちしましょうか、最も私は木刀でお相手いたしますが」

「お・お・おのれ馬鹿にしくさって・・」

当初門弟たちははらはらと見ていたが今はお駒が大男を易々と倒すのを見せられ、日頃より時々相手をしてくれる強い奥方が戻ってきてくれ尚且つお駒が自分たちが恐れ慄いた頭目を相手に全くの動揺も見せぬ姿に今は唯々次にどうなるかと安心しきって見つめるだけであった。

門弟たちにちらちらと見つめられた道場主の奥方・お久も堂々としてお駒の試合を安心し切って見つめていた。

この頃のお駒の剣術は上達が目覚しく知り合った頃の町屋のおかみさんだった頃とは雲泥の違いで今では若い頃とは言え小太刀の名手と言われたお久と互角に立ち会う様になっていた。

そんな二人ではあるが三郎太を始めとする男衆には適わなかった、近頃では清吉にも負ける様になり誠一郎には勝てなくなっていた。

無論、お久も名手と言われた若い頃よりも数段上達していた。

向かい合った頭目とお駒は最初は相正眼で対峙していたが頭目が剣を右上にゆっくりと移動させ八双に移した、お駒は唯静かに正眼を崩さず佇んでいた。

頭目が小さく息を吸い込み大きく踏み込んで来た。

お駒は動かずぎりぎりまで引き付け見ている者達が討たれたと思う寸前で左に体を開き頭目の右肩を木刀で強かに叩き砕いた。

頭目は其の場に崩れ気を失った。

「さてさて、残りの方々は如何なされますかな・・・・一人一人は面倒ですし門弟衆の稽古にも差し障ります、皆様ご一緒にお相手致しましょうか・・・ね」

声を掛けられた四人の浪人たちはお互いを見合い相手になろうとはしなかった。

その様子を見てお駒が続けて言った。

「今日は許して差し上げます、この二人はもう武士としては生きて行けません、あなた方もこうなりたくなければ生活を改める事です、二人を連れて立ち去りなさい」

お駒の言葉に四人は二人を抱えお駒を恐怖の目で見詰めながら道場を去って行った。

暫くしてお駒はお久に顔を向けると二人は目線で会話しお駒は道場から奥へと消えた。

無論、浪人たちの跡を追い雇い主を突き止める為である。

「さて、門弟の皆様当家の者の留守に大変失礼を致しました、稽古を始めて下さい」

お久に言葉を掛けられても誰一人として立ち上がる者はいなかった。

「お待ち下さい、奥方様、お駒様は船宿の女将と聞いております・・・・何故にあれ程剣術が強いので御座いますか、普段のお駒様とは思えませぬ」

日頃は「お駒さん」と呼んでいたが今の剣技を見せられ「お駒様」に変わっていた。

「そうですか、私には普段の優しいお駒さんと何ら変わりが無い様に見えましたがな」

「はぁ~確かに態度も言葉も普段と変わらず優しさがありましたが・・・・・剣技は夜叉か化け物の・・・いや、凄まじいものでした」

「ほぉほぉほぉ、お駒さんはね、唯の船宿の女将では有りませぬぞ、我が倅・龍一郎の直弟子で御座いますよ、強いに決まっております」

「師範の直弟子・・・お駒様が・・・」

道場にいて目撃した者たちは無論の事、その者達から話しを聞き其の日より「お駒」への呼び方がさんから様に変わり態度も変わった。

更には、道場開きのおりにお駒と共に控えていた者達もお駒同様に強いのではないかと噂され同様に呼び方と態度が変わってしまった。

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