第170話 居酒屋 その三
「お駒が倒したと言うのか??? それも其方らが太刀打ちできぬ者たちをか???」
「左様で御座います、付け加えますとお駒などと呼び捨てにする門弟は居りませぬ、門弟たちは「お駒殿」又は「お駒様」とお呼びして居ります」
「鍛錬所の初日・・・あ、今は道場であったな、その道場開きでは橘小兵衛殿の妻女であろうお久殿が腕自慢の者に勝った・・・それも赤子相手の様にであった事は儂も見た、見たが・・・」
「はい、それで門弟衆の間ではお二人だけでは無く初日に入口近くに控えていた方達も・・・と噂されて居ります」
「何~あそこには子供も・・・確か揚羽亭の女将も居っただはないか???」
「はい」
「あの者らが全員お久殿、お駒殿の様に強いと申すのか???」
「・・・と我ら門弟衆は思っております、故に皆への態度、言葉使いは以前とは格段に丁寧になっております」
二人の先輩たちが「ごくり」と喉を鳴らした。
「それで何か証でもあったのか」
「いいえ、そのような証は御座いませぬ、ですが、噂が御座いました」
「どのような噂じゃ」
「何でも揚羽亭に何処ぞの旗本の酔っぱらいが昼日中に参りましたそうな、そして無理やり店に入ろうとしまして、それを女将が叩き出した・・・と言う噂で御座います」
「その様な物は只の噂でろう」
「・・・それが一件だけでは無いので・・・中居のお花と申す者も同様に・・・そして船宿を開くに当り修行中であったお駒殿も同様に・・・だそうな」
「その様な事がなぁ~揚羽亭とお駒殿の船宿の人気が高まる訳だのぉ~、そう言えば確か奥方のお佐紀様の武勇伝と言う題の着いた読売が有ったな、それも二度有った様に記憶しておるが」
「おぉそれなら儂も覚えておる、読売故にどうせ大仰にと思うておった」
「もし、それが真であったなら・・・」
「真でしょうあろうなぁ~、儂はこの目で見ておるからな」
「最近お前は奉行所の鍛錬所では我らと申し合わせをせぬが何故だ、いや誰ともして居らぬな、見ると木刀の素振りばかりしておる様に思うが・・・」
「・・・はい、何方とも試合はしては居りませぬ、打ち合いもしては居りませぬ」
「何故じゃ」
「・・・師範の教えに御座います・・・生半可な技前の内の相手との打ち合いは為に成らぬ、己の型を定める事こそ基本、基礎とのお言葉でした。相手がいれば当然相手の出方で剣筋も変えねばなりませぬ、故に己の型が定まり難い。まずは己の型を身に付ける事こそ大事。振り始めの位置、打ち下ろした後の位置が毎回同じ位置になる様にゆるりゆるりと振る、最初はゆるりで少しづつ早くして行く、始めの位置、終りの位置がぶれる様では己のその時点での力量はその程度と言う事、が毎日毎日振り続ければ少しずつ速さは増して行く、それは遅々として進まぬ諦め様とも思える、だがその気持ちを抑え毎日毎日続ける、必ずやその努力は報われる。打ち下ろし、右八双、左八双、右逆八双、左逆八双、左右の切りを同様に行う、毎日毎日。今後どれ程の技前になっても続ける事じゃ・・・儂は今も八つ半に起き我が家の庭にて行っている。これは我が家の毎朝の行事の様なものじゃ・・・と申されました」
「あの化け物の様に強い師範が今も八つ半に起きて・・・毎日毎日と申したのか」
「はい、左様で御座います」
「待て、待て、師範は我が家と申したのか、儂のでは無かったのか」
「はい、我が家とはっきり申されました、が何か???」
「馬鹿者、我が家と言う事は師範一人では無いと言う事だ」
「あぁ~そう言う事ですか」
「誰と誰がじゃろうか」
「師範は道場に泊る事も御座いますが屋敷に戻られる時も御座います」
「道場では館長も一緒であろう・・・がお久様も一緒では無いのか???」
「となれば師範の妻女のお佐紀様も・・・」
「本日の試合を思い出してみよ、平四郎殿、誠一郎殿、あの舞と言う小娘も並大抵の腕前では無かった、お主にあの舞と言う娘が使った技が出来るか・・・どうじゃ」
「出来る訳がなかろう」
「道場にあの舞と言う娘が顔を出す事があるのか」
「御座います、御座いますが我らなど相手に成りませぬ、と言うか奉行所でも強いと評判の剛の者があっさりと負けました、赤子相手の様でした、一度だけでしたが・・・それ以来誰も舞殿に申し込む者は居りませぬ」
「何と、あの可愛い顔でかぁ~」
「剣の腕前に可愛い可愛く無いは関係あるまい、第一お佐紀様の容姿端麗でお綺麗な事、とても剣の達人には見えぬわ」
「これも師範のお言葉で御座いますが・・・弱い犬程よく吠えるの例えにある様に強くなれば成る程に戦いを避ける様になるものじゃ・・・との事でした、又強いと思う者には己の本性を隠し弱いと思う者には本性を出し悪さを成す者がいる・・・人の本性を計るには弱く見せて置く事じゃ・・・と申されました」
「・・・う~む、成程のぉ~、儂も其方を弱いと思うて態度も言葉も乱暴であった・・・が今は其方の方が強いやも知れぬなぁ~」
「かも知れぬな、その様な言葉を教えられている者と知らぬ者とでは毎日の暮らしも違うのぉ~」
「・・・」
「・・・」
「某は決め申した、橘道場に弟子入りを申し込み申す」
「某も同席をお願い申す」
「早速、明日早朝にもお願いに参りましょう」
「承知・・・其方が先輩弟子です、良しなに」
二人の先輩が若輩同心に頭を下げた・・・それ程の覚悟を決めた。
まさか次の日に館長・小兵衛と師範・龍一郎が千代田の城に呼ばれている事など夢にも思わなかった。
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