第171話 登城の早朝

龍一郎とお佐紀の夫婦は道場に泊り翌日の朝を迎えた。

この朝も日課の鍛錬が行われた。

龍一郎とお佐紀、小兵衛とお久、平四郎とお峰、三郎太とお有、清吉とお駒、誠一郎と舞に平太、揚羽亭のお高にお花まで前日の夕刻に道場を訪れ泊る事を宣言し小兵衛とお久に否を認めなかった。

勿論、龍一郎との鍛錬の為で、ここ暫く山修行へ行けていないからである。

龍一郎とお佐紀が八つ半(3時)に道場に入ると既に他の皆が揃い思い思いに身体を動かし備え万端の状態であった。


龍一郎とお佐紀がまだ自室の寝床に居る時にお佐紀が言葉を発した。

「おやおや、皆さまは貴方の鍛錬が待ちきれぬ様に御座いますよ」

「・・・のようじゃのぉ~、あの者たちも己の身体を鍛える喜びを高みを目指す志を持ったようじゃ、其方はどうか???」

「それはもう既に、貴方のお子を宿すのはこの上無い喜びに御座ますが鍛錬が出来ぬ日が続きますのは困りもので御座います、身体が鍛錬を試練をと求めてまいります」

「済まぬのぉ~こればかりは替わりにと言う訳にも行かぬでな」

「余り皆さまを待たせても成りますまい、お仕度を・・・」


「皆、待たせたのぉ~」

皆がにやりと笑った。

皆は龍一郎とお佐紀なら皆が始めた事など最初から知っているはず・・・と思ったからである。

「今朝は員数が多い故に横の壁際から始める」

皆は横の壁際へと並んだ、普段は縦に進むが員数が多い故距離は短い横を選んだ。

並んだ順番は自然と技前順になっていた。

当然、上座が龍一郎で隣がお佐紀そして最後がお高であった。

中盤の入れ替わりが認められた、誠一郎と舞が清吉とお駒の上座になっていた。

並ぶ順は龍一郎が認めたものでも言ったものでも無い、自分達で己で決めたものであった。

「はじめ~」

龍一郎の掛け声と共に皆が竹刀を上段から振り下ろした・・・。

それが何往復も繰り返されその都度に振り下ろしの速さが増して行った。

型も上段の振り下ろしから右八双へ替わり左八双へ替わり右逆八双、左逆八双、左右の胴切りと変わって行った。

「止め~」

龍一郎の声と共に皆が竹刀から木刀に持ち替えた。

只の木刀では無い、それぞれの力量に合わせた重しの着いた木刀である。

因みに重しは木刀だけでは無かった、それぞれが足首と手首にも重しを着けていた。

「始め~」

又も龍一郎の掛け声と共に上段の振り下ろしから始まった・・・。

「止め~」

龍一郎の掛声と共に今度は皆が木刀から真剣に持ち替え左腰に鞘毎差した。

「始め~」

三度目の打ち下ろしからの往復が始まった・・・。

「止め~」

今度の掛け声の後は此れまでと違っていた。

一番の末席のお高が前に進み道場の真ん中に立った。

お高は腰を少し落とし右手を前にだらりと垂らし無言の掛け声と共に剣を抜き打ち鞘に納めた。

この動作を五度に渡り行い自分の立ち位置に戻って行った。

お高が自席に着く前に隣のお花が入れ替わりに道場の真ん中へと向かって歩み出した。

この流れる様な一連の連携が続き最後に龍一郎が行い皆が刀を腰から抜き右手に持ち正座し横に剣を置いた。

龍一郎が右手に刀を持ち道場の真ん中で同様に正座した。

「皆の精進が伺える・・・本日は新な技を伝授したす」

皆から驚きと期待の表情が見られた。

「他人の屋敷を尋ねたおりには今其方らがしておる様に右に刀を置くが礼儀じゃ・・・訳を知っておるか・・・平太」

「・・・知りませぬ」

「良き返事じゃ・・・子供言葉ではのうなったのぉ~・・・誠一郎殿はご存知じゃな」

「世の中には利き腕が右の者が多う御座います、その者が太刀を抜く場合には左手に持ち替えねば成りませぬ・・・抜き打ちの遅れと成ります故に右手に太刀を持つは己に攻撃の意思無しを表すものと心得ます」

「平太・・・覚えておけ」

「はぁ」

「では、こちらが攻める気が無い現れとして右手に太刀を持つ時に誰ぞに攻められる事は無い・・・との保証はあるかな」

「・・・」

「あるはずも無し、招かれた家の家人の罠の場合もあろう、その時の鍛錬を致す、何を成すか解りますかな・・・義父上」

「・・・うむ~」

「では、舞どうじゃ」

「左手で太刀を抜く鍛錬じゃ無いのかなぁ~」

「なんと」

「まさか」

この驚きの声は剣を持ち慣れた者たちから洩れたものであった。

「舞・・・良う言うた、その通りじゃ・・・見よ」

龍一郎がそう言うと右に置いた太刀を右手で掴むと左手で抜き祓い直ぐに鞘に納め右に置いた。

「今の所作は其方らに見える様に遅くした・・・見よ」

龍一郎が言ったが皆が見えたのは右手で太刀に触った事と右の床に置いた時だけだった。

「佐紀・・・見えたか」

「はい、左に祓い右上に切り上げ左下に切り下し収めました」

「何~佐紀・・・三太刀もか・・・其方には見えたのか」

「龍一郎様は私に見える速さに抑えて下さいました故に」

「何と・・・今ので抑えて居ったと申すか」

「はい、龍一郎様の全力が私になど見えるはずも御座いませぬ」

「はぁ~」

小兵衛は呆れた声を発したが、他の者達は惚れ惚れとした顔で龍一郎を見ていた。

「龍一郎、私も修行をすれば出来ますよね」

「無論じゃ、平太・・・鍛錬以外に有るまい、但し身体の鍛錬だけでは無く、心の鍛錬もじゃぞ」

「心もですか」

「そうじゃ・・・己の技前の自惚れ、慢心、相手に対する恐怖、死への恐怖、気の高振り・・・それらが己の本来の力の発動を阻害する・・・解るな」

「残念ですが、今は判りませぬ、ですが心に刻み修練致します」

「良い返事じゃ、鍛錬致せ・・・皆もな」

「ははぁ~」

皆が返事と共に龍一郎に平伏した。


龍一郎には明朝からは皆がこれまでよりも早く起き鍛錬の時間を増やすと予想された。

だが、料亭と船宿を営む者たちは早く眠る事も難しいであろうになぁ~と少々の疑念も沸いた。

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