第104話 捕り物-その二

南町奉行・大岡が書院にて調べ書きを読んでいる時にお景の知らせが入った。

「お奉行様、龍一郎様よりの使いの者に御座います」

「今夜であるな」

「はい、左様に御座います、では御免下さりませ」

大岡が庭への障子を開けた時には誰も居なかった。

「龍一郎め・・・女子(オナゴ)の忍びも抱えておるか・・・うむ・・・」

一頻り感心していたが、はたと思い出し大声で妻女・幸恵と内与力の内海 参左衛門を呼んだ。

「幸恵、参左衛門、出陣じゃ支度を致せ」

「旦那様、何事で御座いますか」

「捕り物に参る、支度を願おう」

「あ、はい、畏まりました」

「殿、何事で御座いますか」

「参左衛門、与力の孫右衛門と定町廻りの十兵衛を呼べ」

「孫右衛門と申されますと関口殿ですな、はて今一人の十兵衛とは・・・・」

「ええい、 浅井十兵衛じゃ、火急じゃ両名には捕り物装束にて参る様に申せ良いな、幸恵、支度じゃ」

内与力の参左衛門は「関口殿と浅井殿に捕り物装束で火急、火急と・・・」とぶつぶつと念仏の様に唱えながら奉行の役宅の廊下を駆け出して行った。


「十兵衛、おぬし読売屋・銀八を存じておるな・・・心配致すな、責めも疑りも無い」

奉行が就任してから十月も過ぎるにも関わらず十兵衛と奉行が対面した事が無かった。

十兵衛に取っては何百人も揃った広間の下手の下手からしか見た事の無い人、雲上人であった。

「はい、上役に許しを得た調べを時に知らせております、代わりにと言っては何ですがお手配書の手伝いをして貰っております・・・何か銀八が致しましたか」

「いや、そうでは無い、これから行う捕縛に同道し読売にして貰いたいのじゃ、どうだな」

「はぁ~あ・・・・我ら町方に同道で・・・御座いますか」

「駄目かのぉ~」

「とんでも御座いません、喜びの余り随喜の涙を流す事で御座いましょう」

「おぉ、ではこれから現場へ同道致せ、捕縛の場所はのぉ~近う寄れ、近う、場所は・・・・・・」

「おぉ~何と・・・・では・・・・もしや・・・」

「皆まで言うで無い・・・・その通りじゃ、嫌かな」

「これまたとんでも御座いません。お待ちして居りました。有難き幸せに存知ます」

「喜ぶのは後に致せ、では、後程会おうぞ」

「失礼をば致します」

と言うや喜びの余り飛び跳ねる様に素っ飛んで行った。

「さて次は其方じゃが孫右衛門、今日只今よりその方を筆頭与力・年番方与力と致す、捕り方三十名に火急なる捕縛の支度をさせよ」

「わ、わ、私が年番方に御座いますか・・・・まさか・・・真で・・・御座い・・・」

「嘘でも夢でも無い、火急と申したぞ、出来ぬならば夢に致そうか」

「はは~」

孫右衛門も又喜びの余り飛び跳ねる様に素っ飛んで行った。


ドン、ドンと表戸を叩きながら十兵衛は叫んだ。

「おい、銀八起きろ、起きろ、南町の浅井だ、起きろ、早く起きろ、読売のネタだぞ」

「・・・・え、浅井様・・・・どちらの・・・・」

「銀八、寝ぼけるな、 南町の浅井だ目を覚ませ、 読売のネタだぞ、それも大ネタだぞ」

家の中でドタバタと音がし戸が開き銀八が顔を見せた。

「浅井の旦那、本当ですかい、大ネタってのは」

「あぁ、大ネタも大ネタ・・驚くなよ、いや驚け、おっと大きな声じゃ不味いな」

十兵衛は声を潜め言った。

「大岡様、直々の捕縛に同道じゃ・・・それもなぁ捕縛するのは・・・・・じゃ」

「えぇ~」

と余りの驚きの話に大声を上げてしまった。

「お・お・大ネタなんてもんじゃねぇや、一世一代のネタじゃねぇか、おっと失礼」

「そんなこたぁどうでもいいや、急げ急げ間に合わぬぞ」

「へい、ちょちょっと待ってくんな・・・・・・・・・良し・・・と参りましょう」

「突っ走るぜ、銀八」

「合点だ」

二人は言葉通りに突っ走って行った。


「はぁ~、はぁ~、お・お奉行・・お待たせ致しました」

二人が辿り着いた処は深川不動の塀の子の方角、北側であった。

「我らも今着いたところでな、丁度良い・・・が・・負けたわい」

「はぁ~あ、負け・・とは・・・何に・・誰にで御座いますか」

「うむ、いや何、こちらの事じゃ・・・後で解ろう・・・よ、向こう五軒両隣二軒づつを静かに言い聞かせ無人にせよ、その後捕縛とする、裏口は孫右衛門が十名を連れ指揮を執れ正面右側は十兵衛が左側は一郎太 がおのうの九名を連れ指揮執れ、読売屋・・・・二名の捕り方と銀八は儂と正面じゃ」

「お奉行、その様なお一人で・・・・」

「心配致すな、儂には・・・ほれ、強い助っ人がおる」

皆が大岡が見つめる先を見ると今まで誰も居なかったはずのところに二人の塗笠を被った着流しの武士が立っていた。

「わざわざの捕り物出役忝い(カタジケナイ)」

「何の、礼には及びませぬ、江戸の為、庶民の為に御座いますればな」

「お奉行、時刻に遅れまするぞ」

「おぉ、皆の者・・・参る」

そう言うと右へ西へ向かった。

「卒時ながらお尋ね致します、口入屋の東回屋では無いのですか」

「十兵衛、心配致すな、我等は西口屋に向かう、今暫く我慢致せ、良いな」

「・・・・はぁ~」

「皆の者、良く聞け。今宵の捕縛は西口屋とその配下の者共と町の剣術稽古場の主と町奉行同心じゃ、その方らは無理をしてはいかん、逃げぬ様に遠巻きにし正面へ追い立てろ、さすれば我等の頼もしい助っ人が退治してくれようて・・・・な、良いな皆の者、無理はするな、怪我をするな、命を大切にせよ・・・儂は手柄など要らぬ・・・事が終わったのち、皆の元気な顔が見たい・・・・命を大切にな、無理はするで無い・・・・では皆の者、住民を避難させ持ち場にて待機せよ、掛かれ」

皆は無言で頷き避難の呼びかけに向かう者、持ち場に向かう者、皆はこれまで幾度も捕り物に出役したが下役の身を気遣うお奉行など初めての事と考え、このお奉行は就任して十月余り目立った勤めは無いがこれまでのお奉行と違うのかも知れない・・・・と思った。

今にも五つを向かえる頃、近隣の避難はなり二名の捕り方が道の両側から人が入る事を防いでいた。

南北の両奉行は今夜の捕縛時刻を五つと決めていたが与力・同心が店を出る様なれば捕縛開始ともしていた。

だが門前町は静まり返り見物人も静寂を求められ、それを守り事を見つめていた。

暫くののち張り詰めた空気の中に五つの時鐘の一つ目が鳴り響いた。

余りにも緊張していたものだから観衆の中には驚きに飛び上がった者やびくっとした者が何人もいた。

そんな中、お奉行の大岡が西口屋の正面へ向かって歩き出した、その歩みはゆったりと堂々としていた。

三つ目の鐘が鳴り正面に着き店の方を向き静かに佇み少し上を向きながら時鐘を聴いていた。

四つ目が鳴り五つ目が鳴りその余韻が消えたと感じた頃大岡が大声で訴えた。

「西口屋の者共、よ~く聞けい~、我は南町奉行・大岡越前守忠相であ~る、その方らの日頃よりの数々の悪行目に余るものあり、南町奉行所の名において捕縛致す、大人しく縛に付け~い」

剣術で鍛えた腹からの大音量の声に途中で三下が一人、二人と出て来たが只見つめるだけしかできなかった。

店の奥からどかどかと音が聞こえ大人数が飛び出して来た、その数三十名程であった。

「儂が西口屋の主だ、南町奉行と言ったなぁ~、するってえと、お前さんが昼行灯と噂の大岡だな」

「左様、儂が大岡じゃ、西口屋大人しく縄に付かぬかな・・・・怪我をしても詰まらぬぞ」

「ふざけた野郎だぜ、本当に昼行灯か頭の箍が外れてるぜ、お奉行さんよ~こっちにゃこれだけの人数もいりゃ~剣道所の先生もいるしよぉ、第一北町奉行所の与力様もいるんだがね~」

「おぉ忘れておった、礼を申すぞ、その北町の与力だがな、本日をもって北町奉行・中山出雲守時春殿よりお役御免となっておる、まぁつまりはじゃ今は浪人と言う事じゃな・・・・ま、そう言う訳でな、大人しくお縄にならぬか、そうしろ痛い目を見たくは在るまい、そうせい、そうせい」

「うう~、煩せいやぁおいお前らたたんじまえ~い」

「おお~」

と三下達が威勢の良い掛け声を掛け近付いて来た。

「小兵衛殿、下っ端は若い某にお任せ下さい」

「平四郎殿、願おう」

「畏まりました」

二人の武士の大きい方が詰め寄る配下の者たちを迎える形で前に出ながら帯から黒い扇子を一本取り出しすたすたと歩いて行った。

平四郎は右奥へ向かって進み壁に着くと今度は真っ直ぐ手前に戻り右手前に着くと今度は左奥へと進み壁に着くと左手前へと向きを変え手前に着くと今度は右奥へと斜めに進んで行った。右奥の壁に着き振り返ると立っている者は居なかった、平四郎はお奉行の元に戻りながら当身を控え過ぎて意識がある者を認めると鉄扇で頭を軽く叩き気を失わせ刀を持っていた者はその後右肩を叩き骨を折り剣を振れぬ様にして行った。

「ご苦労じゃったな、平四郎殿」

「後は小兵衛殿にお任せしますかな」

「まだ動き足りまい、道場主は某が相手を致す故、与力の相手をしてはどうじゃな」

「畏まりました・・・・その前にお奉行に今一度説得をして戴きましょうか、いかがお奉行」

「ご苦労に御座った、平四郎殿、お言葉なれば今一度説得をして見ますかな」

余りの力量の差と早業に見物人は言うに及ばず西口屋側の残り三人も啞然として言葉も無く周りは静寂に包まれ大岡ら三人の軽口と銀八の紙を捲る音だけが響いていた。

三人は軽口を叩きながら西口屋側を見ずに銀八を見ていた。

三人は目配せをして頷き合い同じ考えである事を認め合った。

それは「この銀八と言う読売屋、商売とは言え肝が据わっており今後何かと使える・・やも知れぬ」と言う事であった。

大岡は振り向き再度、西口屋に声を掛けた。

「どうじゃな、西口屋・・・・もう良かろう怪我をしても詰らぬお縄に付け。八丈への終生遠島で済もう。向こうでも暴れられよう・・・・・否と申せば向こうでは暴れられぬ身体になるぞ・・・・そうさなぁ・・・・まず刀を持てぬ様に両の肩の骨を砕くそして片足を引きずる様になる・・・・か・・のおう、ご両者いかが」

大岡は小兵衛と平四郎に確かめの言葉を投げた。

「殺すな・・・と言う事ですなぁ・・・承知」

「両の腕と片足とな・・・・うむ~」

「ご隠居、何かお悩みで」

「平四郎、右と左とどちらの足にしようか・・・・と迷うておる」

長閑とも言える会話に西口屋ら三人は顔が唖然としたものから憤怒の形相へと変わって行った。

「言いたい放題言いやがって三下相手にちょっと驚いたが、このお二人はそうは行かねいんだよ・・・良っく聞けよ、こちらの先生はなぁこの江戸でも五本の指に入る程の剣術使いだ、驚いたか・・・それになぁもう一人の町与力様もその次位の腕前なんだよ、残念だったなぁ~えぇ~、驚いたろ、手前らの威勢もこれまでだ」

「ほほぅ~それは驚いた五本の指になぁ・・・・だが一番では無い訳じゃな・・・・ふふふ、儂の横に居る御仁はのぉ~、江戸一番と言われた方でのおぉ~残念なのはそちらの方じゃ相手にならぬわ」

先生と呼ばれた道場主の顔が驚きのものに変わった。

「ま、ま、まさか小兵衛殿と呼ばれておったが・・・・まさか・・・もしや・・・橘小兵衛・・・・そんな・・・」

「ほほう~未だ儂の名を知っておる者がおるとはのぉ~あの頃は儂も若こうてのぉ江戸一と言われ浮かれて居った・・・・今はあの頃よりも少々老いたが倍は強うなっておる故に心して参れ・・・おぉもう一つ言い忘れておった儂は倍以上に強うなったが今は間違い無く江戸一では無い、儂の倅が江戸一番じゃ、儂は倅に子供扱いされる・・・・親が倅に子供扱い・・・・笑えるであろう~」

「戯言(ザレゴト)ばかり言いやがって、先生、昔どれ程強かろうが今は只の年寄り剣客で御座います、何ほどの事が御座いましょう。現に気が殺気がまるで感じられません。」

「西口屋がお主は江戸で儂の次に強いと言ったが間違いじゃ・・・・強者は強者を知る・・と申す、弱者は相手が余りにも強く差が有り過ぎれば強きを感じぬものよ・・・・・お主はそこに倒れておる二、三十人を相手に勝てるか・・・・・一人一人は弱いがお主ではこの人数では勝てまい、それをあ奴は殺気など感じさせず、いや気を発せず倒した・・・・・並の腕前では無い・・・・強い、恐ろしい程に強い・・・が儂も負けぬ、昔とは言え江戸一番と言われた男の技前、己の腕で試して見たい」

前へ進み出て小兵衛を待つ姿勢になった、それを見た与力は同じく前へ出て間を空けて立った。

「おやおや、お奉行申し訳御座らぬ、逆に奮い立たせてしまい申した」

「ご懸念無用、はなから甘んじて縄目に掛かるとは思うてはおりませなんだ」

小兵衛が先生と呼ばれた道場主、平四郎が与力の方へ歩み出した。

「この与力が舞を生け捕りにした奴か・・・・・うむ、強い確かに強い、儂が山修行の前であったなら互格、故にあの道場主には負けておったろう~な」などと平四郎は思いながら歩を進めた。

二人を後ろから見つめる大岡も思っていた。

死ぬかも知れない果し合いを前になんら殺気、いや気さえ発せず身体に力みも無く歩む二人に空恐ろしさを感じ、その小兵衛を子供扱いすると言う倅に恐ろしさ以上に好奇心を抱いた。

向かい合った二組は全く同じ体制であった。

道場主と与力は剣を抜き正眼に構えていたが対する小兵衛、平四郎は剣も抜かず只静かに立っていた。

「抜け、剣を抜け・・・・何故抜かぬ」

「抜くも抜かぬも己の勝手・・・・それを気にする様ではもう既にお主の負けじゃ」

「ぬかせ、死ぬのは、その方じゃ」

言うや刀を胸前に引き付け面撃ちを仕掛けた・・・・届いた、勝った・・・と思った直後、左足と右肩に激痛を感じ目の前にいたはずの相手が消えていた、痛みの中、右・・・左と見回すと左後二間に立ち自分を見下ろしていた・・・・彼は「何故、奴の背が高くなったのだ・・・・あぁ~自分が膝を着いているのだ・・・・・」と気が付き負けた事を悟り意識を失った。

小兵衛が平四郎の立会いを確かめると平四郎も小兵衛と同じ様に相手を左奥二間から見下ろしていた。

小兵衛と平四郎の二人は無数の驚きと好奇の目を無視してゆっくりと奉行の元へ歩き出した。

其の頃には両側と裏口から捕り方が応援に来ており次々と倒れた者達を縄目に掛けて回っていた。

「さて、西口屋の親分や、どうするな、もう誰もおらぬ、親分一人じゃ・・・・では、先程の約定通りに・・・・左腕を・・・・」

「あ~~お奉行様、あ・あ・あっしが悪う御座いました、どうかどうかご勘弁下さーいー」

震えて刀を前に投げ出し土下座をして詫びた。

「どうしたものか・・・うむ・・・それでは儂が嘘付きになってしまうでなぁ~」

その言葉に頭を地面に擦り付けて震え泣きながら詫びた。

「お、お、お奉行様、どうか、どうかご勘弁下さい、骨を折るのだけはご勘弁下さい」

「大岡殿、もうその辺で勘弁して上げなされ」

「小兵衛殿にその様に言われては、この大岡も嘘つきになるしかあるまいのぉ~」

「では、我ら此れにて失礼仕る(ツカマツル)」

「影を願えようか」

「無論、そのつもりで御座る」

「すまぬ、無用の一言で御座った、忝い」

大岡が礼に軽く頭を下げ戻した時には二人の姿は無かった。

「全く龍一郎め・・・一体何人仲間がおるのだ・・・・・それも空恐ろしい使い手ばかりではないか」

などと大岡は溜め息交じりの独り言を吐いた。


門前町の角地では五つ半と夜中にも関わらず人だかりが出来その人だかりにもう一つの人だかりが西から重なった。

南町定町廻り同心・浅井十兵衛は驚いた。

そこには何と南町奉行所・筆頭与力・小屋野 子吉と同心・麻沼重四郎が東回屋の者達と共に捕縛されていたのだ。

それも何と北町奉行所が捕縛し、そして何と何と北町奉行の中山出雲守時春が陣頭指揮を取っていたのである。

この南北奉行所合同捕縛は同心・浅井ならずとも驚きの出来事で人を驚かせる事が商いの読売屋・銀八も金六も驚いた。

深川近隣の者達は、俄かには信じられない事であった、何せこの界隈を牛耳ってきた二人の大物の捕縛であり後ろ盾となっていた町方役人共々の捕縛であったからである。


「出雲守殿、ご苦労に御座った。捕り方に被害は御座らなんだ事を願うが・・・」

「越前守殿、お手数を御掛け申した。捕り方は無事に御座る・・・な~に少々の打ち身程度の事にござるよ、何せ強い強い守り神が付いておりました故にな・・・・・其処元(ソコモト)良きご子息を持たれ・・・いや、良きご子息に育てられた羨ましい限りに御座る」

「それは上々、仔細は後日改めて城中にて・・・ご苦労に御座った」

「では後日、ご苦労に御座った」

出雲守は思った「越前殿は息子を役目に使うており、その事を世間には隠匿して置きたい」と。

二組の捕り物隊が役所へと歩み始めると夜中にも関わらず民衆から声が掛かった。

「よぉ~、日本一」

「中山様~男だよぉ~、大岡様~あたしゃ~惚れたよぉ~」

「残念でしたぁ~大岡様には見目麗しい奥方様が居なさるよぉ~、おかめのお前じゃ~無理、無理」

二人の奉行は心なしか胸を張って役宅へと歩んで行った。


読売屋の金六と銀八に取って始めて尽くしの事であったが二人に取っての正念場はそれからだった。

立ち会った現場は違っていたが門前での科人(トガニン)交換で二人の読売屋はお互いの立場を無言裏に仕上がり日時が勝負と理解していたのである。

二人はほとんど同じ行動を取った。

まずは版木彫りを叩き起こしたのである。

「俺だ、金六だ、朝までに刷り上げなきゃならねぃ~大仕事だ、俺ぁここでネタを仕上げるから大急ぎで仕上げてくんな、仕上がったら俺が刷り屋に持って行くからよぉ~、仕上がったら起こしてくんな、良いかいネタに驚いて読みふけるんじゃねぇぜ、良いな、じゃ~これからネタを書くから目を覚まして道具の支度をしておきな」

金六は版木士の机に向かって走り書きの文書を読み思い出しながら原稿を仕上げて行った。

銀八はと言えば同様に版木士の処へ拠ったが一人では無く二人の処を回りその二人を自分の仕事場へ道具を持って連れて行った。

銀八は一人で走りながらネタをまとめ、二人になって走っている時もネタをまとめ三人になってもネタをまとめていて、自分の家の作業場に着いた時には頭の中に原稿が出来ていた、そしてそれを早速書き出し書き終わるとその原稿を二枚に切り二人に渡し彫りを頼んだ。

「じゃ頼んだよ、驚きや面白さで彫りの手を止めないでくれよ、頼んますよ、申し訳無いが仕上がるまで寝かして貰うよ、長い一日になろうから今の内にちょっと寝かして貰うよ、仕上がったら起こして下さいな、宜しゅうな」

この二人の策の講じ方の差が結果に現れた。

銀八が金六に半刻(一時間)先んじて江戸の町辻で読売を売る事が出来たのである。

七つ半(五時)には銀八を先頭に五人の配下が町々に散り読売を売りに売った、配下たちが何度も何度も「まだ売れる」「まだ売れる」と銀八に詰め寄り何度も何度も刷り直しを繰り返し売りに売りまくったのである。

金六も出遅れたとは言え同様で何度も何度も刷り直しを繰り返し売りに売りまくった。


銀八の読売を読み終わった清吉が言った。

「南町奉行への同行はご隠居と平四郎さんかい、北町が龍一郎様と誠一郎様だろう~、くそう~、俺っちも行きたかったねぇ~ええぇお駒よぉ~お前もそう思うだろ、三郎太はどうだい」

「あれま~、じゃ居なかったのはお前さんだけだねぇ~」

「何~、お駒・・・お前行ったのか、三郎太も行ったのか」

「だってぇ~~・・・龍一郎様は来るなとは言って無かったからさぁ、ならどっちでも良いと思ってね、あたしゃ舞と平太と行ったのさ、まぁその後を三郎太さんが影警護してくれていたんだけどね」

お駒はあっけらかんと行って当たり前とばかりにのたもうた。

このお駒の言葉に清吉は口をあんぐりと開けるだけで二の句が出せず、気付かなかった己を呪った。

そんな複雑な清吉の気持ちを無視する様に三郎太がお駒に問うた。

「あっしの気配が判りやしたか~本当に~」

「おぉ今日は鉄火だねぇ~、まぉそう改まって問われりぁ~うむ~素直に・・うん・・・とは言えないねぇ・・・三郎太なら必ず行くはずだし、まぁそん時ゃ~平太をきっと連れて行く・・・・その平太が居る・・・と言う事は・・まだ行っていない・・・なら三人が出て行けば必ず来るはずだ・・・・との読みもあったからねぇ~、だから読みなのか、それとも気配を感じたのかは・・・・うむ・・・正直・・あたしにも判らない・・・ね」

「姉さん・・お頭(オツム)が良いねぇ・・・・女将さん、良い読みです、驚きました」

「三郎太に誉められるなんてねぇ~私も捨てたもんじゃないねぇ」

「そんな事ぁどうでも良いんだよ、ちくしょう全くなんで俺だけが龍一郎様も龍一郎様だ、俺も呼んでくれたって良いじゃねえか、ええ~そうだろう、違うかい」

「其れこそそんな事を私に言ったってねぇ~私ら行って見てるからねぇ~」

「あ~あぁ、畜生、畜生、畜生~」

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