第192話 お雪の祖母

それから二日後、道場の長屋に老婆が住む様になった。


辰三の子分の三つの組が道場の正門と裏口を見張っていた。

残りの組の一つはお雪の在所が何処かを調べていた。

残りの二組は辰三の住まいの警護していた。


道場の監視の三組は道場近くの長屋に二部屋借りて交代で見張っていた。

だが道場に出入りする者たちは彼らの苦手とする奉行所の与力・同心ばかりで顔を見られぬ様にする事が精一杯だった。

中には見知った同心も居て彼らに取ってはやり難い仕事であった。


お雪の在所はなかなか知れなかった。

辰巳屋の近辺でお雪と同年配の者たちに強面の男たちが聞き込みをしているのだ、怪しまれて当然だった。

三日目になると十手持ちがうろつき出し聞き込みが出来なくなってしまった。

この組の頭に選ばれた男は辰三親分に報告も出来ず、とうとう荒手に出てしまった。

それは辰巳屋の番頭を攫う事であった。

大抵の荷物は小僧が受け取り人か店に知らせに行き受け取り人が店に受け取りに来る。

江戸の時代には他人を騙り受け取るなどほとんど無い事であった。

第一、受け取るものが値打ち物かどうかが解らないので割に合わない事でもあった。

大店やお得意様への届け物は手代が運んで行った。

大名への届け物は主の鳩衛門か番頭の務めと辰巳屋では決めていた。

その日、番頭は大身旗本への届け物を持ってお店を出て行き戻ってこなかった。

次の日に近くの十手持ちに届け出が出された。

その結果、番頭は旗本屋敷に届けた後に行方が解らなくなっていた。

翌日には亭主が戻らないと心配になった女房がお店にやって来て事が大事になっていた。

番頭は通いで大店の辰巳屋の番頭らしく一軒家に住み女房と子も二人いた。

十手持ちが手先を使い探し回ったが見つからなかった、だが、番頭らしき男を三人の男たちが籠に乗せていたとの聞き込みを得てはいた。

十手持ちは手先を駕籠屋探しに絞って探す手筈を整えた刻に辰巳屋から知らせが入った。

「親分さん、番頭さんが家に帰られました、軽い怪我をしております、只今、医師を向かわせております、大変ご迷惑をお掛けしました、と主が申しております、落ち着きましたらご挨拶にお伺いするとも申しております」

「いや~、手代さん、良かった、良かった、無事で何よりだ、だが、わっしも仕事だ、事情を聴きに番頭さんの処へは行かせて貰います、とお伝え下さいよ」

「畏まりました、失礼致します」

「良し、皆、ご苦労だったな、無事で何よりだったじゃね~か、無駄な仕事だったなんぞと思うんじゃないぜ」

「へい」

「はい」

「今回の手当ては何時もの様にな、二、三日待ってくれ、大店の頼み事だ、期待して良いぜ」

「へい」

「へい」

「じゃ」

「おう、ご苦労だったな」

十手持ちは報告と番頭への聞き込みを兼ねて辰巳屋を訪ねるつもりで、当然その刻に辰巳屋の主から何がしかの手当、金子が渡されると目算していた。

その刻に、かどわかしならば犯人を探し出すかの判断も貰うつもりだった。


その翌日に道場に辰巳屋から文が届いた。

普段であれば辰巳屋の小僧が文を持って来るのだが、その日は飛脚屋が運んで来た。

主の鳩衛門が新たなかどわかしを恐れその指示をだしていた。

文を受け取ったのは新たな住人となった老婆だった。

受け取った老婆にはまさか文の内容が自分に関係するとは思いも寄らない事だった。

文は老婆からお久に渡され、辰巳屋からと解るとお久からお佐紀に渡された。

封を開いて文を呼んだお佐紀とお久は道場へ文を持ち込み小兵衛と龍一郎に見せた。

辰巳屋からの文には番頭が何者かに攫われお雪の在所を言わされた、と書かれていた。

文を呼んだ二人が頷き小兵衛が小声で呟いた。

「懲りぬ奴よのぉ~」

「清吉殿とお駒殿たちに任せましょう」

「龍一郎殿は抜かりは御座いませぬなぁ~」

お久が歓心した声を漏らしお佐紀と共に文を持って道場から母屋へ戻って行った。


辰三たちが皆で仕返しの方法を話合っていた刻、その日道場に居なかった誠一郎と舞の二人が天井裏に潜み聞いていたのである。

二人は三郎太の組か平四郎の組のどちらかがいるものと来てみたが誰も居ず、事の全てが掴め探索が終わったと判断したが折角だからと暫く様子を見る事にしたのだった。

そんなおりに辰三が手下を集め仕返しの方法を練り始めたのである。

当初、平四郎から探索の手伝いを依頼された刻には誠一郎は奉行所の捕縛に参加しなければならず依頼を受けられなかった、誠一郎が受けられなければ相方の舞も受けられない、これが決まりだった。

そして誠一郎の手が空いたので交代にと二人でやって来たのだが、その遅れが幸いしたのか辰三の悪あがきを聞く事が出来たのである。


辰三たちの話合いが終わり、代貸の組み分けも終わり見張りを残して寝静まった頃、誠一郎と舞は道場への帰路に着いた。

二人は夜半過ぎにも関わらず、龍一郎の寝間の廊下に立った。

部屋の中から龍一郎の声が小さく聞こえた。

「囲炉裏端で聞こう、先に行っていてくれ」

二人は何も答えず、囲炉裏端へと向かい囲炉裏の火を大きくした。

「ご苦労だったな、聞こう」

「はい、交代にと辰三の処に参りましたが、遅きに失した様で御座いました・・・」

誠一郎がそこで聞いた辰三たちの四つの企みを知らせた。

「お雪の在所をのぉ~、辰三め、小娘一人に固着するは、余ほど女子二人にあしらわれた事が気に入らぬのであろう・・・辰三を捕縛するも、懲らしめるも、始末するも簡単な事じゃが・・・未だ辰三の背後にいる人物が解らぬ、阿芙蓉の卸元が解ってはおらぬ、それが解るまでは手出しは出来ぬ・・・」

「我らの誰かが五人、六人に襲われても大丈夫でしょうが、在所が知れるは必定、道場に出入りする誰かが攫われるも必定で御座います、いかが致しましょう」

「・・・」

「・・・」

「良し、この手にするか・・・舞、其方と其方の父、母に働いて貰おう、三郎太殿の組は其方らの援護、平四郎殿の組は清吉殿らの援護をして貰う、策はこうじゃ・・・」

それから四半時、誠一郎と舞は道場を去り、七日市藩へ寄り、清吉とお駒が営む船宿へ行き、そこに泊った。

翌日の早朝、船宿を平太、舞、清吉、お駒、三郎太、お峰の六人が人知れず旅立った。

その翌日、道場に老婆が現れ住む様になった。


辰巳屋の番頭を攫いお雪の在所を聞き出した辰三の手下たちは成田街道を歩いていた。

「兄貴、そろそろ休みにしようぜ」

「馬鹿野郎、まだ歩き始めたばかりじゃね~か、第一、おめいの方が若いだろうが」

「兄貴は田舎生まれでよ~、足腰が強いけどよ~、俺は江戸生まれでよ~歩くのは駄目なんだ」

「あぁ確かに俺は田舎者だ、だがよ、てめいも江戸の外れの押上村じゃねーか、江戸と言えるかよ~」

「こいつは外れの押上だけどよ、おりゃ~深川よ、だけどよ~歩くのは平気だぜ」

「ほら見ろ、生まれは関係ねぇ~んだよ」

「だけどよ~、兄貴~疲れてよたよた歩くよりさ~、疲れたら休み疲れたら休みの方が早く着くと思うけどな~」

「全く、てめいって奴は、口の減らねぇ~野郎だぜ、解ったよ、次の茶屋で一休みするか」

「ありがてい、兄貴~、店はまだかね~」

そんなやり取りを何度も繰り返して目的地の佐倉に夜遅くに着いた。

「こんなに暗くっちゃどの家か解らりゃしねいなぁ~」

「こんなに遅くちゃ宿屋も泊めてくれませんぜ、兄貴」

「しょうがあるめい、お堂か寺の床下が今夜の宿だな」

「ちぇ、佐倉くんだりまで歩かされるわ、野宿するわじゃ他の組の方が良かったぜ」

「てめい、俺の組が嫌だって言うのか~」

「兄貴、そうじゃねぇ~よ、兄貴と一緒なのは嬉しい、嬉しいけどよ、兄貴が他の組の頭なら良かったって話ですって」

「しょうがあるめい、代貸が決めた事だ」

皆で月明かりしか無い暗闇の中をとぼとぼと歩き見つけた寺の山門を潜りお堂の中で一晩を過ごした。

翌朝、明るくなるとお百姓が畑仕事に行く前に農家を訪ねて朝ご飯を作って貰いついでにお雪の家を聞いてみた。

訪ねた当初は刀を差した渡世人の大人数を怖がっていたが組頭の配下の者たちへの厳しい躾に好感を持ち始めたのかお百姓の夫婦も気さくに話す様になって行った。

「お雪ちゃんかね、お雪ちゃんも可哀そうな子だよ~、江戸に無理やり奉公に出されただよね~、今頃、どうしているだかね~」

「元気にしてまさ~、それでね、今度ね~婆さん一人じゃ危ないから江戸でお雪と一緒に住んでもらおうてんでお店のわっしらが迎えに来たんですよ」

「そうかね~、そりゃ~良い話だな~、息子が博打で借金してな~首くくってよ~お雪ちゃんが奉公さ行っちまったげな、婆さん一人じゃな~雪ちゃんも心配だったろうな~江戸で一緒にな~良いべ、良いべ~」

「そんでな~そんお雪ちゃんの家だが何処かな~」

「良し、後で教えてやるから、今は飯を食え、食え」

最初に朝飯の銭を渡してあったのが利いた様で珍しく善人扱いされて皆は大いに戸惑っていた。


朝飯を御馳走になりお雪の家に向かってあるいている刻に下っ端が組頭に言った。

「頭、代貸の人選びは確かだぜ、あの百姓はすっかり兄貴に言い包められちまったもんな~」

「あぁ、そうだぜ、俺らが良い人みたいでよ、何だか面食らっちまったぜ」

「手ぶらで帰ってみろ、親分に何されるか解ったもんじゃねぇからよ、必死だっただけの事だ」

「そうかね~、案外、兄貴は善人なんじゃね~のかい」

「馬鹿野郎、良い加減にしやがれ~」

「兄貴、あの家じゃね~ですかい」

畑と田んぼに囲まれた一軒家を指さし手先が言った。

皆でその家に向かい一人が声を掛けて中に入った。

「御免よ~」

「はいよ~、何だべ~」

「おめいさんの孫のお雪の使いの者だ」

「雪の使い~、雪に何かあっただか~」

「大丈夫だよ、元気にしてるぜ、それよかよ~、お雪の主がよ、良い人でな~、お雪が婆さん一人じゃ心配だと言うとよ~、江戸で一緒に暮らしなって言ってよ、儂らを迎えに寄こしたのよ」

「おらが江戸さ行くだか・・・んでもよ畑も田んぼもあるでな~」

「婆さん一人で耕す事も出来め~が、荒れ放題じゃね~か」

「・・・」

「江戸でよ~お雪と一緒に住なよ、婆さん」

「・・・」

「楽が出来るぜ、婆さんよ~」

「・・・」

「家も住める様にしてあるからよ~何も要らないんだ、手ぶらで良いぜ」

「・・・」

「今からなら婆さんの足でも今日中にお雪の顔が見れるぜ」

「雪に会えるだか・・・行くべかな~」

「そうしな、そうしな」

「ちいっと待ってくんろ」

婆さんはそう言うと風呂敷を出し着る物を詰めた。

「婆さん、荷物は俺が持ってやるぜ」

下っ端が荷物を持って外に出た。

婆さんが後に続いて外に出ると大勢の渡世人風の男たちが待っていて婆さんが驚いた。

「婆さん、安心したよ、こいつらは仲間だ、道中危ねえからよ~大勢なら安心だろが」

「魂消ただよ、あにさんの仲間だか」

「さぁ~、行こう、行こう」

渡世人の集団に囲まれる様に婆さんが歩き出した。

婆さんは思ったよりも健脚で先頭を歩く下っ端に遅れる事も無く付いて行った。

下っ端が休むと言うと大丈夫だと言い歩き続けた。

昼餉を食べに道中で一度休んだだけで江戸の外れの長さ六十六間(120m)、幅四間(7m)の千住大橋に薄暗闇の中、到着した。

「しかし、婆さんは健脚じゃ、婆さんとは思えね~、若い娘よりも元気だぜ」

「ほうかのぉ~、儂ももう歳だで、雪に会いたいだけでがんばったが疲れただよ」

婆さんはそう言うとめっきり足並みが遅くなってしまった。

大通りを北から南へ大勢の渡世人に囲まれてよたよたと歩く婆さんの姿は行き交う人々のに好奇の目で見られた。

「おい、これじゃ何時まで経っても着かね~ぜ、おめい、担げ」

「兄貴、勘弁してくんな、こんな婆さん、御免だぜ」

「周りを見なよ、誰も居ね~じゃね~か、恥ずかしか無いぜ」

回りを見ると丁度人通りが途絶えていた・・・と思ったら、大勢の人に囲まれていた。

異様な雰囲気に組頭が刀を抜こうとすると他の下っ端も同様に刀を抜こうとした。

だが、その前に全員、意識を失い囲んだ人達に担がれて消えてしまった。

一瞬の出来事で次の瞬間には人通りが戻っていた。

当然、佐倉から来た老婆も消えていた。

老婆を騙し佐倉から連れ出した辰三の子分たちが意識を失って目覚めた刻には何故か牢屋の中だった。

そこは小伝馬町の牢屋で南北の奉行所での刑が決まる前の者たちが収監されていた。

目覚めた男たちは大声で叫びやって来た牢番に「出せ、出せ」「何もやっちゃいねぇ~」などと訴えたが聞き入れられるはずも無かった。

辰三の子分たちを捕らえ牢屋に入れたのは龍一郎たちであった。

尾行していたのは三郎太とお有と清吉で江戸に入った処で三郎太が道場へ走り援軍を呼び小伝馬町の近くで人通りが途絶えた瞬間を見計らい襲撃したのである。

加わっていたのは三郎太、お有、清吉、平四郎、お峰、龍一郎に佐紀、そして老婆に化けたお駒であった。

彼らは手下たちを当身で眠らせると一人が一人を軽々と肩に担ぎ走り出した。


本物のお雪の祖母は二日前から道場に住む様になっていてお駒が入れ替わっていたのである。

当然、警護として亭主の清吉が付いており、三郎太とお有も警護していた。

道場は大勢の辰三の手下たちに見張られていたが龍一郎の仲間たちには気付かれずに道場の出入りをするのは簡単な事だった。

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