第243話 行徳の始末

その日、道場には師範代として三郎太、師範に龍一郎がいた。

そして最近は大試合での佐紀と久の影響で女子の入門者も増え、その日はお有が師範代を務めていた。

母屋と道場を繋ぐ通路から佐紀が現れ龍一郎と眼が合った。

「これまで~」

龍一郎が練習相手に告げ挨拶を交すと佐紀の後を追い龍一郎が奥へと消えた。

二人の座敷に入ると佐紀が言った。

「甚八様からお知らせしたき事があるそうで御座います、何やら大事な事が解った様に感じました」

「解った、直ぐに甚八殿と処へ参る、後は宜しゅうにな」

「はい、旦那様」

龍一郎が床の間の柱の細工を弄ると掛け軸の下の床の間の床が横にずれて地下への口を開いた。

龍一郎が穴の中に姿を消した直後に床の間の床が元に戻った。

実の処、龍一郎と佐紀には地下通路など必要では無いのであるが二人の素早い動きを見破る者がいるかもとの懸念で利用していた。

龍一郎には思い当たる人物が少なくとも一人いる故での猶更の用心だった。

何時もの様に龍一郎が呼子を鳴らし現れると甚八が平伏して待っていた。

「突然の呼び出しにも関わらず早々の起こし申し訳も御座いませぬ」

「佐紀が何やら大事な知らせの様でと申してな」

「流石に奥方様の眼は鋭う御座います」

「後ろにおる者どもが解ったのかな」

「これも又鋭い、はい、何よりもの驚きは銚子と行徳の根っこが同じであった事で御座います」

「何とのぉ~、千代田におったか」

「それが又驚きの大奥で御座いました」

「何、まさかお須磨の方ではあるまいな」

「そのお方で御座いました・・・」

甚八は配下の者が聞き込んで来た調べを龍一郎に全て話した。

「証の書付は手にしたのかな」

「はい、全てでは不信を凭れます故に関わる者どもの名を記した書付を抜き出して手に入れて御座います」

「うむ、良き手配りじゃ、今、手に出来るならば明晩にも上様にお会い致そう」

「今宵では御座いませぬので」

「いろいろと手配りをせねば成らぬでな、舞台支度もあると言う事よ」

「舞台支度で御座いますか、何やら面白ろそうに御座いますな、某の出番は御座いませぬで」

「何、其方も参じたいと申すか」

「今宵は行徳の悪人共を退治に行くが、こちらは面白くも無い、詰まらぬ仕事じゃぞ」

「つまらぬと申しますと・・・」

「悪事を働いた人足と渡世人と浪人を明日まで月番の北町奉行所の前に悪さの証と共に捨て置くだけの事よ、総勢十二、三人かのぉ~、大八車を使うか肩に担ぐかは員数次第じゃ、但し行徳屋の手代は道場の地下蔵に入れるつもりじゃ」

「皆さまは男一人を肩に担いで行徳から北町奉行所まで走りますのでしょうか」

「先日は銚子から肩に担いで運んだ来た、平太も大男でも運ぶ、舞もじゃ、三郎太は両の肩に二人を乗せて来るがなぁ~」

「龍一郎様のお仲間は天狗様か仙人ですなぁ~」

「良く言えばそうなるが悪く言うならば化け物じゃろうて」

「正直、里の者の中には天狗様、仙人様と呼ぶ者も居りますが化け物と呼ぶ者もおります」

「儂の仲間と言うたが其方も仲間ぞ、その内に気付いた刻には其方も天狗、仙人になっておるわ」

「成りとう御座います」

「うむ、今宵の行徳に参るならば、お城の警護に支障が無ければ其方の他に五名の参加を認めよう、今宵、五つに道場に参れ、待つ事は無い、遅れるで無い」

龍一郎は言うと証の書付を抱えて床の間の隠し戸から消えた。

「儂も此れからの鍛錬であの様に成れるものかのぉ~、いや、儂よりも歳寄りの小兵衛殿もおられるのだ益々の精進じゃ・・・誰ぞ、誰ぞ居らぬか」

配下の者を呼んだ。

無論、今宵の行徳行きの人員選びであった。


今宵の夕餉には全員呼集かぜ掛けられていた。

無論、橘屋敷、料亭・揚羽亭、船宿・駒清には見張り番として一人が残った。

夕餉に集まったのは、小兵衛、お久、龍一郎、お佐紀、三郎太、お有、誠一郎、舞、平太、お雪、清吉、お駒であった。

夕餉も終りその後の茶の刻も過ぎ皆が近況を語りあっている刻、予定の刻限よりも四半刻も前に道場で五人の気配が現れた。

「少々早い様じゃが参ろうか」

皆が立ち上がり道場へゆっくりと歩み出した。

龍一郎が見所に腰掛け話だした。

「今宵は行徳の退治に参る、待たせたのぉ、人足、渡世人、浪人たちは証と共に月番の北町奉行所の門前に放り出して置く。行徳屋の手代は道場地下の牢に捕らえる、役人にはまだ手は出さぬ」

「その後の龍一郎様の御心持ちをお聞かせ願えませぬか」

「良かろう、行徳の役人に手を出せば行徳屋が警戒致す、行徳屋が警戒致さば後ろにおる者も警戒する、松前屋、松前藩とて同じ事じゃ、まずは松前藩・留守居役と用心棒を始末する事が始まりとなる、四郎兵衛様からの知らせ待ちじゃ、二人は儂が面体を隠し衆人の前で始末をする所存じゃ」

「龍一郎様、御身が始末致しますか」

「其方らの中に人を殺めた事がある者がおれば解るはずじゃ、この経験のある無しでは心持ちが大きく変わる、儂は出来れば皆にはその経験はして欲しくは無い、じゃが心して置け、その刻が来たならば迷い逡巡は捨てよ、其方自身と仲間の命が掛かっておる、この事を忘れるで無い」

「はぁ」

全員が心に留める様に決意の返答を返した。

「二人の始末を終えて後に行徳屋と松前屋の捕縛を致し月番、明日より南となる故、南町奉行所の門前に証と共に捨て置く。黒幕の大奥ま御仁と女中、台所頭は儂が上様に処断を願う・・・どうかな、異論、漏れはあるかな」

皆が静かに佇み考えている様子を見せていたが返答は無かった。

「旦那様、四郎兵衛様からの知らせが余りにも遅い刻が気掛かりで御座います」

「うむ、儂もそれだけが気掛かりでのぉ~、そのおりは太夫からの誘い文を願おうかと思うておる」

「お前様は何から何まで策に抜かりはありませぬなぁ~」

佐紀と龍一郎の話を聞いている皆が歓心した様に小さく何度も頷いていた。

「出立じゃ」

道場の隅で控えていた婆と道場の守りの小兵衛、お久を残して皆が姿を消した。


行徳までの道程は甚八たち五人に走りを合わせた為に思いの外、刻を要した。

小屋の周りに着き茂みの影に一旦皆で固まると龍一郎と佐紀が消えた。

暫くすると小屋の扉が開き中から明かりが漏れた。

すると皆が小屋に駆け出し甚八たちも遅れぬ様にと後を追った。

中には意識を失ったと思しき者たちが十人以上も居た。

皆は慣れた手付きで全員の気を失った者たちの手と足を縄で縛ると猿轡を掛けた。

龍一郎達が肩に一人づつ担ぎ上げた、何時もの様に三郎太と佐紀と龍一郎は両の肩に一人づつであった。

「りゅう・・・お頭様、我らにもその任をお願い申します」

龍一郎が指で指示し龍一郎が一人、佐紀が一人、三郎太も一人下ろし、舞とお有も下ろし空肩になった。

龍一郎が肩に一人の大男を乗せたままに素早く走り出し、後に皆が続いた。

甚八たちが遅れ出し、暫くすると立ち止まり肩から荷物の人を下ろし座り込み息も絶え絶えになった。

下ろされた人を龍一郎、佐紀、三郎太、平太、舞が肩に担ぐと走り出した、先程までとは比べ様も無い程の速さで走り去った。

去り際に龍一郎が言った。

「誰にも見つからぬ処で息を整え戻るが良い」

甚八たちは返事も出来ずに物陰に隠れると息を整え始めた。

「化け物だ、仙人だ、天狗様だ」

「子供もだぞ、其れも小娘だぞ」

「あれ程になるには、どれ程の過酷な鍛錬をして来たのであろうか」

「その事だ、儂はこれ程無いと思う程に鍛錬して来たつもりであったがまだまだ甘いと言う事だのぉ~」


甚八たちが道場へ戻ると真っ暗で囲炉裏の方から声が聞こえた。

囲炉裏部屋を覗くと龍一郎を始め皆が食事を終えた様で茶を飲んでいた。

「おぉ~、戻られたか、風呂が沸いておる、まずは汗を流して食し為されよ」

「・・・はぃ」

五人はふらふらと風呂場に行き風呂に浸かり少し平静に戻った気がしていた。

「皆様は風呂にも入られ食事も終り茶を飲んで居られた」

「うむ、罪人たちも奉行所に打ち捨てて来たのでしょう」

「全て終わって御座る」

「何とも・・・敵で無くてつくづく良かったと思います」

「儂は何が有ろうと決して、殺すと言われても龍一郎様には逆らわぬと今誓う」

「儂もじゃ」

「そうか、其方らもやっとか」

「えぇ~、統領」

「儂は心に誓って何年になるかのぉ~」

「・・・」

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