第150話 第五回戦-その三
龍一郎の番が回って来た。
対戦相手は鹿島新当流-池端勝之進。
呼び出しに応じ二人は位置に着き対峙した。
二人が選んだのは竹刀だった。
審判の「はじめ」の掛け声に池端は中段に構えた・・・だが相手の龍一郎の竹刀は右手一本で右に垂らしたままだった。
池端は龍一郎が構えるのを待ったが一向に構えないので審判を確認する様に見た。
審判も訝しがり声を発した。
「橘氏、構えられよ」
「構えてござる」
龍一郎の返事だった。
池端の顔付きが変わった、厳しさを増した。
見物客が騒めき出した。
「幾ら強くともありゃ~無理だべ」
「油断させるつもりじゃなかか」
一頻りざわついた後に静寂が訪れた。
その時何処からともなく「ざぁざぁ」「ぶーん、ぶーん」と言う音が響き出し徐々に大きくなって行った。
「ありゃ、儂の目が可笑しゅうなったか、構えちょらん侍が二人に見えるど」
「儂にも二人に見える」
観客がまた騒めき出した。
だが一番驚いていたのは対戦相手の池端だった。
「ざぁざぁ」「ぶーん」の音と共に龍一郎の姿がぼやけ出し音が大きくなるに連れて龍一郎が二人になり、その姿がぼけたものからしっかりとした実体へと変わって行ったのだ。
池端は己の目を疑い首を振って目を凝らした・・・だが二人になった龍一郎は二人のままだった。
その時、観客から「おぉ~」と声が上がり池端の左肩を「ポンポン」と何かが叩いた。
静寂の中、ゆっくりと首を回した池端は己の肩に乗る竹刀の先を見つめその先に微かな微笑みを湛えた龍一郎を認め目を見開いて腰から崩れ落ちてしまった。
震撼とした静寂の中、静かな歩みで龍一郎は開始位置に着いた。
暫くの後「審判~」との声がどこからか飛び我に返った審判が言った。
「勝負あり、師匠・・・もとい橘殿の勝ち~」
この審判は南町奉行所の与力で橘道場に通う門弟だった。
静寂から一転し観客から拍手と歓声がどっと起こり、その中を茫然自失の池端が係りの者達に両の腕を抱えられて運ばれて行った。
「あん侍が二人になったげな」
「おぉ儂にも二人に見えたぞ」
などと龍一郎が二人になった事が信じられず皆が確認し合っていた。
それは高所にいる人達も同じだった。
「俊方、儂にはあの者が二人に見えた、見間違いか」
「上様、私にも二人に見えました」
「あ奴は双子か・・・どうなっておる」
「申し訳ございませぬ、私にも判りませぬ」
「では、其方が対戦しても負けると言う事か」
「・・・さぁ~それは・・・」
「何か策がある・・・と言う事か・・・俊方」
「無くも有りませぬ、上様」
「うむ~・・・其方との立ち合いも見たいものじゃ・・・のぉ~俊方」
柳生俊方は近い将来に龍一郎と試合う事を予感していた。
その後の試合で柳生新陰流 -鰐淵俊三郎、柳生新陰流 -井上歳三(尾張柳生) 、中条流-富田勇之進、薩摩示現流-南郷淳一郎らが勝ち残った。
女子の部でお久と佐紀、少年の部で誠一郎、舞も勝ち残っていた。
「隠居、勝ち残っているのは橘道場の者ばかりでねえか、強いなぁ~」
「そうじゃな~、橘の者は誰も負けとらん、まぁ~儂は予想しとったがの」
「なんでだ」
「儂は江戸中の道場を回ったが橘道場は一味も二味も違うでな」
「そんなに厳しいのか」
「うんにゃ、鍛錬の仕方、場所が違う・・・心の鍛錬に重きを置い取ったな」
「心の鍛錬、そりゃなんだな、隠居」
「どんな時にも慌てず騒がず平静を保つ事・・・じゃよ」
「ふう~ん、それで剣の試合に役に立つのかね~」
「現に勝っているじゃろうが」
「ま~言う通りだ」
などと剣術好きな隠居の解説があった・・・そんな話は御座所も同じだった。
「俊方、橘の者は強いの~」
将軍・吉宗が将軍家・剣術指南役・柳生家当主・俊方に声を掛けた。
「ははぁ~、仰せの通りに御座います」
「男も女も童までも強い・・・何故じゃ」
「はい、心持ちの違いかと存じまする」
「心持ち・・・どういう事か」
「試合に際して気を高ぶらせず乱さず・・・いえ、あの者たちは気を発してさえもいない様に思われます、この場所からでは遠い故に定かでは御座いませぬ・・・が」
「気を出しておらぬ・・・か、まるで忍びじゃな、其方もか」
「さて、己では解りかねます、上様」
「やはり、ぜひにも見たいものじゃ、其方との試合をな」
「・・・」
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