第187話 二振りの太刀

辰三が辰巳屋に顔を出すのは夕暮れと聞いていたのでお佐紀とお久は昼餉を食してのち出かけて行った。

龍之介の子守は舞とお雪の二人である。

前の日とその日の朝も平四郎、三郎太の組が知らせに来たが新たな知らせは無かった。


お久は当然、武家の妻女の着物と髪型で道を歩いていたが、その後ろを着流しに塗笠の武士が用心棒の様に歩く若者が居た。

「良くも龍一郎殿が其方に太刀を貸しましたな、佐紀」

「はい、私も驚きました、母上は試合の後に皆でこの太刀を観た時の事を覚えておいでですか」

「勿論ですよ」


大盛況であった祝勝会も五つ半には絞めを行なわれ皆が引き揚げ内弟子たちが道場の片付けを行い長屋へと引き上げ眠りに着いた。

五つ半の絞めの後、当初からの龍一郎の直弟子たちが母屋に集まっていた。

「龍一郎、其方に改めて礼を言う、一時は死の床に居った儂を上様のおわす試合に出るまでに回復させてくれた、礼を申す」

小兵衛が改めて龍一郎に礼を述べた。

「私も貴方に会わなければ悪たれどもと今頃何をしていた事か、その私が天覧試合に出て少年の部で勝者になる事が出来ました、お礼を申します」

小兵衛に続いて誠一郎が礼を述べた。

「私も龍一郎様に会わなければ抜け忍として始末されていた事でしょう」

三郎太が続いた。

「待て、待て、龍一郎に礼を述べてばかりでは切りが無い・・・言わずとも皆が知っておる、儂は口火を切っただけでな、本当の処は龍一郎に太刀を見せてほしいと言う事じゃ・・・龍一郎、どうじゃ上様が其方の太刀は銘品中の銘品と言うた・・・見せてはくれまいか」

「上様がその様な事を申されましたか」

「うむ、そうか平四郎は上様に会うてはおらぬか、上様がのぉ、勝者に用意してあった太刀はな銘品だが龍一郎には不要と申され儂が貰うたのじゃ」

「龍一郎様の太刀も観とう御座いますが、小兵衛殿が上様に頂戴した太刀も観とう御座います」

「龍一郎様、爺じ、二人共見せてくれるよね」

「何、舞も見たいてか」

「お前様、上様が選ばれた太刀、上様が銘品と申した太刀、どちらも見たいものです」

「お久殿も見たいてか・・・良し、まずは儂の太刀を見てみよう」

小兵衛は立ち上がり神棚の下の刀掛けに置かれた太刀を拝礼して手に取り席に戻った。

座った小兵衛は再度の拝礼をして懐紙を口に挟み鯉口を切った。

小兵衛は次に太刀を縦に持ち替え静かに鞘を上に抜いた。

静かに太刀を下から上に眺めた小兵衛の眼が大きく見開かれ息を止め鞘を太刀に戻した。

「どうされました、お前様」

「粟田口の様ですね、父上」

お久が小兵衛の挙動を訝しがり尋ね、その訳を龍一郎が述べた。

「粟田口ですと・・・その様な・・・銘刀が・・・間違い無いですか、小兵衛殿」

仲間の中でも刀に詳しい小兵衛、龍一郎、平四郎の三人だけに解る会話であった。

「この特徴的な波紋・・・龍一郎の申す通り粟田口に違いあるまい」

「まさか天下五剣の鬼丸ではありますまいな」

平四郎が少し慌て気味に尋ねた。

「平四郎様、天下五剣てなあに」

舞が無邪気に尋ねた。

「天下には、この世には銘刀の中でも格段に優れた銘刀が五刃あるのじゃ、その一、平安の名工・安綱(やすつな)殿の作・童子切、その二、同じく平安の三条宗近殿が作られた三日月、その三、室町の世に典太光世(てんたみつよ)により作られし大典太、その四、数珠丸の名が付けられた平安の世に青江恒次(あおえつねつぐ)により作られし銘刀、その五、鎌倉の世に京の粟田口派の刀工・国綱の作とされる鬼丸・・・であったかと・・・」

「ようも存じておるものよ」

小兵衛が平四郎を誉めた。

「鬼丸って何、刀の名前なの」

舞が誰にとも無く尋ねた。

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「私が応えよう」

「何、龍一郎は知っておるか」

「事実かどうかは定かでは御座いませぬが言い伝えは御座います、昔、昔、持ち主の京の公家が悪夢に悩まされていたそうで御座います、ある夜の夢に刀の精が現れ、太刀を研いでくれ、と願い、さすれば悪夢が消える、と言ったそうな、その公家は早速、太刀を研ぎ寝る時に抜き身で壁に立てかけたそうな、その夜、立てかけてあった抜き身の太刀が倒れ火箸に当たり火箸の頭が切り落ちたそうな、公家が火箸を眺めると取れた火箸の頭に鬼が彫られていたのだそうな・・・これが鬼丸と呼ばれる由縁と私が読んだ書物に書いて御座いましたなぁ~」

「火箸の頭に鬼がのぉ~」

「あり得ますなぁ~」

「龍一郎様は何でも知っているの」

「本にお前様の知らぬ事は無いのですか」

小兵衛と平四郎が納得し舞と佐紀が龍一郎に感心した。

「お雪ちゃんよ、解らねぇ事がありゃ~よ、龍一郎様に聞くと良いぜ」

「はい、そう致します、平太様」

「平太様、様は止してくんな、そうだな・・・平太兄ちゃんにしてくんな」

「はい、平太兄さん」

「良いね、今日からお雪ちゃんが妹だな」

「では、父上、拝見仕ります」

小兵衛が龍一郎に拝領の剣を渡した。

龍一郎は柄元から眺め横から眺め立てて眺め火を反射させて眺めと様々に眺めた。

「これは、これは・・・父上、皆が見ました後は勿論、銘の検めをなさいますな」

「無論じゃ、其方には銘に心当たりが有りそうじゃな」

龍一郎が拝礼し平四郎に剣を渡した。

「父上にも銘の心当たりが御有りでは???」

「儂か儂には粟田口の兄弟の誰かであろうとしか解らぬ」

「左様ですか」

「其方は・・・」

二人が話している内に次々と剣が渡されて行った。

「平四郎には銘の当てはあるか」

「御隠居、残念ながら御座いませぬ、私にも粟田口であろう事しか解りませぬ」

「龍一郎は誰の作だと思うのじゃ」

「銘が有れば良いのですが・・・私は粟田口の流れは汲む物の粟田口では無いと思います」

「粟田口では無い粟田口・・・」

「はい、相州・新藤後国光と見ました」

「新藤後国光は短刀の名手では無かったか」

「私もそう思っておりましたが、その短刀の特徴が全て表れておりました」

「其方は新藤後国光を見た事が有るのか」

「屋敷に御座いました」

「うむ~」

お雪は勿論、舞、平太も太刀には興味が無い様で三郎太に渡されたが彼も次へと渡し次々と拒否され佐紀の元に来ていた。

佐紀は太刀の見分を始めたが、それは龍一郎が行った通りになぞったものだった。

最後に拝礼すると太刀をお久に渡した。

お久は受け取ると同じ様に拝礼し彼女もまた龍一郎がした通りになぞって見分した。

お久が最後に拝礼し太刀が小兵衛の元に戻って来た。

小兵衛は脇差から小柄を抜くと太刀の目釘を抜き銘の確認を始めた。

柄が取られ銘が現れた。

太刀は無銘では無かった。

その銘を呼んだ小兵衛の顔が驚きに変わり、ゆっくりと龍一郎に向けられた。

「龍一郎・・・其方と言う奴は・・・・・・皆にこの太刀の銘を知らせよう」

小兵衛が皆に聞こえる様に少し声音を上げて言った。

「相州の刀工・新藤後国光の作じゃ」

「爺じ、銘刀なのか」

「銘刀も銘刀、幻の銘刀じゃろな」

「御隠居様、何故に幻なのですか」

「清吉、この新藤後国光と言う刀工はのぉ、短刀で名の知られた名工でな、太刀も作ったであろうとは言われていたが見たと言う者がおらなんだのだ、それがここにあるのじゃ」

「騙り物じゃないのかい」

お駒が偽物ではないかと疑いの言葉を吐いた。

「おっかぁ、上様からの頂き物だぞ」

「そうか、そうだね、忘れていたよ」

「父上、柄を戻して下さい」

「何をしようと言うのじゃ、龍一郎」

そう言いながらも小兵衛は柄を太刀に戻し龍一郎に渡した。

龍一郎は渡された刀を右手に持ち右肩に担ぐ様に持ち左手で囲炉裏の淵に炭に紛れて置かれた薪を持つと顔の高さに持って行き手から離した。

龍一郎の手から離された薪は囲炉裏の灰に立つと暫くして左右に二つに分かれた。

無論、龍一郎が刀で切ったのであるが刀は龍一郎の肩から離れた様には見えなかった。

見ていた皆が余りの驚きに薪と龍一郎を交互に見つめた。

龍一郎は刀を肩から下ろし刃毀れを確かめる様に仔細に眺め始めた。

「龍一郎・・・其方と言う奴は・・・佐紀は無論見えたのであろうな」

「父上、只今の仕儀は見えませんでした、これが我が亭主殿の真の力と思われます」

「何と其方にも見えなんだか、ならば儂が見えぬのも無理からぬわ・・・平四郎、三郎太はどうじゃ」

「御隠居、佐紀様に見えぬものを私には無理で御座います」

「平四郎様と同じく見えませんでした」

「そうか、見えなんだか」

皆が刀を見分している龍一郎を見つめた。

「父上、良き太刀を手成されました、硬さ、しなやかさ、重さの芯(重心)、切れ味・・・父上ならば兜割も可能でしょう、天下五剣に劣らぬ太刀で御座います」

「それ程の逸物であるか・・・流石に上様からの拝領刀よのぉ~」

「お前様、おめでとう御座います、ですが、事の趣旨をお忘れでございます」

「まずは、ありがとう・・・事の趣旨・・・おぉ、龍一郎の太刀の見分であったな、龍一郎、願う」

「はい、畏まりまして御座います」

龍一郎が右に置いていた太刀を手に取ると小兵衛に渡した。

太刀を受け取った小兵衛は懐から懐紙を出し口に咥え太刀の鯉口を切った。

そして太刀を胸の前に出し縦にすると鼻で大きく息を吸うと鞘を上に持ち上げ刀身を露わにした。

鼻から息をゆっくりと吐き出しながら下から上に上から下へと眺めを何度も繰り返し、次に刀身を横に寝かすと峰を左手の人差し指に乗せ鞘元から切先までをゆっくりと何度も見た。

特に物打ちと切先を丹念に眺め鼻から大きく息を吐くと平四郎に渡した。

平四郎も渡される前に懐紙を口にしていた。

「流石に天下五剣と言われる銘品じゃのぉ~眼福であった・・・其方、何度も使うておろうに刃毀れどころか曇の一点も無い、手入れも怠り無いようじゃのぉ~」

「手入れを寝る前の日課としております」

「毎日か」

「無論の事」

「儂もこの様な銘刀を手にしたからには其方の様に毎日の日課にせねばな」

その頃、龍一郎の愛刀・大典太光世は清吉の手に有った。

清吉は懐紙の変わりに手拭いを口にして小兵衛と平四郎が行った見分を真似ていた。

清吉の肩越しに口に同じく手拭を噛んだお駒が太刀を眺めていた。

「わっしには太刀の値打ちは解りませんが、この刀がなまくらで無い事だけは解ります」

誠一郎に太刀を渡した清吉が感想を口にした。

舞がお駒と同じ様に誠一郎の肩越しに着物の袖を口に挟んで覗き込んでいた。

「龍一郎、其方、太刀の来歴を存じおるか」

「定かでは御座いませぬが少々は・・・筑後の国・三池の住人・光世の作と銘が御座います、光世が足利家に献上したそうで御座います、その後、足利家から秀吉公の手に渡り、戦の功績により我が先祖の手にする処となった・・・と聞いております」

「では、銘以外に足利家、豊臣家、前田家の家紋もあるのではないか」

「左様で御座います・・・」

「うむ、何やら含みのある返事じゃな」

「はい、先程、来歴を申しましたが、その来歴にそぐわぬ事が御座います」

「何じゃな」

「それは後ほど直に銘をご覧下さい」

二人は太刀が次々に見分されるのを眺めていた。

太刀がお久の手から龍一郎へと戻された。

「龍一郎殿、眼福で御座いました・・・お前様、上様からの頂き物も見事な物に御座いましたが、流石に天下五剣と言われる程の一剣で御座いますなぁ~、それに龍一郎殿の日頃の手入れも見事で御座います」

「其方、もしや研ぎも・・・刀の研ぎも修行したのではあるまいな」

「堺に居りましたおりに種子島作りと刀の研ぎの修業を致しました」

「何~研ぎだけでは無く鉄砲作りの修業もしたてか」

「はい」

「其方・・・其方と言う奴は・・・出来ぬ事、修行しておらぬ事は無いのか・・・百姓、漁師は」

「畑仕事、稲作りは奥州にて、漁師は佐渡と能登にて・・・」

「成程のぉ~其方のゆえ半端では終わるまい、師範か師匠・・・農民、漁師では何と言うのじゃ」

「長(おさ)、親方、親分、兄貴、武士を真似て師匠と呼ぶ者も居りました」

「其方の武者修行・・・と言うか放浪と言うか確か八年であったな、何時かその全てを聞きたいものよ」

「お前様、私も龍一郎殿の話を聞きとうは御座いますが今は太刀の銘をお願い申します」

「おぉ、そうであったな、龍一郎、太刀の銘を見せてくれぬか」

龍一郎が目釘を外し柄を抜いて銘を小兵衛に見せた。

二人の周りに皆が集まって覗き込んだ。

「三池典太光世の作じゃな・・・な・何と裏には徳川の家紋があるではないか、何故じゃ、其方の話では足利家、豊臣家、前田家のはずじゃ、何故に前田家の前に徳川の家紋があるのじゃ」

「そこが先程申した謎なので御座います」

「解らぬ事がある方が良いわ、いやはや、流石天下五剣の一剣じゃ眼福であった、礼を申す」

「ありがとう御座いました」

皆が声を揃え龍一郎に礼を述べた。


道場から辰巳屋への途次にお久とお佐紀は昨夜の太刀見分を思い出していた。

「母上は太刀にも見識が御座いましたか」

「昔々の書物の知識ですよ、天下五剣の一剣を見分できる者など稀有の事でしょうなぁ」

「はい、太刀の見識の無い私にも典太光世の優れた剣風が解りました」

「その太刀が今、其方の腰にある・・・どうですね」

「天下五剣の一剣をそれも葵の御紋の入った太刀を差しているなど信じられぬ事で御座います」

「私も武士の形(ナリ)で小兵衛殿から太刀を借りてくれば良かった・・・はぁ~」

「きっと又の機会も御座いますよ、母上」

際立って堂々とした歩みに皆が避けて道を作り二人は辰巳屋に辿り着いた。

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