第9話 四人の隠居

龍一郎の家族だけの語らいがあった数日後に龍一郎の爺の隠居願いが出され、主君との目通りがなった。

「総左衛門、長の勤め大儀で有った」

「勿体無いお言葉にございます、わたくしの導きの至らなさに無念を感じております」

「何を申す、埣(ソチ)の本文は御小姓組組頭であろう、子守では無い、何少々腕白に育っただけの事」

「有り難きお言葉に存じます」

「して、隠居して如何(イカニ)に致す」

「はい、わたくしめ、恥ずかしながら御小姓組の任に着いておりましたが剣に才がございません。

町の剣道場の師範には成れましょうが:決して負けてはならぬ主には成れません。

さりとて盆栽いじりも出来ませぬ、わたしめの隠居を知った知り合いが好きな米の勤めをせぬかと勧めてくれました。

この際、きっぱりと刀を捨て町人に成り第二の人生を初めようかと存じます、お許し戴けましょうか」

「なんと」「なんじゃと」

控えていた江戸家老や留守居役が怒りの声を発した。

「良いではないか、隠居の身なれば藩に席がある訳では無い、となれば埣たちに文句を言われる筋合いも無いではないか」

主君が擁護の言葉を掛けた。

この言葉に家老も留守居役も異論は言えなかった。

「良し、 これ筆を持て」

周りの者に言いつけ用意させ、暫し筆を走らせ、書き上げた書状に最後に花押(カオウ)を書き正式な書面とした。

「総左衛門、埣の長の奉公の労いじゃ、我藩の年貢米の一切を任す、三か年の猶予を遣わす励め」

書状を前面に注し示した。

「殿、成りませぬ」

留守居役が止めの言葉を吐いた。

「何故じゃ、良いではないか武家が町人なぞ、そうも易々となれるものではないわ、やらせてみよ」

「確かに、左様に御座います、お手並み拝見と参りましょう」

家老が言った。

主君が許しを与え江戸家老が賛意を示したのでは留守居役も嫌とは言えなくなってしまった。

「殿、有り難き幸せに御座います、 総左衛門、精一杯勤めさせていただきまする」

この日、留守居役からの書状が一通加賀金沢へ送られた。


それから一月後、次男富五郎の爺・庄右衛門の隠居願いが出され、主君との目通りがなった。

「庄右衛門、長の勤め大儀で有った」

「勿体無いお言葉にございます、素直な若君にございますれば何の苦労もござりまんでした」

「埣への導きの賜物じゃご苦労であった」

「有り難きお言葉に存じます」

「して、隠居して如何(イカニ)に致す」

「はい、この際きっぱりと刀を捨て、好きな染物か塗り物を始め町人に成り第二の人生を初めようかと存じます、お許し戴けましょうか」

「なんとその方もか」「なんじゃと」

控えていた江戸家老や留守居役が怒りの声を発した。

「良いではないか、総左衛門の時も言うた様に隠居の身なれば藩に席がある訳では無い、となれば埣たちに文句を言われる筋合いも無いではないか」

此度も主君が擁護の言葉を掛けた。

「良し、 これ筆を持て」

今度も周りの者に言いつけ用意させ、暫し筆を走らせ、書き上げた書状に最後に花押(カオウ)を書き正式な書面とした。

「庄右衛門、埣の長の奉公の労いじゃ、我藩の友禅と輪島塗の一切を任す三か年の猶予を遣わす励め」

書状を前面に注し示した。

今度は留守居役も家老も一言も発せず、只黙って聞いていた。

「殿、有り難き幸せに御座います、 庄右衛門、精一杯勤めさせていただきまする」

この日も、留守居役からの書状が一通加賀金沢へ送られた。


時を同じくして、加賀金沢では勘定方の二名が隠居願いを出した。

勿論受理され家督は嫡男に相続され、隠居したはずの二人の姿が消えた。

だが、その事を知る者は家族だけだった。

江戸では同じ様に隠居した二人が姿を消した。

これも龍一郎の指図によるもので、二年の間、加賀勤めの者と江戸勤めの者とを処替えしたのである。

龍一郎の思惑は四人の環境への考慮である。

武家から商家へ転進した者への同僚からの冷たい視線と嫌がらせである、その為、お互いの知り合いの少ない場所への所換えを行ったのである。

また両主人が主君からのお墨付きを持参しており、この書状が当初必要となるのは仕入れ先の加賀だったからでもある。

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