第90話 誠一郎 父との再会

次の山修行一月、誠一郎はお奉行つまりは父の命により八王子千人番所への人別帳受け取りの任に赴いた事になっていた。


---------------------<八王子千人番所>------------------------

そもそも八王子千人番所の成り立ちは徳川家康が江戸に来た慶長五年(1600年)に遡る。

その任は甲州口(武蔵・甲斐国境)の警備と治安維持であった。

千人同心は、甲斐の武田家が滅亡後に徳川家により庇護された武田遺臣を主に、近郷の地侍・豪農などで組織されていた。

元号が慶安五年から承応(じょうおう)元年(1652年)に変わった年からは交代で家康を祀る日光東照宮を警護する日光勤番が主な仕事となった。

千人番所は各百人・十組で編成され、各組には同心組頭が置かれ、旗本身分の八王子千人頭によって統率され、槍奉行(ヤリブギョウ)の支配を受けた。

千人頭は200石から500石取りの旗本にとして遇され、組頭は御家人として遇され、禄高は10俵1人扶持~30俵1人扶持であった。

千人同心は徳川家直参の武士として禄を受け八王子の甲州街道と陣馬街道の分岐点に広大な敷地が与えられたが、一方で平時は農耕に従事し、年貢も納める半士半農と言う立場だった。

千人同心たちが居住する村落では人別帳に他の農民同様に百姓として記載され、幕府代官所をはじめ地方領主達は、かれらを武士とは認めていなかった。

(参考 ウィキペディア)

-----------------------------------------------------------------


誠一郎の八王子行きの表向きの勤めはこの人別帳の改めであった。

千人にも上る同心の人別改めである本来なれば半年掛かっても何ら不思議では無い。

一月で戻った訳は当然次回の山修行の時の為である、がしかし表向きは一時報告の為の帰参であった。

「これは、これは坂下様、 お帰りなさいませ。長のお勤めご苦労様に御座いました」

誠一郎に門番の太兵衛が一月にもなる八王子への長旅を労う言葉を掛けた。

門番に過ぎぬ太兵衛には旅仕度で出掛けた誠一郎の姿で旅御用と解っていただけで、無論行き先など知らなかった。

「おぉ、太兵衛殿、変わり無く壮健であったか。奉行所に変わりは無いですかな」

「事も無しと申せば奉行所は要りませぬ、坂下様」

「はぁ、はぁ、これは一本取られ申した」

誠一郎は奉行所への敷地へ入って行った。

「おお、誠一郎、戻ったか、どうであったな八王子は」

先人同心からも声が掛かった。

「はい、鄙びた田舎に御座れば私が育った処の様でまるで里帰りをした気分で御座いました」

「おお、その方は田舎育ちであったな、江戸は人が多かろう」

「はい、人が多くて眩暈(メマイ)が致します」

「ははは、まぁ良う戻った」

誠一郎は裏へ廻り井戸で手足を洗い賄い処から役所に入った。

誠一郎は廊下を奥へ奥へと進んで内与力の控えの間の廊下に着座した。

廊下を進む間も同心、与力に声を掛けられた。

「では、聴こうか」

などと自分への報告を望む者までいた。

「申し訳御座いませぬ、御奉行よりの直々の勤めなれば直々にご報告致します。又その様なご支持でも御座いました。お気を悪くなさいませぬ様にお願い申します。失礼をば致しまする」

誠一郎は穏やかな物言いで逃げた。

「坂下誠一郎、只今戻りました」

「おぉ、誠一郎様、いや、坂下、良う戻った、まぁ、入れ」

「失礼致します、未だ旅装に御座いますがお許し下さい」と言って障子を開け入った。

「誠一郎様、ご壮健に御座いますか・・・・おぉ、逞しくお成りで」

「私は確かに誠一郎で御座いますが、内与力殿より様を付けられる者では御座いませぬ」

「うむ・・・・坂下、長の務めご苦労であった、御奉行の都合をお聞きして参る故暫く待つが良い」

「はぁ、忝のう御座います」

内与力は障子を開け奥の奉行の役宅へと姿を消した。

忠相が配下の内から奉行所に内与力として連れて来た中で一人だけが誠一郎の素性を知っていた。


「父上、お久しゅう御座いました、ご壮健のご様子、執着に存じます」

「・・・・ふぅ~ん・・・・そなた・・・・龍一郎殿に礼を言わねば成らぬな、そなたも堅固であろうな」

「はい、御陰様で至って壮健に御座います。壮健過ぎて食が進み過ぎて困ります」

「うぉほ、うぉほ、ほぉ、食い過ぎるてか、はははぁ、良い、良い、食うて食うて大きうなれなれ」

「はぁ、父上、知り合いに六尺を超える者が居ります・・・が、目立ち過ぎます・・・」

「うむ・・・ほう・・・あぁ、その者に一度会うた事がある。今そなたが居る処に座した・・・確かに大きかったのぉ、顔は見せなんだが・・・・その者の事なれば確かにそなたの申す通りであろうな・・・が、身軽であったぞ」

「はい、我が師匠に御座れば忍び故身軽に御座います」

「何、そなたの師匠とな・・・・龍一郎殿では無いのか」

「龍一郎様は師匠の師匠に御座います」

「何~、なんとな龍一郎殿は忍びの上を行くてか」

「はい、私は未だ龍一郎様の真髄を知りませぬ。我が師匠とて龍一郎様の真価が図り知れぬと申しております」

「ふぅ~、龍一郎殿はそれ程の業前の御仁で有ったか・・・儂もまだまだ未熟者じゃ」

「されど父上、龍一郎様は常々、誠一郎、父上の様に強うなれと申されます」

「うむ・・・・龍一郎様が・・・左様に申されるか・・・・ありがたや」

「ところで父上、八王子千人同心の調べは如何いたしましょうや」

「要らぬ、案ずるな既に我が手にあるでな」

「左様に御座いましたか、安堵致しました」

「礼を言われる事も無い、礼を言うのは儂の方でな、そなたの師匠の師匠が調べてくれておるでな」

「はあぁ~・・・龍一郎様がで・・・・御座いますか」

「左様、ある朝枕元に置いてあった、実に仔細にして達筆でな、そなたの話を聞くに儂は龍一郎殿に勝てるものは歳以外にないのぉ~」

「はぁ~、父上・・・・僭越ながら龍一郎様は特別にして特別な方に存じます、比類する者など居りませぬ」

「うむ・・・であろうな・・・如何な上様でも剣技は龍一郎殿には及ぶまいて・・・・」

「はい、先の然る藩の剣術指南役選定試合で勝ちを得られました。只今、指南役の方は稚児の様に扱われたそうに御座います」

「うむ、儂もそう聞いた、読売にもなったでな、城中でも話柄になり上様の知る所となったのじゃ。何でも然る藩の藩主は試合前と後の二度に渡り上様にお目見えが適うたようでな、異例な事じゃ」

「父上、私は幸せ者で御座います、真に・・・・」

「うむ、そうよな・・・・・幸せ者よなぁ~できるもの成れば儂はそなたと替わりたいものじゃ」

「お察し申します、楽しいですぞ・・・うふふ」

「くそ・・・・おぉ、済まぬ、龍一郎殿に申してくれぬか・・・儂にも働き場をくれ・・・とな」

「父上、心配召(メ)されますな、これからが父上の働き場に成ります」

「おぉ~、左様か・・・・うむ・・・愈々(イヨイヨ)手伝うてくれるか・・・・」

「もう暫くの御辛抱を、父上」

親子の会話は止め処が無かった。

話ながら父・忠相は思った、息子・誠一郎を龍一郎殿に預ける前にこの様に倅と話した事など無かったな・・・と。


誠一郎が父を訪ねた奉行の部屋は御用部屋であり奉行が奉行所の公務を取り仕切る部屋であった。

奉行所の敷地内に奉行の役宅が在り、奉行の任にある者とその家族が住まいした。

奉行の任を離れれば退去しなければならない。

奉行の任に就いた者は旗本格で拝領屋敷は私邸として奉行職に疲れた時などの静養の時などに戻っていた。

誠一郎は父が奉行と成って奉行所に居を移したが同道せず私邸に住み続け奉行所の者たちは奉行には子が男一人と娘一人と思われていた。

誠一郎のこの我侭が此度の役に立ったのである、世の中、時の流れ、運命とは不思議なものである。



----------------------<八丁堀>-------------------------

奉行の住まいは奉行所内であったが奉行所に勤める与力、同心の住まいは八丁堀にあり、敷地の中に与力、同心などの組屋敷が存在した。

与力が多い北は武家地で町名はなく「組屋敷」と呼ばれた。

南には同心の拝領屋敷が多く、殆どの同心が地内に長屋を建て町人に貸していたり、医師に貸していたりとした。

この組屋敷から掘割を越えると、日本橋と京橋を結ぶ江戸の目抜き通りの通町。

さらにその大通りを過ぎると江戸城の外堀へと出た。

呉服橋御門(現在の東京駅八重洲口近辺)の北町奉行所まで約1km、数寄屋橋御門(現在の有楽町駅近辺)の南町奉行所まで約1.5kmの距離である。

通勤は楽であったろうし、非常召集があっても十分駆けつけられる距離であった。

(参考 ウィキペディア)

--------------------------------------------------------

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る