第253話 丘屋敷の二つの宴

丘屋敷の大広間の正面席に六人が座っていた。

丘屋敷完成祝いである。

真ん中の二人は小兵衛とお久の二人、左に棟梁の健吉と女房、右に富三郎とお景の夫婦が座っていた。

広場の上手側には龍一郎の江戸組の仲間たち、広間の下手には養老の里の丘屋敷に携わった人々と宮大工・健吉の弟子たちであった。

皆の前には料理と酒が並んでいた、料亭・揚羽亭と船宿・駒清で用意したものである。

この日の進行役の龍一郎が一人立ち上がった。

「この場に集まったものたちに、この丘屋敷に携わってもらった事に感謝する。

本日はその完成の祝いである、大いに食べて飲んで貰いたい、酔っぱらって泊まって行く事じゃ。

と言うのは名目でな、丘屋敷の完成祝いも真実ではあるが、真の祝いは我が父・橘小兵衛と母・久の婚儀である。夫婦として暮らしながら披露はしてはおらなんだ、それが私は気掛かりであった、本日はその催しじゃ、大いに祝ってくれ、さぁ、杯を持て~、おめでとう御座います」

「おめでとう御座います」

皆が声を揃えて祝いを述べた。

正面の真ん中に座る、当人の小兵衛と久は唖然としていたが少し照れながら小さく頭を垂れた。

「棟梁・健吉殿、富三郎殿、お景殿、苦労を掛けた、ご苦労どあった、皆を代表して礼を申す」

龍一郎の行動には珍しく六人の前で述べた。

続いて、佐紀も苦労を労った。

棟梁の妻女が言った。

「この人はね、絵図面を持って、初めてお佐紀様にお会いしてから、もう家での話はお佐紀様の事と丘屋敷の事でけじゃった」

「何を言うか、儂がお佐紀様に夢中なのは昔からじゃ、お前の龍一郎様への熱は用も無いのに絵図面披露に付いて来てからじゃろが」

「私ゃ清吉さんが私の歌舞伎役者への熱が覚める、の意味が解らんかったが今は解る、私ゃ龍一郎様の虜だ」

「俺もお佐紀様とこうして面と向かっておるのが夢の様じゃわい、何度も何度も会うたが見惚れて目が離せん」

「棟梁、大げさな、私の顔など御覧になっても何の御利益も御座いませぬ」

「いや、いや、お佐紀様は儂の女神様です、幸運の女神様です」

「幸運とは何か良い事でも御座いましたか」

「このご時世に土台からの武家屋敷作り、それも銭に糸目無し、江戸中の手隙の大工を総動員しました、同業衆からは神様、仏様扱いを受けております、これを幸運と言わずして何と申しましょう」

「それは私に会うてからの事では御座りませぬ」

「お佐紀様、この人にとっちゃ~後も先も無いんですよ、兎に角、女神様なんですよ、しかし、私がもっと若くてもお佐紀様が相手では叶いませんね」

「あったりめ~だろうが~」

「あたしじゃ無きゃ駄目だと言ったのは誰でしたかね~」

「・・・そりぁ~俺だ・・・けどよ・・・」

「おやおや、仲の良ろしい事で、邪魔者は失礼致します」

佐紀は棟梁夫婦の前から立ち上がった。

棟梁は名残惜しそうに眺めていた。

健吉棟梁夫婦は何時の間にやら眼の前に来て話をし、佐紀を席を立ったと思ったら何時の間にやら消えていた龍一郎に二人の不思議を魅力とは別に感じた。


奥座敷では別の宴が行われていた。

席にいるのは浅草弾佐衛門一行と吉原会所頭取・四郎兵衛の一行だった。

二人はお互いの噂話を昔から知っていたが顔合わせは初めてだった。

龍一郎は最初に清吉とこの席へやって来て挨拶し両者を引き合わせた。

「某が紹介するまでもありますまい、お互いは名の知れた御仁通し、場を某が設けただけの事、某には他にも宴が御座れば少々、場を外します、後程、我が妻女も引き合わせ致します、では御ゆるりと」

龍一郎と清吉が障子を開けて静かに廊下に消えた。

暫しの沈黙の後、四郎兵衛が口火を切った。

「私は会所の頭取として吉原を任されております、四郎兵衛と申します、隣におりますは一番の腹心・仙太郎とその妻女・律で御座います、仙太郎は倅で御座います」

「ご丁寧なご挨拶忝い、私は浅草弾佐衛門と申します、江戸の非人を束ねております、隣におりますのは一の腹心であり私の倅の次郎太とさの妻女・幸で御座います」

龍一郎が言った通り、お互いが江戸では噂にもなる名の通った者通しである為に初めての様に感じ無かった。

「四郎兵衛様は孫をお持ちですかな」

「それがまだで御座いましてなぁ~、弾佐衛門様は如何ですかな」

「私もまだ見せては貰えませぬ、早う、早うと言うてはおるのですが」

「そちらもですか、私も毎日の様に言うてはおるのですが・・・」

「頭取、いや、孫の話だ、親父、子は天の恵みだぜ、毎日言われて毎日頑張ったってよぉ、出来ねぇものは出来ねぇんだよ」

「お前さん、恥ずかしいよぉ~」

「仙太郎さん、お前さんもかい、俺もさぁ、毎日、毎日、孫、孫、言うから出来ねぇえんじゃねぇ~かと思うしらいだぜ」

「お前たちは修行が足りないのじゃ無いのかい、龍一郎様を見習え、跡継ぎをさっさと作られておる」

「そうじゃ、あの方を見習え」

「馬鹿言うんじゃねぇや、あんな化け物見たいなお方の真似なんか出来る訳ねぇ~だろうが、もう酔うたのか、親父」

「そうだぜ、親父、龍一郎様は仙人か天狗様だぜ、真似なんてよ~無理な話だぜ」

仙太郎と次郎太が二人の親父たちに文句を言った。

「まぁ、確かにな、龍一郎様の真似は無理だわなぁ、そう言えば弾佐衛門様と龍一郎様の出会いはどの様なものでしたかな」

「それがですな・・・」

此処からは話柄が龍一郎の事になってしまった。


一刻程の後に龍一郎が廊下で声を掛けた。

「龍一郎で御座います、我が妻女を伴って参りました」

龍一郎が障子を開け部屋に入ると、後ろに俯いた女子を従えていた。

女子は座り主賓の六人に頭を一度下げて顔を上げた。

六人の主賓は息を飲んだ。

「・・・太夫」

「・・・子がおると言うか」

「我が妻女・佐紀に御座います、お見知り置き下さい」

「龍一郎様、忘れろと言われても出来ぬ」

他の五人が頷いた。

「佐紀で御座います、よろしくお願い申し上げます」

「大奥が眼を着ける訳じゃわい」

又、他の五人が頷いた。

「我々をいろいろとお調べの様ですな」

「失礼ながら龍一郎様の事は調べさせて頂きました、大岡様を伴っての訪いで御座いました、故に猶更で御座いました」

「それで、何か解りましたか」

「幕閣の中の何人かを弟子としてお持ち、他に親しき仲間がおられる、その中の一人が清吉殿・・・」

四郎兵衛の言葉を弾佐衛門が継いだ。

「先の大試合の勝者、次席の方々は全員が龍一郎様のお仲間・・・」

「はい、我が家族で御座います、我が妻女の他に今二人を紹介したいと存じます、誠一郎殿、舞殿、参られよ」

龍一郎の言葉が終わった途端に龍一郎の隣に二人の人物が現れ頭を垂れていた。

二人の突然の出現に主賓の六人は仰け反る様に驚いた。

「大試合の少年の部にての勝者・誠一郎と次席・舞に御座います」

「若い、いや、幼い・・・して忍びですかな」

「忍びでは御座いませぬ、只の鍛錬の成果で御座います」

「まるで忍びのようですなぁ~」

「正直、今の戦の無い平和なご時世、千代田の城、大名屋敷を警護する忍びと称する者たちよりも忍びの技は二人の方が数段、上で御座います」

「で、あろうなぁ~」

「今、一つお伝えする事が御座います・・・誠一郎殿の姓名は大岡誠一郎と申します」

「何と・・・まさか」

「もしや・・・」

四郎兵衛と弾佐衛門が驚きの声を呟いた。

「はい、そのまさかで御座います、もう一つ、女子の方の舞殿は清吉殿の娘で御座います」

「何と・・・まさか、実の家族全員が其方の弟子で御座るか」

「清吉殿の妻女も仲間・・・忍びの技が・・・清吉殿は船宿・駒清の主でしたな、では、あの女将も・・・儂は何度も顔を会わせておるが・・・只の町人と思うておった、少々、他の船宿の女将よりも貫禄と言うか自信に溢れておるとは感じたがのぉ~」

「儂も一度行ったが、確かに何か安心感を感じた・・・待てよ、あの感じは、他の何処かでも感じた様な・・・」

「親父、俺も律と何度も行った、そうか安心感か・・・他のお店では仕事柄か警戒して居らねば成らなかった、だが、駒清は消えた、それで通う様になったのだなぁ~」

「仙太郎殿、我らは何度か以前に顔を会わせておる様だ、駒清と今一つ、駒清以前に料亭・揚羽亭でだと思うがね」

「確かに、船宿・駒清が今ほど名が知られる以前は揚羽亭に通っておりました、そのおりにお会いしていたのですな、それで此度、会うた刻に初めての様な気がしなかった・・・」

「親父殿に言われて解ったが、駒清の一番良い処は安心感なのだなぁ~、おぉ、それが主殿と女将の技量の高さ故であったのか・・・」

「それに娘子もおられる次席ののぉ~清吉殿と女将に他に御子は・・・舞殿」

「兄が一人居ります」

「失礼ながら舞殿とどちらが強かろうか、お聞きして宜しいかな」

「弾佐衛門様、兄には叶いませぬ、技量が下の者には上の者の技量は解りませぬ」

「誠一郎殿、いかが」

「私と同程度か少し上と思うて居りますが、私の己惚れやも知れませぬ、龍一郎様かお佐紀様にお尋ね下さい」

皆の眼が龍一郎と佐紀に注がれた。

「技量の上下はその刻々の事、己を昨日よりも今日、今日よりも明日、伸ばす事が肝要と思うております」

「其方が席を外されて我らだけになった刻に二人で話たのじゃが我らの様な年寄りでも其方の鍛錬が出来ようか、無理ならば倅たちを鍛錬しては頂けまいか、本人たちが良ければなれど」

龍一郎と佐紀が部屋に入った刻には四郎兵衛と弾佐衛門、仙太郎と次郎太の息子たち、律と幸の嫁たちの三つの組に別れて話し込んでいた。

「儂と次郎太殿も鍛錬したいと話ていた、嫁たちはどうか」

「私達もお佐紀様、舞様のお話になりました、お二人の様に成りたいと思いました」

「龍一郎殿、お佐紀殿、倅たちも嫁たちも望んでいる様で御座います、我ら年寄りは無理としても四人だけでも願いを叶えては貰えまいか」

「私の父の歳を御存じですかな・・・其方たちよりも年寄りなのですぞ」

「小兵衛殿は我らよりも年上で御座いましたか・・・」

「成れど、あの御仁は江都一と言われた程に鍛えられた方で御座います、我らは身体を鍛えた事も無ければ剣の修行もした事も御座いませぬ」

「其方がたお二人にお聞きしたい・・・我らの中で一番の心技体に優れた者、二番目に強き者はお解りですか」

「それは勿論、一番は龍一郎殿、二番は小兵衛殿で御座いましょう」

「父も認めて居る事に御座いますが、父は二番では御座いませぬ、三番でも御座いませぬ・・・二番は、そそにおる我が妻女・佐紀で御座います、誠一郎殿、舞殿、二人に問う、其方ら佐紀に勝てるかな」

「二人でも勝てませぬ」

誠一郎が即答し隣の舞が頷いていた。

「な・何と、この美しき女性が龍一郎様の次にお強い・・・」

「信じられぬでしょうな、数年前までは町屋の娘で身体を鍛えた事も無ければ剣の修行など皆無でした」

「大試合の読売で覚えております、確か回線問屋・辰巳屋の娘御であったとか」

「儂は嘘と思うておりましたが、真の事でしたか」

「信じられぬでしょうな、佐紀」

龍一郎が佐紀に呼びかけると隣に居た佐紀の姿が消えた。

六人は部屋の隅々を見渡したが何処にも居ず、部屋の中には「しゅ、しゅ」と衣擦れの音が響いていた。

「佐紀」

龍一郎がもう一度呼びかけると龍一郎の隣に突然、佐紀が現れ、元の様に静かに息も荒げずに座っていた。

「・・・只今のは・・・」

「四郎兵衛様、我ら常人には見えぬ速さで部屋の中を動いておったのでしょう、それがあの衣擦れの音であったのではなかろうか」

「誠一郎殿、舞殿も出来ようか」

「出来ませぬ」

その刻、龍一郎が突然二人に成り、三人に成った。

六人は驚きの余り、あんぐりと口を開けて見詰めるだけだった。

暫くして六人が気付くと龍一郎は元の一人に戻っていた。

「・・・」

「・・・お佐紀様は御出来になりますか」

「出来ませぬ」

「・・・」

「我らも出来る様に成りましょうか」

「鍛錬次第で御座います、父は申して居ります、今の自分は江都一と言われていた頃よりも数倍強い、と」

弾佐衛門が龍一郎に頭を垂れ両手を着いて拝礼し言った。

「私を其方様の弟子にして下され、お願い申します」

他の五人が追従し拝礼した。

「お願い申します」

「弟子には二つの別が御座います、只の弟子で心技体の技と体の一部を学ぶ者です、もう一つは内弟子、内部の者たちは家族と呼ぶ者です、この者たちは心技体の全てを鍛錬します、並大抵の覚悟では出来ませぬ、男子は私を目指しておる様で女子は佐紀を目指しておる様です、皆様はどちらの弟子を望まれますか」

四郎兵衛と弾佐衛門は他の者たちの顔を確認した。

「内弟子、家族へ加えて下され・・・異存のある者はありや」

「ありませぬ」

弾佐衛門の申し込みの言葉に他の五人が賛同した。

「承知いたしました、本日、只今より其方らは弟子です、この後に特別な鍛錬を一度し内弟子と成ります、少なくとも十日以上、出来ますならば一月の鍛錬と成ります、不在となっても良い組織体制を作る事から始め用意が出来ました刻にご連絡下さい、皆さまが一緒で無くても宜しい」

「・・・畏まりました」

「準備致します」

「本日はお気づきとは存じますが、他の宴も御座います、この屋敷を作る作業をしてくれた者たちの宴です、本日はもう顔を出す事は叶いませぬ、皆様の都合の良い刻に変えられるも良し、屋敷に泊まられるも良し、隣の部屋に寝間の支度がして御座います、では御免」

龍一郎の言葉が終わった途端に龍一郎、佐紀、誠一郎、舞の四人が消えた。

六人は暫く言葉も無く佇んでいた。

「いやはや、世の中は広い、広い、大試合の刻にこの世には凄い御仁もいるものよ、と思うたがな、これ程とは夢にも思わなんだ」

「私も驚きました、頭の中の整理が出来ませぬ、私は此方に泊まり整理の刻を作ります」

「親父、明朝は誰も指揮する者がおらぬが良いか」

「儂らがおらぬでどうなるかを見る良い機会やも知れぬて」

「次郎太、儂らも泊まるぞ、一日、我らがおらぬでどうなるか・・・」

「親父・・・もう龍一郎様の力を獲た様だな」

「・・・ほほう、その様だのぉ~」

「儂らは己の地位を守る為に気使っていたのじゃなぁ~」

「一日の不在で動かぬ組織など作り直しじゃ、太郎治、幸、二人は明日からでも龍一郎様の鍛錬に参じる心積りでおれ、良いな」

「はい」

「はい」

「仙太郎・・・」

「解ったよ、親父、儂もその気だ、律、良いな」

「はい、楽しみな様な、怖い様な・・・」

「弾佐衛門様、我らがもしも帰ると言うたならば、影の護衛が付いたと思われぬか」

「必ずや付いたでしょうな、龍一郎様と言うお方はその様なお方よ、実に儂は幸運じゃ」

「真にあの御仁に初めて会うてから世の中が面白う成りました」

「その事、その事」

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