第254話 四人の新参者

翌日から丘屋敷は稼働した。

正門の小さいとは言え屋根のある門は閉じられ両側に二つある通用門も閉じられていた。

敷石が敷かれた道の真っすぐ先に武家屋敷が見えた。

この武家屋敷には七人の武士が住み着く事になっていた。

今朝は前日の二つの宴で飲み疲れ泊まった者たちが早々に任に戻って行った。

四郎兵衛と弾佐衛門たちが目覚め、弾佐衛門が四郎兵衛に何気に語った。

「四郎兵衛様、倅たちの修行を龍一郎様にお願いせねばなりますまい」

「直ぐにもお願い致しましょう」

六人が寝具から出て昨日の隣の宴を行った部屋に入り驚かされた。

六人分の朝食が用意されており、味噌汁から湯気が立っていた。

「まるで船宿・駒清に泊まった様じゃて」

彼らはまるで旧知の仲の様に遠慮無く思い思いの席に座り四郎兵衛の「頂きます」に唱和し食べ始めた。

酔いを取り除く様な献立で美味しく、昨夜の話柄を語り楽しい朝餉だった。

食事が終り茶を飲んでいると廊下から声が掛かった。

「失礼致します」

「どうぞ」

障子が開き顔馴染みとなった清吉が顔を覗かせ部屋に入って来た。

「船宿では御座いませんので、堅苦しい挨拶は抜きに致します、龍一郎様に御用がお有りとお聞きしましたが、私が代わりにお聞き致します」

「この四人を今日にも鍛錬に参じさせたいのです、お願い申します」

「承知致しました、但し、皆さんには一度、家に戻って頂きます、不在になる期間に支障の出ない様に確かめてお戻り下さい」

「今日、戻って来ても宜しいのですか」

「はい、構いません」

「解りました、しっかりと備えて、出直し致します」

「お待ちしています、では失礼致します、お好きな刻にお帰り下さい、お見送りは致しません、お許し下さい」

清吉が廊下に消えた。

「今の清吉殿は龍一郎様の仲間であり、船宿・駒清の主であり、南町奉行所から鑑札を貰っている岡っ引きでもある・・・噂に寄れば、大岡様直属の配下で縄張りは江戸全域、関八州までにおよぶとか・・・」

「他の者たちも幾つの顔を持っているのでしょうなぁ~」


六人は丘屋敷の正面出口を出た後、浅草まで一緒に歩いて二手に別れた。

浅草までは主同士、息子同士、嫁同士で話ながらの道中だった。

若者たち四人は直ぐに再会する事が解っていたので別れの挨拶は「じゃあとで」と簡潔なものだった。

「四郎兵衛様、儂らはもっと頻繁に会うた方が良いと思わんかね」

「私もお願いしようと思いました」

「料亭・揚羽亭か船宿・駒清がもう少し近場に有ればよいのですがなぁ~」

「偶には少し歩くのも良いでしょう、揚羽亭では如何ですか」

「良いでしょう・・・が五十間道に我らの息の掛かった料亭でも有れば良いのですがなぁ」

「我らで設ける事は容易な事であろうが・・・揚羽亭や駒清の様な安心感は得られますまい」

「龍一郎様のお仲間が主で無ければ成りませぬなぁ~」

「処でその龍一郎様の影護衛がいるはず・・・なのに何処にいるのやら全く解りませぬ」

「儂も先程来より探っておりますが儂に解るはずも無い」

「では、次にお会いするまで、さらばに御座います」

「では」


半日経って、吉原の会所に次郎太が顔を出した。

入口に立つ二人の見張りに名前と身分を告げ戸を開けた。

吉原は女子禁制の為、幸は大門の前で待つ事となった。

次郎太が会所の中に入ると丁度、仙太郎と律が廊下に現れ出掛ける処だった。

「おぉ、次郎太殿、我らが其方へ行こうと思っておった、先を越されてしもうたか」

「幸様は大門の外で御一人ですか」

「はい」

「お前様、早く参りましょう、一人にしては寂しい思いをしておりましょう」

「お律様、幸ももう子供では有りませぬ」

「ここは女子に取っては感慨深い処で御座います、いろいろと考えて仕舞います」

「なる程」

二人は素早く旅支度をして三人は会所の外に出た。

監視役の二人が次席とその妻女に挨拶した。

「頭、行ってらっしゃいまし」

「お気を付けて下せい」

「おぅ、留守を頼むぜ」

その刻、向かいの面番所の役人が三人に眼を止めた。

「仙太郎、夫婦揃って旅支度とは、何処へ何をしに参るのだ」

「会所の者が何処かに出掛けるのに一々面番所への届け出が要りましたっけねぇ~」

「馬鹿者~、興味本位だ、其方ら夫婦は仲が良うて良いなぁ~、親父殿は少々怖いがのぉ」

「頭取に良く言っておきます」

「馬鹿者、余計な事を申すで無い、早う行け、行け」

「じゃ、留守をよろしく、旦那」

「早う、行け」

大門の外に幸が一人、大門の中を覗き込んでいた。

「幸様、中が気になりますか」

律が尋ねた。

「女人禁制と言われれば余計に気になります」

「幸様は髪結い、針仕事がお出来になりますか」

「何方も得意だと思っていますが、何か」

「後でお話します」

四人は街中の道ではもくもくと歩く事に徹して丘屋敷を目指した。


四人が丘屋敷に着くと今朝とは打って変わって静まり返り大門も二つの通用門も閉じられていた。

四人が門前に立ち尽くしていると右の通用門が開き若い武士が顔を覗かせた。

「誠一郎です、お入り下さい」

四人が門を潜ると後ろで門が閉まる音が聞こえた。

前を歩く誠一郎は敷石の道を歩いていたが途中から右に道を外れて言った。

「此れから、この屋敷の本当の姿をお見せします」

誠一郎を先頭に五人は鬱蒼と草木が茂る森を歩いて行った。

突然、視界が開け目の前に大きな岩が視界を塞いだ。

「板橋にこの様な大岩があったとは驚きです」

「聞いた事も無い」

誠一郎は無言で大岩を右に回り込んで歩いて行った。

大岩の裏側に着くと建屋が見えた。

「これがこの屋敷の本当の建屋です、表の武家屋敷は偽りの建屋です、世間を欺く姿です、ここは内弟子以外が知る事はありませぬ」

誠一郎のこの言葉を聞いた四人は、いよいよ内弟子鍛錬が始まる事を自覚し顎を引き締めた。

誠一郎は建屋の中に入り四人にも入る様に言った。

中には土間があり板の間が続き奥には襖が見え視界を防いでいた。

部屋の構成は普通だがそれぞれの作りが普通よりも大きいものだった。

四人が回りを見渡していると板の間に人が現れた。

「私は舞」

「私は舞の兄の平太」

「私は平太様の弟子の雪」

「私、誠一郎を含めた四人が貴方がたの指導を致します、よろしく」

自分たちよりも明らかに年下ばかりの顔ぶれに驚きもあったが剣技では太刀打ち出来ない事を自覚した。

「こちらこそ、よろしくお願い申します」

四人が挨拶を返した。

「まずは、此れを見て下さい」

誠一郎がそう言って足首の紐を緩め長い裾を膝まで捲って見せた。

その足には布で覆われた物が見えた。

「此れは重しです、私達は四つづつ着けていますが皆さまは初めてですから一つづつから始めます」

誠一郎はそう言って部屋の隅に置かれた箱の覆いを捲って重しを四つづつ四人に渡した。

「両手、両足首に止めて下さい」

「うむ、中々の重さですな」

「皆さまがたは我らよりも三つ多い様ですがどれ程の重さですかな」

「我らは一貫です、両手、両足で四貫です、走る刻には十貫の重しを背に背負って行います、皆さまは初めてですので背負うのは無しから始めましょう」

四人の新参者の用意が整うのを待ってそれぞれの装着を確かめ直し、着け方を教えた。

「整った様です、まずは手始めに大岩の回りを軽く十周致します、少しづつ早くなりますが出来るだけ付いて来て下さい、出来るだけ皆さんに合わせます」

誠一郎がそう言うと誠一郎、舞、平太、雪の四人は背中に荷物を背負った。

「行きます」

誠一郎、舞、新参者の四人、平太、雪の順で大岩の回りを走り出した。

一周目は早歩き、二周目で軽い駆け足、三周目から駆け足になり八周目まで同じ速さを続けたが九周目で速さが増し、三人の新参者が遅れ平太、雪に抜かれた。

新参者の四人が九周目を終える前に四人に抜かれ十周目は新参者四人だけの走りになり十周目を終えた新参者の四人は終えた途端に倒れ込んでしまった。

荒い息の中から仙太郎が尋ねた。

「我らが何周する間に皆さま方は十周出来ますか」

「二か三周でしょうか、我らの鍛錬には足りませぬ、故に少々お休みし息を整えて下され、我らだけで三十周致しますまで、では」

誠一郎が四人にそう言うと四人が消えた。

回りに「ざぁ、ざぁ」と音だけが響き暫くすると四人が現れた。

四人は息も上がらず平然としていた。

「まさか、もう三十周なされたのですか」

「いいえ、皆さま方の息がまだ整っていない様でしたので五十周致しました」

「何と、あの短時間に五十周ですと・・・」

「重しが無ければ百周以上出来るでしょう」

新参者の四人が年下の四人を見る眼が明らかに変わっていた。

「次は大岩の一角にあった大穴へ降りて大岩に登る鍛錬を行います、宜しいですか」

四人の新参者は立ち上がり年下の四人に頭を下げて願った。

「お願い申します」

「では、参ります」

順番は同じで誠一郎が先頭で大岩を回り、大穴をゆっくりと降り、ゆっくりと大岩を登り始めた。

新参者の四人は滑る様に大穴に降り、手足を使って大岩を登った。

勿論、誠一郎たちは足だけで下り、足だけで登った。

「大穴を降りた刻に気付いたでしょうが、登りよりも下りに気を使わねば成りませぬ、石に足を取られ足を挫いて仕舞います、そうなれば鍛錬を休まねば成りませぬ、速さは繰り返しの鍛錬で早くなります、足の置く場所を確認する事に気を置いて鍛錬した下さい、では、元の穴の淵に戻りましょう」

誠一郎を先頭にゆっくりと慎重に大岩を降りて行った。

新参者の全員が何度も足を石に取られ滑ったが足を挫く処まででは無かった。

大穴の淵に戻った誠一郎が言った。

「この二つの走りを毎朝、何度も行います、昼餉の後は剣技、体術、他の武術、学問を学びます、では、剣の修行を試しましょう、平太、彼らの竹刀を」

建屋の前に戻った、新参者に平太の相方の雪が竹刀を渡した。

誠一郎たちは普通とは違う木刀を持っていた。

「我々も始めは軽い竹刀から始めました、この木刀は普通の木刀よりも重くしてあります、素振りで念頭に置かねば成らぬのは、竹刀の振り始めと終りの場所を同じにする事です、振り始めの一つ目は真っすぐ後ろ、次が斜め後ろ下、次が背に当る程の後ろです、振り終りは真っすぐ正面と地面の少し上の二か所です、この始めと終りの二点に気を配り、振りの速さは気にしないで下さい、同じ処から始められ、同じ処で止められる様に成れば振りの速さを少し早くします、決して位置が定まらぬのに速さを早くしない事が肝要です、では、雪が見本を見せます、幸殿、竹刀を御貸し下さい」

雪が幸から竹刀を受け取り竹刀の素振りを始めた。

地面に平行な処まで後ろに振り、ゆっくりと前に地面に平行な処で止めた。

雪はこの素振りを何度も何度も繰り返したが振り始めの位置と振り終りの位置が変わる事が無かった。

振りの速さはゆっくりとしたものから少しづつ早くなって行き目にも止まらぬ速さの振りになったが振り始めと終りの位置は変わらなかった。

「三か所の振り始めと二か所の振り終りを組み合わせると六通りになります、これを毎日、毎日、繰り返し行います、雪、毎朝、どれ程の素振りを行っていますか」

「只今は動きのある素振りも行いますが、当初の素振りだけの頃は一人で一刻でした」

「皆とは七つからですから八つに初めているのですね」

「はい」

「平太殿、舞殿は如何ですか」

「はい、私も以前は八つからでしたが今は七つからにしています」

「私も今は七つからです」

「私も参じた当時は八つからでしたが今は七つからです、雪殿も八つからが必要無くなると良いですね」

「はい、ありがとう御座います、まだまだ皆さまの域には程遠いかと存じます」

「その言葉良し、なれど眠る事も大事ですよ、昼間の任に支障の無い様にしなされよ」

「はい、承知しました」

「次は抜刀術をお教えます、平太殿、真剣をお願いします」

「ま・ま・待って下され、あれもこれもと申されましても一度に覚えられませぬ」

「全て覚えろ、とも全て出来る様になれとも申してはおりませぬ、此れから其方様方が事を見て頂いておるのです、全てでは御座らぬ、本の触りで御座います、成れど心構えは今からでも変えられますし、変えて頂きます、全て師匠の指示に従う事、心を善に導く事、全て基本に忠実である事、常に己に厳しくある事・・・忘れては成りませぬ」

「・・・」

誠一郎が話をしている間に何時の間にか刀が用意されていた。

誠一郎は舞から渡された刀を腰に差して言った。

「我らの抜刀術は一打目を早く、二打目をより早く、三打目をよりより早くを目指します」

誠一郎が後ろ足で下がるとくるりと振り返り目の前の枝を斬り鞘に納め、二度目に抜くと鞘に納めた、斬れた枝は二本だった、三度目に抜き鞘に納めた、三本の枝が地面に落ちた。

新参者たちには三度の抜き打ちが有った事だけしか解らなかった。

「この抜刀術の基本は抜く刻の腰の振りと止める処を毎回同じにする、先程の竹刀と同じで御座います」

誠一郎はそう言うと向き直ると腰を少し落し右手を柄に近づけると左手の親指で鍔を弾き出し右手で刀をゆっくりと抜き、ゆっくりと水平に刀を動かし右斜め前でびたりと止めた、そして塚元を鞘に当てると右手を右に動かし切っ先から刀を鞘に納め姿勢を正した。

「この動きが我らの抜刀術の基本で御座います、此れを腰の振りと止める場所を確かめながら毎日、毎日、何百、何千と繰り返すのです」

「・・・」

「舞殿、本日は何度為されたかな」

「早朝に、一度、二度、三度を百回づつで御座います、朝に皆さまと一緒に百づつで御座います」

「平太殿は・・・」

「私は四度までを二百づつと皆さまと一緒に百づつで御座います」

「雪殿は」

「私は三度までを三百づつと皆さまと一緒に百づつで御座います」

「仙太郎殿、嘘とお思いますか、雪殿の言葉を聞き、私を含め何を思うたか、お解りか」

「・・・」

「明日の朝からは四度までを三百にしようと皆は考えたはず・・・」

「・・・」

「皆さまは刀を抜く事はおろか、持った事さえ無いと思います、男子衆は匕首(あいくち)、通称どす、と呼ばれる物は持っておられる・・・女子衆は料理の包丁で刃物には慣れておられる・・・が長剣、つまり刀は初めてで御座いましょう、本日は腰に差した刻の身体の感覚と重さを感じて頂きます」

教える四人、習う四人が間を十二分に取って、手取り足取り、事細かに教え習った。

新参者の四人が腰を少し落し鞘に左手を掛け右手で柄を持ち左手の親指で刀の鍔を撥ね腰を捻ると同時に刀をゆっくりと鞘から抜き出し右に切っ先を向け右斜めで止めた。

教える四人が確かめ、誠一郎が「納め」と号令を掛けた。

習う四人は右手を鞘に近づけると刀の塚元を鞘に当て右手をゆっくりと右に移し切っ先から刀を鞘に納めた。

習う四人が安心の溜息を尽き虚脱状態になった。

「その刻こそ隙だらけで御座います」

誠一郎の厳しい声が飛び、四人は「はっ」として己の不覚を理解した。

「・・・ご指摘ありがとう御座います」

次郎太が直に礼を述べた。

「次に移ります」

四人の習う者の前に教える四人が立った。

「今から三つ数えます」

誠一郎が言った、が習う四人には意味不明だった。

「ひ~、ふ~、み」

その瞬間に習う四人は額に痛みを感じ手で押さえた。

「痛い」

「痛~」

「何がどうなったか、解りましたか」

「今の痛みは、貴方が・・・」

「皆が、四人がそれぞれに痛みを与えました、何があったか解りますか」

「・・・解りません」

他の三人も首を横に振って解らないと示した。

「・・・今の技の名は仙花、と言います、鳳仙花の仙花です、鳳仙花が種を飛ばす様に豆や小石を飛ばします・・・但し、飛ばすのは手の親指の弾きです、小さい豆、小石から練習を始めます、山の登り下りの刻に鍛錬し身体を休めている刻に鍛錬します・・・雪殿、良くぞ、短期間に此処まで鍛錬しましたね」

「お褒めの言葉、ありがとう御座います」

「雪殿は元々の素養は有りましたが我らの家族になってまだ一年も経ってはおりませぬ」

習う四人が信じられぬ、と言う顔で雪を見詰めた。

「本日は、此処までと致します、少々遅く成りましたが昼餉、少々早い夕餉と致しましょう、刀身が鞘に収まっているかを確かめて刀を渡して下さい」

教える役目の四人から刀を受け取り建屋に入った。

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