第220話 里での龍一郎の評判

その日の夕餉は久し振りに酒を許され大いに盛り上がっていた。

酒を飲む事は制限されていた。

大体五日に一度の夕餉に龍一郎の許しが出された。

当初、これを破る者もいたが現在は皆無であった。

規則を破った者が体罰が受けた訳では無い、牢屋に軟禁された訳でも無い、以降の飲酒を禁止された訳でも無い、事が発覚した直後に龍一郎が居れば、龍一郎の前に連れ出され二間程の間を開けて座らされるだけだった。

龍一郎が何かを言う訳でも無く、睨み付ける訳でも無い、龍一郎が只静かに眼を瞑り座っている前に座るだけの事なのである。

だが、この処置とも儀式とも言えるものを受けた者は二度と過ちは侵さなかった。

誰かが聞いた事があった。

「龍一郎様のあの早い動きで腹でも叩かれたか、頬か」

「いや、龍一郎様は手も足も動かさねぇ、眼さえ開けられぬ」

「じゃが、お前は酒を飲まぬ様になった・・・飲めぬ様に術でも掛けられたか」

「酒は飲めねぇ訳では無い、飲める、飲めるが・・・」

「上手くは無いのか」

「いんや、上手い、上手いが後味が悪い」

「やっぱり不味いのか」

「いんや、口の中が不味いのでは無い、心の中が不味いのだ、心の中がな、儂は兎に角、龍一郎様の前には座りとうは無い、二度と御免じゃ、あんな事は二度と御免じゃ」

聞いた男は他の経験者にも尋ねたが似た様な事を言い素行が改善された。

それは龍一郎が居る刻に限った事では無く居ない刻には甚八が許しを出した。

任務を外された年寄の中には酒飲みもいて目溢しをされている者たちもいた。


まだ養老の里に移り住んで間も無い頃、江戸組が山修行に訪れた刻、着いた途端に龍一郎が巳之吉(みのきち)、朋吉(ともきち)を呼びつけた。

集会の場として使われている穴倉の上の建屋の上座に龍一郎と佐紀が座り、江戸から来た者たちが両方の壁際に居並んで座った。

呼びに行った組頭が自分の配下の二人を連れて小屋に入って来た。

組頭は壁際の自分の席に座った。

呼ばれた二人は龍一郎の正面の一番下手に正座した。

その頃はまだ里の人々と龍一郎たち江戸組との出会いも少なく、里の人々に取って龍一郎たちは時々修行に来る甚八の知り合い程度に思っている者が多かった。

以前の住処、伊賀の里の広場で三郎太の技量の凄さを見てはいたが龍一郎の技量は知らなかった。

「・・・」

「・・・」

「統領、儂らは為して呼ばれたのじゃ」

朋吉よりも一つ年上の巳之吉が統領の甚八に尋ねた。

「其方らに用があるのは龍一郎様じゃ」

巳之吉と朋吉が何の用だ言う風情で正面に座る龍一郎を睨んだ。

「・・・」

「早くしてくんないかなぁ~、こっちは忙しいいんだよぉ」

龍一郎に対して尊大な言葉使いにも皆は文句も怒りも見せずに龍一郎の反応を待っていた。

「その方の名は巳之吉、その方は朋吉、共に吉と言う字が入っておる、吉と言う字の意味、付けた親の思いを考えた事が二人いはあるかな」

「そんなもん考えた事もねいや、小さい刻から俺は巳之吉、こいつは朋吉だ。

「其方らの名に付いている吉と言う字はよい事と言う意味じゃ、其方らが無事に大きくなって良い事が続く様に其方らの爺・婆か父親・母親が付けたのであろう・・・良い事とは村や町に降りた刻に小さな子供から金品を脅し取る、殴って取る事では無い、ましてや渡す物が無い者に店から物を盗ませる事は吉とは程遠い・・・そうは思わぬか・・・巳之吉、朋吉」

龍一郎の言葉に江戸組は驚いたが何より養老の里の者たちが驚いた。

龍一郎の話を聞いて当初は下を向いていた巳之吉、朋吉も刻が立つと顔を徐々に上がり龍一郎を睨み付ける様に見つめ始めた。

「儂ら二人がそげな事をしとると言うのか、誰が言うた、誰じゃ」

「秘密を漏らした者を尋ねると言う事は事実と言う事ぞ、巳之吉」

統領の甚八が詰問した。

「・・・くそ」

「其方らは何をしたのじゃ」

「何も悪い事はしておらん」

「巳之吉、嘘を言うで無い、正直に申せ」

甚八が追及した。

「何の事でしょうか、統領は仲間の言う事よりもよそ者の言う事を信じるのか」

「往生際の悪い奴じゃのぉ、巳之吉・・・朋吉どうじゃ、其方、正直に話さぬか」

「・・・」

朋吉がちらりと横に座る巳之吉を伺った。

「巳之吉が怖いのか、朋吉」

「怖か無いやい」

「では何をしたか話してみよ」

「町で生意気な餓鬼を叩いただけだ」

「何が、何処が生意気だったのだ」

「儂らの事を田舎の乞食と言いやがったんだ」

「それで殴ったのか、相手は何人であったな」

「五、六人だったかな~」

「それで勝負には勝ったのか」

巳之吉が朋吉の言葉を止め様と朋吉を睨んだが、勢いに乗った朋吉は止まらなかった。

「あったりめいだ、あんな町のひょろっこい奴らに負ける訳がねい」

「一度だけではあるまい、全て勝ったであろうな」

「あったりめいだ、十回全部勝った、これは家の壁に数を書いてあるから間違いねぇ~」

「そうか全部勝ったか、だが、喧嘩だけではあるまい」

「・・・」

「どうした、朋吉、その喧嘩の相手を手下にしたのでは無いのか」

「えぇ~、何で知ってるだ~、巳之さんが親分だ」

「ほぉ~、親分とは、それは凄いなぁ~、配下は皆で何人だな」

「七人になった、どんどん増えるぞ、今度は八人の組との戦だ、勝って配下が十五人になるんだぞ、凄いだろ」

「朋吉、しゃべり過ぎだぜ、黙れ」

巳之吉が朋吉がしゃべるのを止めさせ様と声を張り上げた。

「・・・」

「巳之吉親分、七人いや直ぐに十五人の親分になるんだったねぇ~、そんだけ配下がいれば中には特技のあるものが居るのではないかな、えぇ~、巳之吉」

甚八が優しい言葉使いで巳之吉を持ち上げる様に語り掛けた。

「・・・」

「どうだ、巳之吉、大勢いれば得意技を持った者がいるのじゃ無いかねぇ~、そんな者たちを束ねる親分が其方であろう~が、立派な者だ」

「・・・立派かなぁ~」

「おぉ、立派だぞ」

「統領は偉いなぁ~、何百人もの配下がいて、そんでそれらを纏めにゃならん、俺は七人でも大変だ」

「そうか、儂は偉いか、だがな、そんな配下の中にも得意の技を持つ者を探す事こそ大変でな、変装の上手い者、掏摸の上手い者、盗みの上手い者、武術に長けた者、走りの早い者、遠い処に早く着ける者、物を作る事に長けた者、まだまだあるぞ、それらを見つける目が大変でな、どうじゃ、其方は配下に見つけたか」

「おぉ、見つけたぞ、茂助は人の懐から物を捕るのが上手いんだ、弥一と権蔵は二人で組んで店から小物を気付かれずに捕るのが上手いんだ、凄いんだぞ、上手いんだぞ、誰も気付かないんだ」

「それは凄いなぁ~、懐から捕った物はどうするのだな」

「俺に渡すに決まっているんだ、親分だからよ、その銭でよ、皆で蕎麦を食ったり、饂飩を食ったりしてよ、楽しいぜ」

「そうか、楽しいか・・・だが銭を捕られた者たちは難儀しておろうなぁ~」

「そんなこた~知ったこっちゃね~や、取られる奴が間抜けなんだよ」

「では、大人数で一人、二人を痛めつけるのも員数が少ない方が悪いのか」

「まぁ~そんなもんだ」

「何と、その様な事までやっておったか」

「何だよ、知ってるんじゃねーのかよ、ちぇ、統領よぉ、何で統領が正面に座ってねぇ~んだよ」

「其方、今更何を言うておる、まだ龍一郎様の、お頭様の技前が解らぬのか」

「へぇ~んだ、何が龍一郎様だ、お頭様だ、只の江戸の侍じゃねぇ~か」

巳之吉がそう言って甚八の方を向いていた顔を正面に向け、釣られた朋吉も顔を正面に向けた。

薄ら笑いを浮かべ、しゃべりの興奮に赤く染まった顔が正面に釘付けとなった。

その赤みがかった笑みの顔から笑みが失せ赤みも徐々に失せた。

二人の子供に見られている龍一郎はと言えば睨んでいる訳でも無く怒った顔をしている訳でも無い、只、眼を瞑っているだけだった。

巳之吉と朋吉の顔から赤みも笑みも消え失せ汗が流れ身体がぶるぶると震え始めた。

壁際に座る里の者たちも顔から赤みが消え一斉に龍一郎に眼を向け、その途端にぶるぶると震え出した。

江戸から来た者たちは平然と龍一郎を見つめ里の者たちへと視線を向け、その様子に驚いていた。

そして江戸の者たちは気付いた、平静の自分たちの技の鍛錬と瞑想による心の鍛錬が龍一郎の放つ念に耐える力を着けている事に。


「う~ん、あれ、儂はなして寝とるんだ」

「じっとしておれ、頭は痛くね~か」

眼を覚ました巳之吉に組頭が言った。

「う~ん、あぁ思い出した、龍一郎・・・様の前で・・・あん人の姿を、顔を見て、あれ~顔を見たのかなぁ~」

巳之吉が思い出す様子を見せた途端に身体がぶるぶると震え顔に戻っていた赤みが失せた。

「どうした、巳之吉」

「あん刻のこた~思い出したくねぇ~、俺、あんな怖ぇ~のは初めてだ」

「巳之吉は怖かったのか~、儂は寒かった」

「えぇ~、頭も恐ろしかったのかい」

「恐ろしくも怖くもなかった・・・だが少々寒かった」

「龍一郎様が何かしたのかい」

「いいや、あの方は何もせなんだ、むしろ少しほほ笑んで居られた」

「笑ろうていたのか~」

「恐ろしい、恐ろしいお方じゃ」

「何が、誰が恐ろしいんだい」

「龍一郎様に決まっておろうが、あのお方は気だけでお前の気を失わせたのだからな」

「俺が怖いと思ったのは、あん人の気か~」

「多分なぁ」

「気で人を眠らせる・・・」

「あぁ、横を見ろ、まだ朋吉は眠っておる」

「あぁ、何だか子供の様に無邪気な顔で寝ていやがら~」

「何を言う、お前らはまだ餓鬼じゃ、子供じゃ」

「三郎太さんも他の江戸もんも出来るのかい」

「解らん、解らんが三郎太の師匠だからな、師匠一人だけが出来るやも知れぬ」

「そうかぁ~、あん人は恐ろしく強いんだなぁ~、俺は二度とあんな怖いのは御免だ」

「そうか、そんなに怖かったか、じゃが不思議だなぁ~、儂は龍一郎様が怒った処など見た事が無い、声を荒げた処も見た事が無い、むしろいつも少しほほ笑んで居られる・・・そんなお方が怖い・・・か、不思議じゃなぁ~」

「頭、俺はもう町には行かん、修行に励む、励んで、あの人の様になる」

「良かろう、励め」

こうして、若手の中で佐助、八重に続く三番手が誕生した。

そして、この刻の様子が里中に龍一郎への畏敬の念が広まった。

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