第195話 忠相 来場
読売が売られた日の夕餉の刻に橘道場に武士の来訪が有った。
応対に出たのは老婆で伝言を持って食堂にやって来た。
「お客人じゃがね、道場は終め~じゃ言うても帰らん、若旦那さんに言伝を言うでな、ただすけ・・・言うたかのぉ~・・・」
「しまった」
少年が嘆いた・・・誠一郎である。
「どうした、誠一郎」
小兵衛が問うた。
「はぁ、本日、出仕しました直後、父上に呼び出されました、そのおりに今晩付き合えと願われました、が、別口が既にあります、と答えました・・・まさか行先を当てられるとは」
「其方の父上は伊達に奉行の職に着いておるのでは無いわ、其方が出迎えて参れ」
「ははぁ~」
誠一郎が項垂れて玄関へと向かう背に大合唱が響いた。
「未熟者、未熟者、未熟者」
誠一郎が益々項垂れて玄関へと向かった。
編み笠を左手に右手に太刀を持った忠相が項垂れた誠一郎を従えて食堂へ入って来た。
「これは、此れは、大活躍の皆様がお揃いで、まずは此度の助成に感謝致す」
入って来るなり正座し皆に向かって拝礼した。
皆が驚きの眼で見つめ龍一郎が笑った。
「はぁはぁはぁ」
またまた皆が驚いた、龍一郎が高笑いする処など見た事が無かったからである。
「ふぁふぁふぁ」
忠相も釣られる様に高笑いし、三度、皆を驚かせた。
「大岡様は誤魔化せまい、と思うておりました」
「密かに始末する手もあろう、龍一郎殿」
「それは全く考えも致しませんでした、悪しき者にも悪しき行いは成りませぬ、同じ悪しき者になる事だと思うております」
「うむ、皆が其方と同じ思いで有れば奉行所など要らぬのにのぉ~、まぁ少なくとも、ここに居る者は同じ考えであろう」
「誠一郎殿、父上の席を其方の隣に御作り致せ」
「はぁ~」
「誠一郎、儂が来て迷惑を掛けたようじゃな」
「大岡様、我が亭主が申しました様に予想はしておりました、御気に為さらずに寛いで下さい」
佐紀が大岡に茶碗を持たせて酌をしながら言った。
「これはこれは天下一の女剣士殿のお酌とは誉にござる、さぞ上手かろう」
「大岡様、上様は気付かれましたかな」
「小兵衛殿、此度の始末人を知るは三人で御座る」
「大岡様、上様、そして加納様で御座いますかな」
「左様、平四郎殿」
「大岡様は某をご存じで御座いましたか」
「師匠の仲間は全て知っておると思うておったが、また増えたようじゃな」
「事の発端の娘が一人増えました」
「一人の娘からじゃと・・・詳しく聞かせてはくれぬか、龍一郎殿」
「この件に関わらぬ者もおります、本日の読売にて知った者もおります。それ故、皆を集め仔細を知らせるつもりで御座いました・・・大岡様、この娘、お雪を見出したは佐紀で御座います、佐紀、其方から話を進めよ」
「はい、旦那様・・・事は私が実家へ・・・・・・」
佐紀が初めてお雪に会った刻からの事を話始めた。
「待て、いや済まぬ、待ってくれぬか、其方らは一日で、たった一日でそれだけの事を調べたのか」
皆が不思議そうな顔で忠相を見つめた。
皆に見つめられた忠相は<こいつらは真ともでは無い、天狗か奇人の集まりか>と感じた。
「そうじゃ、新たな仲間になったお雪、其方は不思議に思うであろう」
尋ねられたお雪は小首を傾け考えて言った。
「そう言われれば、ここに来たばかりの頃は不思議に思う事もありましたが・・・今は何も不思議に思う事は御座いません」
「ふぅ~、化け物どもに囲まれておると化け物を見慣れてしまうと言う事か」
「父上、我らは化け物ですか」
「化け物で悪ければ天狗じゃ、天狗~」
「そんな事より、その後をお聞かせ下さいませ、高は知りとう御座います」
平四郎はお峰に、三郎太はお有に、清吉はお駒に、それぞれの相方に仔細を述べる様に促した。
三人の女子衆は暫く見つめ合いお駒が頷いた。
「お雪ちゃんを仲間に加えるは、その家族も加えると言う事、と言う龍一郎様の言葉に従い、お雪ちゃんの只一人の肉親の婆様を佐倉へ迎えに行きました、そして龍一郎様は辰三が悪巧みをした刻を懸念し私を婆様の変わりに佐倉に残る様に申しました・・・無論、何時までもと言うものでは無く佐倉までの工程を鑑み十日と言う期限でした、私は龍一郎様の考え過ぎと思うておりました、が、何と数日後に手下たちが本にやって参りました、危害を加えるつもりでは無い事は解っておりましたので、龍一郎様の指示通りに御府内まで言われるがままにやって来ました、奴らの歩みの遅い事、遅い事、まぁお陰で思惑通りに薄暗闇に御府内の伝馬町近くに辿り着きました、そこで影護衛の多分、三郎太がこちらの道場に知らせて呼び寄せた援軍と共に手下と用心棒を捕らえ小伝馬町の牢屋敷に放り込みました・・・これが私が知るその日の出来事で御座います、因みにお雪ちゃんの祖母は忠相様を出迎えた者で御座います」
「おぉ、あの婆様がお雪殿の婆様か、お雪、どうじゃ、一緒で嬉しかろ」
「はい、夢の様じゃ、いえ、夢の様で御座います」
「どうじゃな、婆様」
「三食、白米なぞ天国、極楽の様じゃ、罰が当たらぬるかと心配じゃ」
「そうか、天国か、長生きせいよ、婆様」
「ありがていこったで」
「それで、まだ員数が足りぬようじゃが、他の者は何処でどの様に捕らまえたのじゃな」
「父上、其れには私が関わっております」
「何、我が倅も役目を与えて下されたか、龍一郎殿・・・申せ、誠一郎」
「はい、舞殿が囮となりまして御座います」
「何、舞殿が捕まったと申すか」
「いいえ、父上、この道場を辰三の手下と用心棒どもが見張っておりました、おそらく、婦女子か幼子を人質にと考えての事と思われますが、当道場に出入りする者の多くは三奉行所の与力・同心が多う御座います、奴らが容易に人質に出来る者など居りませぬ、そこで舞殿に旗本の子女、お嬢様に扮して頂き、私はその付き人、護衛、用心棒に扮しまして御座います、理由を着けて帰りを舞殿一人の囮とし小伝馬町近くまで奴らを引っ張りまわし一網打尽と言う訳で御座いました」
「そ奴らがあの廃寺におった者たちじゃな」
「左様です、父上」
「うむ、それでも、まだ員数が足りぬ様じゃのぉ~」
「後は、辰三一家と旗本屋敷じゃ、此処に居る者のほとんどで回りから一人一人排除して行っただけの事じゃ、まぁお高とお花は居らなんだがのぉ~」
小兵衛が簡略に説明した。
「小兵衛様、何故に私たち二人にお声を掛けて頂けませんでしたのでしょう」
お高が参加できなかった事に不平交じりの声で尋ねた。
「許されよ、お高、責任を転嫁する訳では無いが儂は呼ぶつもりであった、だがな龍一郎が許さなんだ」
「龍一郎様、何故で御座いましょう、私とお花は技量が足りぬのでしょうか」
「お高殿、其方の技前は十分な物じゃ、お花殿もな、だが、其方らがお店をあの時刻に留守に出来るかのぉ~、出来まい、以前から申しておろう、其方らがお店を開けても良い様にとな、清吉とお駒の二人は正平夫婦を育てた、故に参加を願った、解って貰えたかな、お高殿」
「解りまして御座います、龍一郎様」
「改めて言うておく、其方が信頼出来る者を育てる事じゃ、佐紀がお雪を見出した様にのぉ~」
「お雪を私に預けて頂く訳には参りませぬか」
「それは成らぬ、お雪の後見は見出した佐紀じゃ、焦らずに信頼に足る者を心して置く事じゃ、良いな」
「はい・・・龍一郎様は佐紀様の何処に才を見たので御座いましょう、佐紀様はお雪の何処に才を見たのでございましょう、清吉殿は正平の何処に・・・」
「それは私もお聞きしとう御座います」
佐紀が龍一郎に尋ねた。
「其方が廊下を歩いて来る刻の歩みの音じゃ」
「歩みの音??? 廊下を歩く音で御座いますか」
「左様、其方の歩みの音が弾む様でなぁ~」
「それ程違いが御座いましたか???」
「そうよなぁ、足腰の強さを感じさせる程にのぉ~、聞けば幼き頃より寺社仏閣参りを日課としておったとか」
「佐紀殿が寺社仏閣巡りをのぉ~、それも幼き頃からとはのぉ~」
「お雪も近くの寺を日参していたそうな、長い階段を登ってと申しております、大岡様」
「其方と同じと言う事かのぉ~、佐紀殿」
「龍一郎様、では、あの場で私を嫁にとお考えに成られましたのですか、旦那様」
「今では其方の歩みの音は聞こえぬが、あの音を聞いた刻に嫁にしたいと思うた、其方が受けてくれるとは思いもせぬ事であったがな」
「運命(サダメ)を感じました」
そう言った後、佐紀は龍一郎を見つめ龍一郎が見つめ返した。
「其方らの縁の話では無い、佐紀殿、其方はお雪の何を聞き見て才を感じたのじゃ」
見つめ合う二人に小兵衛が割って入る様に問い掛けた。
「はい、お雪は立ち上がる刻に手も付かず立ち上がりました、それは見事な立ちい振る舞いで御座いました」
「其方らは眼も特別の様じゃのぉ~」
小兵衛が感慨深げに宣った。
「父上、旗本と城の重鎮、大奥の年寄りはいかがなりましたでしょうか」
「うう~ん、其方、まだ聞いておらぬのか???」
「はい、何方かご存じですか」
「・・・」
誠一郎が回りの人達を見渡した、吊られて舞も見渡した。
「どうやら、知らぬは其方ら二人だけの様じゃな」
「・・・」
「家名は伏せるが大目付は罷免・御家断絶、御典医も罷免・御家断絶じゃ、大奥・年寄りは宿下がりの命が出され城を出た処を捕縛した・・・可哀そうに、この年寄りに唆されし者、数名も後から宿下がりと相成った」
「その者らに、御咎めは無しで御座いますか」
「其方、平四郎と申したな、其方、阿芙蓉の切れた者の行く末を知るまい・・・真、酷いものでな、身体から・・・食しておる刻ゆえに詳しくは言わぬが本人にとっても家族にとっても地獄であろう」
「なかなか止められぬ、と聞いておりますが」
「娘の為に手に入れ様とする者もでようなぁ」
「それを奉行の配下なり密偵なりが後を着け、お医師、薬種問屋を突き止める、と言う訳ですかな」
「小兵衛殿、儂には密偵などおらぬ」
「そう聞いておきましょう」
「大奥へ入る程の器量良しじゃ、薬さえ抜ければ良い嫁の口が見つかるであろう、抜ければな」
酒を飲んだり夕餉を食しながら、あれこれと話が弾んだ。
「おぉ忘れておった、余りの楽しき夕餉故にのぉ~、評定での事じゃ大目付が吐露されて解ったのじゃが広い雑木林と廃絶となった旗本屋敷を我が物としておった、屋敷は妾に与え林は別邸でも建てるつもりであったようでな、呆れ果てたわい、上様にご報告申し上げた処、拝領屋敷は取り調べ書きに載せよ、が記録に無い旗本屋敷と雑木林は取り調べ書きに載せずとも良いと言われた・・・龍一郎どの上様は此度の褒美に其方に取らすと言うのじゃ、どうじゃ受けてくれるか」
「忠相様、御受けいたさば我らの成した事と認めた事となりますが・・・」
「良いでは無いか、此処に居る者以外では上様と加納殿しか知らぬのじゃによってなぁ、それになその旗本屋敷は何とこの道場の隣でな、元はこの道場と同じ屋敷であったの物じゃ、どうじゃ断れまい」
この知らせに龍一郎には珍しく言葉に詰まった。
「願っても無い申し出で御座います、御受け致します」
「そしてな、雑木林の場所じゃが、加賀前田家下屋敷裏でな・・・縁を感じぬか??? どうじゃこれも断れまい」
「忠相様には逆らえませぬな、上様に御礼をお願い致します」
「上様はな、場所を御知りに成られた刻に即刻、其方にと決められた様じゃ、上様は其方に世話になるばかりなのを気にされておった、これで少しは恩を返せたと喜んでおられた」
「上様は武人の棟梁に御座います、誰にも恩を感ぜずとも良いのです」
「儂は初めて知らされた、庭甚八殿の事をな、上様は其方に何かで報いたいと思うておったのであろう」
「上様にお伝え下さい、龍一郎、確かに頂戴致します、実りあるものにして見せますと」
「解った、伝えよう、御悦びの事であろう」
忠相は懐から土地の登記権利書を差出し龍一郎は拝礼し受け取った。
「龍一郎、どうするな、何をしようと言うのじゃ」
「まぁ、楽しみにお待ち下さい」
「いやはや、甘露な酒(ささ)で御座った、此れにて暇致す」
「大岡様、毎夜、役宅へ戻られますか」
「そうしたいが役目柄そうもいかぬ」
「戻られぬ刻は勿論奥方様には知らせを致しましょうなぁ」
「それもそうしたいがままならぬ」
「では、本日はこちらにお泊り下さい、皆も泊ります・・・そして、明早朝、庭にて日課の修行を致します」
「・・・泊めて頂こう」
「ならば、もう一献」
「頂こう」
忠相も泊る事となり、今暫くの宴が続いた。
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