第257話 新参者たちの初山修行

「おはよう御座います」

仙太郎は肩を揺すられて薄っすらと目を開けた。

前日の疲れが少し残る仙太郎は暫くぼぉ~としていたが己の立場に気が付き飛び起きた。

「皆を起こして表の広場にお出で下さい、鍛錬の始まりです、装束はそちらに用意してあります、着替えて下さい、女子衆は胸が妨げとなりますので晒(さらし)を巻かせて下さい、褌(ふんどし)もさせて下さい、男子衆も替えて下さい」

平太はそう言うと建屋を出て言った。

残された仙太郎は回りを見渡し、まだ眠りに就いている三人を見詰め次郎太、律を揺り起こした。

「次郎太殿、次郎太殿、朝です、鍛錬の始まりです、起きて下され、律、律、朝じゃ、鍛錬の始まりじゃ」

「もう朝ですか、仙太郎殿」

「平太殿が儂を起こし鍛錬の始まりと告げて行きました、外の広場で待っているとの事です、幸殿を起こして下され」

「仙太郎様、私は寝た気がしません、まだ眠いです、本に朝ですか」

「平太殿が起こしに来たのです、朝です、早く起きなさい」

「まずは、顔を洗って、歯を磨いてですね」

「何を言っているんだ、平太殿が外で待っていると言ったはずだ、兎に角、指示通りに着替えて早く外へ出てみよう、早く、早く、女子衆は胸に晒を巻いて褌もする様にと言うていた、我ら男子衆も褌を替えろとの言い付けだ」

律と幸の二人は奥の部屋に着替えを持って入り襖を閉じた。

「幸さん、私は晒も褌もした事がありません、幸さんは解りますか」

「ええ、祭りで神輿を担いだ刻に着ました、私の真似をして下さい」

幸は服を脱ぎ素っ裸になると褌を付け始めた。

それを見ていた律も覚悟を決めて素っ裸になり褌を巻き始めた。

幸が律の褌を確かめて、次に胸に晒を巻き始め、律が見真似で胸に晒を巻き始めた。

又、幸が律の晒を確かめ、次に手足に重しを付けて忍び装束の様な鍛錬用の服を着た。

最後に足袋を履き支度がなった。

その頃、仙太郎と次郎太の男子衆は揃って素っ裸になり褌を用意された黒い物に替え手足に重しを付け足袋を履き忍び装束を着込んだ。

「仙太郎様、次郎太様、こちらは用意が出来ました、そちらは宜しいですか」

「出来ています、直ぐに外に出ましょう」

奥の部屋から出て来た幸と律は仙太郎と次郎太に続き建屋の出口へ向かい外に出た。

仙太郎を先頭に建屋から広場に出ると外はまだ暗かった。

其処には、誠一郎、舞、平太、雪が待っていた。

「おはよう御座る、七つを四半刻を過ぎました、他の者たちは修行を初めています、明日からは遅れ無い様にして下さい、では、此れから山に登ります、まだ、暗いですが、目を暗さに慣れる事も鍛錬の一つです、小石に足を獲られ無い様にして下さい、特に下りは怪我に繋がりますので気を付けて下さい、それから今日から重しを増やして下さい、重しを付け、小石を拾ったら始めます」

誠一郎が足元の重しを指さして言った。

仙太郎ら四人は足首と手首に重しを着けて、地面から小石を拾い重しと一緒に置いてあった袋に詰めた。

「速さは重要ではありません、足の置き場所を確かめね事、回りの動物の気配に気を配る事、回りの景色を覚える事、仲間の動きに気を配る事、己の動きと疲れや痛みに気を配る事、小石を右手の親指で飛ばす事を忘れずにいて下さい、いろいろな事を一度には出来ないと思うでしょうが、最初は出来なくても何時も意識して要れば出来る様になります、最初からそんな事は無理だと諦める事が一番の修行の妨げになります、では、私と舞殿が前を走ります、付いて来て下さい」

誠一郎と舞が山へと走り出し、その後を仙太郎ら四人が後を追い最後に平太と雪が走り出した。

仙太郎ら四人は登りの急な処では足だけで無く手も使って山を登った。

無論、誠一郎たちは足だけで登り速さも新参者たちの様子を見ながら合わせていた。

新参者たちは刻々足を滑らせながらも怪我も無く山の頂上に着いた。

だが山を登る事に精一杯で回りに意識が行かず指で石を弾く仙花の練習をする余裕も無かった。

誠一郎が懐から何かを出し眺めた後に又懐に仕舞った。

「はぁ~、はぁ~、板橋の山とは違います、本物はやはり違いますね、凄いです」

「はぁ~、本に本物は違います、疲れました」

女子衆の二人は声も出せない程に荒い息使いのままだった。

年下の師匠たちが自分たちが腰に下げていた竹筒の水筒を新参者四人に渡した。

仙太郎たちが息を整え水を飲んでいる間、誠一郎たちは山頂の社の掃除をしていた。

「はぁ~、はぁ~、誠一郎殿と舞殿は足だけで登っていたが、儂らは手も着いてやっとこさ登った・・・この違いは何なのだ」

「はぁ~、はぁ~、鍛錬の賜物じゃ、激しい鍛錬の成果なのでしょうな」

次郎太の言葉に仙太郎が感慨深げに返答した。

「はぁ~、はぁ~、あの四人にはこれくらいは平地を歩いているのと変わらないのでしょうね」

幸も年下の四人の師匠たちの力量に驚かされていた。

「何度も言いますが、下りは足を取られ易いですから、足の体重を移す前に足で地面を確かめて下さい」

「はい」

年上の四人が直な返答を返した。

誠一郎が又、懐から何かを出すと一瞬見詰めて懐に仕舞った。

「では、下りです、出立します、順番は同じです、では」

誠一郎は皆が立ち上がり草鞋の確かめ終りを待ち竹筒を返して貰い下り始めた。

仙太郎たちの進み具合を確かめながらゆっくりと下り広場に辿り着いた。

途中、仙太郎たちは何度も足を滑らせていたが挫くなどの大事には至らなかった。

仙太郎たち四人は広場に着いて直ぐに座り込んだが年下の師匠四人は立ったままで、誠一郎が又、懐から何かを出すとちらりと眺めて懐に仕舞った。

「誠一郎殿、何度か懐から何かを出して眺めておられるが、何かとお尋ねしても宜しいですか」

仙太郎が又渡された竹筒から水を飲みながら誠一郎に尋ねた。

誠一郎が懐から出して見せた。

「これは龍一郎様からお借りしている懐中時計と言う物です、西洋の時間を表します、一日を二十四で分けて時と呼びます、二つの時の間を時間と呼びます、真夜中つまり九つを零時、半刻後を一時、八つを二時と呼びます、一時間を六十で分割した時間を分と呼びます、今日、貴方がたを呼びに行ったのは七つ、つまり四時です、山に登り始めたのは四時三十分でした、山の頂上に着いたのが一時間二十分後の五時五十分、十分の休みの後、下り始めたのが六つでした、下りは一時間十五分掛かりました、今は七時十五分です、日乃本では季節により一刻の長さが変わりますが西洋では全て一様です」

「持たせて頂けますか」

誠一郎が仙太郎に時計を渡した。

「西洋時計の話は聞いた事が御座いましたが、とても大きな物と聞いておりました」

「龍一郎様が申されるには最新の物でとても高価な物だそうです」

「皆様がお持ちなのですか」

「幸殿、それ程の数は無い様です、組を任された者が持たされます」

「刻印は西洋の数で一番上が十二です、一日に二回りしますので真夜中の零時、つまりは九つから一周して昼の九つ、十二時になります、十二の右隣からいち、に、さんと呼びます、詳しくは午後の剣術稽古の後の学問の時刻にしましょう」

「鍛錬には学問もあるのですか」

「律殿、探索に際しいろいろな職の者に変装します、そのおりの言葉使いや仕草を学びます」

「あの建屋も我々の仲間の一人の指導の元、我々が建てたのです、建物の建て方、爆裂弾の作り方も学ぶのです」

舞と平太が学問について語った。

「では、もう一度、山に登ります、宜しいですね」

誠一郎が懐中時計を戻して貰い時間を確認して懐に仕舞った。

「では、参ります」

誠一郎を先頭に二度目の山修行が始まった。


二度目の登りは一時間十五分、下りが一時間とそれぞれ十五分短縮され二度目に広場に戻ったのは九時五十五分だった。

誠一郎が懐から懐中時計を取り出し十分の休憩の後、三度目の山登りを始めた。

三度目になってやっと思い出したか、余裕が出来たのか、仙太郎が仙花の練習の小石を指で弾く事を始めた。

まだまだ、遠くへは飛ばずその場で落ちているに近かったが、最初は皆がその様なものだった。

頂上で十分の休みの後、下り始めたが仙太郎が他の三人に促したのか、四人が小石を指で弾きながら下っており、刻々、指に気が行き過ぎて足を取られる事が多かったが幸い大事には至らなかった。

三度目は登りが一時間十分、下りが一時間と二度目と殆ど変わらなかった。

仙花の練習に意識が行っていた事と疲れに寄るものと誠一郎は判断していた。


一度目、二度目にはついぞ会わなかった他の組と三度目が終わった広場で会った。

次から次と山から下りて来て、その員数は優に百人を超え歳も十代から五十代と思しき人たちまで様々だった。

仙太郎たちは此れだけの員数が同じ山で修行していて気配を感じなかった事に驚いた。

そして集会所として使われている建屋の前には、何と龍一郎の姿があり仙太郎たちは又驚いた。

仙太郎たちがもう一つ驚いたのは、此れだけの大員数がいるのにとても静かな事であった。

聞こえて来るのは隣接する里の家々の生活音や鍛冶屋から聞こえる金属を叩く音だけだった。

大員数の人々は建屋の前に集まる自分たちの師匠の動きに注視し言葉を待っているかの様であった。

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