第59話 修行八日過ぎ
山修行も八日目の朝は経路も初日に比べ険しいものに変わっていた。
龍一郎ら上級者は足だけで登って行ったが、誠一郎を初めお駒など女衆は両手も使い這い登るようにして頂上へ辿り着いた。
この経路の初日には頂上では息も絶え絶えだったが今日は何とか息が少々荒い程度だった。
龍一郎は三日目から皆に休息の刻を与えていたが、皆、休息せず己を鍛える事に刻を過ごし、八日目にしてこの経路を踏破するまでなっていた。
これは龍一郎の予想を大きく超えるものだった。
又、三日目から始めた夜の山修行も登り降りに要する刻が短くなっていた。
但し、四日目に舞が五日目にお峰が降りに足を挫いたが幸い軽いものであったので二日間の山修行休みだけで復帰した。
本人は次の日には、行くと言ったが龍一郎が許さなかった。
剣術も五日目には木刀での打ち合いを見せた。
これは龍一郎と小兵衛が行った。
激しい剛の打ち込みでは無く静と静の打ち込みだった。
小兵衛の剣裁きは修行の日にちを重ねる毎に鋭さを増し元に戻りつつあった。
真剣ではないとは言え当たれば骨は砕けるのだ上位者同士故のなせる稽古だった。
その後、真剣での型稽古を龍一郎と平四郎が見せた。
寸止めまたは紙一重の交わしで、これも勿論、上位者故の修行である。
皆は食い入る様に見ていた、見るだけだ自分達にはまだまだ先の修行と認めていた。
皆の剣修行は型を木刀、打ち込みを竹刀、抜き打ちを真剣で行っていた。
九日目の夕餉は豪勢だった。
山修行の降りに猪が隊列の中央目掛けて突進して来たのだ。
中央の小兵衛と平四郎が剣を構えたが一瞬早く最後尾から三郎太が前面に走り出た。
が、その刻には上部からの剣が猪を刺し仕留めていた。
「済まぬな、三郎太、儂の獲物じゃ」
龍一郎がのたまった。
そんな訳で猪鍋となったのだ。
これまでも、龍一郎、三郎太が兎を何羽も捕まえ食材にしていたが猪はまた格別だった。
兎を食する時も、舞、誠一郎、お峰、お駒、清吉は躊躇っていた。
龍一郎には平太が三郎太に同行し経験があると思われたが、お久、お有が平気そうな事には少々以外だった。
この夜の猪も舞は躊躇したが他の者は兎が事の他美味かった故か猪は進んで口にし「美味い、美味い、温まります」と連呼していた。
その内、舞も食し「美味しい」と言った。
九日間の修行で体力が付き基礎代謝が上昇した。
その為、食する料は序々に増えて行き、今では舞の食する料は町の大人の男と同等になっていた。
可愛い顔をしたお佐紀、お有などは、大の大人のそれも力仕事をしている男の倍以上の料を食べた。
当初、お有は遠慮し控えていたが翌日、力が出ずその夜から、しおらしさは捨てて大いに食べた。
病気の床にあり食も細かった小兵衛も修行の間に序々に力が付き、食も序々に太くなり、今では平太と食べ比べをするまでになっていた。
大きな猪だっただけに、残りを塩漬けにと龍一郎は考えていたが、残らず食べてしまった。
平太など犬のように骨までしゃぶる始末であった。
夕餉の後片付けも済み皆で茶を飲んでいる刻、龍一郎が言葉を掛けた。
「皆に言うて置く、此れから、益々強くなる、そして、何時か誰かと剣を交え勝ちを収めよう、一度、二度、三度と重ねる内に血に飢える様になるやも知れぬ、そう有ってはならぬ、もし、皆の中に、そうなる者がおれば、私が斬る、儂が斬る、これを心して置け、そして、剣の魔を遠ざけよ」
翌朝、まだ暗い七つ半(5時)、十日組が江戸へ帰って行った、平四郎、清吉、お駒、お久、お峰に用心棒になると言って小兵衛が同道し帰って行った。
龍一郎には解らなかったがお佐紀を初め女衆には理由が解っていた。
小兵衛はお久に気が有り、お久も満更では無い様だった。
これは、後からお佐紀が龍一郎に語った。
お佐紀とお駒は小兵衛の縁を画策していた。
十日組を送り出した後、修行は一段と険しさを増した、山修行も険しいだけで無く忍びの要素が取り入れられていた。
平太は既に三郎太に仕込まれており、易々とこなしていた。
お有、誠一郎、舞は苦労していた、だが、なぜか、舞が異常な程の負けず嫌いの性を見せ修行をこなしていた。
その為、女子とは言え年長のお有、男の誠一郎は根を上げる訳にも行かなかった。
修行も序々に忍びが主体となって行き、三郎太が伝授する隠れ方、尾行方法にまで及んだ。
当然、剣の修行も厳しいものとなっており、竹刀の打ち込みは平四郎がお有、誠一郎、舞の相手をし、龍一郎がお佐紀、三郎太、平太の相手をした。
一対一の場合もあれば、一対三の場合もあったが、平四郎の相手はお有、誠一郎、舞だ、平四郎は当然余裕で相手をしていた。
龍一郎の相手は自分が仕込んで入るお佐紀、忍者として一級品の三郎太、その三郎太に仕込まれている平太だ、だが、龍一郎に一太刀も浴びせる事はできなかった。
三郎太が忍びを仕込む間、龍一郎と平四郎は竹刀による稽古を行なっていた。
それは稽古場では見られないものであり、龍一郎による平四郎への一方的な稽古だった。
平四郎の予想を遥かに超えた実力の差がそこにはあった。
平四郎の一太刀が交わされ手痛い一撃が返され、次の一太刀に吹っ飛ばされた。
何度も何度も倒され何度何度も気を失った。
その都度、水を掛けられ修行が再開された。
他の者たちはその光景を見てはいないが、小屋に戻った刻の平四郎の疲労困憊の様子と傷の具合で大体の予想はしていた。
初日から数え十五日目に忍びの修行を試す事になった。
近隣の村の家に忍び込むのだ、まず、橘家の領地の一切を任されている庄屋の家とした。
以前、村には五家の武家があり近隣の百姓家を庇護していた。
月日が流れ五家の武家も百姓になり、一家が庄屋となり近隣を治めていた。
その庄屋が年貢を取り纏め橘家へ納めていたのである。
年貢の割合は公儀の定めでは四分六分であったが小兵衛は三分七分に留め農民の暮らしを楽にしていた。
庄屋の家は大きく作りも武家の屋敷の赴きだった。
元武士であるから当然と言えば当然である。
龍一郎、平四郎、三郎太、お有、お峰、誠一郎、平太、舞と総勢八名である。
如何な武家屋敷とは言え天井裏に全員で上がれば太い柱も軋み音を出す。
全員はまだ屋敷を見下ろす小山の上にいた。
龍一郎と三郎太がまず、周辺の探索を行い、安全を確かめ、その後、二人が屋敷に忍び込んだ。
一刻程経ち戻って来た、当初は半刻のつもりであった龍一郎が長く留まった。
戻った龍一郎は、三郎太に打ち合わせ通りに一人づつ連れて何度も屋敷に忍び込んだ。
その間に龍一郎は平太を連れ他の武家屋敷を廻った。
こちらは本当の探索である、龍一郎は近くの百姓家にも忍び込み、その暮らし振りを確かめた。
一同は小山で落合い小屋に戻った。
龍一郎が三郎太との忍びが長くなったには訳があると言った。
「三郎太、その方が話せ」
「私めがでございますか」
「簡単明瞭なる話し方も修行と思え」
「はい、では、私と龍一郎様が入った屋敷には主人がおらなんだ。皆を案内した屋敷が三軒目で、そこに四家の主人が集まって居った。その集まりの話を聞き遅うなった。四人は五つ有った屋敷の主でな、そしてその話ですが、今一人が山賊と契りを結び村人から米を奪い取っておるとの事でございました、皆も知っての通り、ここは橘家の所領じゃ、龍一郎様の知る所によれば近年橘家には年貢米が届かなかったそうでな、これで合点が要ったと言う訳でござるよ」と三郎太は、町人、商人、武士の言葉を使い分け話した。
「言葉使いも忍びの修行か」
「はい、いろいろと扮しますが、姿、形だけでは無理がございます、里にて仕込まれました」
「さても南京玉すだれ・・・」、「この軟膏を付けますと、あ~ら不思議・・・・がまの油・・・」
辻売りの決まり言葉をすらすらと言った。
「凄い」「美味い」
平太、舞が喜んだ。
「言葉だけでは、ございません、大工、左官、船頭と何でもこなせる様に仕込まれました」
「忍びとは惨いの~」
「惨い・・・」
「そうではないか? どの職にも就ける才を与えながら、どれにも就けぬ、中には秀でた者も居ったで有ろうに・・・、歳若くして死したであろう」
「・・・三十歳前に戻らぬ者が多くございました」
「皆に言うておく、こののち私から探索の願いを致す事もあろう、じゃが、命令ではない、役目ではない、あくまでも頼みです、自らの命を第一に思い無理をしてはならぬ、我らの存在を知られぬ事が大事とも考え敵の気配を察したなら身を引くのじゃ・・・良いな」
皆が真顔で大きく頷いた。
「三郎太も同じじゃぞ、くれぐれも無理をしてはならぬ」
「畏まりました」
「話を戻そう、儂と平太で農家を見てきたが困窮しておった。野党に奪われておる事は間違いない様じゃ。我、橘家所領地の難儀故、儂は見捨ててもおけぬ。そなたらに義理はないが、修行の成果を確かめると思い手伝うて貰いたい、どうじゃな」
「お手伝い致します」
誠一郎が即座に了承した。
「勿論、退治いたしましょう」
三郎太は当然とばかりだった。
お有、平太、舞も又大きく頷いていた。
「ありがとう」
「龍一郎様、企てをお聞かせ下さい、既にお考えでしょう」
三郎太が問うた。
「お聞かせ下さい」
誠一郎、平太、お有、舞も問うた。
「良かろう、まず、野党共の居所かの~、どうじゃ三郎太」
「はい、まずは、そのあたりかと、龍一郎様は居所の心当たりがお有りでは・・・」
「無い事も無い・・・、大山の麓であろうな」
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