第274話 佐倉藩下屋敷
誠一郎と舞が道場に戻ったが龍一郎は知らせを聞くのを待った。
皆が揃うのを待つとその場にいる者たちは理解した。
「何か府中で気になる事でもあるかな」
「相変わらず、十手と無頼の二股親分が何人か悪さをしていますな、それと、幼い娘が売り買いされておる様です、小娘の見目の良い娘は吉原へ、次が四宿、次がお店奉公ですな、男の子の見目の良い者は芝居小屋、寺社へ・・・男色ですな、後はお店奉公です、これは、今に始まった事じゃ御座いませんが、どうも、さる藩からの者が多く歳も一、二歳若いのですよ」
「清吉、何処の藩じゃな」
「はい、佐倉藩で御座いますよ、御隠居」
「雪、其方、心の鍛錬が足りぬ様ですね、婆様を見習う事ですよ」
佐倉藩と聞いて雪がぴくりと動いたので龍一郎から一言の注意が有った。
「はい、精進致します」
「佐倉藩は下総国印旛郡、初代は土井利勝殿であったかな」
「流石は父上、お詳しいですね」
「今の藩主は稲葉正知殿であったな」
「はい、御隠居・・・探索を初めて宜しいでしょうか、龍一郎様」
「清吉殿、既に手掛けておるのであろう」
「へい、ですが、屋敷には手を付けて居りません、わっしの気配が知れてもいけませんのでね」
「解りました、上、下の屋敷へは私と佐紀が先陣をきりましょう」
その刻、お雪、葉月、弥生の姉妹、平太が囲炉裏端に着いた。
「ご苦労でした、葉月殿、弥生殿、其方らは少々鍛錬が足りぬ様です、十兵衛殿、参られよ」
隣の部屋とを隔てる襖が開き十兵衛が現れた。
「私と弥生に合わせたので十兵衛様に先を越されましたか」
「葉月、姉様、精進しましょう」
「その方ら姉妹は負けず嫌いだのぉ~」
小兵衛が感心した言葉を漏らした。
女子衆、平太が台所に向かいあっと言う間に夕餉゛の支度がなった。
「では、食べながら聞こうかのぉ」
小兵衛の言葉で皆が合掌し食べ始めた。
「誠一郎殿にお話をお任せします」
「いいえ、今宵は舞殿にお任せ申します」
「まぁ~、誠一郎様ったら、夕餉に専念したいものだから~」
「そう申されるな、腹が減って声が出せぬ、お願い申します」
誠一郎はそう舞に願うとばくばくと飯を食い始めた。
「はぁ~、では、申し上げます、忠助様を襲った者たちを影で見張って居た者は佐倉藩下屋敷の裏口から入りました、屋敷内もと暫く様子を伺いました処、只ならぬ殺気を放つ者の存在が感じられ断念致しました」
「佐倉藩上屋敷は城近くであったな、中屋敷は人形町、下屋敷は確か広尾ではなかったかな・・・」
「爺~、凄い、凄い」
「儂は舞に誉められると嬉しいぞ」
「しかし、また、佐倉藩か~」
「又って、何、爺」
清吉が先程言った事を居なかった者たちに知らせた。
「ふ~ん、佐倉藩ね~、龍一郎様、調べますよねぇ」
「そうなりますね、舞、だが、その下屋敷の不気味な殺気を放っている者を排除せねばな、佐紀」
「はい、旦那様」
「龍一郎、お前も用心深いのぉ~、我らも相当な技前になったと思うがなぁ」
「父上、驕り高ぶりは行けませぬ」
「そうじゃのぉ~、だが、そ奴が其方よりも強いかも知れぬぞ」
「父上、率の問題で御座います、一番強い者が対すれば良い率になるでしょう」
「まぁ、そうじゃな・・・皆も用心に用心を重ねてな、誠一郎殿と舞の判断は正しいものであったと、儂も思う」
「爺に誉められましたよ、誠一郎様」
「はい、舞殿、嬉しく思います、何故に調べぬのか、と、お叱りを受けると思うておりました」
「龍一郎が常から言うておるでは無いか、何よりも其方らの身が第一だとな」
道場の食堂(じきどう)で皆で昼餉を食した後、龍一郎と佐紀が消えた。
二人が昼餉の後に自室に戻ると葉月と弥生、平太と雪が部屋の廊下に現れた。
「我々も同道をお願い申し上げます、無論、気配の手前までで待機致します」
「うむ、何れはと思うてはいた、平太と雪は同道を許す、葉月と弥生は駄目じゃ、訳は解るな」
「匂いますか」
「匂いだけでは無い、気に乱れがある、消したつもりでも乱れは露見に繋がる、平太、雪、其方らは解らなかったのか」
「いいえ、申しました、が、悟る者は少ないと申しました」
「葉月、弥生、私達はそれぞれの身も案じ無ければなりませぬ、なれど、更に仲間の身も案じ無ければなりませぬ、其方らの身は其方だけの身では無いのです、心しなされ」
「はぁ」
「はい」
葉月と弥生の双子の姉妹は龍一郎と佐紀に諭され納得した。
「平太、其方は他人を説得する力、考えを鍛錬せねばなりませぬな」
「はい、精進致します」
「葉月、弥生、其方らの気配の鍛錬の熟達は誉めて進ぜよう、三郎太殿、お有殿に悟られぬ鍛錬をしてみる事じゃ」
「はい、試みて見ます」
葉月が力強く答えた。
葉月と弥生が囲炉裏端に戻るとお久とお有が龍之介と遊んでいた。
「葉月、弥生、女子衆は月に何日かは探索は出来ませぬ、無理をしてはなりませぬ、身体を休めよとの天の思し召しと思いなされ、替わりに龍之介の様な可愛い子が授かる事が出来るのですよ、女子衆は」
「はい、心に留め置きます」
「お久様、お佐紀様はお子がお有りですが、月の物が感じられません、私たちの気の力が足りぬのでしょうか」
「私も不思議に思い、尋ねた事が御座います、佐紀は己の身体を御する事が出来ると申しました」
「己の身体を御する・・・子供が欲しい刻に・・・凄い、凄いです」
「鍛錬とは素晴らしい事まで出来る様になるのですね、お久様」
「はい、私も目指す処が見えている幸せを感じています、のぉ、お有殿」
「はい、我々、女子衆にはお佐紀様と言う目指す方が居られます、幸せな事で御座います、なれど、お佐紀様の心中は・・・」
「お佐紀様は一体誰を、何を目指して、お出でなのでしょうか」
道場では小兵衛が見所に座り、見所下に師範代の三郎太が座って、門下の者たちの鍛錬を見詰めていた。
「やはり、葉月と弥生の同道はならなんだ様じゃのぉ~」
竹刀の撃ち合う凄まじい音の中で小兵衛の声が三郎太だけに聞こえた。
「女子衆とは不便な者ですなぁ~」
「だがな、生まれた子が誰の子種かは女子にしか解らぬ、男(おのこ)は信じるしかないのじゃ・・・」
「これはまた、意味深いお言葉で御座いますなぁ・・・信じるしか無い・・・か」
「三郎太、龍一郎は一朗太を何故に仲間にせぬのじゃろうなぁ~」
二人の前で北町の同心と竹刀を交えている一朗太に眼が止まり小兵衛が三郎太に共独白とも取れる言葉を吐いた。
「はぁ、私も不思議に思うておりました、十兵衛殿を加えましたのに・・・」
「龍一郎の眼には何かが足りぬのであろうかのぉ~」
「何かが足りぬのですか・・・」
龍一郎と佐紀と平太と雪が佐倉藩下屋敷が見渡せる隣の屋敷の屋根に着いた刻、既に誠一郎と舞が待っていた。
「うむ、この気か・・・、佐紀、どうだなぁ」
「はい、旦那様、凄まじい殺気ですが・・・殺気だけですね、回りの気を探る力は有りません、殺気は別ですが、誰にも、何にも心を許さない、人殺しを生業(なりわい)にしている男でしょう」
「佐紀、それだけですか」
「探りの気を放たずに相手の気を受けるだけで・・・で御座いますね・・・」
「其方、あの者の安心感の様な物を感じぬか」
「あぁ、感じます・・・この安心感はどう言う事で御座いましょう、旦那様」
「業前の自信かな、違う、儂は短筒を持っておる故の安心感であると思う」
「短筒ですか、龍一郎様~」
舞が驚きを声にした。
「儂の感じゃ、故に短筒の間合いに入るで無い、心して置け、良いな、剣の業前は誠一郎、其方が上じゃ、舞とは互角と見た、だが、今、言うた様に短筒を忘れてはならぬ」
「はい、此処はお二人にお任せして、我らは中屋敷、上屋敷の外を探索致して参ります」
「願おう」
誠一郎と舞が消え、龍一郎、佐紀、平太、雪が屋根に残った。
「我ら二人で屋敷を探索して参る、平太、雪、其方らは、己の気の消し方と屋敷内の気の流れを受け止める鍛錬をしておるのじゃ、良いな」
龍一郎と佐紀がその場から消え、平太と雪だけが下屋敷の隣の屋敷の屋根に残された。
「平太さん、申し訳も御座いません、私が至らないばかりに取り残されました、お詫び申します」
「雪ちゃん、誰でも初めから強い訳では有りません、気の鍛錬をしましょう」
「はい」
「では、先ずは屋敷の何処に何人いるかです、感じますか」
「台所に三人、屋敷の奥に二人、囲炉裏の部屋でしょうか五人か六人・・・あの殺気の強い人の気が邪魔で良く解りません」
「居間には七人います、この強烈な殺気は邪魔ですね、ですが、この殺気を排除する、脇に退ける、無視する、但し、探りは入れない事・・・どうかな、出来そうかな」
「・・・いいえ、やっぱり強い殺気が邪魔です」
「焦る事は無いです、ゆっくりと順に鍛錬しましょう、次は台所と屋敷の奥の人達です、怒り、悲しみ、楽しさ、などは感じますか」
「えぇ~、気に感情があるのですか???」
「有ります、乗ります、受け止めて下さい」
「はい・・・・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「台所の一人から怒りを感じます、それと奥の一人から焦りでしょうか、を感じます、あぁ、台所のもう一人から痛みを感じました」
「居る処で勤めを考えて下さい」
「台所の三人は奉公人、奥の二人は佐倉藩の藩士でしょうか」
「良い読みです、そして、居間の七人は用心棒の浪人でしょうね」
「其れでは、この殺気の男が頭なのですね」
「頭と言ってもいろいろです、お雪ちゃん、浪人は金子で雇われています、そう言う意味では奥の二人の佐倉藩の者たちが金子元ですから指図するのは、この二人ですから、今、屋敷にいる中では頭は奥の二人の中の一人です、浪人の中の頭は殺気の男でしょう、が、こう言う男は一人の場合が多い様です、たまたま、佐倉藩に雇われて一緒にいるのでしょう」
「平太さんは凄いですね」
「お雪ちゃん、皆さんの受け売りです、皆はまだ若いですが経験は豊かです、修羅場を多く潜って来ています、皆の言う事を良く聞く事です」
「皆さんの昔を聞いても宜しいですか」
「先ずは、平太さんの昔が知りたいです」
「俺のかい」
「そうです、平太さんのです」
「そうですか、解りました、でも今は鍛錬の刻です」
「はい、あれ、殺気の人が居なくなりました」
「そうですね、龍一郎様と佐紀様が片付けたのでしょう」
「片付けたって・・・まさか・・・」
「まさか、お雪ちゃんならどうしますか」
「私なら・・・そうですね・・・殺します、まだ私には技量が足りませんが」
「我々は人を殺したりはしません、お雪ちゃん、私なら・・・武士としての生業(なりわい)が出来ない様に腕と肩の骨を砕きます」
「呻き声が聞こえます」
「龍一郎様なら気を失わせて屋敷の外に運び出し、骨を砕けます、声は聞こえません、意識が戻っても役には立たないのですから屋敷には戻れません」
「屋敷の者たちは、お酒でも飲みに行ったと思う訳ですね」
「そう言う事です、明日も戻らねば逃げたと思う事でしょう、それで、お雪ちゃん、他の六人の気が解りますか」
「はい、平太さんよりも技量が劣る様に感じますが、私の読み違いでしょうか」
「いいえ、私が感じる気配でも私よりは劣る様です、お酒に酔っている様ですね」
「二人共に良い読みで御座います」
その刻、二人の背後から佐紀の誉める声が聞こえた。
「あぁ、お佐紀様、龍一郎様、何時から・・・平太さんはお二人が戻ったと知っていたのですか」
「いいえ、解るはずがありません、残念ですが」
「鍛錬なされ、平太殿」
「はい、お佐紀様、精進致します」
「平太、其方ら二人に、此処は任せます、佐倉藩藩士の言動に注視して下さい」
「龍一郎様、天井裏、床下への忍びを許して頂けますか」
「許す、但し、新たに浪人、藩士の武家が門を潜った刻には即座に一旦、此処に引き、力量を確かめるのじゃ、強者であった場合、近づく前にその場を離れて居らねば動けぬ事になるでな」
「はい、心します、以前に舞が捕らえられた様になるのですね」
「左様、心せよ、我らは中屋敷、上屋敷を見て参る、決して無理をするで無いぞ、良いな、平太、雪」
「はい」
「はい・・・お二人は凄い方たちですね、平太さん」
振り返り、二人が消えたと確かめた、雪が平太に言った。
「雪ちゃん、その凄さを手にする為に、どれ程の鍛錬を要すると考えたかな」
「・・・そうですね、凄い技量には凄い鍛錬がいるのですね」
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