第153話 第六回戦-その三

次の呼び出しの声が響いた。

「柳生新陰流 井上歳三殿、 橘流・・・もとい、七日市藩流・岩澤平四郎殿」

平四郎は相手の井上が木刀を選んだのを見て同じく木刀を掴んだ。

両者は開始線に歩み礼をして開始を待った。

「御両者、よろしいか・・・始め~」

試合は相正眼で始まった。

井上は対峙して初めて橘流の恐ろしさを知った。

己の眼の前に人が居る、だが、その気配が全く感じられないのだ。

尾張の柳生新陰流では闇修行があり暗闇の中で大勢を相手にする修行を積んで来た。

今、眼を閉じれば会場の人込みは感じられても対戦相手を感じる事は出来ないと気付いた。

井上は焦りでも諦めでも無く無意識に構えを八双に変化させた。

暫く対峙が続いたが井上は相手が攻める気が無いと感じ取り八双から踏み込みざまに斜めに打ち下ろした、平四郎はその打ち込みを己の木刀で弾き返した。

井上は撃ち返された木刀を引き付け逆八双から打ち込んだ、だがまた平四郎に弾き返された、こんなやり取りが何度も何度も繰り返され攻めているはずの井上が場外を示す縄に近づいている事に見ている者達が気付いた。井上はその事に全く気が付かず背中に縄を感じて初めて気づかされた。攻めて攻めて打って打っているのだが逆に後ろに追い詰められていた。

井上が背中に縄を感じた瞬間に平四郎が木刀を正眼に構えたままにするすると後ろに下がり開始線に戻ってしまった。井上が釣られる様に開始線まで戻ると再度の打ち込みを始めた、だか暫くすると背中に境界の縄を感じ平四郎がまた開始線へと後戻りをした。

これが二度、三度、四度と繰り返され七度目を過ぎると井上の打ち込みに力が無い事は見ている者たちにもはっきりと判る様になった。そして八度目に井上が放った打ち込みを平四郎が弾き返すと井上の木刀は手を離れ空を飛び地に落ちてしまった。

ここに居たり打ち込み続けた井上の生も根も尽きその場にへたり込んでしまった。

その様子に審判の声が響いた。

「平澤平四郎殿の勝ちに御座いまする」

平四郎は息使いも平静で開始線に戻り対戦相手の井上の回復を待っていた。

尾張柳生の面目に掛けての思いが強く現れていた井上であったが平四郎には全く通用しなかったのである。

まだ息も整わない井上が地面に落ちた木刀を拾い開始線に立ち礼をして待機所へと戻っていった、平四郎も戻り何事も無かったかの様に瞑目した。

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