第124話 加賀屋と能登屋

その探索禁止の外にいる者たちが調べを続けていた。

それは加賀屋と能登屋の面々だった。

龍一郎と両店の繋がりを知る者は両店の主二人と大番頭の二人の計四名だけであった。

両店では「幕府と加賀藩の動向は店の浮沈に関わる」との理由づけをして店の主だった者たちは幕府や加賀藩の動向を探索する事を仕事の一部としていた。


龍一郎は妻女の佐紀には両店との繋がりを伝えてあり、他には両店と橘家との地下道を作った富三郎だけだった、富三郎が嫁に伝えたかの確認を龍一郎はしていなかった。

小兵衛や皆に秘密な訳では無く知らせる時期を見計らっているだけだったからである。

今の龍一郎にとって世間や一部の人間に知られたくない秘密は自分が加賀前田家の者だと言う事だけで他の事は大した秘密とも思っていなかった。

大名の妻女と嫡男は基本的に江戸離れる事は出来ない、謀反を防ぐ意味での人質である。

尚且つ龍一郎は御家人の家に養子に入っているのだ。

無論、幕府への届出もしてはいない。

只、龍一郎は想像していた、仲間の中で一番幼い舞でさえも誰かに捕まっても何をされても仲間を危険に陥れる事は決して口にしないと・・・それ程に結束は固かったのである。


両店ともに有益な情報を得てくるのは中堅の番頭だった。

大番頭は相手が大店の主や武家、幕府の重鎮やその補佐役で場所も料亭などの為本音を聞き出す事は殆ど無かった。

ましてや店主ともなれば相手は一癖も二癖もある藩の留守居役や幕府の重鎮その人であった。それでも遠回しに金の無心や賂(マイナイ=ワイロ)の要求をする者もおり情報が得られないわけでも無かった。

因みに両店ともに借金も賂も受け付けない事では江戸一と言われる程の評判を受けていた。

流石に武士の出で剣術もそれなりの腕前だった事が幸いしてか武士とは名ばかりの鈍ら刀を向けられても怯む事など無かった。

そんな主の姿を見せられたり聞いたりしている店の奉公人たも徐々に腹が座りだし、今では主人と同じ様に日頃は腰が低く商人の手本の振る舞いを成しているが相手の出方で死をも恐れぬ豪傑な人柄へと変わっていった。

その評判、噂は巷へと広がりいよいよ両店への信頼が高まって行った。

その為か近所の店の小僧たちは両店の小僧にもろもろの愚痴や相談を持ち掛ける事が多くなりその情報は小僧たちから番頭へ番頭から大番頭へそして主へと伝えられ両店の主は近隣の店々の評判や金周りに至るまでかなり詳しく知る事となって行った。

主が一番欲する情報を集めてくる者たちは二番、三番の番頭と手代たちだった。

この者たちが相手をしてくれるのは町屋ならば同じ役目の者たちだが武家ともなれば中間、門番、下足番などの小者たちだった。

だがこの小者たちは日頃から上役の武士たちは側にいるにもかかわらず人とも思わず誰もいないかの様に扱う事に慣れ秘密や噂話を耳にする事が多々あったのである。

夕方、当たりを付けた相手の後を付け偶然を装いばったりと会ったように見せかけ酒を御馳走するから愚痴を聞いてほしい・・・と持ち掛け終わってみれば相手が愚痴や秘密をべらべらと話している・・・と巧妙な手口で情報を得ていた。

店の奉公人たちは店の浮沈に関わると信じひたすら情報を集めていた。

だがそればかりでは無かった。

近くの店の小僧が同じ店の手代に虐めに合っている・・・と愚痴を能登屋の小僧に漏らした事があった。

当然、小僧から手代、手代から番頭、番頭から大番頭、大番頭から主へ話が伝えられた。


三日後、当の小僧と手代が他出の帰りに空き地に入り又ねちねちと虐めが始まり傷がばれない様に腹を殴った。

その時少女と思しき声が掛かった。

「おやおや、男らしく無い卑怯な行いですね~」

驚いて振り向いた手代が声の主が武家の成りとは言え自分より小さな娘と知り、驚きから冷笑へと変わった。

「だからなんだよ、これは躾なんだよ、躾、世間の習わしを知らない小娘の、それも武家が町屋の事に口出しするな、お前も痛い目にあうぞ」

「自分より立場、体力が劣る者には強気に出る・・・まるでならず者、やくざ者ですね」

「何を抜かしやがる、見られたからには黙って返す訳にはいかねえ、不運と諦めな」

「おやおや、言葉使いもお店の奉公人とも思えませぬな~」

「うるせー」

手代が両手を広げて向かって行った・・・次の瞬間、手代は腹を抑えて倒れ込んだ。

武家娘が小僧に聞いた。

「この手代さんの利き手はどちらですか」

唖然として言葉に詰まっていた小僧が暫くして答えた。

「右手でございます」

それを聞くや履いた下駄で左手の指を踏みつけた。

「ぼきっ」と音が響いた。

腹を抑えて呻いていた手代が「ギャー」と悲鳴を上げて右手で左手を抑え転げ回った。

少女は平然と見つめ手代が落ち着くのを待っていた。

「虐められる側の者の気持ちが解りましたか・・・まだ、解りませぬか」

静かに尋ねた、余りの落ち着きのある言葉に見ているだけの小僧が恐怖に身震いした。

「利き手、足では周りの人が迷惑しますので左手だけにしておきます・・・今後、貴方の心持ちが変わらぬ様なれば・・・」

「それ位で勘弁してお上げなされ」と影から声が掛かり気品を湛えた見目秀麗な武家の奥方と思しき人が現れた。

「参りますよ」

「はい、奥方様・・・自分の足で歩いて帰りなさいよ」

と最後に念押しし二人の女衆は何事も無かった様に去って行った。

小僧は横で痛さに呻く手代の存在も忘れ暫く「ぼぉー」と佇んでいた。

小僧に肩を支えられてはいたが手代は自分の足で店に戻った。

当然、店の番頭を始め皆に尋ねられたが本当の事は言えず、

「やくざ者に絡まれた」との言い訳を繰り返し番頭の指示で医師の元へ向かった。

舞にとっては遊びにも成らないもので佐紀は舞がやり過ぎない様にとのお目付けにしか過ぎなかった。


そんな事が一度ならず有り近隣の駆け込み寺、萬相談所の様な存在になり、二店にはより多くの情報が入る様になって行った。

そしてそれは何も町屋に限った事では無かった。


ある日、浅草寺の露店が立ち並ぶ通りで立派な羽織を着た藩士と思える武士の刀の鞘に町人の足が当たった。

町人は素知らぬ顔で歩き続けたが、それを武士が呼び止めた。

「待て、そこな町人、武士の魂の刀を足蹴にしおって、許せぬ・・・詫びろ、詫びねば・・・斬る」

町人・・・やくざっぽい男が振り返った。

「魂・・・魂と言ったか、ほう、そりゃ凄いね~お侍の刀は生き物かい」

「何を・・・お・お・のれ・・・そこに直れ、成敗致す」

「直れだと~手出ししない奴しか切れね~のか、第一そんなに大事な物なら家の床の間にでも飾っときな」

「お・おのれは・・・言わせておけば・・・斬る」

武士が怒りに顔を赤く染めながら鞘走った。

町人は慌てる事も無く右手を懐に入れた。

次の瞬間、武士が刀を振り上げ切りかかった。

見物人は日頃からの武士の横暴に味方をしたく無かったが相手のやくざにも味方をしたくなくどちらが勝っても負けても平気な顔で見ていたが武士が刀を抜いた時には流石に驚いた。

だが武士が斬り掛かった次の瞬間、武士の髷が宙に飛んだ。

見物人たちはザンバラ髪の武士とその後の慌てふためき刀を放り出し羽織を脱ぎ頭を覆い逃げ出した武士に目を取られた。

見物人たちの声が飛んだ。

「お侍、刀を忘れてるよ~」

「魂を持って行きな~」

武士は頭を羽織で隠しながら刀を鞘に納め逃げ出した。

その時になって相手の町人が消えている事に皆が気づいた。

「相手は何処だ」

「あのやくざものはどうした~」

皆が回りを見渡したが何処にも見当たらなかった。

そして間もなく何事も無かった様に何時もの街並みに戻って行った。


少し離れた塀の影で小兵衛が労った。

「平四郎殿、ご苦労でした」

「何のあの程度の腕前で藩内では腕自慢なのでしょう・・・な~、昔の己を見ている様で・・・いや今もかも知れませんね」

「うむ、違い無い・・・だが我らには龍一郎が居る・・・故に増長はすまい」

「はい、しかし、龍一郎様は何処から・・・誰からあの者たちの行いを知るのでしょうか」

「そうよの~、あ奴には我らの知らぬ顔がまだまだある様じゃの~」

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