第115話 吉宗への願い

これより六月程前、同じ様に吉宗を龍一郎が訪ねていた。

「上様・・・」

「龍一郎か」

「左様に御座います」

「儂一人じゃ姿を見せよ」

吉宗の言葉が終わらぬ内に眼の前に黒衣を来た龍一郎が現れた。

吉宗は予想していたとは言え余りの突然に退け反る程に驚いた。

「御用取次の久通が今日は一人で寝ろと願いし時からそなたが来るとは予想しておったが忍装束で来るとはのぉ~、話があるならば何故に正式な形で参らぬ」

「一つに今の私は一介の御家人で御座います。今一つは私が忍び込めた事が話柄に御座います」

「忍び込めた事が話柄とな」

「左様に御座います、上様」

「・・・・うむ~・・・・聞こう」

「上様はこの千代田の御城の警護が如何様になされておるかご存知でございましょうや」

「その昔、大権現家康公が召抱えし伊賀、甲賀の忍びが居り予の回りには近習がおる」

「御城の警護は大手門からは同心番所、百人番所、大番所と御座いまして、忍びは伊賀、甲賀に根来が百人づつ百人番所に昼夜交代で務めております」

「うむ、そうか、それでその警護が如何したな」

「今、某がここに居りますが何の騒ぎも御座いませぬ、これ如何に」

「・・・・その方は警護を抜けて来たと申すか」

「上様、先ほども申しました様に某は一介の御家人で御座います、大手門からは入れませぬ。増してやこの時刻に御座います、忍んで参りました・・・・」

「この城の警護が手緩いと申すのじゃな」

「某がここに居りますことが証に御座います」

「城の忍びは忍びに非ず・・・か」

「上様、東照大権現様以来長き戦の無き刻が流れ武士も剣術を忘れ忍びも忍びを忘れて御座います」

「武士も剣術を忘れておるか」

「残念ながら剣を腰に挿して振ら付く者も居ります、又なまじ剣が使える者は町民に悪さをすることも御座います、そのほとんどの者達はお取り潰しなった藩の浪人者で御座います」

「人の範となるべき武士がその様な・・・・・儂も市中を見てみたいものじゃ」

「それは良き考えと存じます・・・が今は御城の警護に話柄を戻します。四半刻程お時間を戴けましょうや」

「その方、既に策を講じておるな・・・・聞こう、申せ」

「ははぁ~」

それから四半刻が過ぎ半刻近く掛かり龍一郎の話が終わった。

「上様、ご承認戴けましょうや」

「判った。其方の思う通りに致せ、従う」

「宜しくお願い申し上げます。では本日はこれにて失礼申し上げます」

「何を申す、余の為では無いか礼を申すのは余の方じゃ」

吉宗が礼を言った時には龍一郎の姿は既に無かった。


翌日の夜半、千代田の城は上へ下への大騒ぎとなった。

何者か忍び装束の賊が一人城に忍び込みこんだのである。

賊は上様の寝間近くの天井板を踏み外し廊下に落ち大きな音を発て警備の者に追われたが逃げた。


翌日警備を担当する番所の頭が上役に叱責され警備が強化された、特に忍びの集団・百人番所への叱責は凄まじいものであった。

賊は龍一郎であった。

吉宗の安全を確保する為の処置である、失敗した様に見せかけ厳重なる警戒をさせたのである。

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