第13話 料亭・揚羽亭

番頭は料亭の前で暫く佇み中に入って行った。

能登屋の番頭が「ごめんなさいよ」

と入って行った時、女将のお高とまだ16歳の下働きのお花が話し込んでいた。

「あら、能登屋の大番頭さんがこのような時間に、お珍しい」

「けちで有名な能登屋の番頭が来ること自体が珍しいでしょうね」

「とんでも、ございません」

「これから直ぐに私を訪ねて、お武家様が参ります、特上の御持て成しでお願いします、それと、その方は、旅の帰りですので濯ぎ水をお願いします」

「では、離れへご案内します、お花、お客様に、濯ぎ水の用意をね」

「はい、お願いします、」

お客様の返答を聞くと女将は案内にと歩き出した。

程なく、侍も料亭の前に着き、料亭の名が「揚羽亭」と知った。

能登屋の前でした様に、衣服の埃を払い、編み笠を脱ぎ、これも払って「ごめん」と言って暖簾を潜った。

「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」

左の土間から濯ぎ水の入った桶を抱えてお花が来た。

「造作をお掛けします」

侍が答え、お花に軽く会釈をし、編み笠を式台に置き、刀を左手で鞘ごと抜き、右手に持ち替え、式台に腰掛て刀を右に置いた。

お花は、驚いた、二つもだ。

一つ目は、下働きの自分に会釈と挨拶をされたこと、こんなことは、初めてだった。

二つ目、このお侍が式台に座り刀を置くまでの動作がまるで舞のようで、とても優美だった事だ。

最も、お花は、舞を見たことはないが、淀みなく流れる様な優美さは理解できた。

お花が気づくと、お侍は、既に草鞋を脱ぎ、足袋も脱ぎ、お花に笑い掛けていた、

慌てて桶を下に置き足を洗おうとすると、お侍が

「もう自分で、できる年齢ですから」と言い

「これ、冗談ですけど、面白くなかったですか」

と言いながら足を洗いだした、その間、お花は、お侍の足と顔を交互に何度も何度も見ていた。

足を洗い終わった侍は、

「お借りします」

と言い、お花が手に持っていた足拭きを優しく手に取り足を拭き

「ありがとう」

と言って足拭きをお花に渡し右手に刀を持ち左手に編み笠を持ち立ち上がり、

「女将さん、ご厄介になります」と言ってくるりと回った。

女将は侍が式台に座り足を洗いだした時から後で見ていたのだ。

居る事を知らぬと思っていた女将は、突然の挨拶に、びっくりし暫く言葉もなく

「・・・お待ちしておりました、こちらでございます」

とようやく口にし、案内に歩きだした。 離れから戻った女将は、

「お花、おいで」

と自分の部屋へ下働きのお花を呼び入れた、お花は、怯えた。

部屋へ入れるのは、叱る時だけだったからだ。

部屋に入った女将は棚から採って置きの特上の茶葉を出し、お茶の準備をしだした。

お花は、障子を閉め、叱られると思い下を向き立っていた、それに気付いた女将が

「お花、叱るんじゃないよ、ここにお座り」

と言い目の前を差し

「女同士の話だよ」と言いお花の頷きに

「あの、お侍、何か気になりませんか」と問うた、

「はい、気になります、優しい言葉と気使い、それと、優美な動き、私は舞を見た事がありませんが、舞のお師匠様でしょうか」

「いや、舞ではないでしょうね、足を洗っている間に後に私が来た事を知っていました、あれが剣の達人が言う気配を読む・・・でしょうか・・・」

「えー、あの若い、お侍様が剣の達人ですか」

「うーん、確かに、達人にしては若いわね・・・、それは、さて置き、私は、あの若いお侍様が気に入りました、これから、お茶をお出ししてきますから、お花は、板さんを起こしに行って下さい、特上の上に特が四つ、五つ付くお客様だと言ってね」

「はい、解かりました、女将さん、お願いがあります」

「なんですか」

「離れの接客を私に、お任せいただきたいのですが、だめでしょうか」

女将は、暫く、お花の顔を見て

「任せましょう」と言った。

「ありがとうございます、女将さんの決断に報いる様にいたします」

女将は、お茶椀をお盆に乗せ離れに向かった、お花は廊下に出て奥に行き階段を上がり、板さんを揺り起こした。

「板さん、お客様です、お料理をお願いします、それと女将さんからの伝言です、特上の上に特が七つも八つも付く、お客様です、そのつもりで、お願いします」との事です。

この店の板長は、女将の亭主つまり主人で、今は、寄合に出かけている、その為、二番板さんが責任者である。

その板さんが部下の料理人を次々に起こし事情を説明し始めた。

横では、騒ぎに仲居たち女衆も置きだした、お花がそちらに向かい正座した。

「今、離れに居られるお客様の接客は私が負かされました、よろしく、お願いいたします」とお辞儀をした、

この言葉に女衆も男衆も驚いた、板さんが

「もちろん、女将さんの指図だね」

と問うた、皆、同様な思いでお花の返事を待った、何故なら、お花は、今日までずっと玄関番で、中の仕事をしたことがないからだった。お花は

「はい、女将さんの許しは得ております、では、皆さん、静かに急いで、お願いいたします」

と言って階段を静かに飛ぶように下りて行った。

その後を、男衆、女衆が 静かに急いで下りて行った。

その頃、離れでは女将が、再度の挨拶をし、お茶を出し、注文を聞き、部屋を出て来た。

廊下を戻りながら女将は思っていた、『何時もは、笑顔で優しい番頭さんの顔が強張っており笑顔もない。先ほど店に来たおりも笑顔だったはずなのにどうしたのでしょう。

あの若いお侍が怖いのか? いえ、そんなんじゃないわ、恐怖を感じているのとは違っていたもの、はて、あの表情は、何なのでしょう』と。

女将が出て行った離れでは、嗚咽が漏れていた。

女将が部屋を出た直後、番頭が顔を両手で覆い平伏し泣き出してしまった。

嗚咽は暫く止むことはなかった。前に座る侍は、それを微笑みながらじっと見ていた。

八年の間、便りは何度もあったが待ちに待った本人を前にして番頭は涙を堪える事ができなかったのだ。

突然、番頭が平伏したまま障子の前に移動し言った。

「若様、お待ち申しておりました、お見苦しい様をお見せし、お許し下さい」

「心配をお掛けしました。 番頭さん、お席にお戻り下さい。」

「若様 、とんでもございません、上座にお座り下さい。」

「番頭さん、私は、今も明日からも浪人、龍一郎ですよ」

そう、もちろん、この若侍は龍一郎だ、だが、まだ女将を始め店の者は名を知らないので若侍としておこう。

番頭は、障子の前で暫く考え、「はい、若様」と言って席に戻った。

「番頭さん、いろいろと注文を付けて申し訳ないのですが、若様と呼ばないで下さい、番頭さんは、大店の一番番頭です、一介の浪人を、いつもは、何と呼んでいますか」

「お侍様と呼んでいます」

「では、私もその様に呼んで下さい」

番頭は、暫く考え、小声で「お侍様、お侍様、お侍様・・・」と何度も繰り返し

「お侍様、お元気でしたか」

「はい、お陰様で元気でした、皆様も元気でしょうか」

「はい、能登屋の主人も加賀屋の番頭と主人も元気でおります、ところで、もう、江戸に落ち着きますね」

「はい、これからは江戸を拠点にします、それで、長屋など住いをご紹介願えますか」

「はい、お戻りのお便りを受けてから、皆で相談しておりました、加賀屋に寄られるか、能登屋に寄られるか、旅籠から連絡があるか、待ち合わせ場所の連絡があるか、など様々な対応を考えておりました」

その時、若侍が口に人差し指を持って行き、番頭の言葉を止めた、食事が運ばれてきたのだ。


離れを下がった女将は、台所へ向い、お花や女衆、板前を集め言った。

「離れに、お見えのお客様は、特上の上に特が十個付くと考えて下さい。

お客様のご希望は、お茶がお人方、もうお人方は、お食事です。

料理は、お任せとの事です、存分に腕を振るって下さい。

なお、注文が一つだけありました、お食事をなさる方は、お若い方で、とても、大食漢との事、それも桁違いとの事です、ご飯共々料理も、多めにお願いします。

あぁ、それから、接客はお花に任せます、お花、よろしいですね」

「はい」

お花の力強い返事が帰って来た。

「皆も、お花の補佐をお願いします、お花と私は、私の部屋におります。

準備が出来次第知らせて下さい、では、皆の力を見せて下さい。お花、いらっしゃい」

女将は、お花を後に従え部屋に戻って行った。

二番板前の 「皆、やるぞ」に「はい」と皆の返事が返って来て台所の活動が開始された。

女将は部屋に入ってお花に問うた。

「お花は、離れの二人の関係をどう見たね ?」

「能登屋さんは、加賀藩のご用達とお聞きしております、国許からの藩重席の御子息なのでしょうか」

「お花、良い読みね、私もそう思よ、でも、お茶を、お出ししたおり、番頭さんの顔が強張り笑顔がなかったんだよ。」

「あの、何時も笑顔を絶やさない番頭さんがですか」

「あぁ、でも、若いお侍さんは笑顔でね、とても、お偉い方の子息、それも嫡子なのかね-」

「私は、お武家様の仕来たりに詳しくないのですが、嫡子が江戸を離れる事があるのでしょうか」

「お花、お前は本当に頭が良いね、確かに奥方と嫡子は江戸住い、でも、それは、お殿様だけで家臣の方は別、お殿様の奥方は幕府の人質と言われているからね」

「人質なのですか」

「お殿様が幕府へ反逆するのを防ぐ為と言われているね」

「では、あの若いお侍は、加賀藩の嫡子では、ないのですね」

「なんにしても、興味をそそられるね、何か魅力を感じる、お花は、どう ?」

「はい、何か不思議な魅力を感じます」

「お花は、いろいろな、お方から縁談があるのに、全て、色好い返事をしてこなかったのに珍しいね」

「はい、私も不思議です、あの方の何が良いのでしょう」

「これから確かめるんだね」

女将とお花は、まるで親子の様に、会話を楽しんでいた。

仕度ができたとの知らせに、お花は、気を引き締め台所へ行き、茶道具の善を持ち、後に食膳を持った五人を従え離れに向かった。

「お待たせいたしました」

障子の前で正座し声をかけた。

「どうぞ」の番頭の声に

「失礼します」と返し、障子を少し開け、一旦止めて次に全開し、改めてお辞儀をし「膳部の用意をさせて頂きます」

と言い、膳を若い武士の前に並べた、凄い量である、四人分の膳とお櫃だ。

「足りない時は、お声を掛けて下さい」

と言って下がった、給仕は自分でするとお侍に言われたのだ。

若侍は、店の者の気配が遠のくと、お櫃を開け、ご飯を盛ると、猛然と食べ初めた、凄まじい勢いだ。

今度は、番頭が、にこにこしながら、見つめていた。

人心地着いた若侍は、ゆっくりと味わう様に食べだした、膳とお櫃のご飯を全て食べた。

女将に自己申告した様に大食漢だ。

番頭の入れてくれた茶を飲みながら大満足と言った風情で、にんまりと微笑んだ。

「やはり、江戸のご飯は、美味しいですね」と照れた様に言った。

「大した食欲でございます、安心いたしました」

丁度、障子の向こうから「お済みでしょう」と女性の声が聞こえ、それに答えて

「はい、正に適時と言うべき時間ですよ」

「失礼します」

障子を開けたのは、お花を後に従えた女将だった。

「お味が、お口に合いましたでしょうか」

と言いつつ膳を見て驚いた、四人分の膳が全て食べ尽くされ蓋が開けられた、お櫃も空だったからだ。

「はい、大変美味しくいただきました」

「番頭さん、ご本人が大食漢と言われただけあって、凄い食欲でございますね」

「お若い方ですからね」

「ところで、本日、初めて、こちらにおります、お花を接客係りに使ってみましたが、粗相などございませんでしたでしょうか」

「いいえ、初めてとは思えない程の作法でした」

「女将さん、今度、こちらにお邪魔したおりにも、係りは、そちらの方にお願いします」

「いかがですかな、女将さん」

「はい、かしこまりました」

暫く、番頭と女将の四方山話が続き、お茶を何杯か飲み

「では、お暇いたしましょう」

との声で一同が立ち上がり離れから玄関へと向かい番頭と女将が何やら相談し番頭が料金を払い玄関来た、若い武士も支度が整い二人で

「ありがとうございました、また、お越しください」

の声に送られて外に出た、歩いていく二人を見ながら、女将がお花に

「また、お見えになるかね」と言い、お花は

「そうだと良いですね、でも、結局、お名前も分からずですか」

「それが、なんとも不思議だし、悔しいね」

と二人が話している頃、大通りに出た番頭と若侍は、暫く一緒に歩いていたが、食事中に話合ったように番頭が早足で歩き出し、若い武士は、のんびりと歩きだした。

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