第276話 佐倉藩上屋敷

誠一郎と舞は佐倉藩中屋敷から隣屋敷の屋根に出た。

「誠一郎様、上屋敷の近藤と言う藩士には気を付けねばならぬでしょうか」

「その様ですね、相当の使い手でしょう、それにあの方と言う御仁も気になります」

「はい、上屋敷の最重席は江戸家老ですね」

「江戸家老が御存じかどうか、一味なのかどうか」

「上屋敷に行くのですね」

「上屋敷は西丸下ですからね、下屋敷、中屋敷の様に簡単には行きませんよ」

舞が黙って頷いた後、二人の姿が屋根の上から消えた。


誠一郎と舞の二人が西丸下の近くの屋敷の屋根の上に潜んだ。

「やはり、怪しげな者たちが多いですね」

「その様ですね」

「其方らもその仲間じゃ」

「師匠も此方にお出ででしたか」

「何か上屋敷に気になる事でも御座いますのでしょうか」

誠一郎と舞が振り向きもせず龍一郎と佐紀に問うた。

「無い事も有りません、が、下と中の屋敷で何か耳寄りな話を聞けましたか」

「はい、何日かに一度、中屋敷から奉公人と中間が下屋敷に出掛ける様です、幼い男女を何処かへ連れて行くとの事でした」

「後は下屋敷に不気味な浪人がいる事、その浪人が上屋敷の近藤と言う藩士に試合し負けたらしい、その近藤何がしは優しい人当たりの良い方らしい、この藩士は相当の技前の様です、我らの気配に気付くかも知れませぬ」

「誠一郎殿、舞殿、近藤殿の事は放念下さい」

「何故で御座いますか、下屋敷の不気味な浪人に勝つ程の剣技を持つにも関わらず温和な様です、剣技を誇る事も無い程の高みにいるのです、敵なのかどうかは重要な事、非常に重要だと思います、我々の探索の弊害と成り得ます、舞殿もそうは思われぬか」

「・・・誠一郎様、私は龍一郎様が放念しろと言うからにはそれなりの言われがあるのではと思います・・・考えられる事は、その近藤と言う藩士はひょっとしたら、その~、あの~、その~」

「舞殿にしては歯切れが悪いですね」

「誠一郎様、その藩士は我らの知らぬ家族なのでは無いのでしょうか」

「旦那様、舞は感の鋭い頭の良い子で御座いますね」

「何と・・・真の事で御座いますか、龍一郎様」

「そうじゃ、ある日、弟子にして欲しいと道場では無く橘の屋敷に尋ねて来た武士が近藤殿で有った。

先ずは体力を付ける事を指示し、橘屋敷の庭で剣の鍛錬を成した。

富三郎殿に指導を願い、偶に我ら二人が指導致した。

そして、山修行にも連れて行き、其方らが山修行の刻には甚八殿の配下として紛れていたのじゃ」

「して、その技量は???」

「そうですねぇ、誠一郎殿と舞の間でしょうか、如何でしょう、旦那様???」

「良い見立てじゃ、佐紀、その当たりであろう」

「私よりも上で御座いますか、何が上なので御座いますか」

「我らの家族で有りながら藩士として暮らしておる、長きに渡り己を偽る心の強さじゃ、剣技は誠一郎と竹刀で有れば三本に一本は取るで有ろう、山の登り降りは舞にも劣るであろう、忍びと気配は其方ら寄りも上じゃな、何よりも己の剣技を見せぬ事、まぁ、其方の話を聞けば、そり不気味な浪人には見せた様じゃがな」

「では、何故、佐倉藩の悪事を龍一郎様に知らせないのでしょうか」

「我らに尋ねる前に考えてみよ」

「その一は近藤殿が藩の悪事に気付いていない、その二は近藤殿も悪事の仲間になった、その三は探索中である、でしょうか」

「それで其方はどれだと思うのだな」

「近藤殿は龍一郎様と佐紀様が選ばれた方で御座います、故にその二の裏切りは無いものと思われます、気配の察知能力を考えますとその一も考え難い、となれば、その三の探索中であるのでは無いでしょうか、では何処までの探索が出来ているのかで御座いますが、私が想像しますに、後は組織の元締め、統領探しをしているのではと思います」

「うむ、良い読みじゃ、儂もその様に思う、さて、その思惑が当たっているかを確かめに参ろうかのぉ」

「はい」


龍一郎、佐紀、誠一郎、舞の四人は佐倉藩上屋敷の屋根の見えない処に身を潜めた。

そうして置いて、一瞬だけ消していた気配を龍一郎は解き放った。

暫くすると側に一人の男が忍び装束で現れた。

「龍一郎様、お久振りに御座います」

「息災であったか、近藤殿」

「はい、堅固にして居ります、今日は佐倉藩の人身売買の件で御座いましょうか」

「その通りじゃ、其方、何処まで掴んで居るかな」

「御報告に行かねばと思うて居りましたが、首魁が中々姿を見せず、ご報告が遅れました、ですが、昨晩、漸く首魁の正体が知れまして御座います」

「首魁は1000石取りの国家老の植松求馬殿で御座います、他に 140石取りの小納戸元方・上田玄純殿、この者は医師でも御座います、歩兵奉行の植松当太郎殿、歩兵差図役並の植松友之丞殿たちが組織の中枢で御座います、他の藩士、中間、奉公人は藩士に言われるがままに加担して居ります、当然、悪事である事は薄々感じては居るでしょう、ですか、雇われ中間などは他の藩の仕事よりも給金が破格で御座います故に見て見ぬ振りをしておるのでしょう」

「近藤殿、良う調べられた、処で下屋敷におると言う不気味な浪人の腕前はどれ程かな」

「町場の鍛錬所の師範代程の技前でした、殺気だけは解る様ですが、気配を消す事も探る事も出来ませぬ、誠一郎殿、舞殿が相手では三人いても勝てる程の技前で御座います」

「近藤殿、江戸家老は加担してはおらぬのじゃな」

「はい、江戸の頭は歩兵奉行の植松当太郎殿で御座います、この者、江戸家老では無く国家老の命と申して配下の者たちを動かして居ります」

「手にした金子は勘定方に渡してはおらぬのだな」

「はい、勘定方の誰もが知らぬ事で御座います」

「藩の治世が上手く回って居らぬ様じゃな、国元からの直訴などは無かったのかな」

「何度か有ったと噂で聞いて居ります、が、あくまで噂で御座いますが、下屋敷の浪人どもが始末した様に聞いて居ります」

「この様な事を続けて居れば、藩の治世は乱れ、年貢高も保てまいし、幕府に知られればお取り潰しにもなりかねぬな」

「はい、無謀な事と思います」

「うむ、幕閣の上の方に真の首魁が居るのでは無いかのぉ、佐倉藩お取り潰しを画策し幕府直轄領にし、その功績を手にするのでは無いかな」

「藩の取り潰しの功績となれば、勘定奉行か、大目付か、老中で御座いますな」

「誠一郎殿、その当たりであろうな、皆、暫し、刻をくれぬか」

龍一郎が珍しく考える刻が欲しいと言い、沈思し、他の者たちは龍一郎を見詰めていた。


「近藤殿、次の人身売買の日時が判り次第、道場に知らせて貰いたい、出来ようか」

「お任せ下さい、龍一郎様」

「良し、お任せ致す、知らせを待っておる、では、今日は此れにて失礼致す、気を付けてな、近藤殿、下屋敷の不気味な浪人にも気を付けられよ、次は尋常な勝負はしては来ぬでな」

「はい、気を付けます、知らせをお待ち下さい」

そう言うと近藤の姿が消えた。

「近藤様は佐紀様の言われた通りの技前でした、尋常な鍛錬では無かったでしょうね」

「その内に正式に顔合わせの機会を設けます、その刻にご本人に確かめて下さい」

「はい」

誠一郎と舞の眼は興味深々と語っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る