第230話 双角と慈恩

双角と慈恩は出来上がったレンガを養老の里から江戸板橋の丘屋敷へ運ぶ班に配されていた。

丘屋敷では丘の高さを増す為に横に大きな穴を堀り一旦穴に走り降り丘を上ると見た目の丘よりも高さが高くなり鍛錬に有意義になる様にしようといていた。

二人がレンガを運んだ後は、その穴堀りをしていた、が何の修行か解らず少々不満だった。

だが、平四郎、三郎太、誠一郎を始め女子衆のお有、お峰、舞までも文句も言わずもくもくと率先して穴掘りを熟していた。

溜まり兼ねた双角が舞に尋ねた事があった。

「舞殿、穴堀りは何の鍛錬になるのでしょうか、皆さまが文句も言わずにやっていますが怠けると龍一郎様がお叱りになられるからですか」

この双角の言葉に舞は双角と隣にいた慈恩を見て、当初は意味が解らない様子であったが理由が解ったのか丁寧に諭してくれた。

「双角さんと慈恩さんは薪割りをした事がありますか」

「薪割りですか、あります」

「ありますが穴掘りと関連があるのですか」

「お二人は薪割りをする刻に何に気を付けますか、何を目指して薪割りをしていましたか」

「何も考えずに只々早く終わろうと割っていました、慈恩はどうだな」

「儂も同じじゃった、宿と飯の代わりだったからのぉ」

「そうですか、私も薪割りをします、私の家は船宿をして居りますので薪を沢山使います、その薪割りは奉公人が割りません、両親と兄の平太と私がしています」

「普通は奉公人の仕事でしょう、何故、主人の家族が薪割りをするのですか」

「薪を真ん中で割るのは最初はとても技が要ります、ゆっくり狙ってもなかなか真ん中で割る事は至難の技です、ですが、常に真ん中で割る事を意識していると真ん中で割れる様になりますし速さも早くなります、薪割り一つにしても意識の違いで修行になるのです、ですから我が家では私達が薪割りをしています、勿論、奉公人たちは理由を知りません、単に体力作りと思っているでしょう、確かに体力も付きますが」

「そんな事を考えて薪割りをしていませんでした、皆さんは穴掘りをしていますが何か鍛錬になるのですか」

「重みのある土を斜め上に放り上げる、この仕草で道具を剣だとすれば切り上げの速さを増す為の鍛錬になるのです、ですから龍一郎様に怒られるからではありません、皆、率先してやっています、勿論、手足に重しも着けています、お二人も暫くすると剣の切り上げの速さが増している事に気付くでしょう、ですが意義を理解していれば効果は倍増する事でしょう」

「穴掘りは重労働ですから当然重しを外していると思っていました」

「それは他人に強要されている刻の事です、私は誰に命じられている訳ではありません、自分で強くなりたいが為に行っているのです、己の甘え、未熟は他の人と己を危うくします、私はその様に思っております」

双角と慈恩は子供の言葉とも思えぬ舞の言葉に畏敬の念を覚え、舞に対する態度が変わると共に穴掘りと荷運びなど全ての作業に対する態度が一変した。

山の上り下りに先頭を競う様にしていた二人が最後尾近くを走る様になった。

その走りは明らかに前日までの走りとは異なっていた。

足を置く前の石ころの位置、形、地形や樹木の姿・形、動物の気配、仲間の気配などに気を配っている事か゜歴然としていた。

佐紀を指導者とする剣の鍛錬では振り上げの位置、降り下ろしの位置を同じにする事に気を配り、此れまでの速さに拘るものとは明らかに異なっていた。

お雪と同じ様にゆっくりとゆったりと振り上げ、降り下ろしを繰り返す様になった。

それを見ていた佐紀は何も言わず、己も初心に戻った様にゆっくりと剣の振り上げと降り下ろしを行った。

大八車によるレンガ運びも率先して行い汗をびっしょりと掻く様になり、穴掘りも率先し汗びっしょりになっていた、それは山の上り下り、レンガ運び、穴掘りの刻にも手足の重しを着けて行う様になったからで、尚且つ重しの量を増やしていたからである。

初日の二人は元から寡黙であったが、より寡黙に無口でもくもくと鍛錬と作業に没頭し汗を大量に流し息も絶え絶えの状態だった。

日が経つに連れて二人の汗も少量になり息も少々上がる程度になっていった。


「慈恩、儂・・・私は鍛錬と作業が楽しくなって来た、苦しいと思っていた事が楽しいのだ、日に日に己の中に力の元が蓄えられて行く様に感じるのだ、私は可笑しいのだろうか、其方はどうか」

「私も同じ事を感じて御座る、以前は苦しい、辛いと感じた事が楽しい・・・身体の痛みも苦しさも変わらぬのだが己を痛めつける事が楽しくなって参った、其方が可笑しいので有れば私も可笑しいのであろう」

「我らも平四郎殿や三郎太殿に近づいておるのであろうか」

「確かに我らも入口にたったのであろう、だがまだまだ安心は出来まい、何時何刻、己に対する怠ける言い訳が浮かばぬとも限らぬ、今日き足が痛い、今日は腕が痛い、今日き熱があるなどと頭に浮かび楽をしようとするやも知れぬ、其方は時々その様に考える事はないか」

「残念ながら御座る、其方が頑張る姿を見て耐えておる」

「私とて同じ、其方の姿を見て続ける力を得てお申す、だが、平太殿、舞殿は他人など気にして居られぬ、唯々己の成長、精進を願っている様に感がる、我らはまだまだその領域には達しては居らぬ」

「以前よりは技量は伸びたとは思うしだがなぁ~」


そんな会話が二人の間であった数日後に銚子と行徳行きに抜擢されたが途中で脱落と言う結果に終わった。

「慈恩、私は技量の向上のみを目指し気配を消すと言う心の鍛錬を忘れておりました、相手方に私の気配を悟られ申した,己の未熟さを感じ入りました」

「それは私も同様で御座る、私はまだまだやれると思うたのですが、私の気配が同行の者たちを危険に晒すと聞かされ断念いたしました、無念でした」

「それは私とて同じ事、確かに皆の気配は感じられませぬ、あの様に気配を消すには何をすれば良いのやら見当もつかぬ」

「私は平太殿に尋ねました、平太殿は申された、己の心の中にある闘争心、虚栄心、不安感を消す事、其れには瞑想を繰り返し己の心内を見つめる事がそうです、そして時々、誰かの後を尾行し気配が消せているかを確かめて貰う事だそうで御座る」

「では、皆はお互いを尾行し気配の技量を確かめておられるので御座るか」

「私は気付きませんでしたがその様で御座る」

「では、今も誰かが我らを見ているやも知れぬと言う訳ですな」

「左様」

その刻、二人の前に平四郎とお峰が現れた。

「ご自分の気配を消す事だけでは無い、他人の気配を感じ採る事も修行されよ」

「龍一郎様は誰かの気配は一里先から解るそうな、我らはまだまだ、その領域には達してはいませぬ、其方がたも日々精進なさる事です」

二人はそう言うと忽然と姿を消した。

唖然としていた二人は己の技量の未熟さを悟ると共に鍛錬に対して此れまで以上の向上心が倍増した事を感じた。

「二人が近くで聞いていた事など微塵も感じなかった」

「今も何処かで聞いておられるやも知れぬ、他の方々も居られるやも知れぬ、我らの先は長いのぉ~」

「確かに、だが、目指す御仁がおる事は我らに取って幸運な事で御座る、そしてその頂点には龍一郎様がおられる、皆はきっと龍一郎様を目指しておられるのであろう」

「我らの今の技量では彼我の差であろうが目指す処は同じで御座る」

この日を境に二人の鍛錬はより厳しいものへと変わって行った。

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