第98話 三度目の山修行-其の二

龍一郎は朝の剣術稽古は二刻、朝餉、昼餉は仕度も入れて一刻(二時間)、夕餉も一刻と決めていた。

その為、山への登り下り修行に刻が掛かれば昼餉の時刻が遅れた。

二度の山修行では朝目覚めると直ぐに山へ登り下山して朝餉を食し剣術の稽古をなし又山へ登りそして下り、昼餉を食し再び剣術の稽古を夕餉の時刻までなす、これも龍一郎が定めた日課であった。

夕餉の後は勝手気儘な刻である、寝るも良し川で泳ぐも良しとしていた。

だが此度はこの日課を龍一郎は変えた、無論小屋作りを考えての事で山登りを日に一度とし剣術の稽古をなした後、昼餉を食し小屋作りとしていた。

山修行も三度目ともなると道筋も険しいものへと変わっていて、数えて七番目の道筋になっていた。

その行程には深さ二十尺幅十尺の岩の割れ目を飛び越え硫黄の匂いと煙が立ち込める谷を抜け垂直に切り立った崖を蔦で登る箇所があり、最初にこの道筋を登った時に皆が掛かった時間は第一の道筋よりも掛かった程であった、其れが今では半分になっていた。

勿論、皆は山の登り下りは元より常に前回富三郎が作った重しを着けていた。

剣術はと言えば組に別れそれぞれの組頭を相手に打ち込み稽古が行われ、刻に手裏剣、飛礫、弓、体術の修行がなされた。

手裏剣の教授方は龍一郎、三郎太、そしてお峰がなし、弓は龍一郎、三郎太、体術は龍一郎、三郎太そしてお景がなし、飛礫は龍一郎がなした。

飛礫と言っても仙花の事で二度目の山修行のおりに龍一郎が皆に見せた技で、その後、皆が独自に修行をなし少しずつではあるが上達していた。

だがまだまだ龍一郎の域には程遠く三郎太でさえも平太に避けられる速さにしか達していなかった。

その三郎太は指を鍛える為に左右の親指だけで腕立てや逆立ちをする修練をしており、それを聞いた皆が習い暇を見つけては腕立てや逆立ちをしていた。

修行方法、技の熟達方法は本来自らが考案するべし・・が龍一郎の考えであり皆は龍一郎に修行方法を尋ねなかった。

龍一郎は自らも腕立てや逆立ちをやって見て多少なりとも効果があると思い敢えて口出しをしなかった。

勿論、お早紀だけは龍一郎の修行方法を知っており実践していた。

それは拳大の石を親指で飛ばす事であった、無論最初は飛ばず僅かに動くだけである、が、毎日毎日繰り返す内に動く幅が広くなり飛ぶ様になる。

そうして初めて小粒の石を飛ばして見る、この刻は当然の如く余り飛ばない、又拳大の石を親指で飛ばす事を知り返す、そして時々小石で試す・・・この繰り返しである。

この技、仙花は一度覚えれば身に着くと言うものでは無い剣術も同じであるがそれ以上に鍛錬を怠ると直ぐに飛翔の早さが衰えてしまう、故に龍一郎も拳大の石を親指で飛ばす事を日課としていた、無論皆には知らせてはいない。

其れは夕餉の後の勝手気儘を許された刻に行っていた。

皆も寝もせず独自に修行する道を選んでいた。

ほとんどが組毎の行動で行われていた。

元々この夕餉の後を勝手気儘としたのは龍一郎が皆と離れ己を鍛える為に取った刻であった。

毎日、夕餉の片付けが終わると龍一郎、お早紀が闇に消えその後富三郎、お景が子供達を寝付かせ、それを待っていたかの様に組毎に闇に消えた。

夜の組は昼間の組とも江戸での探索の組とも異なっていた。

その組み分けは二度目の山修行の時に決められていた。

山修行一度目、龍一郎、お早紀、三郎太の修行は皆が寝静まってから密かに始められたが、江戸へ戻ったおりに皆が知っていると解かるや二度目の山修行からは夕餉の始末が済むと龍一郎、お佐紀、三郎太は出掛ける様になっていた、但し三度目からは三郎太の同行は許されなかった。

三郎太は龍一郎らが出掛けると「では、私も出掛けます」と言って出て行った。

そんな夜が四、五日経った夜何時もの様に三郎太が出掛け様とすると平太が願った。

「師匠、儂も連れて行ってくれ、前の二度目の修行の時は男衆、女衆に別れて闇修行してた、でも今回は師匠が龍一郎様と一緒じゃ無いなら、やっぱり師匠と修行したい」

「うむ・・・・男衆、女衆に別れて闇修行を・・・な・・・」

「三郎太殿、某も願おう」と平四郎

「儂もじゃ」と小兵衛

「あたいも」と舞

他の女衆達も縋る様な目で三郎太を見詰めていた。

「・・・・あ~む・・・・私一人で皆を・・・と言う訳には参りませぬ・・・・・こう致しましょう、二日、三日程、小兵衛殿、平四郎殿に鍛錬法を伝授致します。その後お二人に組頭をお願いする・・・・と言う事でいかがに御座いましょうや」

「儂らが組頭か・・・平四郎殿いかがじゃな」

「・・・・致し方ござらぬ、三郎太の申す通り皆では無理に御座れば・・・」

「相解かった、願おう三郎太師匠」

「良しなに三郎太師匠」

「・・・・・畏まって候・・・いざ」

その夜から四日後、三組に分かれての闇修行が始まった。

小兵衛の組にはお久は勿論の事、清吉、お駒、富三郎、お景、お花が加わり、平四郎の組にはお峰は無論の事、誠一郎、舞が加わり、三郎太の組はお有、平太とこの組だけは江戸での探索の顔触れだった。

この組み分けは三郎太が決めた、そのおり清吉から三郎太に組分けの基準が尋ねられた。

「清吉、其方本当に解からぬのか」

「へい、解かりませんや」

「お駒、其方には解かるか」

「橘様・・・・私は橘様の組でも足手纏いですが平四郎様の組に入りましたなら更に足手纏いで況や(イワンヤ)三郎太の組では・・・・」

「ほ~れ、清吉、女房殿の方が解かっておるわ」

「三郎太、そう言う事か・・・えぇ~」

「・・・親方・・・」

「清吉、三郎太を困らせるで無い」

三度目の山修行で、この様な経緯(イキサツ)が有り組分けが決まった。


最終日の山への道筋は八番目になっており速さも増していた。

無論全員が富三郎の作った重しを着けての事であった。

又夜にも山の登り降りも行ない皆遅れること無く龍一郎に付いて行き、夜目が利く様になったことを証明した。

早さはお花に合わせたもので到底三郎太の最速ではないし勿論龍一郎の最速では無かった。

若さ故かお花の成長振りは目覚しく日に日に速さを増していた。

剣術では女衆が三郎太から忍びの剣を学び始めた、懐に隠した剣を使う、後の帯に隠した剣を使うなど相手の意表を衝くなどで無論、龍一郎の勧めによるものであった。

小兵衛、平四郎、三郎太は構えから打ち込みの間も気を消して行うことを学び始め相手によっては可能なまでに上達していた。

だが手裏剣、飛礫の仙花はさほど上達しなかった、仙花に至っては武器の用をなすのは三郎太のみで三郎太にした処で不意を衝かぬ限り平太にも避けられるほどのものでお佐紀の技の比では無かった。

事ここに至って三郎太がお佐紀に教えを願った。

「お佐紀様、私なりに仙花をものにせんと修練して参りました、なれど未だにお佐紀様の腕前には程遠く御座います。如何に修行成せば良いかお教え願いとう御座います。修練方法の考案も己の修行と重々承知に御座いますが万策尽きまして御座います」

「良いでしょう、お教えします・・・・龍一郎様より三郎太殿の問いには答えよ・・・との命が御座います故にね」

「えぇ~、龍一郎がその様に・・・・」

「はい、どうしますか、それを聞いて止めますか」

「いいえ、是非お教え下さい」

「其れでは・・・・・・」

お佐紀は山の登り降りの前に小豆位の大きさの小石をいっぱい袋に詰め懐に仕舞い走りながら飛ばす練習を毎日している事実を告げた。

「龍一郎様も毎日しているのですか」

「はい、勿論です、ですが龍一郎様は小豆では無く大豆の大きさですが・・・・」


皆はお景と三郎太から体術も学んでおり、これはまずまずの上達振りであった。

体術は剣術と対とする稽古場も多く小兵衛も平四郎も上級者であった。

「体術では龍一郎様と平四郎様と御隠居とお景は誰が強いの」

舞が屈託無く三人に問うた。

「うむ、確かにその四人は試合うておらぬなぁ~、やるか平四郎、お景」

「私は構いませぬが、お景はどうかな」

「私も構いませぬ」

「龍一郎、どうじゃな」

「父上、よろしいですが組み合わせは如何に・・」

「そうよなぁ~、小枝の長さで順番を決めようか」

平太が小枝を四本拾い隠し持ち四人が引いた。

小枝の長短によりお景と龍一郎、小兵衛と平四郎が試合う事となった。


「お景、来ぬのか・・・・此方から参るぞ」

お景が近づき腕を掴むと見せ掛け足を払った・・・・だが龍一郎は倒れもせず只足を少し開いただけだった。

これにはお景が驚き見ている皆も驚いた。

お景は次に龍一郎の胸、腹、顔面に次々と打撃を繰り出したが全て寸余でかわされた。

「ほう~、お景は唐、琉球の技も習ろうた様じゃのぉ~」

龍一郎がお景の打撃を避けながら皆に聞こえる様に言った。

「どれどれ、どれ程の威力かのぉ」

龍一郎が動きを止めてお景の打撃を胸に受けた。

「ドン」と音がし二人の動きが止まり殴ったお景が右の拳を左手で抱え後ろに下がった。

「お景、大事無いか・・・・」

「・・・・・龍一郎様は・・・・」

「見ての通り大事無い・・・・さて・・・お景いかが致すな・・・次は儂も攻めるが・・・・」

「参ります」

お景が左の拳で衝き掛かった・・・・が、龍一郎がお景の左手を掴み前転させた。

お景にも見ている者達にも何が起きたのか解らなかった、お景が何の抵抗も見せる事無くまるで己が進んで行ったかの様に前に転がってしまったのである。

実は龍一郎が行った事は相手の力を利用するものでお景の衝きのままに一旦前に送りその力の方向を上に変え今度は下に向けお景を転がしたのである。

「負けに御座います、龍一郎様・・・・・到底適いませぬ・・・・格が違いまする」

「龍一郎、ぬしゃ体術もやりおるか」

「父上、長崎におりましたおりに少々・・・」

「ふん、何が少々じゃ、おぬしが始めた事を少々で止めるものか、ふん」

「さて、御隠居、我らの番に御座いますが、御隠居も打撃が御座いますので・・・・」

「さあてのぉ~、おぬしの方こそどうなのじゃな」

「参ります」

平四郎が仕掛けた、左手を伸ばし腕を掴むと見せ掛け足は払った。

お景と全く同じ仕掛け方であった、が、平四郎はこの後が違った、足払いが避けられる事を予想し右手が伸び小兵衛の襟首を掴んでいた、その後、己の体を回転させ小兵衛を腰に乗せ跳ね上げた。

小兵衛が平四郎の肩を支点に回転した、見ている者達は小兵衛が地面に叩き着けられると思った、が、小兵衛は体を捻り足から着地し直ぐに体を捻り今度は小兵衛が平四郎を腰に乗せた、だが平四郎も小兵衛と同様に体を捻り足から着地した、そしてこれも同様に直ぐに体を捻り小兵衛を腰に乗せたがこんどは平四郎の右肘が小兵衛の腹に打撃を与え一瞬ながら息を詰まらせた、そしてその後肩を支点にして小兵衛を地面に叩き着けた。

「ぐうぅ~」

小兵衛が呻き平四郎が一歩後ろに退いた。

「父上、続けますか」

見ていた龍一郎が尋ねた。

「いいや、参った、又別の機会と致そう」

小兵衛が起き上がり皆のいる所に歩き座った、長い修行で打撃の痛みも叩き着けられた痛みも感じた様子は見られなかった。

「では、平四郎殿が宜しければ直ぐに私と始めましょうぞ」

「始めましょうぞ、龍一郎殿」

「平四郎殿、儂の前に三郎太と試合うてみぬか」

「三郎太とで御座いますか」

「左様・・・三郎太は忍びぞ」

「・・・・そう言われれば三郎太は体術の修練に成りますと・・・薪を拾いに行くだのレンガが乾き具合が気に成るだのと何時も居りませなんだ・・・・・三郎太、そなた体術の心得があるのか」

「龍一郎様が申されました・・・・・忍びに御座いますれば・・・・」

「当然と申すか・・・・確かにのぉ~・・・迂闊であったわ・願おう」

「畏まりました」

平四郎と三郎太が向き合った。

三郎太が奇策を披露した、それは現代相撲の猫騙しと言われる技であった。

三郎太が両手を前に出し突進し両手を打ち合わせ大きな音を出したのである。

三郎太はその動作と音に一瞬怯んだ平四郎の隙を捉え足取りし倒した。

そして平四郎の顔面へ拳を打ち下ろし寸余で止めた。

「参った、今のは何と言う業じゃ、三郎太」

「平四郎様、只の目晦ましで御座います、名など有りません」

「只の目晦まし・・・・に負けたか・・・」

「平四郎殿、忍びは怖かろう、父上如何に」

「うむ・・・三郎太は儂と試合うなれば又別の目晦ましを使うであろうなぁ~、忍びは怖いのぉ」

「さぁ~て、三郎太、某と試合おうか」

「お願い申します・・龍一郎様」

今度は龍一郎と三郎太が向き合った。

「三郎太、儂の目晦ましを見せ様ぞ」

龍一郎がそう言うや・・なんと・・龍一郎が二人になった。

二人の龍一郎は一間程離れて立っていたが見えるのは上半身だけだった。

余りの事に流石の忍びの三郎太も驚いている隙に三人目の龍一郎が三郎太の後ろに現れ肩を「ぽんぽん」と叩いた。

「ぎょ」として振り向いた三郎太は龍一郎を見止めあんぐりと顎(アゴ)が外れるほどの大口を開けた。

龍一郎が席へ戻ろうと振り返ると見ていた皆もあんぐりと大口を開けて驚いており、その中には龍一郎の妻女・お佐紀も含まれていた。

「お佐紀、どうしたな」

「だ・・だ・・旦那様が二人に・・・いえ、三人に・・・・」

「龍一郎、今のは何じゃ、手妻か」

「父上、私は手妻使いでは御座いませぬ」

「では何じゃ、秘術故教えられぬか」

「秘術では御座いませぬ・・・・只、二箇所の間を早く動くだけの事ですよ、父上」

「何とな・・・・うむ・・・儂には動いておる様には見えなんだがなぁ~・・・・皆はどうじゃ」

皆も見えなかったと賛同した。

「人は自分が動ける速さのものは見えると申しましたなぁ~、己の出せる速さ以上に早く動くものは見えぬ・・・それだけの事・・・・他愛もない・・・技とも言えぬものです」

「龍一郎様、あたいには龍一郎様の体が分かれた様に見えました」

「舞、爺々にもそう見えた・・・・そうじゃ龍一郎、技じゃ技の名を分体・・いや分身の術と致せ」

「分身の術・・・・成る程・・・父上、忝う御座います・・・ 分身の術・・有難く頂戴致します」

「龍一郎様、おいらもできる様になるかなぁ~」

「平太、成るとも日々の修行を続けるならば・・・な」

「あたいも・・・・・」

「おぉ~無論じゃ」

「良し、あたいはもっともっと修行して分身する」

「ところで龍一郎、何人まで出来るな」

「父上、今も申した様に見る者により異なりましょうし、私自身では見れませぬ故解りませぬ」

「どうじゃ何人まで出来るかやって見ぬか、どうじゃ」

「承知」

言うや龍一郎が二人になった、そして三人になり四人になり五人になった。

「旦那様、動いているのが見えます」

「何~、お佐紀、その方見えるてか」

「はい、父上、三郎太さんは如何ですか」

「お佐紀様、残念ですが見えませぬ」

「三郎太よりもお佐紀が早く動けると言う事か・・のぉ~」

「あぁ、私にも動きが見えました、七人になった時に」

その後、八人、九人、十人となったが他の者達には動きが見えなかった。

十人になった龍一郎が突然皆の前から消えた。

皆がきよろきょろと周りを見渡したが見付けられ無かった。

「お佐紀、三郎太、龍一郎は何処におるか解るか」

「私には見えませなんだ、お佐紀様は如何で・・・」

「はい、私にはあの大木の後ろに消えた様に見えましたが・・・・しかし、その後一人故・・・・」

その時皆の後ろから声が聞こえた。

「お佐紀、良い読みじゃ」

「龍一郎・・・・そなたと言う奴は・・・・げに恐ろしき男じゃ・・・・儂は敵でのうて良かった」

小兵衛のこの言葉に居並ぶ皆が真剣な顔で頷き期せずして同じ思いが浮かんでいた。

「このお方、龍一郎様にだけは決して決して逆らっては成らぬ」

「この山には本物の天狗様がござる」

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