第64話 山の頂

お佐紀が懐妊となった今、当初、龍一郎が考えていた修行は大きく変更しなければならなかった。

その朝も、ゆったりとした歩みで山の頂に着いた。

二人は瞑想に入り、情を交し合った。

お佐紀の喜びの声と思いと龍一郎の「うぉー」と言う雄たけびが重なり、声は四方に木霊し、二人の幸せの思いは遠くへ遠くと広がっていった。

江戸の道場の台所で賄いをしていたお久とお峰は「はっ」とし、耳をそばだてるようにした後見つめ会い、小さくうなずき合った。

「お佐紀様と龍一郎様ですね」

「お元気そうで」

「幸せそうで」

二人は言い合った。

そこへ庭で薪を割っていた平太と手伝っていた舞が走りこんで来た。

「お二人ですよね」

そこへ今度は、道場から平四郎、三郎太、誠一郎、清吉が走りこんで来た。

「お二人じゃぞ」

皆で頷き合い、二人の顔を懐かしく思い出していた。

その頃、清吉の女房のお駒は皆が道場へ集まるというので、お土産に団子を山のように買って、藩邸の門内に入った所で二人の心が届き、最大速で走りだしそうになるのを堪え、心の中で「料亭の女将になるのです、それらしく、それらしく」と言い聞かせ、しずしずと道場裏の皆の所へ顔を出した。

皆は、お駒があまりにも冷静なので、心の声が届かなかったのかと思い、平太が尋ねた。

「今、何か感じなかったかい」

その言葉に、お駒は、団子の入った風呂敷包みを廊下に置きながら答えた。

「聞こえましたよ、でも、騒ぐほどのことも・・・」

一旦言葉きり、両手を上に上げ、飛び上がって大声で

「ある~~~」

と叫んでいた。

皆これに調和し、「わーーー」と叫んでいた。

皆、早く会いたいな、やっぱりいないと寂しいなと思っていたのだ。

道場では、裏での突然の大騒ぎに何が何やら分からず唖然としていた。

加賀藩江戸屋敷では、丁度、親子三人で談笑している所で、龍一郎の声が聞こえ父である藩主が言った。

「龍一郎め、元気そうじゃのう」

「おお、これが姫の顔か」

今回が四度目なので、三人は、慣れたが、一度目の時は、自分だけか、会えなくて寂しいのか、それとも気が狂ったのかと思い、弟である利通が父である藩主に尋ねた。

「先ほど兄上の声が聞こえまして、会いたいのでしょうか。それとも、気が、おかしいのでしょうかと」

「お前もか、わしも、おぬしと同じ様に狂ったかと思うておった」

そこへ、珍しく、誰の仲介も面談の許可も求めず、慎ましさも捨て去った、母が廊下を走って来て障子を開け駆け込んで来た。

「殿、吉徳殿が、吉徳殿が」

父と息子は、我が腹を痛めた子ではなくても、愛しんだ子の思いは強いものなのだと実感した。

母は、龍一郎の声だと確信していたからだ。

三人は、周りにいる家臣達が目に入らぬかの様に手を取り合って

「元気そうですね」

「そうじのー」

「相変わらずの元気な兄上で」

などと語りあったものであったが、今回は、偶然にも三人一緒で心には龍一郎の日に焼けた元気な顔と同じく日には焼けているがとてもとても綺麗な女子の顔が浮かんでいた。

「おお、これが姫の顔か」

「本に、お美しい」

「お綺麗な方ですね」

その後、男としての本音の言葉が付いて出た。

「羨ましい事です」


鳥取沖の回船では、船頭、かこの内で龍一郎と馴染みのものが「アッ龍さんだべ」とか、「んだ、龍さんだ」とか「オォ嫁っ子貰たべか」とか言い「また、こいよーー」と叫ぶ者もいた。

長崎でも同じ様に「龍一郎さんだ」、「嫁ば、貰たと」、「なつかしかね」などと言う人々がいた。

その他、龍一郎が親しくした国中の人々に届いていた。

その皆の返事の気持ちは、龍一郎とお佐紀にも届いており、お佐紀が心底を漏らした。

「御父上、御母上、利通殿にお会いしたいような、怖いような・・・船にお乗りの方々のお話は、何時していただけるのですか・・・・長崎の娘子は、さぞや、お綺麗でしょうね」

八次早に問いだした。

「子ができたら、一度、行かねばなるまいな・・・・私が選んだ女子(オナゴ)は、そなたじゃ」

お佐紀は、突然正座した。

「ありがとうございます」

深々とお辞儀し龍一郎も正座した。

「うむ」

お佐紀が龍一郎の胸を拳でドンと叩き、しばらくしてその胸に縋って行き二人はじっと固まってしまった様に空を見上げていた。

江戸では、ひとしきり騒いだ後、平四郎がすっくと立ち上がった。

それを見た弟子たちが慌てて道場内に散り稽古を再開しだした。

平四郎がお駒に尋ねた。

「団子ですか」

「はい」

平四郎が今度は、皆にあごで奥の間に入る様に支持し、妹のお有に頼んだ。

「茶の支度を頼む」

平四郎が風呂敷を解いた、一番上に小さめの包みが二つあり、お駒を見た。

「お殿様とご家老様に」

「気を使わせたな」

平四郎は二つの包みをお有に渡した。

「後で届けて参れ」

自分たちの分を取り、残りを風呂敷に包み直した。

「ありがたく頂戴いたす・・・・お駒さん・・・・今日から皆の人気者になりますぞ」

平四郎が可笑しな事を言って風呂敷を片手で持って道場へ歩きだした。

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