第41話 誠一郎との出会い

龍一郎が大岡の私邸に着いたのは、七つ半時分(5時)だった。

門番に御留守居役との面談を頼むと初老の武士が現れた。

「何用で、ござるな」

「大岡様よりの頼まれ事にございます」

「何、殿からとな」

「はい」

「して、その内容は」

「誠一郎殿の素行改善にございます」

龍一郎は、はっきりと答えた。

「殿が、その様に、そなたに望んだと申すか」

疑わしい目で見つめながら言った。

「はい」

御留守居役と思しき初老の武士は、暫し考え答えた。

「解り申した、若は既に屋敷を出られた、じゃが、行き先の見当は着き申す」

と言って一軒の飲み屋の場所を教えてくれた。

後から考えると門番も御留守居役も何故にあの者の言う事に従ったのか・・が不思議だった。


龍一郎は十五歳で昼から酒とは、可愛いものだ、と、思った。

教えられた道を進むと「めし、酒」と書いた提灯が掛けられた店があった。

店に入り内部を見渡すと時間の合間で奥の隅に三人の若い武士がいるだけだった。

龍一郎は、昼飯がまだだったと気付き

「飯を頼む」と板場に声を掛けた。

「はいよ、だが、合の間だで何もないぞ」

男の返事が帰って来た。

「大飯と青物、煮物、香の物で良い」

「はいよ」

「それと、汁もな」

「はいよ」

小気味の良い三度目の返事が帰って来た。

龍一郎は、壁に寄り掛り何気なく三人を見ていた。

三人もちらちら龍一郎を見ていたが、何も言わず何もしてこなかった。

龍一郎は、いろいろ考えていた。

藩の門弟の増やし方、今回の誠一郎の処し方(ショシカタ)など、もろもろあった。

飯の支度ができるまでには、誠一郎についての方策は決まった。

「はいよ」と店の親父が飯を持って来た。

龍一郎の頭はもう働かない。

「戴きます」

合掌すると、ばくばく食べ始め、直ぐに龍一郎が声を上げた。

「飯を頼む」

店の親父も三人の若者も、その速さに驚いていた。

店の親父は、確かめに来て呼んだ

「おっかぁ、米櫃持ってこ」

奥から米櫃を抱えて女が出て来て確かめた。

「本当だな、魂消た・・・これ、みな食え」

米櫃を置いてくれた。

龍一郎はひたすら食べる事に集中し言葉通りに全て食した。

「本当に食べちまったよ」

店の夫婦に魂消られた。

「これで足りるかな」

龍一郎は一分銀を出した。

「とんでもねーだ」

「足りぬか」

「いんや、足り過ぎだ」

「では、お茶を入れて下さい、それに満足料ですよ」

「茶なら何杯でも飲んでけ」

店の親父が湯呑みと土瓶を置いて奥に引っ込んだ。

龍一郎は、お茶を飲みながら、再び三人を眺め「さてと、そろそろ目的をはたさねばな」と思った。

ゆっくり立ち上がり剣を差し傘を持ち木刀を担いだ。

そして出口に向かわず三人の若武者に近づいて行った。

「誠一郎殿は、どちらかな」

三人が見つめ「何だ、貴様は」と一人が言った

「そなたが誠一郎殿か」

「ああ、そうだ、それがどうした、何の用だ」と別の一人が言った。

「では、同道願おう」

「何の用だ」

「今日から、わたしが、そなたの師匠でな」

「師匠、何の師匠だ」と別の一人 がいった

「やはり、そなたが誠一郎殿か、師匠と言えば剣に決まっておろう」

「わしは、剣の師匠など持った覚えはない・・・持つつもりも無い」

「今日からと申しておろう、さぁ、金を払って・・・行きますぞ」

「いやだ」

「では腕ずくで連れていきますか」

龍一郎が腕を伸ばすと二人が邪魔をしようとした。

龍一郎は、二人の頬を平手で張り倒した。

二人はすとん、と、椅子変わりの樽に座りこみ、誠一郎が振るえた。

「来なさい」

龍一郎が言うと誠一郎が素直に従った、

「先ほどの金で足りるかな」

龍一郎が奥から覗く親父に言った

「はいな、はい」と何度も頷いた。

「馳走になった」

店を出た龍一郎は誠一郎を従えて歩き出した。

行き先は龍一郎の屋敷だ。

当初こそ誠一郎は素直に従っていたが途中から逃げ出す素振りを見せ始めた。

龍一郎は、素知らぬ顔をして歩き続けた。

いよいよ誠一郎の逃げる気配が強くなり突然脇道に走り込み逃げ出した。

誠一郎は後を振り返り確かめたが師匠と名乗る男は追って来なかった。

誠一郎はただただ走った、息が切れるまで走った。

橋の袂で後を振り返り安心して立ち止り息を整え、暫くして、歩き出そうとしたら前の橋の欄干にあの男が寄り掛り待っていた。

「橋を渡って右ですからね」

「・・・・・はい」

又、龍一郎は誠一郎を従えて歩き出した。

一切の言葉はない、ただただ歩き、龍一郎の屋敷に着いた。

「富三郎殿、お景殿、只今戻りました、客人がおります、濯ぎ水を一つ追加して下さい」

龍一郎は式台に座った。

「はーい」

奥から返事があり、お景と子供たちが二人の水桶と足拭きを持って来てくれた。

「ありがとう」

子供たちに懐から紙包みを出して渡した。

「ありがとう」

子供たちは素直に受け取った。

当初は、一回一回母親の許しを待って受け取っていたが、龍一郎が江戸散策から戻る度に子供たちに土産を買って来るので今では母親の許しを必要としなくなっていた。

「お景殿、誠一郎殿です、暫く、寝泊りします、よろしく願います。誠一郎殿、濯ぎなさい」

二人は足を洗い龍一郎の部屋に入った。

「私は橘 龍一郎と申します、貴方は大岡 誠一郎殿ですね」

「はい、何故、私を・・・父に頼まれたのですか」

「はい、頼まれました、でも、それだけでは、ありません、父上は剣の才能に恵まれた方です。

貴方もその血筋を継いでいます、剣の修行せねばなりません、才を無駄にしてはなりませぬ」

「父の剣は強いのですか」

「はい、町に稽古場を開ける位に強いですよ」

「私は、父が竹刀や木刀を振るところを見た事がありません、父は文の人と思っておりました」

「父上は文武両道に長けた方です」

「何処で鍛錬しているのでしょうか」

「私には解りませんが、想像するに、若き頃修練した稽古場では御座いませんか」

「父とは話す機会がほとんどありません、父の幼き頃を知りません」

「今度、父上に会って、聞いてみることです、きっと話してくれますよ。

これからの予定ですが明日の朝から剣の修行を始めます、時間は八つ半です。

夕餉の後、隣の部屋で寝て下さい」

「えぇー、八つ半ですか、真夜中ですよ」

「はい、そうです、その後、朝餉を食して、私が師範をしている稽古場へ行きます」

「稽古場の師範ですか」

「はい、さる藩の通い師範です、私は、御家人とは申せ直参ですから、藩士にはなれません。

それから、夕餉の場で会えるでしょうが、朝の鍛錬には私の義父も参加します」

「龍一郎様は嫡男でござますか」

「はい、では、夕餉の時間まで、庭を眺めるなり、部屋で仮眠を取るなりしていて下さい。

一つ注意をしておきますが、先度の様に逃げようとしても無駄ですよ」

「はい」


誠一郎は廊下に出て庭を眺めた。

確かに四角く稽古場の様に踏み固められており、石ひとつ見えない。

ここで剣の修行か、逃げるか、誠一郎はまだ迷っていた。

あの張り手の痛さは並ではなかった、誠一郎には軽かったようだが、仲間二人は意識がなかった。

それに、あの先周りには驚いた、何度も振り返り確認したが見えなかったのに・・・。

それに、屋敷に着いた時には土産を持っていた。

自分が必死で逃げている頃、何処かで買ったに違いないのだ。

誠一郎には龍一郎の余裕が感じられ、逃げるとしたら、寝ている間しかない、と心に決めた。

腹を括ったら眠くなったので隣の部屋に入り畳の上で腕を枕に仮眠に入った。

「食事の用意が出来ました」

障子越しにお景の声で誠一郎は目覚めた。

「はい、行きます、ところで、何度、声を掛けましたか」

「三度です」

「無念、お手数をお掛けしました」 

「お疲れだったのでしょう」

誠一郎は障子を開け、先に歩き出しているお景の後を追った。

その部屋は台所に面した一室であった。

龍一郎が居てお景がいたが他の者達は解らないが、誠一郎は空いている席に座った。

「こちらが、当家の主、橘 小兵衛、義父です」

龍一郎が上座に座る一番年寄りを紹介した。

「龍一郎、お前が当主じゃ、今のわしは隠居よ」

「こちらが富三郎、お景夫婦に、子供たちのお民、太助です。

二人には食事の世話と家の細々とした事をお願いしています。

でも、言葉と態度には、気を付けて下さい、皆、家族です」

「大岡 誠一郎と申します、よろしくお願いいたします」

「よし、では、戴こうかの」

小兵衛の一言で皆が「戴きます」と唱和し夕餉が始まった。

沸き遭い合いとした夕餉で誠一郎は久しい経験に感激した。

小兵衛も見回しにこにこしていた。

「食事は大勢が楽しいのぉ~」

小兵衛が誠一郎の気持ちを代弁するかの様に言った。


そして、次の日の早朝より、剣の修行が始まった。

因みに誠一郎の脱走は、誠一郎が床から立ち上がった時点で隣からの「どうした小便か」の一言で霧散してしまった。

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