第92話 同心・誠一郎 お役御免

聞き込み、尾行、忍びなど探索が進められた、勿論誠一郎の内部からの探索も続けられた。

一月が過ぎ、二月が過ぎた頃、南町奉行所で人事に移動があった。

「坂下誠一郎」と内与力が朝の打ち合わせの前に皆の前で呼んだ。

「はい、何で御座いましょう」

「其方、見習いを解く、本日より同心と致す」

「はぁ、有り難き幸せに存じます」

「但し、本日より本奉行所へ出仕に及ばず、異例な事ではあるが其方は明日より八王子千人番所へ出仕を致す様に申し付けるもの也」

「えぇ~、八王子に御座いますか・・・何故で御座いますか」

「儂には解からぬ、御奉行の命である、此れより直ぐに出立致せ、良いな」

言うだけ言って内与力は奥へ戻って行った。

その後姿に問い掛ける様に坂下誠一郎の声が響いた。

「如何して、如何して」

周りの者たちにはこの島流しとも言える措置に同情と哀れみと己では無かったとの安心感が漂っていた。

坂下見習い同心、いや見習いが取れた坂下同心は俯いて座って居たが暫くして立ち上がった。

「短い間で御座いましたが皆様には大変お世話に成りました・・・ありがとう御座いました」

別れ挨拶を述べ御長屋へと旅仕度に戻って行った。

「奴はもう御府内には戻れまい、若くして可愛そうにのぉ~」

「あぁ、もう戻れまいな、可愛そうなら其方替わってやるか」

「滅相もありません、某には母、嫁、子が居ります、ご遠慮申します」

などと同心達の話が一頻り(ヒトシキリ)続いた。


部屋の隅で与力と同心の二人が小声で話していた。

「浅井、どう見る」

「どうと申されますと、この移動の事で御座いますか」

「決まっておるは」

「はぁ、私の記憶では南北奉行所から千人番所への移動はこれまでも幾度か御座います・・・ですが何れも年寄りでそれも代替わりで御府内に戻っております」

「で、あろう・・・可笑しい・・・怪しい」

「はい、不思議な話で御座います」

「第一儂は兎も角其方には別れの挨拶位はあると思うたがなぁ」

与力の樋口と同心の浅井が疑問を口にした。


坂下誠一郎は御長屋に戻り旅仕度をし奉行所の門へと向かった。

「太兵衛殿、委細世話に成り申した、此れにて失礼致す」

「坂下様、どうなされました、奉行所を止められますので・・・」

「いや、八王子へ出仕替えに成り申した・・・太兵衛殿、息災でな・・・此れにて御免」

「坂下様も御壮健で・・・」

誠一郎は門番・太兵衛に別れの挨拶を成し八王子へ向かった・・・と見せかけた。


この誠一郎の出仕替えには無論理由が有った。

何日か前から奉行所内にある噂が広まった事によるものだった。

その噂とは

「御奉行には姫が一人と言う事で有ったが嫡男が居るらしい」

と言うもので、その噂には続きがあり

「どうも倅殿は親不幸者の様でな、仲間と悪さをしておるらしい。其方管轄内に御奉行の私邸があろう知らぬか」

「知りませぬ、大体何処の大身旗本の二男、三男は悪たれと相場が決まっております、どれが何処のなど解かろうはずも御座いませぬ」

「違いない」

そんな会話が誠一郎の耳にも入り早晩正体が露見致すとの龍一郎の断により此度の出仕替えの芝居となったのである。

従って内与力から出仕替えを申し渡された時は当然誠一郎も承知の上であり悲嘆に暮れる姿は無論芝居で有った。

但し出仕替えを告げた内与力は誠一郎が繋ぎを取る者では無く当然誠一郎の正体も知らなかった。

八王子方面へ向かった誠一郎は尾行が無い事を何度も確かめた上で方向を変え龍一郎の屋敷へと入って行った。

此れにて同心・坂下誠一郎はこの世から消えた。

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