第212話 男子衆の温泉

お雪の素質は素晴らしいものであった。

佐紀の予想を遥かに超えていた。

龍一郎の読みも超えていた。

山の登り降りはどんどん早くなり、仙花を習ってからは、その鍛錬をしながらでも遅れる事は殆ど無かった。

時々遅れる刻もあったがその刻は必ず山鳥や兎などの獲物を持って山を降りて来た。

剣の鍛錬も見事なもので、なまじ他の流派や自己流のある者よりも飲み込みが早く抜き打ちが益々早くなっていった。

そんなお雪の成長は他の皆の成長も促した。


「慈恩、このままでは早晩、お雪に抜かれるぞ」

「お前もそう思うか、双角」

「この里の者の中には既に抜かされた者が大勢おる、毎日、毎日山修行をしておる者が初めての修行でな」

「百姓の娘がどうしてこうも強いのかのぉ~」

「並外れた身体と並外れた根性がある、己を強くしたい欲もある、己を痛めつける気もある・・・まだまだ強くなるなぁ」

「だが、お雪がどうのこうのの問題では無い、我らがどうするかじゃな」

「確かに、お雪を気にし過ぎるのは良く無いな、まずは龍一郎様の言うた事を己に言い聞かせる事じゃな」

「我らが天狗と思う者たちは皆、龍一郎様の教えに素直に従った者ばかりじゃからのぉ~」

「まずは朝一番の山走りは、一に石に気を付け足を挫かぬ様にする、二に回りの気配に気を配る、三に仙花の鍛錬も兼ねる、剣技では速さを気にせず形を優先する、剣が描く円は毎回同じに大きく描き止める位置は毎回同じくする、同じ円を描き同じ処で止める事が出来る様になるまで剣を振る速さを早くせぬ事、手足の重しは無理をせず少しづつ増やす、重さに慣れた刻に増やす、振る木刀の重しも同様・・・こんな処かのぉ~」

「皆と同じ事をお雪と同じ事をしていては抜かれる、追い付けぬ」

「だから申しておろうが、雪ばかりを気にしていては逆に遅れを取る様に思う、龍一郎様を目指し鍛錬する、其れのみを考えて鍛錬する事に儂は決めた」

「そう其れが良いでしょう」

双角の隣から声が掛かった。

二人が話ているのは里の温泉で何人もが入っていて二人は縁に背を掛け話していた。

二人が見ると双角の隣に何時の間にか佐助が座っていた。

「私も目指すは龍一郎様です」

今度は反対の慈恩の隣から声がした。

こちらも何時の間にか平太が座っていた。

「二人の何方が先達ですか」

二人の突然の出現にも驚く事無く双角が問うた。

「平太が随分先達です、技も身体も上位者です」

「年下の平太殿に勝てぬのは悔しくは無いのか」

「悔しいに決まっています、しかし、目指す処は平太では無く龍一郎様です」

「平太殿は下位の者から呼び捨てにされても良いのか」

「技が上位でも年下なのは違いありません、平太で結構、お二人も平太と呼び捨てにして下さい」

「平太殿、いや、平太は先の天覧試合に出て居らなんだが何か訳でもありましたかな」

「訳、訳ねぇ~、試合に出るのは己の力を知る為でしょう、私は仲間の中での立場は解っています、試合などにでる要はありません」

「平太の位置とは???」

「平四郎様、三郎太様の下位、舞の上位、誠一郎殿と同程度です」

「随分と上位なのだのぉ、佐助殿の位置はどの辺りかな」

「江戸組には誰にも勝てません、一番の下位はお高殿ですが私よりも数段上です」

「毎日、毎日、山修行をしている其方が勝てぬ・・・解らぬ」

「只の山修行では駄目なのです、龍一郎様の薫陶が一緒で無ければ駄目なのです」

「平太、教えてくれぬか、龍一郎様の次に強いのは、竹刀、木刀、真剣と違うのであろうか」

「私は獲物の違いは解りません、試合では竹刀でも木刀でも龍一郎様の次はお佐紀様です」

「お佐紀様は本に町屋の娘であったのか」

「はい、廻船問屋の娘です」

「お佐紀様の次は何方かな」

「小兵衛館長、平四郎様、師匠の三郎太様の三人です」

「其方の師匠は三郎太殿か、それでじゃが三人の順位は付けられぬのか」

「その内に試合を見る事になるでしょうが勝ったり負けたりです」

「そして、次が其方と誠一郎殿か」

「はい、そして次が清吉と舞、次がお有様、お久様、お峰様です」

「館長夫人のお久様はもそっと上位と思うておったがな」

「はい、以前は私も誠一郎様も敵いませんでした」

「其方らが抜いたか」

「はい」

「して、次に来るのがお駒殿、お花殿、お高殿と言う事かのぉ~」

「はい、ですがお駒さんはお花さん、お高さんよりは少し上位です」

「十度の試合で一度、二度の負けと言う処かな」

「はい、左様です」

「我らは一番下位の二人に負けた者だ、相当に性根を入れねば追い付けぬぞ」

「私が思うに相当では無理でしょう、何となれば、お高さん、お花さんの鍛錬は凄まじいの一言ですからね」

「料亭と言う商いですから眠りに着くのは九つ過ぎです、ですが七つには鍛錬を初めておるそうです、足りぬ眠りは昼のお店が暇な刻に取っておるそうです、昼間は奉公人に見られてもいかぬので鍛錬は奉公人が眠っている刻との事でした、手足の重しを増やし背にも重しを背負い朝の暗い内に裏道を走り回っている様です・・・凄まじいでしょう」

「ではお駒殿が抜かれると申すか」

「ところがです、母はもっともっと過酷です、父・清吉と一緒にね」

「平太、其方、清吉とお駒殿の倅か」

「はい、舞は妹です」

「何と家族が天狗か・・・他に兄弟は居まいな」

「おりません」

「其方は何時鍛錬しておるのだな」

「私は一日中です、私の鍛錬の科目には文字の読み書き、書の読みもあります、武術ばかりでは無いのです」

「其方は見た目と違うて賢いのぉ~」

「平太は凄いな、儂はこの里でのんびりと剣技の修行だけしている、修行と言っても仲間と遊んでいる様なものだな」

「そこの処が里の者と江戸の者との違いじゃな、他に縁者は居らぬな」

「私にはおりませんが、平四郎殿とお有さんは兄弟で、お久様とお峰様は親子です、そして誠一郎様の父上は南のお奉行・大岡忠助様です」

「なんじゃと~」

「何とも凄まじい処に仲間入りしたものじゃのぉ~」

「御止めになりますか」

「今更止められるものか、何としても追い付き追い越す」

「儂もじゃ」

「その覚悟です」

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