兄からの相談、妹の態度
貴族子女は人前へ出るときの身なりは完璧でなければならない。瑕疵ひとつで社交界の笑いものになりかねないからだ。そのため、誰もが早起きして念入りに化粧をして身なりを整える。
「男なんて五分あったら充分なのにな~」
「何言ってんのよ。貴族の子弟の身だしなみがそんな短時間で終わるわけないじゃない。それ前世の記憶でしょ。いい加減なこと言わないの」
「あれ、どの世界でも男なんて似たようなもんじゃないのか?」
「今日からよく周りを見てみなさい。だらしのない格好をした男の子なんていないわよ。女の子ほどでなくても、みんなそれなりに気を遣っているんだから」
「なんでそんなことお前が知ってるんだ?」
「知り合いのメイドの愚痴に付き合ってるからよ」
前世で働いていたときのことを思い出してティアナは黙る。そして、十代からそんなことをしているアルマ達に震えた。
その様子を見て心配そうにアルマがティアナの顔をのぞき込む。
「どうしたの。寒いの? もしかして風邪でもひいた?」
「大丈夫。それより、支度が終わったらご飯ちょうだい。おなか空いた」
「はいはい」
そうしてアルマから渡された固めのパンと水をティアナは口にする。
「アルマって他のメイドと知り合いなら、よその貴族がどんな生活をしてるか知ってる?」
「ある程度は。最初に言っておくけど、うちは貴族の中でもほぼ最底辺だからね」
思わず口の中のパンを喉に詰めかけたティアナだったが、なんとか水で流し込む。
「なんとなく予想できていたことでも、事実として突きつけられると地味にくるな」
「今更でしょうに。あんたの美貌であんまり目立たないけど、いつも着てる服だって流行遅れなんだから、本当は着ていくと恥ずかしいのよ?」
「え!?」
「どうせ服には無頓着だから黙ってたらわからないだろうと思ってたけど、本当に知らなかったのね。多分陰で笑われてるわよ」
「振った話題間違えた」
思わぬ事実を知ったティアナが天井を仰ぐ。それを無視してアルマは話を更に続けた。
「まぁ、女の子から面と向かって言われることなんてまずないでしょうから、気にしなくてもいいわよ。そもそも避けられているんだから、誰も話しかけてこないでしょ」
「確かにそうなんだけど、朝から気の沈む話を聞いちゃったなぁ」
「衣服でこれなんだから、食べ物の方もわかるでしょ? 固いパンを水で流し込むご令嬢なんていないわよ」
「でも、さっき貴族の中でもほぼ最底辺って言ってたよな? ほぼってことは、最下位じゃないってことだろ」
「最下位争いなんてして嬉しい?」
「いや嬉しくはないけど、ほら、どうせなら聞いておきたいだろ?」
「子爵家の中じゃ最下位、男爵家も含めたら下から二番目くらいかな?って感じよ」
「ほぼ最下位じゃないか!」
「だからそう言ったでしょうに。ちゃんと人の話は聞きなさいよ」
「そっかぁ、思ってた以上にうちは底辺だったんだなぁ」
「早く食べないと遅刻するわよ」
急かされたティアナは朝食を再開する。しかし、食べる前よりも元気はなかった。
外出の準備が整うと二人は学舎へと向かう。
「皆さん、輝いて見えるような気がしますね」
「気のせいですよ、お嬢様。しゃんとなさってください」
自室での会話を引きずっているティアナに対して、アルマが容赦なく励ます。
学舎へ向かう何人もの子弟子女と混じって二人も歩むが、この日は誰とも会わなかった。
「それじゃ行ってくるわね」
「はい、行ってらっしゃいませ、お嬢様」
学舎の正面玄関でアルマから鞄を受け取るとティアナは一人で教室に向かう。
王立学院の教室には生徒個別の席はない。誰もが好きな場所に座ってもいいのだが、回を重ねるごとに自然と定位置というのは決まってくる。
教室に入ったティアナは誰にも挨拶することなく教壇から最も遠い窓際の席に座った。元から教室内にいた生徒達も目を向ける者はいたが声はかけない。
それでも座っていると唯一の友人が声をかけてきた。
「おはよう、ティアナ。ちゃんと体を動かしているかい? 今日もいい筋肉日和だ」
ティアナの背後からパウルの声が聞こえてきた。振り向くと筋肉質な青年が立っている。しかし、いつもと様子が少し違う。
「おはよう。どうしたの、いつもより元気がないようだけど?」
「はっはっはっ、やっぱりわかるかい?」
「毎日同じ挨拶をしてますから、ちょっとした違いならわかりますよ」
頭をかきながらパウルは苦笑いをする。態度はいつもと変わらないがやはり勢いがない。こんなことはティアナにとって初めてだった。
パウルはティアナの隣の席に座ってやや顔を近づける。珍しく笑顔でない。
「実は君に相談があるんだ。ユッタのことで」
「妹さんのこと? 私に? お話くらいでしたら聞きますけど」
ちらりと周囲に目を向けて誰もいないことをティアナが確認する。元々ティアナの近くは席が空きがちで、教室内が生徒同士の雑談で適度にざわついているのも都合が良かった。
ティアナが視線を戻すとパウルが口を開く。
「ユッタのことはある程度知ってるよな。いい話は恐らくないと思うけど」
「男の人関連の話とユッタ自身のことをいくつかは。まぁ、いいお話は聞かないですね」
「本当は妹の好きにさせてやりたいんだが、さすがに入学以来色々とありすぎた。中には俺が間に入ったこともある。だから、いい加減なんとかしないといけないと思ってるんだ」
兄としてはまっとうな意見である。ある意味学院生活を謳歌しているユッタではあったが、その偏り方が極端なのでパウルの我慢の限界が来たというわけだった。
真剣に話を聞いているティアナに対してパウルが話を続ける。
「何より一番問題なのは、男性としか付き合いがないということだ。ユッタの昔からの悪い癖なんだが、なぜか女性を避ける。どうも苦手らしい」
「昔から女の人を避けるんですか。男の人が苦手という話ならよく聞きますけど」
「そうなんだ。あいつはなぜか逆なんだ」
異性を苦手とする話ならばティアナも知っている。しかし、同性が苦手というのは珍しい。パウル共々二人は首をかしげた。
ただ、今のところ話を聞いていてもティアナが協力できそうなことはない。ティアナは逆に問いかけてみた。
「それで、私に何か協力してほしいことでもあるんですか?」
「気は進まないとは思うが、ティアナ、あいつの友人になってやってくれないか?」
「色々と質問したいことがあるんですけど。どうして私なんです?」
「最初は他の女性との仲を取り持とうとしたんだけど、最近は徹底的に嫌われてるらしくて、相手にされなくなってきたんだ。でも、本人を目の前にして言うのも気が引けるが、君は孤立していたおかげでユッタにそう悪い感情を持ってないだろう? だから」
なるほどとティアナはうなずいた。パウルの分析は正しい。孤立しているティアナには噂がほとんど入ってこないため、ユッタの噂を最低限しか知らない。更に他の子女に同調することも今までなかった。ユッタの手を取ってもらう相手としては悪くない。
ただし、懸念するべきことはある。ティアナはそれを問うてみた。
「しかし、私も女です。ユッタは最初から拒絶する可能性が高いですよ?」
「わかってる。けど、一度は試してみたいんだ」
「それともう一つ。私も他の女の人から避けられています。ですから万が一私と仲良くなったとしても、他の女の人とのつながりは得られませんよ?」
「ティアナと友人になってユッタが変化したら、ユッタ自身が他の女性の友人を作れるかもしれない。その変化を期待してるんだ」
藁をも掴む心境なんだということがティアナにはわかった。パウルの友人関係についてティアナは知らないが、そちらに何か大きな影響が出てきているのかもしれないと推測する。何にせよ、追い詰められているということはわかった。
「わかりました。嫌われ者同士が仲良くなれるとは限りませんが、お目にかかりましょう」
「ありがとう! 助かるよ!」
「さて、授業がもう始まりますから、今朝はこれでお終いですね」
安心した表情のパウルが自分の定位置へと座る。こうしてこの日一日の授業が始まった。
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ティアナが相談を受けた日から二日が過ぎた。この日の授業が終わった後にユッタと会ってほしいとティアナはパウルに頼まれている。
当日の授業は昼下がりまであった。昼食直後の授業では睡魔との戦いが激しかったが、ティアナはかろうじて引き分けに持ち込む。そして、授業終了と共にその意識を急速に覚醒させた。授業中にそれができなかったのは自然の摂理だ。
「ティアナ、それじゃ俺はこれからユッタを迎えに行く。先に庭園へ行ってくれ」
「わかりました。お待ちしてます」
どことなく緊張した面持ちのパウルと教室で別れたティアナは、そのまま一人で学舎の正面玄関へ向かった。待っていてくれたアルマに鞄を渡す。
「お嬢様、うまくいくと思います?」
「会ってみないとわからないわね。私自身、今回が初対面ですから」
パウルの思惑通りになる可能性は低いとティアナは予想している。それでも、かつて自分が本当に孤立していたときに手を差し伸べてくれた友人に対して、できるだけ自分も応じたいとティアナは思っていた。
アルマとの会話もそこそこにティアナは一人で庭園へと足を向けた。
王立学院にある庭園は緑あふれる落ち着いた場所だ。お茶会も開かれる場所だが今日は誰もいない。
しばらく待っていると、パウルがユッタを伴ってやって来た。並んでいるのを眺めると、薄い茶色の髪と青い瞳が同じということもあって似ているように見える。パウルは少し緊張しているようだが、ユッタは無表情だ。
「ティアナ、待たせた。こっちが妹のユッタだ。ユッタ、こっちが友人のティアナだよ」
「初めまして、ユッタ。あなたの兄パウルと友人のティアナです」
「今日はパウル兄さんの顔を立てるためにお目にかかりました」
最初の挨拶くらいは無難に交わせるだろうと思っていたティアナは驚く。ユッタは小さくため息をついて仕方なさそうに言葉を吐いた。
驚いたのはパウルも同じでユッタをたしなめようとする。
「ユッタ、いくら何でもその態度は」
「パウル兄さんがあたしのためにしてくださっていることはわかります。けど、その相手がこの人というのは納得できないと最初から言ってましたよね。どうして普通の人じゃなくてこんな憑依体質の人なんですか?」
相手に対する配慮がユッタからはまったく感じられない。感情のままにしゃべっているその姿を見たティアナは、ユッタがとても幼く感じられた。
「一応これで兄さんの面目は立てられたんでもういいでしょう。これで失礼します」
用は済んだとばかりにユッタは踵を返す。
取り付く島もないとはこのことだ。心証は最悪だが、またとない機会なのでティアナは質問を一つぶつけてみた。
「せっかくなので、私から伺いたいことがあるのですが」
「なんでしょう? 手短にしてください」
呼びかけに反応したユッタが面倒そうに振り返る。
「あなたとお話した殿方は、いずれもあなたに心酔されているご様子なのですが、何か秘訣でもあるのでしょうか?」
「あなたも男の気が引きたいのですか? 顔だけはどうにもならないですからね」
先ほどから会話をしていてわかったことだが、ユッタは単に口が悪いのではなく、性格がゆがんでいるのではとティアナには思えてきた。
パウルの顔が引きつっていたが、ティアナはそれをとりあえず無視して口を開いた。
「単なる興味です。憑依体質のことは皆さんに知られていますから、今更私の言葉に耳を傾けてくださる殿方はいらっしゃらないでしょう」
「例えその件がなくても、あんたには絶対無理です! あたしにしかできないことですから。才能というべきものですよ!」
「才能?」
「その通り! 相手の要望がウィンドウ画面に出てきて、選択肢を選べば好感度が上がる! それに条件を満たしたら攻略できるんだから簡単よ! ハーレムルート待ったなしね!」
「え? なんですって?」
興奮してきたユッタの口調は次第に強く速くなってゆく。
そして、ユッタの話を聞いてティアナは固まった。今、あまりにも懐かしすぎる言葉が耳に入ったからだ。なぜユッタがそんな言葉を知っているのか。
「失礼しました。つい興奮してしまったようです。あなたがわからなくて当然ですよ。知らなくてもいいことですし」
「おっしゃる意味はわかりませんでしたが、答えていただきありがとう」
「まぁ、せいぜい私の邪魔を」
突然言葉を切ったユッタをティアナとパウルが訝しげに見る。ユッタはそのまま無言で眉を寄せ、ティアナの顔とユッタから見て左手前の中空に視線のみを往来させる。その表情は次第に驚きに満ちてきた。
「ティアナ、あんた一体何者?」
「ユッタ、君は昔からたまにおかしな言動をするときがあったが、今度は一体なんだ?」
パウルの質問を無視したユッタがティアナを睨む。何が気に障ったのかティアナにはまったくわからなかった。
「自分でも気付いてないの? ふん、まぁいいわ」
そう言い残すと、ユッタは去って行く。
思わぬ言葉を聞いたティアナは、パウルと共にその姿を呆然と見送るだけだった。
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