思った以上につらい潜入活動
ヨーゼフの研究室を訪問した翌日に潜入することを決めたティアナ達だったが、すぐに実行したわけではない。更に翌日から事前調査を始めた。
まず、アルマとタクミが丸一日かけてダンケルマイヤー侯爵の屋敷を交代で窺った。正門を出入りする人々を監視して、研究施設である建物に忍び込みやすい時期を探るためだ。
特に研究関係者を重点的に観察しようとした二人だったが、この目論見は失敗する。間抜けな話だが、大抵は馬車に乗っていて誰がどれに乗っているのかわからなかったのだ。
監視方法の変更を迫られたティアナ達は、次に直接ヨーゼフの研究室がある建物を見張ることにした。
ウィンの魔法によって空を飛んで壁を乗り越えたティアナが、敷地内にある木々に紛れて建物を監視する。もちろん魔法によって姿を消した状態だ。
朝一番から観察を始めたティアナだったが、すぐに気付いたことがある。それは予想以上に体が冷えるということだ。しかも、手足の先が特にひどい。
「防寒着は充分に着込んできたのに」
つぶやくティアナの言葉も寒さで震えた。もちろん靴下を二重にしたり手袋は厚めのものを使ったりしているが、それでも真冬の屋外の冷え込みは厳しかったのである。
一瞬ウィンに火の魔法を使ってもらおうかと考えたティアナだったが諦めた。自分の周りだけ温かくして周囲の雪が溶けたら不自然だからだ。
こうして文字通り震えながら見張りをしていたティアナだったが、もうひとつ気付いたことがあった。それは思った以上に時間の経過が遅いということだ。
アルマとタクミは交代で見張っていたがティアナに交代はない。そのため、丸一日自分一人で監視し続けなければならない。一種の拷問のように感じられた。
「うわ、これ心が折れそう」
何もしていない、何もできない、ただひたすら眺めるだけという行為にティアナは泣きそうになる。
建物の正面出入り口には警護兵が二人扉の左右で立っている。また、警護兵は時折交代しており、交代要員は建物の中から出てきて休憩する警護兵は中に入っていく。
さすがに寒いらしく手を擦るなどして体を動かしている警護兵を観察していると、ごくたまに長衣を着た者、馬車でやって来た貴人、荷物を運び込む者が往来するのを見かけた。
目の前でたまに起きる変化を目にしながら、ティアナはどうやって忍び込むかを考える。
何種類もの人物が往来するのを見かけたが、最も望ましいのは定期的に出入りする人物を利用することだ。この場合は警護兵になる。
しかし、その警護兵は間違いなく保管庫への出入りはしていない。研究をしている魔法使いか、所用でやってきた貴人か、荷物を持ち運びしている業者と推測される。
そうなると次に調べるべきは保管庫の出入りだ。
ティアナは先日の保管庫までの順路を思い出す。建物の奥へと向かう廊下は裏庭を眺めながら移動していた。
翌日、ティアナは建物の裏側へと回り込んだ。降り積もる雪に足跡が残らないように魔法を使って移動した建物の裏側も冷え込みは厳しい。
早く温かい場所へと戻りたいと願うティアナは金庫のような扉のある近辺を見張る。
こちらは正面の出入り口よりも変化がなかった。それでも人の出入りがあることは確認できる。魔法使いが単独で一回、貴人を案内して連れ込むこと一回だ。
「正面の出入り口は警護兵の交代時期に合わせて侵入して、保管庫は魔法使いか貴族が出入りするのを待つと」
とりあえず基本的な計画はできた。本当なら更に数日をかけて監視するべきだが、交代要員のいないティアナは寒さに耐えかねてもう決行することに決めた。
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一日休養を取ったティアナは、その翌日に再びダンケルマイヤー侯爵の敷地内へと侵入した。
研究施設限定とはいえ、すっかりお馴染みになった敷地内を迷うことなく進み、ヨーゼフの研究室のある建物に近づく。そうして、警護兵の背後、扉のすぐ横へと張り付いた。
相手からは見えない、気付かれていないことがわかっていても、すぐそこに警護兵がいることはティアナの大きな負担だ。見つかってしまわないかという緊張から体がこわばる。
警護兵のたまに交わす雑談を聞きながらティアナはそのときがやって来るのをひたすら待つ。これがまた長く感じられて仕方ない。
やがて待望の交代要員がやって来た。建物の扉が開いて内側から二名の警護兵が出てくる。そうして、少し言葉を交わしてから休憩する警護兵が中へと入る。
しかし、機会を窺っていたティアナは動けなかった。予想以上に扉が開いている時間が短かったからだ。遠目で見ていたよりも時間的に余裕がないことにティアナは愕然とする。
仕方なくティアナは次の機会を待つことにした。失敗が許されない以上、特別な訓練を受けていないティアナでも成功する機会を待たなければいけない。
忍び込むだけでもかなり大変だということを思い知ったティアナが待っていると、一台の荷馬車がやってきた。
御者が降りてきて警護兵と言葉を交わす。
「頼まれていた品を持って来たんですけど、入れていいかい?」
「ああ、持っていってくれ。今度は何を持って来たんだ?」
「さぁ? 何かの薬品らしいけど、俺にはわからんね」
警護兵と顔見知りらしい御者は許可を得ると荷台から木箱をひとつ取り出してやって来た。両手が塞がった御者に代わって警護兵が扉を開けてやる。
とっさにティアナは体を動かした。木箱を持った御者の後ろにぴったりとくっついて扉をくぐる。そうしてすぐに離れて廊下の隅へと移動した。
御者が廊下の角を曲がり、警護兵が扉を閉めるのを眺めながら、ティアナは大きな息を吐き出す。降って湧いた幸運に感謝した。
以前、ヨーゼフの案内で通った廊下に人の気配はなかった。やけに明るいその廊下をティアナは周囲を気にしながら進む。
「蛍光灯もどきを作るくらいなら、魔法で暖房設備も作ったらいいのに」
聞かれていないことを良いことにティアナは小さな声でつぶやいた。室外よりわずかにましというだけで室内も冷えたままなのだ。冷えた手足の先はそのままである。
保管庫の前にはすぐに着いた。廊下の突き当たりに金庫のような扉が備え付けられている。次はここで待たなければいけない。
「早く誰か来てくれないかな」
たまに廊下の奥から足音や話し声が聞こえてくるが、いずれも保管庫へやって来ることはなかった。何度も期待しては肩を落とす。
ティアナは初めて来たときも何となく感じていたが、ここは普段人が来ないところらしい。そうなると、正面の出入り口以上に根気よく待つしかない。
窓の外を見ても建物の裏側では太陽の位置がよくわからない。壁と天井と床しかない空間であまりにも代わり映えしない風景にティアナの精神が削られていく。
早く帰りたいと願いながらもティアナが待っていると、ようやく保管庫へやって来る者が現れた。足音は二つ、ヨーゼフと貴族の男、それに従者の合計三人だ。
「今からご案内する保管庫にも、きっと気に入ってもらえるものがありますよ」
「だと良いのだがな。ともかく、見てみないことにはわからん」
小太りしているヨーゼフが痩せて見えるくらい太った貴族の男が尊大に答える。
自信に満ちた様子のヨーゼフは顔をひくつかせているが、今のところ怒りを我慢できていた。扉の前であのときと同じように呪文を唱えると、金庫のような扉を開ける。
正面の出入り口のときと同様にティアナは貴族と従者に続く。あまりにも自然に入れたので一瞬自分も客人だと錯覚しかけたが、かぶりを振って目を覚ました。
すぐにヨーゼフ達と別れて銀の腕輪が安置されている棚へと向かう。漠然としてしか覚えていなかったので時間はかかったが、どうにか目的の棚へとたどり着けた。
「やっとここまで来た」
心底疲れたという表情でティアナが漏らした。
念のために周囲を確認し、ヨーゼフ達の声を遠くに聞きながら銀の腕輪を懐にしまう。
目的を達成した後は脱出しなければならない。ティアナはすぐに保管庫の扉の横でヨーゼフ達が戻ってくるのを待った。
自分のときはどのくらいこの中にいたのかと考えながら待っていると、すぐにヨーゼフ達三人はやって来た。
「お気に召すものがなくて残念です」
「とんだ時間の無駄だったな。まぁ儂の眼鏡に適う物がそうそうあるはずもないか」
引きつった笑みを浮かべるヨーゼフのことなど意に介しない貴族の男は、面白くなさそうに金庫のような扉の前に立つ。
ヨーゼフが扉を開けると貴族の男は従者共々廊下へと出るが、ティアナもそれに便乗して外に出る。
扉を閉めたヨーゼフに対して貴族の男が申しつける。
「まぁ、必要なカネは充分に支払ってやる。そなたは儂が注文した品を作れば良い」
「承知しました」
再びヨーゼフを先頭に三人は廊下の奥へと去ってゆく。
金庫のような扉の横でそれをずっと見ていたティアナは、自分以外の姿が廊下にないことを確認してから足を動かす。
「ヨーゼフも結構苦労してるんだな」
慎重に廊下を移動しつつもティアナは先程の光景を思い出す。いつの時代、どこの世界でもお金を持っている方が強いのだということを改めて見せつけられた格好だ。
何となく胸が苦しくなりつつも、ティアナは建物の出入り口まで戻ってきた。
出入り口の扉近辺には誰もいなかった。たまにどこか遠くから足音や話し声がかすかに聞こえるが、それもすぐ消える。
ここまで来るともう少しなのだが、その少し先からなかなか進めない。
早く帰りたいとどうしても思ってしまうためか、忍び込むときよりも待つ間がつらい。
じりじりとした焦りを感じながらもティアナが待っていると、こちらに向かってきている二人分の足音が聞こえてきた。現れたのは警護兵だ。
扉へと近づいていく中、一人が首を回しながら愚痴る。
「あ~あ、いやだねぇ。昼間とはいえ、外は寒いってぇのによぉ」
「中も風が吹かないだけマシって程度だけどな。おい、知ってるか? 魔法使い共は魔法の道具で自分の部屋を暖かくしてるらしいぞ」
「いいなぁ。俺も頭の出来が良かったら、あいつらと同じようになれたかもしれないのに」
「ははは! 貧乏な俺達がそんなご立派なモンになれるもんか。ほら、出るぞ」
「うおっ、さみぃ!」
もう一人が適当に話し相手となりながら扉を開ける。
すり抜ける機会を窺っていたティアナは隙を見いだせなかった。流れるように二人の警護兵は外に出て扉を閉めてしまったのだ。
渋い表情のティアナはそれでも待機し続ける。休憩のために屋内へと入ってくる警護兵に期待してだ。
その機会はすぐにやって来る。少ししてから再び扉が開いた。
「やっと終わったぜ!」
「あ~くそ、手足がかじかんでたまんねぇ! 昼間なのにこれかよ!」
寒さに震える警護兵二人の姿がティアナの視界に入った。
一人目が扉を大きく開けて中に入り、二人目が続いて入って扉を開け放ったまま奥に進もうとして、すぐに立ち止まった。
「おっといけねぇ! 忘れるところだった!」
後から入った警護兵が振り向いて扉に手を伸ばしたところで、ティアナが動いた。全力で脇をすり抜けて外に出る。
「おい、ちゃんと閉めろよ。でなきゃ」
外で警備についたばかりの警備兵が二人共扉へと顔を向けて笑う。
その間を走って通り抜けたティアナは、途中で警備兵の言葉が聞こえなくなったが構わず建物を離れた。
周辺は相変わらず閑散としている。遠くの別の建物の前には馬車が停まっているが、ティアナの近くに人はいない。これなら声を出しても聞かれることはなかった。
「ウィン、飛んで」
『わかった!』
一刻も早く敷地から去りたかったティアナは、ウィンに命じて体を浮遊させる。
体が浮き始めると、もはやティアナが走る意味はない。脚をじっとさせたティアナは、ウィンにいくつか指示を出して進むべき先を決める。
ダンケルマイヤー侯爵の屋敷の塀を越え、王都の建物をいくつか飛び越えた先にある路地裏にティアナは着地する。
水気の多い積もった雪が多く残るその路地裏に人気はなかった。念のため誰もいないことを確認するとティアナはウィンに話しかける。
「魔法を全部解除していいですよ」
『はーい!』
のんきな返事がティアナの内に響く。わずかにあった浮遊感がなくなり、ティアナの両足に確かな雪の感触が戻ってきた。
「はぁぁ、終わったぁ」
両膝に両手をかけて、崩れ落ちそうになる体を支える。今になって冷や汗が出てきた。
「うまくいった。あんなにうまくいくとは思いませんでしたけど」
確かに計画の段階ではうまくいくように色々と考えた。実行中のときも全力でうまくいくように行動した。その結果が懐にある銀の腕輪である。
しかし同時に、これ程見事にできるのかという驚きもあった。正直なところ、途中で隠密行動に失敗して強行突破か退却する可能性が高いと思っていたのだ。
「うわ、膝が笑ってますね」
緊張が解けたせいか、ティアナは今軽い脱力状態だ。気を抜くのは早いとわかっていても、屋敷内にいたときのような緊張感はもう保てない。
ともかく宿に帰らないといけない。そう考えたティアナは、まず表通りを目指して歩き始めた。
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