夏休み
王立学院の夏休みは七月から始まる。暑くて授業にならないからというのが理由だ。貴族側もこの時期には避暑地へ赴くことが多いので、それに合わせたという事情もある。
「今日から夏休み~! 宿題がないって最高! ただひたすら休める! やったぜ!」
「去年も喜んでたわよね。今更そんな歳でもないでしょうに」
「そんな歳だぞ。なんってったってまだ十代だからな!」
「授業があったときだって、勉強以外大したことなんてしていなかったでしょ」
「朝の外出準備が大変だっただろ。特に髪の毛いじりと化粧」
朝からだらけているティアナに指摘されてアルマは苦笑する。確かに毎朝の支度は面倒だった。それがなくなって楽になったのはアルマも同じだ。
「いいわよねぇ。メイドのこっちは年中無休よ。たまにお休みをくれてもいいじゃないの」
「せめてあと一人雇えたら検討できるんだが」
「じゃぁ無理ってことじゃない。いいわよ、どうせ期待なんてしてなかったから」
難しい顔をして返事をするティアナに対して、アルマが軽い調子で返す。毎日長時間拘束される点は確かにきついが平均的な貴族よりもずっと手間がかからない。なので、ティアナの世話は意外に楽なのだ。貧しくてできないことがあるのが主な理由だが。
「今年の夏は何しようかなぁ。図書館の本は大体見たし」
「街中を一人でうろつかないでよ。誘拐されても身代金なんて払えないんだから」
「あったとしても、俺のためには払ってくれないだろうしなぁ」
「そうなると、どこかに売り払われて一生むさ苦しい男共にご奉仕ね」
「具体的にどんなことするんだ?」
「そこまでは聞いていないから知らないわ。どうせきっついエロゲみたいなことでしょ」
「現実にそんなことしたら生きてる自信ないぞ」
「あんたそんなゲームしたことあるの? この変態」
「あれ? なんでこんな話になってんだ? 俺達夏休みの話をしてたよな?」
途中で気づいたティアナの様子を見ていたアルマが笑う。
「その様子だと、今年も実家には帰らないのね」
「帰ってもここにいてもひとりぼっちなのは同じだからな。家族の目を気にしないといけない分だけ、実家の方が面倒だよ」
「聞いていて悲しくなるわね。誰のせいでもないのに」
「しょうがないよ。泣いても憑依体質は消えてくれないんだし」
実のところ、ティアナの憑依体質は何でもかんでも受け入れてしまうというわけではない。本人の意思で受け入れるかどうか決められるのだ。しかし、いくら両親に説明しても納得してもらえなかった経緯がある。
「それだったら、裁縫や部屋の掃除を手伝ってよ。どうせやることないんでしょ?」
「待て、俺は雇い主だぞ? いくらやることがないからってそれはダメだろう」
「普通ならね。でもあんたは別。大体、ぼさっとしてると早くボゲちゃうわよ。頭も体も使ってこそなんだから」
「うーん。何か、何かやることはないのか」
次第に気温が上がっていく中、ティアナは何をしようか真剣に検討を始める。しかし、そう都合良くは思いつかなかった。
「くそう、街にもおいそれと出られないんじゃ、暇つぶしの散歩もできないぞ」
「学院内を散歩したらどうなの?」
「見慣れすぎてて気晴らしにならないよ。それにこんな真夏の炎天下に散歩なんてしたくない。あーいいなぁ、みんな実家に帰れて」
窓の外には、寄宿舎の玄関口近辺には何台もの馬車が止まっていた。どれもが帰省のために実家から遣わされた馬車である。当然ベルネット家の馬車は見当たらない。
「この光景がしばらく続くのよね。あたしの知り合いもほとんどいなくなるわ」
「あれ、一部は残るのか?」
「そうよ。寄宿舎の部屋を使えるように維持しないといけないからね。休み中は主人がいないから一度大掃除を済ませると後は楽よ。人気があるのよね、この留守番役って」
「なんで? 置いてけぼりくらったみたいに思えるんだけど」
「だって、誰もいない部屋の維持なんだから掃除は最低限でいいし、主人がいないから炊事と洗濯もやらなくていいからよ。それになんといっても、うるさい先輩や管理人がいないし! それでお給金が普段と同じなんだから、最高じゃない!」
嬉しそうに語るアルマを見てティアナは自分のみを振り返ってみた。しかし、自分がどう評価されているのかまったくわからない。
「なんて言うか、その、いつもありがとう?」
「疑問形なのがよくわからないけど、気にしなくてもいいわよ。あんたの場合は、こうやって気楽に付き合えるのが何よりもメリットなんだから。他の主従関係を見てみなさいよ。あんなの四六時中するのなんて絶対イヤよ」
「それは俺も見てて思う。肩が凝るなんてもんじゃないよな、あれ」
「まーここだと元から一人だし、人間関係に悩む余地なんてないけどね」
「貧乏ならではこそということなのかな」
使われる者としての本音を暴露され続けてティアナはすっかり引いていたが、アルマに悪い印象を持たれていないことが確認できて安心する。
「ところで、あんたの知り合いの貴族様も帰省するんでしょ。見送りはいいの?」
「今日じゃないからまだいいんだ。テレーゼ様が明後日、パウルが三日後だから」
「ばらばらね。そっか、みんな出発前にやることがあるもんね。それで、ユッタ達の方はどうなの?」
「パウルによると、ユッタは一週間くらいこっちに残ってるらしい。何でもテオフィル王子が残るのに合わせるんだってさ」
「まめねぇ。やっぱり本命は王子様なのかしら」
「そうなると後で大変なことになるんだけどな。ともかくそう言うことで、今日はなーんもなし! だからごろごろする~!」
言い終わると、ティアナは上機嫌にお茶を飲む。アルマは苦笑してるだけだった。
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夏休み三日目の朝、今度はテレーゼが実家に帰省する日がやって来た。ティアナはテレーゼの部屋がある寄宿舎まで向かう。
「おはようございます。テレーゼ様」
「ごきげんよう、ティアナ。見送りに来てくださったのですか」
ユッタ対策で手を組んでからもテレーゼの派閥とは表立った関係に変化はない。しかし、周囲の視線は若干柔らかくなった。地味なことではあるが圧力をかけられる側としては精神的に楽になるので、ティアナとしては喜ばしいことだ。
「わたくしは夏休み中に、王城で国王陛下にご挨拶をする予定ですわ」
「お一人で王城へ赴かれるのですか?」
「いいえ、わたくしの父上と母上もいらっしゃいます。家族ぐるみでご挨拶をするんですのよ。春先以来ですわ」
「ではその間、テオフィル王子ともご一緒になるんですね」
「そうなんですの。前回とは違って、そこが悩みの種ですの」
悩ましげにテレーゼがため息をつく。テオフィルがどんな態度で接してくるかわからないが、テレーゼは可能な限り取り繕わないといけないのだから大変だ。その様子を想像してティアナはテレーゼに同情した。
「私がテレーゼ様の立場なら伏せってしまいそうです」
「いっそ伏せってしまった方が楽かもしれません。そういうわけにもいかないのですが」
「ご同情申し上げます」
「随分と人ごとですわね。実家に帰ったら、ティアナにはお見合いの話はないのかしら?」
「私は実家に戻らないので」
そう言って苦笑しながらティアナが言葉を句切ると、テレーゼは事情を思い出して目を見開いた。
「申し訳ありません。事情を察せられたのに気づかなくて」
「構いません。テレーゼ様のせいではありませんから」
「ということは、あなたは夏休みの間はずっと寄宿舎にいらっしゃるのですか?」
テレーゼがティアナに謝罪した後に今後のことを尋ねる。その視線は若干真剣だ。
「はい。両親との折り合いが悪いので、ここにいた方が楽なんです」
「そうですが、わたくしとしては実家に戻られた方が良いと思いますわ」
「何かあると?」
「断言はできませんが可能性はあります。ユッタ達の予定は把握していますか?」
「先日、パウルからユッタが一週間ほどこちらに滞在すると聞きました。今からですとあと四日程ですね。何でもテオフィル王子に合わせて滞在を延ばしたそうです」
「確かにテオフィル様と帰省の時期が一致しますわね。学院長などとお話があるとのことでしたが。では、カミルについてはどうですか?」
何気なくテレーゼから問いかけられたティアナは返答に詰まる。カミルの予定は知らないからだ。その様子を見てテレーゼは小さくため息をつく。
「カミルも一週間ほど学院に滞在するようです。理由は不明ですが」
「ありがとうございます」
「三人が学院にしばらく残るのが故意か偶然かはわかりませんが、夏休みの間は学院から人がほぼいなくなります。行動には細心の注意を払うようにしてください」
「承知しました」
「夏休みも学院にいらっしゃる教員の方や衛兵の隊長には、わたくしからもそれとなく申し上げておきました。どこまでお力添えをしていただけるかはわかりませんが、何かあれば頼ると良いでしょう」
「お気遣いありがとうございます」
普段のテレーゼは子女の最大派閥を率いる者として生徒に君臨しているが、こういうときは公爵令嬢という肩書きが物を言う。
侍女がテレーゼに出発を促しに来た。
「それでは、そろそろ参ります。ごきげんよう。休暇中も気を抜かないで」
「はい、テレーゼ様もご壮健で」
テレーゼはティアナに挨拶を済ませると自分の馬車に乗った。
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夏休み四日目の朝、次はパウルが実家に帰省する日だ。ティアナはパウルの部屋がある寄宿舎まで向かう。
「おはよう、ティアナ。ちゃんと体を動かしているかい? 今日もいい筋肉日和だ」
「パウル、おはよう。あなたの挨拶っていつも同じね」
「挨拶なんてそんなものだ。詩じゃないんだから、毎回違った挨拶をするなんて大変だぞ」
「それもそうね。私、詩の授業は苦手だから、すぐに挨拶できなくなっちゃう」
「ははは! 俺も同じだよ」
何でもないことで二人は笑い合う。ティアナはこういう気安い会話が大好きだ。
「結局、一人で実家に帰るのね」
「何度かユッタを誘ったんだけど、テオフィル王子が残るからって聞かなかったんだ。昔から一度言うと頑なだったからなぁ」
「それならユッタと一緒に帰省すれば良かったでしょうに」
「最初はそうしようと思ってたんだけど、父上から早急に戻るよう連絡が来てるんだ。どこかの騎士団からの誘いだったら良かったんだけどなぁ」
「お見合いのお話じゃないの?」
「ははは! それは考えもしなかった。お見合いねぇ。そうだとすると、父上も相手探しに相当苦労してそうだ。俺の実家って裕福じゃないからな」
「そこ笑うところじゃないでしょう。もっと真剣に考えないと」
快活に笑うパウルにティアナが呆れた。
「ところでティアナ、君は今年も学院に残るのかい?」
「ええ。例の体質のおかげで、両親との折り合いが悪いことは以前話したでしょう。だから帰省しても居づらいだけなの。気楽なだけここの方がましです」
「そうだったな。君にお見合いの話なんかは」
「学院でこれだけ広まっているんですから、恐らく貴族社会全体に知られているでしょうね。だから、よっぽどの物好きでなければ、申し入れなどしないと思うわ」
「もったいないなぁ。去年はあれだけ引く手あまただったのに」
「私の両親もこの体質のことを隠してお見合いの話を進めようとしていたらしいけど、一年前の騒動でそれもすべて御破算。それで散々非難されて、更に嫌われたわ」
「それは初耳だな。聞くほどに悲惨な話だ。君のせいじゃないのに」
ティアナの話を聞いたパウルが苦笑する。自分の体質も他人の考えもどうにもできないだけに、ティアナも同調して微笑んだ。
「何もかも放り出したくなるときって、あるかい?」
「あるわよ。ただ、それは単に逃げてるだけだってわかってるから、我慢してるの」
「強いな。大したもんだ。俺も見習わなきゃな」
「パウルが何かを放り出すところなんて想像できないわ」
「そうでもないよ。やっぱり嫌になることだってある」
やはりそんなところを想像できないティアナが小首をかしげた。
そうしていると、御者が出発の準備ができたとパウルへ告げに来た。
「もう行かなきゃ。それじゃまた、新学期に」
「そうね、また新学期に会いましょう、パウル」
挨拶を交わしたパウルが馬車へと向かう。
主人が乗り込んだことを確認した御者が馬にむち打つと馬車は動き出した。
ティアナはその姿が見えなくなるまでずっと眺めていた。
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